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問題篇

頭の体操――にもならないかもしれませんが、さくっと読めるクイズみたいなショートミステリ。のつもりです。


「一ヶ月前に、旅行してきたんだけどさ」

 割り箸で豚カツを器用に刻みながら、蒲生はふと漏らした。

「旅先で見つけた定食屋に、『春夏冬中』って札が掛かってたんだわ」

「定食屋なら、別に珍しくもないだろう」

 唐突に語り出した蒲生を、碓氷は怪訝な顔で見やる。

「『春夏冬中』が『商い中』ってことくらい俺も知ってるさ。けど、その定食屋はどこからどう見ても閉まってたんだ。ドアのすりガラスの向こうは薄暗くて、灯りがついている感じでもない。もちろん人の気配もない」

「店主が間違って札を出したんじゃないの。うっかりさんなんだよ、きっと」

「俺も思ったよ。それで、次の日にもう一度同じ店に行ってみたんだ。そしたら、札も何も掛かっていなかったけど当たり前のように店は開いていたのさ」

 割り箸を魔法の杖のように振り回しながら、蒲生は言った。

「閉店しているときに『春夏冬中』の札が掛かっていて、開店しているときには掛かっていない」

「不思議だろ? 謎だろ? 気になるだろ?」

 にやにやと気味の悪い笑みを湛える蒲生。艶やかな茶碗蒸しの表面に慎重な手つきでスプーンを入れながら、碓氷は「まあ、ね」と気もそぞろに返す。

「おい、ちゃんと考えろよ」

「静かにしろって。僕は今、茶碗蒸しをいかに美しく食べるかに全神経を集中させているんだ」

「そんなどうでもいいことに神経使うな」

 蒲生は怒ったように言って、鶏飯と茶碗蒸しのセットが乗ったトレイに手をかける。

「あ、おい。揺らすな」

「ふ、茶碗蒸しを助けたくば、俺の提示した問題に答えることだ」

 無意味に声を低くする蒲生に、渋面を作る碓氷。

「そんなに気になるなら、開いてた日に直接店主に訊けばよかったじゃない」

「すぐに答えを訊くのは悔しいだろ。もしかしたら俺にも解けるかも! と思って、今まで大事に温めておいたんだ」

「で、結局解けず仕舞いだと」

「実はこの一週間ほどきれいさっぱり忘れていたんだけどな。今日定食屋に来てふっと思い出したんだ」

「そのまま忘れておけばよかったのに」

 碓氷の嫌味が聞こえたのか聞こえなかったのか、蒲生は鶏飯と茶碗蒸しのトレイを手前に引き寄せ悪戯っぽい笑みを浮かべる。

「さあ、鶏飯と茶碗蒸しが冷めないうちに考えてくれ」

 碓氷は食べかけの茶碗蒸しに恨みがましい視線を投げながら、観念したようにスプーンから手を離した。



「とりあえず、『春夏冬中』は閉店時に意図的に掛けられたものという前提で考えることにしよう。開店していて『春夏冬中』の札が掛かっていなかったということは、『春夏冬中』には『商い中』以外の意味があった可能性が高い」

 鉛筆を鼻と唇の間に挟めるかのように、蒲生は思い切り口を窄めてみせる。

「しかし、商い中以外に飲食店の表に札をかける意味があるか? メニューとか営業時間とかなら、『春夏冬中』じゃ何も表せないぞ」

他人(ひと)任せにしないで自分も考えなよ。そうだ、そもそも札が掛かっていた店は閉店していたんだから、緊急閉店とかそんな意味だったのかも」

「『春夏冬中』がどうやって緊急閉店になるんだよ」

 碓氷は右手の人差し指で宙に文字を書く仕草をする。

「『春夏冬中』には見ての通り、秋が抜けている。秋がない、空きがない――つまり、満席になったので緊急閉店します。どうだ」

「いや、どうだって言われてもな。そのときは満席になっていても、時間が経てば帰る客が必ず出てくるだろう。だったら『待ち時間十分』とか書いときゃいい。それに、店の中には明らかに人のいる気配がなかった。灯りもついていなければ、物音一つしなかったんだ。どう見たって客がいる様子じゃなかったぜ」

 蒲生の冷静な反論に、碓氷は顔を顰める。

「字面に囚われていると真実を見失うかもしれないな。よし、純粋に振り仮名を振ってみるか。シュンカトウチュウ、シュンゲトウジュウ」

「何のこっちゃ」

 蒲生は外国のオーバーなリアクションみたいに両肩を上げてみせる。

「読み方は関係ないのか。これは難解な暗号だな」

「定食屋のドアにどうして暗号なんて掲げるんだよ」

「知らないよ。そもそも旅先にいるうちに店主に訊かなかった蒲生が悪い」

 碓氷は被告人に有罪判決を下すかの如く、厳かな声色で非難を唱えた。

「仕方ないだろ。あそこの店主、ヤクザみたいに強面でいかもに頑固親父って感じだったし。下手に訊いたら般若みたいに睨まれそうだったし」

 要するに、店主が怖くて尻込みしたらしい。碓氷はがくりと両肩を落とす。

「あっ、そうだ」

「何だよ、急に大声を出して」

 びっくりしたように身を竦める碓氷。猿の人形がタンバリンを叩く玩具のように、蒲生は両手を大きく三度鳴らした。

「『春夏冬中』の下に、もうひとつ札が掛かっていたのを思い出した。確か、英語で『WELCOME』の札だったな」

「じゃあ、結局『春夏冬中』は『商い中』の意味ってことなのか」

 碓氷は困惑の面持ちで、頭髪を掻き乱す。

「しかし、どう見たってあれは営業中の店の雰囲気じゃなかったぜ。準備中なら分かるけど」

「店の中には灯りすら点いていなかったんだもんな――ん、ちょっと待って」

「何だよ、灰色の脳細胞を駆使して何か閃いたのか」

 期待を込めた眼差しが碓氷に向けられる。解答者はごほんとわざとらしい咳払いをした。

「答え合わせの前に、ひとつ訊いていいかな。蒲生がその定食屋を見つけた周辺には、有名な心霊スポットとかあったの」

「いや、聞いたこともないけどな。まあ、地元では有名な、知る人ぞ知る的な場所はあったのかも分からんが。何でそんなことを」

「僕の推理によるとだな、その店はきっと()()()()()()()()だったんだよ。つまり、『春夏冬中』は確かに『商い中』を意味していた。ただし、客の対象は死人限定だったってわけさ」



 暫しの沈黙が、碓氷と蒲生の間に立ち込めた。定食屋の中は変わらず客の話し声やテレビの音で騒がしかったが、二人の空間だけ店の喧騒から取り残されたようだった。

「――悪くない。悪くないアイデアだが、納得はできかねる」

 やがて、蒲生は重々しく口を開いた。

「ま、そう言うと思ったよ」

 碓氷はさして残念そうでもなく、あっけらかんとした口調で返す。

「というか、それで納得されるほうが怖いって。そうしたら僕はお前と友人の縁を切るかもしれない」

「いや、それは言いすぎだろ」

 手刀を勢いよく振り下ろす蒲生。碓氷は真面目な顔のまま虚空を見上げた。

「幽霊レストランじゃなかったすると、これはいよいよミステリだな」

「だから、最初から謎だって言ってるじゃんか。勝手にホラー脚色を加えるな」

「もう面倒だから、直接定食屋に電話でもして訊ねてみたら。『おたくの店にこの前掛かっていた春夏冬中ってどういう意味だったんですか』とか」

「いや、店の電話番号とか知らんよ」

「あのねえ、今はインターネットで店名を検索すればちょちょいのちょいで判明する時代なの。店の名前を教えてよ、僕が電話して訊いてみるから」

「ほんとか。えっと、確か『ナナ』だったかな。いや、『ナナミ』だったっけ。とにかく()()で始まる名前だった気がする」

「曖昧だね。そんなに気になっていたのに店の名前も覚えていないの」

「『春夏冬中』に夢中になりすぎていた。よし、こんなときこそネットの出番だ」

 シャツの胸ポケットから徐にスマートフォンを取り出す蒲生。

「ええと。お、あった。ふむふむ。『NANAKO』だってよ」

「コンビニの電子マネーみたいな名前だね。それで、電話番号は」

「ちょい待て。あれ、載ってないぞ」

「嘘だろ」

「嘘じゃねえよ。ほら、見てみろ」

 鼻の先に突き出された液晶画面を、碓氷は食い入るように見つめる。

「ほんとだ、どこにも電話番号がない」

「予約は原則受け付けていません、ってか」

「何だよ、やる気失くすなあ」

 椅子をぎしぎし鳴らしながら、碓氷は腑抜けた声を上げた。

「こりゃあれだ。『春夏冬中』の意味は自分らで考えろという店主からのお達しだ」

「いや、違うと思うけど。しかし、おかしな店だね。だいたい定食屋なのに『NANAKO』なんて名前、今ひとつセンスに欠ける気がするんだけど」

「その言葉、そっくりそのままあのヤクザ店主に言ってやりたいよ」

 蒲生はククク、と喉の奥で笑う。

「店主の奥さんだか娘さんだかの名前が奈々子だから、そこからとって店の名前にしたのかな」

「ありがちな名づけ方だ」

「ヤクザ顔の店主も、意外に愛妻家なのかもしれない。あるいは娘を溺愛しているんだ。ああ、何だか店主に親近感湧いてきた」

 蒲生は「単純だなあ」と苦笑気味に肩を揺らす。

「よし、僕も今度その定食屋に行ってみよう。そこで店主にそれとなく話しかけてみるんだ。『今日はナナコさんはいるんですか』って」

「的外れな推理で後悔しても、俺は知らんぞ」

「いや、人間は案外単純なものだって。『春夏冬中』の謎は解けずとも、妻か娘がナナコさんの説はきっと当たらずとも遠からず――」

 と、不意に口を閉ざす碓氷。突然黙り込んだ友人を蒲生はしげしげと見つめる。

「どうした。茶碗蒸しが喉に詰まったか」

「いや、茶碗蒸し食べてないし。というか、そんなことはどうでもいい。今回こそ閃いたかもしれない」

「まさか、『春夏冬中』の真相が分かったのか」

「ああ。惜しくらむは、ここで関係者一同を前にして『諸君、私にはすべての謎が解けました』と高らかに宣言できないことだね」

「ほんとか。よし、耳の穴をかっぽじったから謎解きを始めてくれよ、探偵さん」

 姿勢を改めた蒲生に、碓氷は尊大な笑みを顔に張り付かせた。

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