Demonstrandum:Natura (証明:自然)
あの時から、しばらくは数式を一切見たくなかった。
しかし、更に時が経過して、また数式を見たくなり始めた。ただ、慣性で、知識を吸収し続ける。気晴らしだろうか。結局は変わらないというのに。
事故はいつだって起こる。偶然あなたが当たっただけだ。
確率はとてつもなく小さい。最大少数の最少不幸だけを考えればよい。個体に心を移してはいけない。危険を高めるだけだから。
私は資料の山の中から、丸まった本を見つけた。それは、小松左京の『日本沈没』だった。表紙には
あなたが、再び行けなかった日本でもらった著者のサインがあった。
その下の方から複数のページに文字が書き込まれていた。それは、コルプスが海の底に沈む中で書いた最期の手紙だった。
あなたが救える解を探している時に一度目を通したが、その時は計算に使えそうな条件だけを探していた。
手紙を読んでしまったら、あなたが救えない事実を受け容れてしまう気がしたから。
だがもはや、あなたが救えない事は私の意志と無関係に決定された。読まない理由が無くなった私は手紙を読み始めた。
「アクアへ
捨てた本の余白に、最期に手紙を書いてみる。
出会った時と違って、今のアクアなら、一人でもしっかり生きていけると思うけど、あまり根詰めるな。君は真面目すぎるから時々、息抜きをしないと。
チェスセットが近くに落ちてたから、拾い集めたけどポーンが一つだけ見つからないんだ。多分、そっちに置き忘れたみたいだ。
そういえば、圧力の実体験になった。どうせだから、それも記録しておこう。さっきまで何もなかった船内だけど、手紙を書いている間に段々と軋み始めた。
君に卑怯者と言われたし時間も余ってたから、チェスの問題を考えた。
昔やった8クイーン問題って覚えてる? 盤上にクイーンを互いに取られない様に8個置く問題。
思ったんだけど、例えば盤のマスの数が3×3で、クイーンが3個あったら、互いに取られない組み合わせはいくつあるんだろう?
こういう風に、マス数n=1~12の、nクイーン問題を解いたら、12回分勝った事にしよう。
これが本当に最後の勝負だ。
水が船内に漏れ始めた。もう君と話す事すらできないのか…何で死ななくちゃいけないんだ? 何か悪い事をしたのか?
水が大量に入ってきた。もう限界だ。まだ死にたくない……もう一度だけ君と…」
手紙には血が付いていた。潰れた内臓の血が。
私は、手紙に書かれたチェスの問題を解くプログラムを作り上げて、実行した。
コンピューターが問題を解いている間、私は放心した様にポーンを見つめ、過去を振り返っていた。
永久静止したニュートンのゆりかご、解けないFパズル、破かれた本のページ、正二十面体の破片などの否定的事実に囲まれながら。
我に帰ると、いつのまにかコンピューターの計算が終わっていた。チェスの問題は解けた。
これで、私はあなたとの戦いに勝利したが…
勝利による達成感 << 二度と戦えない虚脱感
それを埋め合わせようと、私はあなたのPCを開き、それらを探索しながら過去に浸った。
その中に、あなたが作ったF2(Forbidden Fake)パズルがあった。15パズルの解けない配置だけをランダム生成するプログラムだ。
コルプスは、コンピューター上で行う15パズルの多くが、解けない配置を事前に禁じている事に嘆いていた。そして、ついに解けない配置だけ作るプログラムを作ってしまったのだ。
こんなものではなく、どうせならチェスプログラムDeep Corpusを作って欲しかった。そうしたら、もっとあなたと長時間戦う事ができたのに。
解けないと分っていながらも、F2パズルを解いていた。
私が解いた現実のパズルには、Frigidus Finis (冷たい結末)しか存在しなかったから。
記録があまりにも苦しくて、私は、屋上にある展望室に逃げ込んだ。
あの部屋は、もはや私にとっては101号室だった。
数学が2+2=5になる希望を打ち砕き、冷酷に2+2=4の現実を強いる様に、あなたの死という唯一解を受け容れるまで私を拷問したからだ。
周りには、天文学関係の本や、装置が乱雑に置かれている。そばには、ガリレオ式、ケプラー式、ニュートン式(反射式)、赤外線など、様々な望遠鏡がある。
よく、二人で半球状のドームを開いて、星を見たものだった。
私は、ドームを開き、重力とは逆の方向を眺めた。ニュートンの法則に縛られた哀れな星々が夜空に瞬いている。
美しいではないか。
私が、笑っても、泣いても、希望を抱いても、絶望しても、誰かが生きても死んでも、呪っても、慈悲を請うても、法則は常に不変。
Magnum Symmetria! Aeterna Perfecta Pulchritudo
偉大なる対称性! 永遠の完全な美
美しいと感じる以外に何ができる? せめて、徹底的に利用して、鼻で笑うだけだ。
生きるという事は、法則に服従する事にほかならない。
コペンハーゲン解釈が説く様に、私が自然を見て事象を決定しているのではない。
Big Nature is watching me, and determinning fact
偉大なる自然が私を見て現象を決定しているのだ
私はBig Nature(偉大なる自然)にひざまずいた。
目に涙が滲む。目に溜まり過ぎた水は、表面張力の限界を越え、夜空と同じ法則で下に落ちた。
涙さえも法則に抗えず落ちていく。現実を変えられない涙に何の価値がある?
涙はただ、いくらかのタンパク質が混じった水溶液に過ぎない。
だが、あの時のあなたの涙だけは、価値がある。決して、電気分解できない何かがある。
無価値なのは私の涙だ。
雨が降ってきた。ドームを開けていたので雨が入ってきたが、閉めて守りたいものなど何も無いから開けたままにした。
雨は止まずに降り続き、空の涙か私の涙か分からなくなった。雨粒と涙が大河へと流れ込む。全ての水がただ下へと流れてゆく。
一陣の風が吹き、垂直に降下していた雨粒が、横へとなびく。雨粒が、風が吹く前とは異なる地点に落下する。
ルクレティウスのクリナーメンを思い出した。
共和制ローマの時代を生きたルクレティウスの『事物の本性について(De Rerum Natura)』はエピクロスの原子論に基づいて書かれた詩で、記述された最古の科学書と言われている。
その中核となる概念がクリナーメンであり、具体例がまさに今起きた事だ。
つまり、雨粒等の粒子は重力に従い垂直に落下するが、ある時、ある位置で僅かに進路がずれる現象だ。
彼はそれによって、運命に抗う意志(Fatis Avolsa Voluntas)が生じると考えた。
クリナーメンは、古典物理学では理解される事はあまりなかったが、近年のカオス理論や散逸構造論などによって再注目された。
古典物理学の決定論的自然観から見ると、クリナーメンの概念は誤差として排除するものであり、それを重視するルクレティウスが理解できなかったのだ。
足元を見ると、引き裂かれた数多の本に紛れて、ラプラスの『天体力学』の破いたページが散乱していた。
このラプラスの『天体力学』が、古典物理学における決定論的自然観の極みだろう。
ニュートンの時代から、恒星、惑星、衛星からなる三体問題が解けないといわれていた。
三体や多体問題を解くためのツールがラプラス等によって考えられた摂動論だ。簡潔にいえば、厳密に解ける主要項に摂動項を加え、解を求めるものだ。
ラプラスはその果てに、全てを決定できる知性を想像し、それは後にレーモンによってラプラスの悪魔と名付けられた。
そして、あなたの生は、クリナーメンやカオスではなく単なる誤差や摂動にすぎなかった。
それが受け容れられず、『天体力学』をボロボロに引き裂いたのだった。
出来る事なら、原子にまで分解したかった。破っても予定調和からは逃れられないのに。
今、またそれを見つめる。もはや無意味な事に気づいたから、破ろうとすら思わない。
新たな疑問が生じた。
なぜ、私の眼前でカオスが大挙するのに、私の望むカオス、つまりあなたの生は認められないのだ?
何故、解きたくない問題は冷酷に解答を出され、解けて欲しい問題は解けない?
その疑問を考え続け、本の山を漁っていると、ワーズワースの詩集を見つけた。あなたが好んで読んでいたものだ。
あなたはこういった科学以外の作品も好きだった。私自身は、この詩集にあまり興味は無かったが、時々あなたが口ずさむのを聞くのは嫌いではなかった。
パラパラと詩集をめくり、『ティンターン僧院』の一節に興味を惹かれた。
Nature never did betray the heart that loved her
自然は決して自然を愛する心を裏切る事はなかった
この命題は偽だ。
ワーズワースと過去の私というWorshippers of Nature(自然の崇拝者達)に、あなたという反例を眼前に叩きつけてそう主張したい。数多の自然災害の犠牲者による反例集も添えて。
”自然”は”自然”を憎む者も、無関心な者も、愛する者も全て奪う。
そこにある意図は、物理条件と確率だけ。
否、よく考えれば真だと気付いた。
∵(何故ならば)裏切りという行為は裏切る者とその存在との間に信頼関係があるという前提の話だ。
もともと、”自然”は愛しているとは一言も言っていない。私達が勝手に解釈しているだけだ。
”自然”が災害を引き起こしても、裏切っていたという訳でない。
それ故に真なのだ。
再び、ワーズワースの詩集をめくり始めた。今度は『My Heart Leaps Up』という短い詩が目に付いた。
My heart leaps up when I behold
私の心は高鳴る
A rainbow in the sky.
空にかかった虹を見る時
So was it when my life began;
生まれた時もそうだった
So is it now I am a man;
大人となった今もそうだ
So be it when I grow old,
年老いてもそうありたい
Or let me die!
でなければ死を給え!
The Child is father of the Man;
子供は人間の父
And I could wish my days to be
だから私はその日々を
Bound each to each by natural piety.
互いに自然への敬愛で繋ぎたい
最初はどこか共感した。あなたも似た様な事を語っていたからだ。私自身も理解できなくはなかった。
だが、経験が少ない子供でさえも、大切なものを失っては、心の高まりなど生じない。
それでも途中まではよかったのに、最後の二行のせいで台無しだ。
”自然”を愛していた子供から、”自然”に大切なものを奪われた大人になった時、その断絶をどうやって”自然”への敬愛(Natural Piety)で繋げばいい?
”自然”への敬愛を抱き続ける彼にこそ死を給え!(Or let him die!)
そういえば、同じく虹を題材にし、自然観を語った詩をあなたが言っていた。どんな詩だった?
いつ、あなたがその詩について話したのだろう?
記憶を遡っている内に、いつの間にか夜が明け、日光が入り始めた。プリズムとニュートンの『光学』に光が当たり、その反射光が私の目に像を結んだ。
あれは、二人で『光学』を片手に、光を分光計でスペクトル分解した時の事だった。
私は更に更に分解したくて、装置を改良していた。あなたも最初は手伝っていたが、余りにも私が凝りすぎたので途中で飽きてどこかへ消えてしまった。
しばらくしてあなたが戻ってきて、後ろ手を組みながら真面目な顔で言ったのがもう一つの虹の詩だった。
思い出した。キーツの『レイミア』の一節だ。
Do not all charms fly
魅力の全てが飛び去らないだろうか
At the mere touch of cold philosophy?
冷たい科学が、ただ触れるだけで
There was an awful rainbow once in heaven:
かつては天空に壮厳な虹があった
We know her woof, her texture; she is given
今や、その横糸と織地は知られ、虹は
In the dull catalogue of common things.
ありふれたさえない目録に加えられた
Philosophy will clip an Angel’s wings,
科学は、神秘という天使の翼をむしり
Conquer all mysteries by rule and line,
あらゆる神秘を、法則と線とで支配し
Empty the haunted air, and gnomed mine—-
霊の漂う空と精霊の住む地を空にし
Unweave a rainbow, as it erewhile made
虹を分解した。かつて
The tender-person’d Lamia melt into a shade.
儚いレイミアを影へと溶かした様に
あなたはこう続けた。
「分からない事があってもいい。アクアの行動が全て予測できないから面白いんだ!」
いきなりあなたは笑みを浮かべ、その直後、私の顔面に水がかかった。
あなたがホースを隠し持っていたからだ。
あなたの行動は本当に予想外だった。怒りが一瞬わいたが、すぐにそれは笑いに変わってしまった。
私もあなたの行動が全て予測できたらつまらないと感じた。そう思うと、そこまで知識に固執しなくなった。
私は怒ったふりをして、室内に戻ると空気と水の全反射を調べる実験に使っていた水槽の中の水をあなたに浴びせた。
あなたは、私が本当に怒ったと思い謝ろうとしていたから、非常に驚いていた。
水の掛け合いの果て、二人ともずぶ濡れになった。
あなたはホースで水をまいて虹を作りながら私に笑いかけた。
「プリズムで分解された光も興味深いけど、この虹もきれいだろ?」
私は笑ってうなずいた。
「ところで、虹ってくぐれると思う?」
コルプスが尋ねた。
「くぐれるわけないじゃないですか。そんなの光学の初歩の話です。虹というのは、太陽光のスペクトルの空気中の水滴の屈折角の違いがもたらす現象なのですから…」
「確かに、観測者が一人ならその通り。でも、観測者が二人だったら?」
そういうと、コルプスは自分の真上にホースを持ってきた。
「今、自分はどうなっている?」
私はコルプスを見つめハッとして答えた。
「あなたが虹をくぐってる様に見えます」
「そうだろう。だから虹はくぐれるんだ」
そういって、私の方に水を向けた。
「うん、アクアがくぐっている所が見える」
私はちょっと、意地悪く尋ねた。
「あなたらしい屁理屈ですね。でも、自分自身はくぐっている所は見えないじゃないですか」
「そうかな?」
あなたは何故か瞳を見つめて来た。
「もっと瞳を見つめるんだ」
コルプスの瞳には、私が映りこんでいた。瞳を通して見えた。私が虹をくぐっている様子が。
「たしかに、瞳も反射鏡のようなものでした。合わせ鏡やニュートンの反射望遠鏡のように」
「二人いれば、互いに虹はくぐれるんだ!」
「なんだか、騙されている感もありますが、でも、虹をくぐるのは美しいのは認めましょう」
***
ふと空を見上げると、雨が上がり、”自然”の虹がかかっていた。
いつも隣で見ていたコルプス(Corpus)はただの物質(corpus)になっていた。予測できない”自然”現象によって。
一人では虹をくぐれない。
もう私は、虹をくぐれない。
もし、あなたの死を避けられるなら、四次元座標系に発生した全ての虹をスペクトル分解してもいい。
神秘という”悪魔”の翼を一本残らずむしり取ってやろう。
冷たい科学(Cold Philosophy)で何が悪い? 虹の美しさなど不要だ。
キーツは水に流され溺れながら勝手にそれを嘆けばいい。




