Quaeris: Aqua(疑問:アクア/水)
Corpus = corpus
(コルプス=遺体)
あの時、海の底でコルプスはただの物質になった。
そして、空にかかる虹を見て、自然滅ぶべし(Natura Delenda est)と証明を終えた時、私はラプラスの魔と契約を交わした。
自らの魂と引き換えに、自然を統べる知識を手に入れたのだった。
コルプスが死んでから、私は生ける屍だったから、魂を取られても別に構わなかった。
それから私は、科学を今までよりも必死に、そしてどこか憎みながら勉強し始めた。
基礎理論ではなく応用を主にして。
応用の関心は、主にコルプスを殺した地震と水が中心だった。
地震が頻発する地域はプレートの境界上に集中しており、特に環太平洋に多い。
イタリアも地震国の一つだったが、津波による被害は多い訳では無い。
地震が頻発していてかつ、地震研究や科学が発達している国。それは日本だった。
災害研究としては、アメリカも魅力的な選択肢だった。だが、私はあえて日本を選んだ。
それは、コルプスの影響なのかもしれない。
地震研究の歴史を知り、日本という地震国に興味をひかれ、調査を始めた。
本当は、コルプスが行きたいと願っていた日本に興味を持っただけだったのかもしれない。
そんなある日の事、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の『A living god』を知った。それは、濱口御陵の稲むらの火の実話をベースにした物語で、海外の人々にも広く知られるきっかけとなったのだった。
そして、稲むらの火の実話にインスピレーションを得て、私は、津波について特に研究する事にした。
流体の挙動について、シミュレーションを作った。
しかし、莫大な情報のシミュレーションには時間がかかるため、荒い近似でしかなかった。
そのシミュレーションを更に詳細に行うべきだとする申請が通り、神戸湾に新設された量子コンピューターLの使用許可も出たため、私は日本へ旅立つ事にした。
とにかく、8月末には、日本に渡り研究する事が決まっていた。
それは、コルプスの死から何年経った事だろうか。
ただひたすら、自然を滅ぼすための科学を学び続けていた私にとっては、もはや、遠い過去の事だった。
日本の旅行計画は、結局、行けなかったあなたの"2011: A Japanese Odyssey"(2011年 日本の旅)
をベースにして、"20XX: The Final Odyssey"と名付けた。
旅の支度を整えながら、そんな思いで部屋の中を整理している時、あるものに気付いて私は微笑んでいた。
それは、日本風の流し台だった。
有名な観光地であるローマに住むコルプスは、いつもの気まぐれで時々困った旅人の案内をしていた。
ある日、コルプスは、物売りに絡まれている日本の旅人に出会った。
旅人を助けて目的地に案内した後、日本の文化に興味を持っていたコルプスは、お礼に『Japan Sinks』の本を送ってくれと頼んだ。
後日、小松左京の小説『日本沈没(Japan Sinks)』を楽しみにしていたコルプスの元に届いたのは、日本の流し台(Japanese sinks)のカタログだった。
予想外のプレゼントに驚いたコルプスだったが、結局、カタログから気に入った流し台を買っていた。
その流し台は、コルプスが亡くなった後は、私の部屋に置かれていた。
その日本人は、キイツという名前で、ジョン・キーツの墓を探していたから案内してあげたとコルプスが話していたのを覚えている。
カタログに挟まっていた手紙には、Kiitsu・Namimatsuと書かれていた。
私がキイツの事を思い出すきっかけとなったのは、水につかり読めなくなったコルプスの手紙を解読する際に、ネット上で見つけた小論文だ。
ネット上で偶然見つけた『A Defefence of Disastrous Poetry -Culutural Asset write in water 災害詩の擁護-水に書かれし文化財-』という小論文だ。
災害における文化財保護の重要性を説く英語の文章が気になり、お礼も兼ねてコンタクトを取った。
何度かメールを交わす中で、コルプスが2011年に案内を頼んでいたJapan sinkの人だと気づいた。
コルプスと会ったことのあるだけに、一度私も会ってみたかった。
ちょうど神戸在住で近くの地理に詳しく、英語力もあり、歴史にも造詣が深い人物と分かり、案内人としては適任だった。
こうして、日本での案内人として、浪松 希為津を雇った。コルプスがあの時言うはずだったJapan Sinkの件も告げるつもりだ。
そんな事を思い出して私は笑った。
笑ったのは、久しぶりの事だった。ただ笑いながらも涙がこぼれていた。
零れ落ちる涙が、∇×(回転)し、流し台に落ちる様を、ただ眺め続けていた。
そうだ。ローマを発つ前に、訪れなければならない場所がある。
私は、ローマ郊外の自宅から久しぶりに出て、市内を歩き回った。
最初に向かったの真実の口だった。
何度も、コルプスと共に来た場所だ。
初めて来た時は、例の映画のマネをしたコルプスの手が食われてしまったと引っかかった私だったが、あまりにも何度もやるので慣れていた。
帰りがけに、隣接された教会で歌われていたのは、モーツァルトのアヴェ・ヴェルム・コルプス。
コルプスを讃えるようだった。
次にたどり着いたトレヴィの泉で私は、コルプスと来た時の事を思い出していた。
あの時は、互いにコインを一枚ずつ入れていた。
「もう一枚入れて三枚にしましょうか」
その時、冗談で私はそういった。冗談でも言わなければ良かった。
本当にあなたと別れてしまったのだから。
コインを二枚投げ入れた。例え、この世にいなくてもいつまでも、あなたにそばにいてほしかったから。
私らしくない非科学的な行動だった。
ローマの街は、水道が各地に張り巡らされていた。
水道。ラテン語で、Aqua。つまり私と同じ流れだ。
水の流れを支配する事こそ、自然を支配する事だ。
終着点は、非カトリック墓地にあるキーツの墓だった。
その前にある広いベンチに一人で座り、墓碑銘を眺めた。
Here lies one whose name was writ in water
その名を水に書かれし者ここに眠る
かつてあなたと共に二人で座ったベンチにただ一人で座った。
「ジョン・キーツ。愚かな虹の守護者よ。
お前は、詩人ではなく、医者になればよかったのだ。そうすれば、もっと長生きできたのだろう。
科学にも貢献できただろう。
私は、虹の破壊者である科学者だ。
私は、お前の様に逃げたりはしない。戦い続ける。決して相容れる事はないだろう。
自然に復讐できるのなら、どんなに美しい虹でも砕いて見せる。
たとえ、あの日、コルプスと共に見た虹であったとしても」
あの時に涙はもう枯れ果てた。
決意を示す為に、近くのコルプスの墓を訪れた。そこは、今まで決して訪れなかった場所。
その墓標に、一文を付け加えた。
Culpa Amici Aquis Submersus
友の罪により水に沈む
自らの罪を刻み、友を忘れない為に。
20XX年8月24日、私はローマから日本に向かう飛行機の中で、ヴェスビオ火山を睨みつけた。
2000年近く前の同日、噴火して、大プリニウスとポンペイの人々を殺したその火山を。




