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Definitio Ⅱ:In aqua bellum (定義Ⅱ:水中/アクア の戦い)

挿絵(By みてみん)

2011/3/11 Japan Trench, Japan


二人はチェス盤を見つめていた。思案の末、アクアが駒を進めた。

アクアと向かい合うコルプス・クルーチェ(Corpus・Cruce)は、良い手が思いつかずに窓から外の景色を眺めた。


窓から見えるのは、ほとんど水だ。そして、見えない部分も水で囲まれている。

二人がいるのは、海中を移動中の潜水艇アクティオ。二人は、日本海溝を北上しながら、様々なデータの収集と調査を行っていた。

コルプスは自ら望んでこの調査に応募し、私も従ったのだが水に囲まれた変わらない光景と単純作業の繰り返しとなるデータ収集に飽きていた。

船を自動操縦に切り替えた二人は暇を持て余していた。


コルプスは、窓の近くにある水深計を見た。水深計は、この船が徐々に沈んでいる事を示していた。

「この船にも凄い水圧がかかっているんだよなあ。全然実感がわかないけど…」

私はそれに答える。

「何なら、外に出て自分の体で経験してみますか?」

コルプスは考えながら言った。

「うーん。死ななくても、よく分からなそうだからやめておこう。それに、今日は探査船ちきゅうと合流する日だからな。もう一度日本に着くまでは死ねないよ」

「私は、日本は初めてですけどね…。日本語もほとんど分からないし…。やはり、コルプスだけで発表すればいいのでは」


発表とは、探査船ちきゅうに乗った小学生に向けたインストラクションの事だ。

深海調査と災害の関係を子供向けに説明するはずだったが、コルプスが子供が楽しめる様にヒーローショー風にやると言いだしたのだった。


「自分は、正義の科学者コルプス・セイバー(救世主コルプス)。今日は、君たちに自分の活躍を知って欲しくて海の底からやってきたんだ」

船を自動操縦に切り替えて一息ついた頃、いつの間にか用意したお面を被って、コルプスは堂々と台詞を述べた。

「フフフ、待っていたぞ。コルプス・セイバー。今日こそお前を倒し、世界を大災害の渦に巻き込んでやる」

コルプスの声色を変えたセリフが聞こえるやいなや、アクアの視界は閉じられた。コルプスがお面を被せたからだった。

「お前は、アクア・デーモン(悪魔アクア)! 様々な自然災害を引き起す怪人だな!」

「その通り。まず手始めに、アース・クェイク・アタックを食らうがいい!」

「な、何てことだ。悪魔アクアの攻撃で、地面が揺れている。危ない。みんな、とにかく机の中に隠れて身を守るんだ!」

呆れるアクアとは対照的に、コルプスは一人で椅子を揺らして演技を続けている。

「ふん。この位は耐えてくれないと困る。次は、ツナミ・ウェーブ!」

「だが、大丈夫。コルプス・セイバーは、ツナミ・ウォーニングでいち早く情報を聞きつけ、

素早く人々を避難させるぞ!」

「ふん、私の素早いツナミよりも早く避難するとは。 第一波は耐えた様だな。だが、まだだ。ツナミ・セカンドウェーブ! フフフ、第一波よりも第二波の方が強力だぞ。耐えられるかな」

「スーパー高台バリア!」

「何、あの攻撃を耐えただと…」

「ど、どうにか大きな被害は免れたようだ。今度はこちらの番だ。ハイパーレスキュー! 迅速な救助で人々を助けるぞ」

「うわあ、やられたー。だが、覚えていろ! 私を倒しても、また、第二、第三のディザスターはお前たちが忘れた頃にやってくるのだからな!」

「Corpus delenda est!(コルプス滅ぶべし)」

この茶番に疲れた私はようやく、仮面を外して、いつもの悪態を放った。

「お、そのセリフいいね! 最後の断末魔に加えよう!」


「悪魔アクアは滅びた。(Diabolus aqua delendae est) こうして、人類は救われた。

君たちも、科学を学んでヒーローになるんだ! この中から新たなヒーローが現れる事を願っている。」


台本では、コルプスがヒーローで私が怪人役だった。

コルプスは子供の為と言っていたが、コルプス自身がヒーローを演じたい事は丸わかりだった。そんな恥ずかしい事に、私はもちろん反対してコルプスとチェスで勝負する事になったのだった。


「いや、こういうのは第一印象が大事なんだ。アクアだって、自分の第一印象が心に残ったから科学者になったんだろう?」

コルプスは純粋な瞳で私に笑いかけながら、駒を進めた。

「…確かにそうですね…。あの頃の私は純粋でした。ただ、あなたはヒーローよりも悪役に近かったですが…」

そう言いながら、私はすぐに次の駒を進めた。それは少しコルプスの意外な手だったようだ。


「そういえば、ここはもう日本なんだよな。全く実感がないけど」

「日本海溝ですからね。前に日本に行ったときはどうだったんですか?」

「日本に行ったのは、2007年のワールドコンの時だから4年ぶりになるのか…。そこで小松左京先生からサインをもらったんだ!」


そう言って見せたのは、小松左京の『日本沈没』だった。この調査に携わってからはコルプスは毎日のように読んでいるものだ。


「日本に着いたら案内して下さい」

「安心したまえ。もう旅行スケジュールは組んである!」

そう言って取り出したノートの表紙には、大きくこうかかれていた。


2011: A Japanese Odyssey(2011年 日本の旅)


そこには、コルプスが綿密にたてた日本の旅行スケジュールが書かれていた。それを見せながら、コルプスは続けた。


「共同研究している東大の地震研に測定データを渡した後は、東京観光だ。そこで、ある人に案内してもらう」

「案内は同じ研究者の方に頼んだのですか?」

「大学関係者じゃない。ただ、分野は違うけれど、研究者といえるかな…」

「誰でしょうか?」

「君も話には聞いたことがあるJapan sinkの人さ」

「あ、あの人に会えるんですか…」

私は、あの時の事を思い出して笑いそうになっていた。

「ああ。あの写真を見せて、本当のJapan sinkが何かを教えてあげないとな」

「フフ、そうですね」

その言葉に笑って油断してしまい、私はポーンを取られた。


「その後は、関西だ。去年決まったスパコン京は見ておきたい。あと、阪神大震災の爪跡は肌で感じたいから、神戸出身のJapanSinkの人に案内してもらうつもりだ」

「楽しみですね。私も日本の文化を学ばなくては」

「そういえば、日本の神社にはサイセン(賽銭)があるけれど、遠くから投げ込まなくてはならないんだ。お金を投げ入れてから、鳥居をくぐり、お辞儀をして、そして手を叩くんだ」

「そうなのですか。やはり、一度行った人は違いますね。勉強になります」

コルプスはニヤリとしたが、窓際にいたアクアは気づけなかった。その表情に気付けるとしたら、船外の深海にいる人物ぐらいだろう。


しばらく駒の打ち合いが続き、疲れてきたのかコルプスがつぶやいた。

「あー、甘いものが欲しいなあ」

「いつもの飴ならありますが」

当たり前の様にアクアはアメを取り出していた。コルプスはアメを舐めながら言った。

「そういえば、大阪ではおばちゃんが皆にアメちゃんをくれるらしいんだ。いつもアメを持ってるアクアもおばちゃんたちの仲間入りだな!」

「わ、私は、あなたがいつも糖分が足りないとうるさいから常備しているだけです! おばちゃんとは違います!」


私が言い返している隙に、コルプスは盤面に向き直り、駒を進めた。それは、私の予想外の手だった。

一瞬にして、私は真顔に戻った。

コルプスは大方論理的でありながら、時々、こういう意味不明な手を打ってくる。

後で本人に聞いても、直感、気分といった非論理的な理由が78.3%を占める。(私による統計調査より)


この潜水艇における私の勝敗は、一勝六敗。惨敗だ。

無論、私が面倒な作業をしていた。繊細な作業はコルプスの苦手分野で、私の方が向いていた。だから、チェスの勝負が無くても、私がおそらくやる事になっただろう。

だとしたら、何故チェスをやるのか?

私にとっては暇つぶしというよりも、チェスでコルプスより強くなることが目的だったからだ。

そもそも、私にチェスを教えたのはコルプスだった。そして、神々のチェス(科学)を教えてくれたのも。

コルプスは自分が取った駒を見ながらつぶやいた。

「そういえば、ファインマンが言ってたな。自然法則を学ぶ事は、神々のチェスを横目で見て、ルールを習得するみたいだって」

私は、コルプスの話よりも盤面に集中し、冷静に相手を追いつめる手を打った。今まで、コルプスの予測不能な手に動揺して、何度負けた事だろう。

「チェスは、ゲーム理論では、二人零和有限確定完全情報ゲームに分類されます。チェスに限らず、法則のアナロジーにゲームはよく使われますね」

私はコルプスの予想外の手に注意するあまり、会話ではなく単なる事実の羅列を述べていた。

「会話で注意をそらす作戦は、もう通用しないか…」



私とコルプスは更に、数十手を打ち合った。互いの駒はほぼ取られ、ゲームは終盤へと近づいていた。

ついに私が勝利を確信してクイーンになったポーンを動かし、チェックメイトを宣言した。

コルプスは、残念そうに言った。

「…残念。悔しいけど勝負は勝負だからな。諦めよう…」

「…はぁ…ようやく諦めてくれましたか…」

「ヒーロー役はアクアに譲るよ…。正義の科学者アクア・サンタ(聖アクア)がコルプス・デス(コルプスです/死神コルプス)を倒す内容に台本を書き換えないとな!」

コルプスは目を輝かせて当たり前の様に言った。

「…えっ」

その瞬間に船内が大きく揺れた。

コルプスの突然の発言に動揺した私の錯覚かと思ったが違っていた。

ふと手元を見ると、盤上の全ての駒が滑り、チェスのルールに代わって、重力の法則で落下していた。

私とコルプスも椅子ごと倒れ、駒と同じ法則で、ほとんど同時に着地した。空気抵抗は大きな影響を与えなかった。

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