2. 葉音
「ん…」
頬に何か冷たい何かを感じ、愛音は目を覚ました。木漏れ日が寝起きの…光にまだ慣れていない瞳を刺激し、少女は思わず目を細める。視界に入る全てがキラキラと輝いて見えるのは、草木がしっとりと朝露に濡れているからだろう。愛音の頬に伝うのも、白い可憐な華の花弁から伝い落ちた雫であった。仄かに甘い香りを放つその華を指で優しく突くと、また透明な雫が零れる。
(森に来るのなんて本当に久しぶり…。お父さんが死んでしまって以来かな…)
ぼんやりとそう考えていた愛音であったが、次の瞬間目を見開いて上体を起こした。
「も、森!?」
彼女の性急な動きと叫びに近い声に驚いたように、小鳥達がいっせいに飛び立つ。
「森!?」
いつも落ち着いている少女には珍しく、混乱したようにもう一度声を上げた。右を見ても左を見ても木、木、木…。そして地面には一面の白い華。
それは、ありえない状況であった。
確かに愛音が住むアパートから電車に乗って1時間もすればこのように豊かな森に辿り着けるかもしれない。しかし今まで試みたことすらない冒険をまさか制服に上履き姿という格好で無意識のうちにやり遂げたとは考えにくい。
「昨日タッちゃんと音楽室で話して…それから家に帰ろうとして…あれ?」
幼なじみと別れた後の記憶が浮かんで来ないことへの違和感に、愛音は眉間に皺を寄せた。「誘拐」という選択肢が頭をよぎったが、安アパートに一人で住む自分を攫って一体誰が得をするというのだろう。そう思って頭を切り替えようとした彼女の脳裏を、一人の女性の顔が掠める。
「………」
己が消えて喜ぶ存在を認識し、愛音は自分の心がしんと冷たくなっていくのを自覚した。
「…まずは街を探さなきゃ」
ぼそりとそう呟きに似た声が聞こえたのは、すぐのこと。
遠くに落ちていた学生鞄を大事そうに胸に抱くと、少女は歩き始めたのだった。
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2008/05/22




