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Experientia: Lux Æterna (実験/経験:永遠の光)

足元の正十二面体の様に砕け散った私の心。

絶望の奥底で、闇の中で見たのは、一筋の光。


そういえば、あの一人で絶望に押しつぶされそうになった時も、光が差しこんできたのだった。

それは、コルプスと初めて会った日の事で、決して忘れられない永遠の光。



2002/10/31 Italy. Molise San Giuliano di Puglia


私はイタリア中部ののどかな田舎町で生まれ育った。

平穏な子供時代。

両親は地震で亡くなったと聞かされていたが、祖母がいたから、別に辛くはなかった。

そもそも物心着く前だから、両親の顔も覚えていない。祖母から見せられた写真があるだけだった。


当時小学生だった、私を変えたその日は、10/31のハロウィンの日だった。


祖母や先生は今日は、諸聖人の日の前夜祭で明日の方が重要だと言っていたけれど、私も含め友達の多くはお菓子がもらえるハロウィンの方が重要だった。

学校は朝からハロウィンの気分で、私は下級生のためにお菓子を準備していた。

私は、昼のパーティーの準備の為、学校の離れにある地下室で、椅子に載って棚の上にある荷物を引き出していた。


お昼ごろ、いきなり、地面が大きく揺れて、椅子と棚が倒れて私は意識を失った。


息苦しさと冷たさで目が覚めた。

目を開けたら、周りは水だった。

地下室の色々なものが崩れ落ちて、水に満たされていた。

立ち上がろうとしたが、崩れた棚が頭上にあり、立つ事はおろか、這って移動するのが精いっぱいだった。


とにかく地下室から出ようとドアを開けようとしたけど、びくともしなくて。

ただ、泣きながら助けを求めることしかできなかった。


しばらくして、扉の隙間から人影が見えた。

それは血にまみれた良く知った友達の顔だった。

ドアの隙間から赤いが滲んできた。何だか、海に潜った時の様に息が苦しかった。

私は血の海に溺れて死ぬのだろうか。

できるだけ高い所に上がろうと、崩れた棚を押し上げようとするが、重くて一向に上がらない。


水の量は徐々に増していき、もう、棚に顔を押し付けてようやく息ができるほどだった。


暗い閉じ込められた部屋の中で、たった一人で死ぬのだと諦めかけた時だった。

壁の向こう側から声が聞こえて来た。

「…誰かいるのか?」

「助けて! ドアが開かないの!」

ドアを必死で叩いて助けを求めた。水を飲みこんでしまうのも構わず。


壁を叩く音が聞こえた。

扉の下側の隙間に穴が開き、新鮮な空気が入って来た。

穴からは、空気だけでなく、小さな光と、私を映した黒い瞳があった。

「こんな所に閉じ込められていたのか。とにかく、まずは落ち着くんだ」

その声にようやく落ち着いて息を吸うことができた。

「君の名前は?」

「…アクア」

「ああ、あのアクアちゃんか…。自分はコルプスだ。小さい頃、一緒に遊んだ事があるけど、覚えてないか」

「コルプスなんて、ひとしらない。おとうさんもおかあさんもいないし」

「まだ小さかったし覚えてないか…開けてみるから少し扉から離れていてくれ」

「わかった」


私が離れると共に、ガタガタと扉が揺れたが、開く事はなかった。それからしばらく、扉の近くで物音がしたがそれも沈まり、声が聞こえて来た。

「…そういえば、アクアちゃんは何の科目が好きなんだ?」

いきなり、関係ない質問をされた。良く分からないけど、正直に答えた。

「…さんすう(Arithmetica)」

「お、算数が好きなのは得意だからか。自分も算数は好きだな。でももっと好きなのは科学かな」

「科学はまだ、あまり習ってないから分からない…」

「そうか。アルキメデスの原理って知ってるか?」

「…しらない」

「アルキメデスっていうのは、シチリアに住んでた昔の科学者で…」

それから、コルプスは科学者アルキメデスの説明を始めた。


どうしてこの人は、こんな危ない時に関係ない科学者の話なんかするのだろう。

扉が開かないから?

不審に思って、隙間から覗いて見た。

扉の前にいたのは、死神だった。


「あ、あなたは、死神…なの?」

こんな状況でも冷静にアルキメデスとかいう全然関係ない数学者の話をしているのは普通じゃない。

目の前にいるのは算数の死神なのかもしれない。

もしかすると、私が算数の時間に出された1~100までの足し算の問題を、一つずつ全部足さずに組にしてすぐに解いてなまけていたから、算数の死神がやってきたのかもしれない。

コルプスは、私の問いかけにアルキメデスの説明をやめた。

「…ああ、そうか。いや集中してるとつい見失ってね。アルキメデスも幾何学の問題に集中しすぎて殺されたし、気をつけないといけないな」

死神は一旦、間を置き、memento mori(死を忘れるな)と呟いた。


その言葉に、私は恐怖を覚えた。

やっぱり死神だ。私を閉じ込めて、このまま殺すつもりなんだ。

逃げないと、でもこの倉庫には正面の扉しかなくて、扉を開けないと…

諦めかけたその時、びくともしなかった扉が開いた。

「お、ようやく出れたか。君は悪魔だね。自分は死神なんだ。よろしく」

そう言って死神が手を伸ばしたので、私は恐怖のあまり一歩後ずさった。

「なんで逃げるんだ? 悪魔と死神、似た者同士仲よくしよう。ファウストみたいな奴を見つけて魂を刈り取りにいこう!」

「わ、私は悪魔じゃない! こ、これは、今日はハロウィンだからみんなで悪魔の格好をして…。く、来るな死神…」

私は涙を流しながら叫んだ。

「本気にした? 冗談だよ。てっきり、気づいてると思ったんだが…」

そう言って死神は仮面を取った。そこには、心配した人の顔があった。

「…なんでそんな格好してるの?」

「ハロウィンだから。でもまだお菓子もらってないんだよな。…甘いもの食べたいなあ」

落ち着いた私は、ポケットの中にあるものに気づいて取り出した。

「リコリスのlecca-leccaペロペロキャンディあげたら助けてくれる?」

それは、近所の人からハロウィンでもらった、可愛らしい黒い死神の形をしたキャンディだが、リコリスの味が苦手なのでしまっておいたものだ。

「お、くれるのか。では飴と引き換えに君に良いことを教えてあげよう」

小さな死神をなめながら、コルプスは説明を始めた。

「君は、どうして閉じ込められていたと思う?」

「崩れて来た何かが扉に引っかかっていたから?」

コルプスは首を横に振った。

「普通は、そう思うよね。でも何もなかったよ。扉をよく見ると何かに気付かないか?」

アクアは扉の周囲を見渡してみた。

「とびらの近くだけ、ていぼうみたいに物がつんであって水が来てない。…じゃあ、水が、とびらをふさいでいたの?」

コルプスはうなずいた。

「そう。アクア(君)はアクア(水)によって閉じ込められていたんだ。つまり、自分自身との戦いだ!」

何か上手い事言ってるようで、コルプスはこんな状況なのに笑っていた。

死神じゃない様だけど、やっぱり、ちょっと変わった人の様だ。


扉の周囲の水を見ながら、私は、疑問を口にしていた。

「でも、水の高さなんて、ひざ位しかないよ。こんなちょっとの水で、とびらがあかなくなるの?」

そういいながら、私は、もう一度扉を開けてみた。私のひ弱な力でも、普通に開いた。

「確かに、水で全部塞いでたわけじゃないよ」

そう言って、コルプスはさっき作った堤防を壊した。水が膝下まで流れると、軽々と開けていた扉が全く開かなくなった。

「水圧がかかると、扉は開かなくなるんだ。たった、数センチでも凄い水圧がかかるんだ。皆、たかが水だからって侮っているけれど、気を付けないとな」

「知らなかった」

「じゃあ、原理も分かったし外に出るか」


私はほっとした。なんか変な人間でも、真面目な死神よりはましだ。

コルプスの後に従って、水浸しになった地下道を歩き続けた。

地下道は下へと向かっているらしく、段々と水位が高くなっていき、しばらくすると、もう足がつかないほど水が溜まっていた。

他に道もなく、しばらくどうしようか考え込んでいたが、コルプスは何か思いついたらしく立ち上がった。

「ここって、倉庫なんだよな。だったら、きっとなにかあるはずだ」

そういうと、コルプスはどこかの倉庫から、大きなたらいを持ってきた。

「何で、船が浮かぶのか分かるかい? それは、アルキメデスの原理によるんだ」

そういって、コルプスはたらいを浮かべた。

「水を押しのけた体積の分だけ、浮力が働くという原理なんだ」


二人でたらいに乗って、しばらく漕ぐと、ようやく向こう岸が見えてきた。

なぜか、コルプスは後ろでたらいを抑えていた。

「さて、次の質問だ。もし水が入ったらどうなると思う?」

「え…水を押しのけられなくなって、浮力がなくなって、…沈む!」

「正解!もう限界みたいだ」


二人は、水漏れで沈んでいくたらいから飛び降りて、どうにか向こう岸まで渡ることができた。


そして、深い水溜りも通り過ぎて、少し歩くと、いきなり前を歩いていたコルプスが止まった。

「うーん。ここに入るときは開いていたんだけどな…」

見ると階段は、大きな石によって塞がっていた。

コルプスは巨石をどかそうと、力を入れてみたがびくともしなかった。色々な角度から押したり引いたりして見たが少しも動かない。


ふと気づくと、コルプスが動作を辞めていた。

もう諦めたのだろうか?

私はおろか、コルプスの力でさえも、開けられない壁。もう諦めるしかない。

でも一人でいるよりは、ましだった。


けれどコルプスは冷静だった。

小さな死神の飴の頭を食いちぎると、鎌を振りかざして、ニヤリと笑った。

「アルキメデスはこんな言葉も残しているんだ。

我に支点を与えよ。されば地球を動かしてみせよう! δῶς μοι πᾶ στῶ καὶ τὰν γᾶν κινάσω(ドスモイパストカイタンガンキナソ)」


ああ、やっぱり死神なんだ。私に鎌を向けて、よく分からない呪文を唱えている。私が信じて安心した所で絶望のふちに突き落とすんだ。

私は、死を覚悟して目をつぶった。

そして、私の元に天からの光が差しこんだ。

それは決して忘れる事のない光。Lux Aeterna(永遠の光)

目を開けると、そこは天国…

…ではなかった。


巨大な石の下には、死神の鎌の柄が刺さっていた。

コルプスが柄に力を入れると、巨石は軽々と浮いた。

それは魔法の様だった。

「すごい!。ドスモイ…、呪文はなんて言っているの? 私にもできる?」

私が呪文を唱えながら、柄に力を入れると、巨石を動かす事ができた。

「いや、呪文じゃない。アルキメデスの言ったとされるギリシャ語を言っただけさ。特に意味はない。呪文じゃないから無言でもできるよ」

私は今度は無言で柄に力をいれてみたが、巨石はまたしても動いた。


「でも、呪文じゃないが、てこの原理という法則に従っているんだ。小さな力でも、てこがあれば大きな力に変える事が出来る!」



巨石をどかした二人は、地下から脱出することができた。

破裂した水道管から滝の様に水が溢れ、月明かりに照らされ虹がかかっていた。

学校の周囲に生えていた多くの松が倒れる中、一本だけが被害を免れて天高くそびえていた。


ようやく外に出られたものの、服が濡れたままだった私は、夜の冷たい風にさらされて、身体の震えが止まらなくなった。


「さ、寒いなあ。火でもあればいいんだけど。…あ、そういえば…」

コルプスの手元が一瞬、輝いた。

「ハロウィンで使うかと思って、マッチを持ってたんだ!」

コルプスはマッチ箱を取り出していた。

「…だが、すぐに消えてしまった」

寒さの余り、私は火傷しそうなほどその火に近づいた。

「なんか、マッチ売りの少女みたいだな。まあ、隣にいるのは死神だけど」

不吉なことを言われていると思ったが、私は寒くて声を出すこともできなかった。

「ロウソクとかあればなあ。でも倉庫に戻るのは危ないな。何か燃えそうなものあるかな」

そう言って、コルプスがポケットの中をひっくり返したが、紙切れやお菓子の包装紙などしかなかった。

「うーん。暖を取れそうなほど、燃えるものはないか。ちょっと探してこよう」

「わ、私も探す…」

「アクアは待ってて。疲れてるだろう。これでも読んだらいい。ロウソクの事が書いてあるから暖かくなれるかもよ」

それは「ロウソクの科学」という一冊の本だった。

コルプスを待つ間、松の木に身を預けながら本を読んでいた。

ロウソクにまつわる科学の話で、所々に、コルプスが書いた注があり、分かりやすくなっていた。心細さを紛らわせようと読み始めたはずだったが、いつの間にか夢中になっていた。



「もう、そこまで読んだのか」

その声に顔をあげると、いつの間にか、コルプスは枯葉を集めて戻っていた。枯葉の上には大量の松ぼっくりが乗っていた。

そして、マッチに火をつけて、枯葉の上に落としたが、なかなか燃えなかった。

「うーん、ちょっと湿ってるせいか、なかなか火がつかないなあ」

考え込んだコルプスの視線に、私の持っている本が入った。

「そうだ! その本を貸してくれるか? これを破れば、種火になる!」

私は尋ねずにはいられなかった。

「本を燃やしていいの? 大切なんでしょう?」

「いいんだ。それに内容は覚えてるしね。」

私は大切な本を渡すまいと思ったが、指がかじかんで落ちてしまった。

「ありがとう。もうすぐ暖かくなるよ」

コルプスはその本を拾い上げると、破り始めた。でも一瞬だけ悲しそうにしているのが分かった。

紙が燃えてようやく炎が上がった。ただ温まるにはまだ弱々しい火だった。

「知ってる? 松ぼっくりてよく燃えるんだ。松ぼっくりファイヤー!(Pini Flame!)」

そういって、コルプスは松ぼっくりを投げ込んだ。



しばらくして、炎で温まった私は、ポツリとつぶやいた。


「…科学って魔法みたい」

「すごいな。クラークの三法則をみつけるとは」

「クラークの法則って?」

「有名なSF作家アーサー・C・クラークが提唱した三つの法則の事さ。その第三法則が ”高度に発達しすぎた科学は魔法と区別がつかない”。さっき、アクアが言ってたことなんだ」


一本の松に二人で寄りかかって、色々な話をした。その炎は何よりも暖かった。


「さっき、アクアが読んでた本は、ファラデーという科学者の講演の記録なんだ。実際に、実験をしていたんだよ。そして、本の最後はこうなっているんだ。火は、燃焼という酸素との結合反応で、また呼吸も酸素との結合なんだ。だから、炎と呼吸は、綺麗で驚くほど似ているんだ。

そして、これを聞いた人々が、ロウソクの様に、皆を照らす美しい光になって欲しいと」

「私も、誰かを輝かす光になりたい」

「その光を作るのは、科学なんだ。科学ってすごいだろう?」

コルプスは私に笑顔を向けた。

「うん。科学ってすごい! もっといろんな事が知りたい!」


それは死神と過ごしたハロウィンの夜。

私が科学を学ぶ事を誓った瞬間だった。

今思えば、これが私のNDEの始まりだった。

NDE = Near Death Experience∧Natura Delenda Est

(死神に近づいた経験かつ自然滅ぶべし)



翌日、11/1諸聖人の日、コルプスの焚いたかがり火に気付いて、近くの人が駆けつけてくれた。

私はコルプスに助けられたが、外の世界は悲惨だった。

昨日まで、ハロウィーンを楽しんでいた友達が屍になっていた。

どうしてだろう。友達はいつも優しくて悪い事なんてしていないのに、何故死んだのだろう。


一緒に暮らしていた祖母も地震の犠牲となり、身寄りのない私はコルプスと共にローマで暮らす事を決めた。

家族と友達を亡くしたつらい記憶のあるこの地にいたくなかったし、科学を学びたかったから。

絶望の中で、コルプスが見せた光を追い続けたかったから。


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