みんなが風邪ひいてく話【五人少女シリーズ】
読むと具合を悪くする事もあるかもしれない【五人少女シリーズ】です。(嘘)
忘れたころにやってくる風邪。一度なるとしばらく怖くてちょっとした喉の痛みにすらびくつくのが私です。
そんな風邪を引いてくのはシリーズでお馴染み的な五人の少女たち。
知らない方に簡単なキャラ紹介です↓
西香 性格最悪で友達がいない美少女
衣玖 超IQを持つ天才美少女(賢い)
留音 最強の格闘能力を持つ脳筋美少女(強い)
真凛 惑星の破壊や再生が可能な宇宙人的幼馴染系美少女
あの子 至極存在の天使的な不可侵存在の美少女(最高位)
もう少し詳しく知りたいと思われましたらシリーズ一覧に読む必要の感じられない程度の紹介文があります。
ーー西香が風邪ひいた
「あうー……なんだか鼻が出ますし咳も止まらないし頭も痛くてボーッとしますわ……」
お馴染みのリビングに来るなり机に突っ伏してそんな事をいうのは西香。鼻っ柱を赤くしながらすすって、声もこもっている。鼻声だ。
「お、どうした、元気ないじゃないか」
先にリビングでテレビゲームをして遊んでいた留音がゾンビを倒すのを中断して気にかけた。
「えぇ、そうなんですの。なんだか身体もダルオモで……それに寒気もしますの……ゲホゲホ」
「あ、お前もしかして風邪でもひいたか?最近流行ってるらしいからなぁ」
すると西香はダルさで脱力しながらも嬉しそうにしている。どうやら自分が風邪をひいた事が誇らしいようだ。
「ふ、ふふ、言われてみれば確かに風邪ですわ……ふっふ……ついにわたくしも風邪をひいたんですのね……しかしこんなに辛いものだとは……いえ、でもこれで甘えたい放題の看病される権利を……ゲホ」
リビングの見えるキッチンから真凛が咳に反応して声をかけた。何かお菓子でも作っているようだ、甘く香ばしい香りがリビングまで包んでいる。
「えぇ、西香さん風邪ですか?あ、咳するときはなるべく口を押さえてくださいね、唾が飛びますから」
ちゃんとアルコール消毒しなきゃ、とサイコパス気質の真凛。
「うぅ真凛さん……わかりましたけど……看病してくださいますよね?」
真凛は「え゛」が口から漏れてから数秒謎の間を空けた後で「まぁいいですけど……」と、誰がどう見ても渋々と受け入れる。
「わたくし、風邪をひくというシチュエーションにはいくつか心当たりがありますの……ええと、ゴホ、まず高級アイスを買ってきてくださいますか。それとメロンが定番なんですっけ。あ、でも食欲はあんまり無いですから小さく切っておいてくださいまし。ズズビ、あと額に水を絞ったタオルのせるのもやってほしいですわ。それとあと」
「西香さん?」
真凛が笑っている。留音は途中からもう我関せずでゲームに戻っていた。ちなみにこの部屋には最初から衣玖もあの子もいる。西香がうーうー言いながら入ってきたときから面倒なことになりそうだと踏んでいた衣玖は留音のプレイするゾンビゲームを静かに見ながら様子を伺っていたわけだ。更にあの子は確実に看病したがるだろうと、面倒な西香に使われないよう、ずっと衣玖が片手であの子の口を塞いでいた。
で、真凛だが笑っている。口元だけ。
「寝てましょう?あったかくして寝てましょう?」
「あぁ真凛さん、じゃああったかいお布団出してくださいな、うぅ、本当に寒気がしますわ……ついでにあったかい羽織みたいなのも出してください、なかったら買ってきてくださいまし……あと湯たんぽもほしいです……電気毛布とか誰か持ってましたっけ……わたくしにくださいます?」
「いいから寝てましょう、もうずっと寝ててください」
「あぁ真凛さんがいつも以上に優しい……これが看病される権利なんですのね……ごほ、ごほォッ!」
「手ッ!押さえてくださいね!」
真凛に押されてヨタヨタと部屋を出て行く西香だった。頭がボーッとして正常な判断も出来ていないのだろう。真凛がやや危なそうなオーラをまとったような気もしたが、とりあえず寝かしつけに行ったので多分一安心だろう。
「すまんな真凛……お前の犠牲で当分あたしらは平和だ……」
留音はしんみりとショットガンでゾンビを吹き飛ばしながら南無南無と呟いた。
それから三日後。西香の症状はだいぶ良くなっていた。もう普通に歩いているし、熱も下がって鼻を少しかむくらいだ。
「それでですね、わたくし思ったんですのよ。もしかしてお友達を作るよりも、毎日看病していただく方がいいんじゃないかって。看病してくれる人は風邪が治ったら真凛さんのようにいなくなってしまいますが、だったら毎日風邪をひいていればいいと思ったんですの」
真凛は過剰に溜まってしまった看病によるストレスを癒すためにどこかに旅立つと置手紙をおいて消えてしまったのだ。おそらく咳で唾が飛ばない平和な世界を探しに行ったのだろう。
「ふーん」
録画したアニメを見ている最中の衣玖はどうでも良さそうに返事をした。
「でも毎日風邪を引き続けるのは無理……だって風邪ならいつかは治ってしまいますし、それに続いたとしたら身体のダルさは、それはもう耐えられませんわ。衣玖さん、風邪ひいたことあります?」
「ないわね」
「そうなんですの?それじゃあおわかりにならないでしょうね、あの死にも匹敵するであろう辛さ。いくら看病してもらいたくても、あれは頂けないので……そこで思いついたんですのよ、元気で風邪だったら良いって」
この発言が衣玖の興味を引いたらしい、再生を一時停止にさせて聞き返した。
「ふむ、面白い、よくわからなくなってきたわね、聞きましょう」
西香はかなり真面目に自論を展開する。
「風邪をひいているのに、熱も咳も出ないんですの。もちろん身体にダルさも発生しないので運動だって満足にできるんですのよ。でも、風邪。風邪をひいてるけど健康という状態を作り出せれば、常に看病してもらえると思いませんか?それに健康ならたとえ看病してくれる人が逃げ出しても走って連れ戻せるでしょう?理想だと思いませんか?」
西香の表情は論文を発表する博士か何かのように真剣そのものだ。
「念のため訊ねておくけど、それは仮病とは違うのよね?」
その衣玖の言葉に西香はやや呆れ気味に答える。
「衣玖さん、話聞いてまして?仮病じゃ土台が健康じゃありませんか。違いますわよ、わたくしの提案した健康風邪はあくまで風邪をひいている状態なんですから。ただなんのデメリットも無いだけですわ」
その言葉に衣玖はうんうん頷いて関心と理解を示した。
「なるほどね」
「いやなるほどねじゃねぇよ、全然わかんねぇわ、仮病じゃんそれ」
部屋に飾ってあるプラモデルのポージングを整え中の留音が参加する気のなかった会話に思わず横槍を入れる。当然である。
「でもこれは新しい発見になるかもしれないわよルー。もしかしたら既に健康風邪があってもおかしくないのがわかる?だって見た目が健康で本人がわからないなら健康風邪に罹患しててもわからないわけ。まさか西香から発見と新しい視点の話をされるとは思わなかったわ。でもあったとしてその存在を認知する方法がないわね……その辺はどうなの?」
衣玖が極めて真剣に精査する様子のまま西香に話を振ると、西香は自分に振られるとは思っていなかったのか、ちょっぴり驚いた後に考え始めた。
「その辺ですか……わたくしもまさか衣玖さんにそんながっつかれるとは思っていなかったのであまり深くは考えていませんでしたが……自己申告制というのはどうでしょう」
「だからそれ仮病だろ?」
留音の指摘に反論するのは衣玖だった。
「でも医療の世界で自己申告というのは重要よ、自己申告あって初めて病気だと認定されるものもあるんだから。だから意外とありかもしれないわね」
西香の表情が嬉しそうにほぐれる。
「わたくし、正直言って衣玖さんにこんなに肯定的な扱われ方をしていただけるとは思っていませんでしたわ。衣玖さん、ちょっとあちらでじっくり話し合いましょう。学のない方は抜きで」
こうしてじっくり話し合った結果、健康風邪では看病される必要がない事を思い知った西香はこの話題に興味をなくした。衣玖の方は健康風邪の存在を否定できないことでやや執着していたが、留音が「そんなこと言って本気で何かを休みたいって人がいたらそれは多分心が疲れてる」と言ったところでなんとなく決着がついた。
また、近いうちに真凛に西香が完治した事が伝わり帰ってきた。真凛もあの子にだけは連絡先を渡していたようで、あの子が状況を伝えたらしい。
で、治りかけだった西香と議論を交わした衣玖だったが、結果的に……。
ーー衣玖が風邪ひいた
「ゔー……」
「あらま……」
ゾンビのように奇声とのっそり足取りでみんなの集まるリビングに現れた衣玖を、留音が呆れたような声で出迎えた。
「だいじょうゔ……なんでもない……へぶしん!何も問題ないわ……ごほっ」
青い表情ながら熱で紅潮している顔。歩く時は常に壁に手をついていて、とても尋常ではない様子でそんなことを言う。
「あら衣玖さん、なんですの?あなたいくらゾンビだのドクロだのが好きだからって実生活で真似しなくても……全然怖くありませんし、なんの魅力もありませんけど」
西香は衣玖を見てそんな風に言うが、これは素直な言葉で衣玖の体調などは全く考慮していない。
「あ、わかんねぇんだ。衣玖は風邪……」
見かねた留音が教えようとすると、フラフラな衣玖が体力削るくらいの声をあげて留音の言葉を遮った。
「違うわっ!風邪は……風邪を……ひかない……私は……風邪を……げほっ!」
と、自分の声の反動で一瞬にして体力を消耗してしまい、しおれた花みたいに首を垂らす衣玖。西香は「どっちなんですの?」とキョロキョロしている。
「言葉ガタガタだけどな?風邪ひいたんなら寝てなよ。どれ、体温は……うぉ、熱いなこりゃ」
やれやれとした留音が衣玖の額に手を当て、高熱が出ている事を確認した。
「えぇっ、衣玖さんも風邪引いたんですかぁ……?またわたしが看病しなきゃいけないのかな……」
聞こえた真凛も会話に交じる。西香の看病が原因で家出までした真凛だ、その事を思い出して表情を曇らせている。
「しちゅようないわ……だって私、超元気だもん……強い子だから風邪ひかないし……遊ぶ、さぁ、何して、ほら……ぐしゅ」
衣玖は鼻を垂らしながらのそのそとリビングに入り、いつも座っているソファーを目指してゾンビ歩きで向かうと、留音が衣玖に近い位置にあったクッションを脇にどけて休みやすいようにした。
「何がお前をそう駆り立てているのかは知らんがとりあえず休んでなって」
衣玖は留音の言うまま「ゔぇー」と間の抜けた奇声でソファーに倒れ込み、クッションに顔をうずめながらもごもごと何か言っている。「風邪じゃないー」と言ったようだ。
「はぁ、なんで否定するんだよ?なんだっけ、馬鹿は風邪ひかないとか言うじゃん。大人しくひいとけば?」
頭良い証拠じゃん、みたいな言い方をする留音。病気を認めてゆっくり休めという気持ちがあるのだろう。真凛も似たような言葉を聞いた事があるようでパッと反応した。
「あ、わたしも知ってますよぉ!バカは体調管理できないから風邪をひく、って言葉もあるそうです!」
そう言いながら横目でチラリと西香を見る真凛。西香はよくわかっていない様子。
「え、んん……風邪ひいてる人の前であんま言えないなそれ」
「二人とも何言ってるの……馬鹿が風邪ひかないって言葉は気づかないほど鈍感だってところから来てるのよ。誰だってひく時はひくわ……でも私はひかない、強い子だから……超天才で物凄い免疫力が売りなのに風邪なんかひいてられゴフォッ」
ソファーに座りなおしながら気怠げに言う衣玖。みんなとしてはそんな体調で何言ってるんだろう、くらいにしか思えない。
「初耳ですよ衣玖さん、そうだったんですか?あ、咳をする時は手を口に」
「そうだったのよ、この私がまさかここに来て風邪を……いえ、ひいてないわ……私は強い子……」
自分にそう言い聞かせるようにしながらも、ソファーにいつもかけてあるブランケットを手繰り寄せてノロノロと体に巻きつけた。寒いらしい。
「でもなんでそんな頑なに風邪じゃないって言い張るんですか?」
机の上にあるティッシュを取ろうと手を伸ばす衣玖に気づいた真凛が箱ごと取って手渡しながら訊いた。それに衣玖は訊かれたことすら心外だという態度で返す。ティッシュ箱を脇に置きそこから二枚を取り出しながら。
「だって私よ?IQ三億ってわかってるの?人知を超越した私がそんな普通な病気にやられるわけがないじゃない……。細胞は……一つ一つの私の細胞が知っているはずなのよ、風邪ウィルスの対処法を……なのに何故こんな目にぃ……」
言って、チーンと鼻をかむ衣玖。かむなり再びコテンとソファーに転がり、息を荒げている。
「無茶苦茶言ってんなぁ。少なくてもその症状で風邪じゃないって言い張ってるお前は超天才には見えない」
同意し頷く真凛。衣玖は不満げだが、体がだるいせいで反論しない。西香の方は両手をグーとパーにして軽くポンと合わせ打って何かを思いついたようなジェスチャーをした。
「なるほど……話を聞いてて思ったのですが、衣玖さんは風邪ひいてないって言ってますけどもしかしてひいてるんじゃありません?」
真凛と留音は面倒だと思ったのか、特に「今更かよ」的な事も言うことなく目線を泳がせて小さくため息をついた。
「違うわ!断じて風邪じゃないっ……ズズ」
衣玖はまるで完全に図星をつかれた三流のような反応をするのだが、西香は本当にどっちなのかわからないらしい、どっちなんでしょう?と助けを求めるように留音と真凛の方を見て、それに気づいた留音が「嘘だろ?」という心の声が滲み込んだような表情を作るが、直ぐに気を取り直して衣玖に言う。
「いや風邪だよ。しかも十中八九西香からうつされてるぞ」
西香はその言葉に思い返していた……そういえば風邪はうつると聞いたことがあるぞ、と。そして衣玖はブランケットを頭にまで寄せて、自分を隠すように弱々しい声で信じられないと嘆いている。
「嫌ぁ……西香の体内で繁殖したウィルスに負けるなんて絶対ありえないぃ……」
弱々しい衣玖……実はずっと近くにいたあの子がブランケットの上から優しく身体をさする。それを見ている西香からわかりやすい嫉妬心が溢れ出した。
「……あれ、なんでしょうこの気持ち、自分が風邪の時は内心優越感で満たされていたのに、何故か他の人が弱っているのを見ると……ズルいですわよ衣玖さん、わたくしにおうつしなさい!」
西香はソファーの背もたれ側から隣に転がり、衣玖の吐いた息を吸えるような位置に頭を置いた。身体は半分衣玖の上に乗っかる形である。
「うぅ……嘘でしょこいつ……うぅ、だるい、重い、めんどくさい……でもあったかい……あぁ……」
衣玖はわざわざ西香のスペースを空け、ブランケット越しに身体を密着させて体温の維持に努めている。
「ちょっと、衣玖さん?動けないんですが……衣玖さん?」
まるでタコみたいになった衣玖が西香に体を巻きつけだした。
「あったかい……はぁ……ふぅ……」
戸惑う西香と本気で楽になっている様子の衣玖。留音は「なにやってんだこいつら」と衣玖の足元のあたりに座る。すると衣玖が裸足を留音の太ももに当ててやっぱり心地良さげに温まる。留音は嫌そうなのと憐れみみたいなが半々な表情を浮かべていた。
「まぁいいですわ。これだけ密着していればわたくしにうつることでしょう……さぁ衣玖さん、どんどんゴホゴホ咳をしてくださいな。そしてまたわたくしが看病される立場に君臨し、今度は喉がスーッとするらしい胸に塗る塗り薬や子守唄も堪能してみたいですわぁ……」
「わー!嫌です!もう二分四十秒ごとにタオルを取り替えるのもりんごは二十一回、メロンは十二回の噛み噛みで次のを用意するのも嫌ですー!」
トラウマに泣き喚くような真凛がクッションを西香の頭に押し付ける。空気感染を防ぐためのマスク代わりだと真凛は思っているが、その強さはもう西香を窒息死させるに足る圧迫力。衣玖も相変わらずニョロっと絡みついて西香の抵抗を封じていた。クッションを西香に押し当てる真凛を諭すように衣玖は言う。
「安心しなさい真凛……少なくても西香はもう免疫が出来てるわ。私は絶対にかかってないし、私以外の誰かに西香から風邪がうつったとして、それがまた西香にかかりなおす事はないわよ……」
と言っても実際は絶対ではないので悪しからず。まぁ西香はバカだからそう言われれば仮にかかってても気づかないだろう。……というか聞こえているのかどうか。真凛が西香にクッションを押し付けてから時間が経ち、西香は身動きを取らなくなっていた。
「いやお前にしかかかってないんだって。この状況でまだ言うの?」
留音は自分の腿に衣玖が足裏をスリスリして暖かくしようとしている様子を指差しながら指摘するが、衣玖はまだ認めないらしい、「だって強い子だもん……」と呟く。
「でも安心しました……衣玖さんだったらまともに看病出来そうです」
真凛は動かなくなった西香からクッションを離しながら安堵したように微笑んだ。その表情は西香をヤッた達成感からではないと言い切れない。
「だから言ってるでしょ、私は無敵……絶対に風邪なんてひいてないって……ほら、今日は何して遊ぶの、スカイダイビング?スキューバダイビング?サウナでも入りに行く?あ゛ぁぁ」
声を震わせながら少しずつ起き上がり、膝を抱えて再びうずくまる衣玖の背中をあの子がやさしくさすってあげている。
「なんで温度変化激しいところに行きたがるんだよ、悪化するぞ」
「大丈夫なのよ全然平気ゴホッ……へっちゃらよ、今ならプールで泳ぎの練習とかも出来そうね、多分簡単に浮くわよ私……」
これは蛇足的な情報だが、衣玖は泳法について完璧な知識を持っている。衣服や重い装備を着たまま沈まずに泳ぐ古式泳法の知識まである。だから床とかベッドの上で泳ぐのは完璧だ。ただ水には浮かない。いざとなれば無限の酸素を供給してくれる無敵浮き輪を作るから浮く必要はないとは本人の弁だが、今の意識の朦朧とする中での発言から察するに、やはり水に浮けない事は気にしていたらしい。
「それ身体に力入らないって事だよな?ったく、ほら寝てろって。欲しいもんは?買ってきてやるから言ってみな。風邪薬なら熱下げるやつがいいか?咳止めるやつ?」
留音がソファーから立ち上がるなり座っている衣玖をチョンと軽く押すと倒れる。だるまのように簡単に転がった衣玖はやっぱり首を横に振り「いらない」と言いながら、ピクリとも動かない西香の腕をひっぱり、拗ねた子が布団でも被るみたいに隠れてしまう。
「留音さん、わたしちょっと面倒くさくなってきました」
「うん。まぁわかるけど。どうすっかね、放っておくわけにもいかないだろ、つっても看病させてくれそうにないしな……」
真凛と留音がソファーの上に転がって荒い吐息で呻いている衣玖を見つめる。衣玖は西香をもはや抱き枕のように扱って震えをなんとか抑えようとしていた。
「……じゃあこんなのどうでしょう、いっそ冷水をばしゃーっとかけて、衣玖さんが認めざるを得ないほど、もしくは口も利けなくなるほど風邪を悪化させるんです。そうしたらおとなしく看病を受けてくれるんじゃないでしょうか。題してミザリー作戦です」
「うん……サイコパス。なぁ衣玖、そんなことになる前におとなしく治さない?真凛はやるよ?」
隣で無表情にコクコク頷く真凛を衣玖は視界に入れることすらできていない。
「いいじゃない……じゃあ今日は水鉄砲で遊ぶって感じで……望むところよ……ゴッホゴホゴホッ」
留音もさすがに諦めたようなため息だ。そんな衣玖に寄り添うように、あの子がトントンと肩を叩き綺麗な声を衣玖にかけた。
では問題です。「心配、看病したい、元気になって欲しい」……これらのワードを使って衣玖に愛情たっぷりの言葉をかけよ。この問題にあの子は百二十点の答を出した。
それを聞いた衣玖が西香に埋もれるのをやめ、のっそり起き上がるなり片手を額に乗せながら言う。
「あー、なんか私風邪ひいたみたい。今日は休んでなきゃダメそう……」
呆れたような留音と真凛。まぁあの子の言葉を聞いていたから気持ちはわからないでもないというのは本音にあるが、留音は皮肉っぽく聞いた。
「……天才の細胞は風邪に対処するんじゃあなかったのかい?」
「うん。でもそもそも風邪に対処する細胞が風邪ひいてたらその細胞も風邪に満足に対処できないのよね。だから諦めて風邪をひくことにするわ」
「あ?なんだって?まいいか……」
よくわからないけどとりあえず納得した留音を置いて、衣玖はソファーから立ちあがると「それじゃ看病お願いね」と、あの子と一緒に咳を響かせながら自分の部屋に向かって行ったのだった。
で、結局……。
ーーあの子が風邪ひいた
衣玖の風邪が治って数日後、いつもの家の中は奇妙な静けさで、室内の空気はどんよりと重い。そこはみんなの集まるリビングなのだが、明かりは消され、外から差し込む月の光だけが内部の輪郭を縁取るばかりである。そんなリビングに衣玖、留音、西香がそれぞれ別の椅子に座って、そわそわと何かを待っているようだった。
ガチャ……リビングのドアがゆっくりと開かれる。現れたのは真凛で、両手にしっかりと何かを握っている。
「どうだった?」
留音が顔を上げ、静かにそう尋ねた。薄っすらと見える真凛の表情、目の光……この部屋と同じように暗くどんよりとしている。真凛が顔を横に振る前に留音は答えを察していた。
「とりあえず休んでもらいました……それであの、こ、これ……」
真凛が中央のテーブルに、自身が握っていた小さなものを置いた。体温計である。デジタル表示されるやつだ、しかも大きな表示で数秒ですぐ測れる優れもの。真凛がいつか町内会のくじ引きで当ててきた。あの時の真凛の「割と高いの貰えて嬉しいけど使い道が少なくて微妙だなぁ」って表情を、留音は確かに憶えている。だが役に立った……でもあの子に使う羽目になるなんて!真凛は自分のくじ運を呪った。せめてあのガラガラをもう一回転多く回していれば、あの子が熱を出したという事実を温度計で数値化しないで済んだのに!だが今となっては無意味な後悔である。
「ひいてるのね、風邪を……!恐らく私から感染したであろう風邪を!!」
……コクリ。衣玖が頭を抱えながら言った言葉に、迷いながらも唾を飲み込みつつ頷く真凛。皆わかっている、兆候はあったのだ。衣玖の風邪が良くなってきた頃、あの子がなんだかしきりに、控えめな「ん……(可愛い)」って咳払いをやってたから。何か喉に違和感を感じていたのだろうことは、今になってしっくり合点がいった。
風邪はうつしたら治るという言葉がある。これ、実際は「罹患者が治った頃に健常者にうつっていたものが発症する」が正しいのだが、まさに衣玖の風邪の治りがそういうタイミングだった。
「どうしようっ……私のせいで……私のせいであの子に風邪をひかせてしまった!!」
何か悲劇的な事故で大切な人を亡くしたかのように崩れ落ちる衣玖。そんな衣玖に留音が早足に近づいて、衣玖の肩を掴んで揺らしながら叫ぶ。
「バカヤロー!お前がそんなんでどうする!!そんな風に悲観する暇があったら特効薬の一つや二つ作れよ!!それがIQ三万億の務めじゃねぇのかよ!」
暗い部屋の中、何かドラマ的なものが展開されているようだ。衣玖は目に涙を溜め込みながら、留音の声に負けない叫びを返している。病人がいるならもっと静かにしたらいいのに。
「無理よ!風邪の特効薬は素人が思ってるよりずっと複雑でどうしても時間がかかるの!私が作り上げる頃にはもうあの子の風邪は治ってるわよ!!」
極めてシリアスにやり取りがされているはずなのに、何故だか全く緊張感がない。だって風邪は数日で治るからだ。
「そんな……衣玖さんでもそんなに時間がかかるなんて……じゃつまり、あの子には自然に風邪が治るまで風邪をひいててもらう他ない、という事ですか……?」
真凛は「そんな残酷な現実は信じられない」とでも言いたげに、否定を求めて聞き返した。西香の時は早く治るか悪化して喋れなくなればいいなくらいに考えていたのに。
「そうよ、ええそうよ……っ!風邪の苦しさを!!……あの子にも経験してもらうしかないのよ……」
何故だか血反吐でも吐くようにやたら苦しそうに言う衣玖。
「なんてこった……」
ちなみにまるであの子が初めて風邪をひいたような物言いをしているが、普通に何度もひいてる。
「……ハッ!ちょっとお待ちください皆さん!見てくださいな、この体温計の異常な数値を」
西香は机に置かれた体温計を覗き見るなり目に驚きを浮かべ、体温計の表示をみんなの方に向けた。その手が少し震えている。衣玖がそこに表示される度数表示を読み上げる。
「え……三十八度四分……!?」
「ひっ!やめて!聞きたくありませんっ!」
熱を測った真凛は知っていたのだ……西香の時より一度以上高い、本当にかなり辛い部類の風邪をひいているあの子の、その体の温度を。封じていたトラウマを刺激され、それに対する防衛行動を取るように、真凛は両耳を塞いでうずくまる。
「超高熱じゃないかっ!!くそ、こんなに高いのに今すぐ治してやれないのかよ!なんて無力なんだ、あたしたちは!」
ドン!と、留音は思わず机を叩いた。とりあえず静かにするという思慮はないのだろう。
「……三十八度越え。私は特効薬を用意出来ない。……こうなったらもう、やるしかないわね!」
衣玖はその場の四人と……焦りを見せる留音、恐怖を見せる真凛、そして温度計を見せる西香と視線を交差させ、決意の面持ちで頷き、言い放った。
「ここは今日から……病院よ!!」
というわけでナース誕生。
「うぉー!!さぁ水分を持ってきたぞ!!たんまり飲んで代謝をよくすると早く治るらしいから飲めぃ!」
水分。水分補給の常温スポーツドリンク、温かいビタミンドリンク、栄養ドリンク各種、お茶に水。風邪患者の為に使えそうな水分という水分を手に勢い良くあの子の部屋にドタバタと飛び込む留音。早くも看病する立場として何か間違えているような気がするが、ともあれみんなであの子に献身的な看病をし始めた所だ。
「大丈夫?寒くない?末端は冷えやすいから足あったかくするのよ」
衣玖があの子のかけている布団の足元に、自前の毛布を重ね、足を包み込むように包んであげている。そこにトントンと行儀の良いノックが聞こえた。
「元気料理作ってきましたよぉっ!豚肉と生姜とニンニクとネギを使ったうな重おかゆバージョンです!」
扉が開くなり、真凛がそう言いながらやたら芳しい、確実におかゆではない匂いのする料理を持って上がってきた。本人の言の通り、本気で健康を考えた結果、おかゆがベースではあるものの物凄く胃に重い何かが運ばれ、ベッドの上に腰掛けるあの子の膝元にそれが置かれる。何故病人にガッツリ系を用意してしまったのか。
水分に食事が用意され、万全の看病体制に頷く西香。自称看病番長の西香は一体何をするのか?西香は自信たっぷりな様子で肉うなぎおかゆといざ戦わんとしているその子の隣にちょこんと座って、尊大に言い放った。
「ではわたくしはただここにいて差し上げればいいですね?どうですか?元気になるでしょう?どうです?」
水分と食事、あと風邪を治すのに必要なのは自分である。まるで植物に対する陽光でもあるかのようにキラキラとした目をしながら鼻を高くする西香に、あの子が感謝の微笑みで返すと、西香も嬉しそうにする。
それからこの子は真凛の作った激重いおかゆを、無いはずの食欲を絞り出して完食した。そうまでして食べたのは折角作ってくれた真凛への感謝の気持ちからだ。
「よし、飯食ったら薬だ!あなたの症状は鼻から?喉から?」
薬を飲むための湯ざましなども留音にかかれば当然用意されている。あの子は喉が気になると言おうとしたときに引っかかった痰を(可愛く)切ろうとすると、それにむせて咳き込んだ。
「咳、咳がひどいのね!わかったわ、確か前に作った薬があるから取ってくる!」
部屋を飛び出て行く衣玖。こんな感じでみんな出来る事を一生懸命取り組んでいる。なんて微笑ましくなりそうな光景だろう。なるとは言わないけど。だがあの子はそれを素直に嬉しいと感じながら、多少の不安もあった。
「で、他にして欲しいことはないか?なんでも言ってくれよ、あたしらに出来ることならなんでもやるよ!」
みんな献身的で、なかなか自分から離れようとしない。だからうつってしまうかも……それがこの子の不安だ。大事なみんなが苦しむ姿を見る方が、自分が風邪をひくよりずっと辛いのだから。
「……え?うつっちゃう?何を気にしてるんですか!大丈夫ですよぉ、わたしは地球の病気にはかからないですしっ!」
あの子が感じている事を伝えると、真凛は惑星規模の返答をしてくる。でもとりあえず安心した。
「むしろうつるものならうつしてほしいですわ、また看病されたいです」
その西香の言葉には真凛の方がギョッとして、顔を横に振る。もうやりたくないというか絶対やらないアピール。
「あぁ、あたしも風邪ひかないタイプだから安心しな。だからお前はして欲しい事をなんでも言ってくれよ、例えば……あー風邪なんてもう何年もひいてないからわからんなー、なんか無いのか?」
そんな風にみんなの気持ちを受け取って、あの子はニコリと感謝の言葉を返した。そして気をつかう訳でもなく、本当にやってほしいことが無い事も伝えるのだが、やっぱりみんな部屋から出ようとしないで、自分にできることは無いか探した。真凛はこの元々整っている部屋を更に整理整頓してミリ単位の調整を施して、留音はスマホで衣玖にまだかとメッセージを送る。衣玖は自分の部屋の薬箱をひっくり返して、すごい早さで成分表と効能を確認して咳に効く薬を探しているようだ。そして西香は……。
「そうですわ!ではわたくしと一緒にお布団に包まりましょうっ、満遍なく暖かくしておけばいざ寝るときにグッスリですわ!おほほ、わたくしこれでも先日まで風邪を召していたでしょう。風邪の時の寒さには覚えがあるものですから。さすがわたくし!」
西香はあの子のかける布団の中にモゾモゾと侵入していく。留音と真凛に自分の気遣いをドヤッとアピールしながら。そんな所で衣玖が帰ってきた。自身の病み上がりに響くほど急いで。
「戻ったわ!はい、咳に効く薬持ってきたから!苦いけど我慢してね!あ!ヨーグルトに混ぜる?!」
留音がすかさずヨーグルトドリンクを取り出し、湯ざましと並べた。あの子は大丈夫だと湯ざましで薬を飲む。なんで湯ざましだったかといえば、そりゃ当然留音がわざわざ沸かしてくれたのを考えたからだ。市販のヨーグルトドリンクならいつでも飲めるというものである。
「水分、食事、薬……あとは睡眠ですね!」
真凛が指折り数えた対風邪行動。残るはじっくり体を休ませる意味で必須となる睡眠。集ったナース達は我こそがこの子を寝かすんだと猛りだした。
「それならあたしに任せろ!たちまち眠くなる秘孔を三つ知ってる!」
「おバカですか!?傷でも残ったらどうするんです!?ここは子守唄を歌って優しく寝かしつけるところでしょう!」
「おー待て!あたしがこの子に傷なんてつけるか!点穴を少し刺激してストンと眠りに……」
「えぇっ、そりゃ気絶させるなら誰にだって出来ますよぉっ」
「いや、真凛のは気絶じゃ済まんだろ、っていうかあたしのは睡眠誘導だからな!?気絶させるわけじゃ無いぞ!?」
「野蛮です!少なくてもお二人には任せられませんわ!」
「みんな落ち着いて!私の持ってきた薬には眠りやすくする成分入ってるから自然と眠れるわ!」
まぁこんな風に、病人の前でよくも本気で言い合いが出来るというものだ。あの子はうるさいと感じる事もなく、それどころか喧嘩にならないかキョロキョロとみんなを心配そうに見ている。
「というかです!皆さんもっと静かに話しましょうよ!ここには病人がいるんですよ!?」
ヒートアップを諌める真凛の声も大概に大きい。
「確かに!実に的確だな真凛!……じゃあみんな、ヒソヒソ声で会議するぞ!」
留音は同意の後、その子の横たわるベッドの下にしゃがみ込み内緒の会議でもするように、あの子の方へ音が行かないように口の横に平手を当てて、モノクロの声で喋る。みんなもそれに続いているが、あの子と布団に入る西香だけは頭だけ覗かせるような体勢でいる。
「それで、どう寝かしつけるかという話ですけどぉ……」
真凛の議題提案の前に衣玖には思うところがあったらしい、目を瞑って横になったあの子の高さに目線を落としたことで思い付いたようだ、布団を撫でながら言った。
「その前に十全に寝る準備が整っているかを調べるべきね、とりあえず布団の量は十分だわ。内部の暖かさチェック、西香!」
「お、はい、ポカポカヌクヌクのお布団ですわ。まるでわたくしの心のよう」
少し不安を感じながらもうむ、と頷く衣玖。
「よし、それじゃあ次はルー、その子の足、特につま先が冷えてないかの確認!」
留音はササっと足元に移動し、あの子の足元手を入れて弄っていると、あの子がピクンと反応した。留音がつま先を掴んだようだ。
「……むむ!冷たいぞ衣玖!どうすればいい!」
風邪の時に末端が冷えているとなかなか眠れない上、自分で温かくもなりにくいので注意が必要だ。一度芯まで温めればポカポカ気持ち良くなる。
「よし!全員で足元をあっためるのよ!直接末端を温めるのはもちろん、布団、ベッド、全てをホカホカにして!ちなみに人体表面で一番温かいのは太ももよ!有効利用して!」
ちなみにもっとあったかい部位も探せばある。でも他人を温めるには向かないのであしからず。
「了解!」
真凛、留音も布団の中に突撃。あの子のつま先部分に対し、留音は脚を組むようにしてももで包み、真凛は足元の布団全体を温めるように寝そべる。うむ、と衣玖。衣玖は布団に入らず、自分のバッグから何かを取り出した。
「いいわね、多少汗をかくくらい温めたら次は頭を冷やすわよ!こんな事もあろうかと既に用意してきたわ冷えペッチャン!真凛!貼って!」
「任せてください!」
ひんやりジェルシート、冷えペッチャンこそ風邪の時の友達。足元の温めを留音に任せ、受け取った冷えペチャを手に布団の中をもぞもぞと移動してあの子の額へ行き、髪の毛一本巻き込むことなく正確に貼ってあげることができた。うむ、と頷く衣玖。
「よし、これでこの子が眠るための準備は全て完了したわ。後はぐっすり寝て、体が毒素を排出するのを待つだけよ」
あとは寝るだけ。留音は自分の出番だなと言わんばかりに議題を戻す。
「それじゃあ後はどう寝かすかだが!」
「それ最初にやりました!でも結局決まってないのでやっぱり話し合いが必要でしょうか!」
「じゃあもう一度言えばいいのか!?あたしは眠くなる秘孔を……」
秘孔を刺激するための構えで、人差し指と中指をくっつけたのを眼前に持ってきながら留音が言いかけたのを、衣玖が押し戻す。
「いやそれはもういい……この子は静寂さえあれば眠れるわ、私たちが静かになればね」
「まて!そのために今あたしたちはヒソヒソ声で喋っているんだろう!?」
「足りないわ。ヒソヒソ声は何を言ってるか聞き取りづらいだけで、静かな空間では意外と耳は拾ってしまうものよ」
「じゃあどうしろってんだ!」
簡単に解決できそうな話を長引かせ、あの子の睡眠を阻害する話に真凛も加わる。あの子はベッド上で目を瞑ってはいるが、ボーッとする頭の隅でみんなの話をしっかり聞いていた。かわいそうに。
「そうですよ!まさか……えっ!でもその方法じゃこの子にリアルタイム看病が……」
自分の考えを疑い、顔を青くする真凛。語調が弱まっているのはそれが正論だと感じたからだ。
「真凛は気づいたようね。そう、私たちが退室するのよ、そうすればこの部屋に真の静寂が訪れる……今は寝かせてあげなきゃいけないから」
しかしまぁ、何故言われないとわからないのか。
「ふざけないでくださいまし!もしもわたくしたちのいぬ間に風邪が悪化したらどうするんですの!?すぐに駆けつけられませんわよ!?」
言われてもわからなかった。
「大丈夫、そのためにコール用スイッチを用意してあるわ。風邪は寝なきゃ治らないんだから一人にしてあげよう」
「おい衣玖!馬鹿なこと言うな!この子が寝るべきなのはわかるし、コールスイッチも病院っぽいと百歩譲って認めてやる!だがな、それとあたしらが部屋を出なきゃいけない理由は全く関係無い話だ!お前の気持ちが全然わかんねぇよ!」
「え!わかんない?!」
ロックすら捨ててあの子のために普通で最善の看病を提供したい衣玖。それがわからないと断じられて戸惑いを隠せない。
「この子が眠るために必要な静寂なんて、あたしたちが作りゃいいんだ!だろ!?あたしたちはこの子の最高のナースなんだぜ!静寂なんて簡単に作れるさ!」
「うん、さっきから私そのために退室を提案してるんだけど」
もしかして今の留音、ロック?衣玖の頭に一瞬だけそんな考えがよぎり、少したじろいだ。
「衣玖、もう言うな。……!、!!(フン!)」
そんな衣玖に対し、キラリと瞳を輝かせ、サムズアップと鼻息で「出来るさ!」みたいな表情を作る留音。
「え、ルー、あなたまさか目で会話しようとしてる……!?」
衣玖の中に衝撃が走った。静寂を作るため……確かに目で話せばヒソヒソ声は使わないで済むじゃないか!
そんな中、ベッドから頭を出している西香が手を伸ばして衣玖の肩をトンと叩いた。
「衣玖さん、あなた良いんですの?自分からこの子にうつったであろう風邪を、この子の治癒力に任せるような真似をして」
「……私の風邪の時はほぼうざかっただけの西香には言われたくないけど……確かにそうね。二十四時間、すぐ近くで見守ってあげるべきなのかも……わかったわ。この子が治るまで付きっきりコースよ!」
「正論を言っていたはずの衣玖さんが丸め込まれてます……まぁそれならそれでみんなで頑張って看病しましょう!お喋り禁止で!」
コク!コクコク……スタスタ。スヤスヤ?コク!スヤスヤ!……スヤっス?スー……スヤ1+スヤスヤ4=スヤスヤ?ホカホカ!サムズアップ!モゾモゾモゾモゾモゾモゾ、モゾモゾ!……スヤ……グー×4。ファサ……ニコ。……スー。
解説:よし、まずは何をすべきだ?やっぱり寝かせてあげましょうよ。やっぱりそれね。でもどうやって?んー、いっそ私たちも寝ればいいんじゃない?なるほど、みんなで寝たらあったかいしそれがいいな。よし詰めろ詰めろ、みんなで入っちゃうぞーっ、あーもう狭いですわ!さて、みんなであったかくして寝ればこの子も元気になるはずだ、おやすみ。グー。
ちなみにあの子が眠ったのはみんなの寝息が聞こえてきた後だった。自分が真ん中にいて、端っこに寝ていた衣玖と真凛にちゃんと布団がかかるように調整してから眠った。
こんな看病でも、あの子の風邪はすぐに良くなった。何故かと言えばそりゃ、みんなが自分のためにたくさん頑張ってくれからだ。この子の元気の源は一緒にいるみんな。風邪の時に耳元で会議をされたってうるさいだなんて感じない。心強いばかりだった。
でも結果的に……。
ーー留音が風邪ひいた
「あぁなんか、喉がイガイガするんだけど。痛い。鼻も詰まるしなんだろこれ」
留音がみんな揃っての朝の食事中、喉元を抑えてそんなことを言いだした。もうみんな括弧つけて察し、というものである。
「ありゃりゃ。留音さんも風邪ひいちゃったんですかぁ。今年は本当に流行ってるんですねぇ」
真凛は何か温かい飲み物でも飲みますか?と気遣うが、留音は首を振る。
「え、いや、風邪じゃないぞ。あたしは風邪ひかないし。最後にひいたの多分小学生だぞ?あたしは武芸を極めたことで風邪とかそういうの受け付けなくなってるはずなんだ、だから風邪ではない」
西香が「ん?」と首を傾げた。
「なんだか最近何処かで聞いたようなセリフですわね」
衣玖は当然気付いている。つい最近自分が同じような事言ってたな。
「ルー、それ私のやつ。受け付けなくなってるはずって何よ。自分で言うのもナンだけど、誰だってひく時はひくわ。あなたのは風邪」
留音は衣玖がよくわからない理由で風邪を認めなかったことを当然覚えてるし、自分がそれに近いことを言っているのもわかるのだが。
「いやでも、そんな中でマジにずっとひいてないんだって。あたしはもうそういうのかからないと思うんだけど……いやぁ風邪は違うと思う、ちょっと鼻とかの調子悪いだけだろ、多分……ズズ」
治ったあの子は自分のせいかもとやたら心配しているが、留音はそんな事ないからと笑っている。
これが昼になって。
「なぁ、なんか喉のイガイガが取れないんだけど、なんでなんだろ。水分不足かな?なぁ衣玖、そういうのの薬ないの?」
「あるわよ、と言っても風邪薬だけど。早くから飲んどけば効きやすいかもね。いるなら持ってくるけど」
「いや、風邪はちょっと違うと思う。そういうんじゃなくてさ、喉のイガイガなんだって。ないかね?薬」
なるほど、自分もこんな感じだったのかな……衣玖は自分の行動を反省しつつ、「それは風邪の初期症状よ」とか丁寧に説明して納得させるのも面倒なので話を切り上げるようにすっぱりと言った。
「……ないわね」
熱が出れば嫌でもわかるだろうし。
「そっかー。まぁこの程度ならすぐ良くなんだろ、なんか飲んでゆっくりしてるかね」
留音はペットボトルを片手にプラモデルの塗装を始めるのだった。
で、これが夜になれば状況は加速するのがお決まりだ。晩御飯を食べてしばらくするまでは耐えてきた留音だが、流石に体が思ったように動かないのが不安になってきたらしい。
「なぁ、なんか変な感じがするん……ゲッホゲッホ!歩くのだりぃし、ぽわーっとして、体がなんかモワモワになって鼻も熱いし……うぅ、寒い、震えそう……なんだこれぇ」
ティッシュをとってチーンと鼻をかみ、机の上に置く。もう何回もかんだ分が散乱しており、度々あの子が回収して捨てて来ている。そんな様子をみせていても西香はまるで症状の意味がわかっていないようだ。
「あら、留音さんが元気無いなんて珍しいですわね。なんか変な物でも食べたんじゃありませんの?」
変な物って、私の料理がとでも言いたいのかと真凛が少しむくれる。
「もう西香さん、まだわからないんですか?留音さんは風邪ひいちゃってるんですよ、これまでのみなさんと同じ症状でしょ?」
「あぁ、言われてみればそうですわね、留音さんまで風邪ひくなんてずるいですわ」
きっとみんなの風邪を見て被看病への欲が出たんでしょうね、なんて考える西香。一方留音はみんなに指摘されてもまだ懐疑的だ。雨の土砂降りに傘なしで見舞われ、冷たい風の吹く中急いで帰ってきた日だって風邪をひかなかったし、周りがどんなウィルスに倒れようと自分は平気だったし、多少ながら賞味期限が切れたものを食べたって、生モノだろうが当たった事なんて一度もない。自分はそういうのに遠いんだと思ってきた。
「え、これ風邪か……?風邪って熱くなるじゃん……あたしの体温低くなってると思うんだけど……なんか別のちょっとした病気とかじゃないか……?」
「いや、そういうものよ……風邪ひいたら寒く感じるのよ。ほら、体温計」
衣玖が先日使ったばかりの体温計を渡し、留音はしぶしぶと襟元から体温計を入れて腋に挟んだ。
数秒後にピピピッと診断が済んだ音が響き、留音が確認しているのを衣玖が取り「七度九分ね」と読み上げる。自分の目で見てようやく留音も自分が風邪を引いたと認めた。
「そうか、あたしホントに風邪だったんだな……久しぶりすぎてわかんなかった。あぁなんか悔しいけど、仕方ねぇな……水分とって早めに寝るわ。あぁ、看病とかいいぞ。風邪なんて寝てりゃ治んだろ……」
ヨタつきながら椅子を立ち、モタモタと冷蔵庫からペットボトルを取り出すなりそれを持って部屋を出て行く留音。あの子は自分の看病をさせてしまったせいでうつったのかもしれないという罪悪感があるのか、留音の身体を支えながら一緒に出て行ったが、それ以外の三人は感心した表情でそれを見送った。
「留音さん、風邪をひいたのに被看病への渇望が無いなんて……わたくし以上の熱を出しておきながら看病を求めないとは……」
「私もなんだかちょっと反省したわ。ルー、流石女の中の男。認めるのも病気に対する姿勢も潔いわね」
「今回は看病しないでいいのかなぁ……なんかちょっと物足りないかも……」
こうして留音はあの子に多少の看病を受けつつも、他のみんなよりも極めて現実的な、わざわざ文字にするまでもない程度の看病を受けて一晩を過ごした。
だが次の日にも熱は下がらない。ヨロヨロとリビングに向かい、朝食を食べるなり水分をたっぷり取って眠る。可能なら薬は飲まない方が治りが良いというドクター衣玖のアドバイスを受け、熱にうなされながらもとにかく眠る事に専念した。
そうして晩御飯時、足取り重くリビングへ入った留音に、衣玖が気づいた。
「あ、ルー。大丈夫?」
聞いておきながら、表情を見れば大丈夫じゃないとわかる。顔に影が落ちていて鼻が赤い。「風邪の程度がわからんから、わからん」と答える声もゴモっとしていて完全に鼻声だった。
「留音さん、ちょっとは食べられそうですか?」
真凛が晩御飯の支度をしながら伺う。
「ん……食べなきゃだよな……すまんけど少なめでいいから」
そういって席に着くなり、溶けるように机に寝伏せた。ご飯が出されるとなんとか完食し「ごちおうあん……」と舌足らずに席を立ち、冷蔵庫に入れてある冷えペチャを取り出して自分でおでこに貼り、特に要望なども言わずに自分で必要な物を用意して部屋に戻っていく留音。真凛が「ほぁー」と感心している。
「なんだかんだで留音さんってお姉さん肌っていうか、カッコいいところありますよね。自分で自分の面倒見てくれますし」
隣に座っているあの子が「面倒かけちゃってごめんね」の気持ちを伝えると、真凛はその子の頭を撫で「あなたの看病だけはわたしが好き好んでやった事ですから」と微笑みかけている。
「……手がかかって悪かったわね、でも……」
西香ほどじゃなかったでしょう、と続けたかった衣玖の言葉を遮る西香。微塵も悪いとは思っていない表情で真凛に反論する。
「あら衣玖さん、謝る事無いでしょう。病人が看護を受けるのは当然の権利ですわ。看護人は尽くす立場であり、病気にかかってしまった可哀想なわたくしが過ごしやすいように気を張るのは当然の事ですのよ。その権利を放棄している留音さんの方がおかしいんですわ」
その後に小さく「でも確かに、あえて放棄するのはお姉さんっぽいのかもしれませんが……」と付け加えている。
「まぁルーはあれで頼りになるっちゃなるものね。たまにお姉さんみたいに元気付けたりしてくれるし。……看病いらないって言ってたけど、顔くらい見に行ってあげようかしら」
滅多に見せない衰弱した留音の姿の影が思い浮かんでしまう。いつも無駄に健康体の留音だ、丸一日ほとんど顔を合わせないと多少調子も狂うなと考えた衣玖はあとで会いに行く事に決めた。
「そうですねぇ。たまにはわたしたちが元気付けてあげましょっか」
「え……それってわたくしも行かなきゃダメな流れですの……?なんだか面倒くさそうですわね……」
というわけで、一人ずつ留音の部屋を訪ねる事にした。最初に訪ねたあの子の次に少し時間を置いて衣玖が入っていく。留音が起きているのを確認してから声をかけた。
「調子はどう?」
衣玖は留音の顔を見える場所に椅子を前後反対に置いて腕を背もたれの上に乗せ、そこにあごを置くように座る。
「ん……良くない……お前らこんなん味わってたんだな……なぁ、ちょっと聞きたいんだけどさ」
留音が良くないなんて言うのが衣玖には少し意外だった。元気な時は根拠がなくても大丈夫と言う確率の方が圧倒的に高いのに。衣玖はこんなの滅多にないし多少のわがままは聞いてやるかと思いながら返事をした。
「うん、なに?」
すると留音は思いつめたような表情で、タン混じりの鼻声で続ける。
「風邪って、死なないよな……?」
「し……は?」
どうなのですか?と縋るような留音の目に、素っ頓狂な声で目を丸くする衣玖。
「し、死ぬ?そりゃあよっぽど体力なくて重い風邪ならそういう事もあるでしょうけど……ルーは死なないわよ、というか殺しても死ななそうなのに……何言ってるの?」
皮肉っぽく笑うように言う衣玖の言葉に対する留音の表情に漫画的表現を用いるなら、ガビーン!というのが妥当だろう。
「え、ちょっと待って。じゃあ風邪で死ぬパターンもあるのか?体力なくて、重い風邪……?どうしよう、あたし今体力ないし、さっき熱測ったら八度台突破してたんだよ……朝は七度台だったのに、悪化して……重篤なやつなのかも……」
布団を口の辺りまで被り、抱きつくように強く握って声を震わせている。衣玖は内心あれ?と戸惑いが生まれている。
「いや、熱は夜にはあがるものよ。それにさっきご飯完食してたじゃない、それ体力あるって事だから、そんなに心配する事ないわよ」
衣玖の言葉に被せるように首を振りながら留音が震え声で否定する。
「いや、無理して食べてたんだ、食べないと治らないと思って……でも全然食欲ないしさ、いつもなら食べ終わるまで食欲について考えないんだ、満腹だなぁとか。でも今日はもう食べる前から満腹な気がして……どうしよう、胃に来てるのかも……食が細くなって体力が落ちてるんだ……っ」
うるうるし始めている留音に衣玖がわかりやすくため息をついた。
「もう一度言うわね。さっきご飯完食してたじゃない。お腹に入ったんなら大丈夫、考えすぎよ、本当に重篤な病気だったらまず一口も食べられないから」
「そうなん……?でも気持ち的には入らないのと同じ感じでさ、風邪ってこんなに食欲に影響出るもん?それに時々オエってなるのも普通か?内臓関係に何か異常があるわけじゃない?」
衣玖は「そういうのを起こすウィルスもあるのよ……」と呆れ気味に答えるが、その答えは留音に疑問の解決をもたらさなかったようで、重篤な病である可能性を拭い去れないまま、次の質問をし始める。
「……じゃあさ、一日寝てて腕が痛いのはなんだろう……今日起きたらズキっとしたしさ、昼寝の後は痺れまくってたんだ……なぁ、動かさなすぎて壊死しかけてる前兆だったりしないよな……あたし、腕なかったらプラモも作れないし格闘も出来なくなっちゃう……そうなったらあたしのアイデンティティが崩壊する……」
布団の中で腕をさすっているのか、モゾモゾと布団が動いている。
「あのね、そんな理由で壊死なんて起こってたら医療関係者はもうとっくに対策を立ててるわ」
衣玖はさっきから大なり小なりため息が止まらない。
「でもわかんないじゃん、だって病気であんまり動けないはずなのに腕が痺れるなんてあるか?ちょっとじゃないぞ?感覚がないくらいジンジンに痺れてて……」
「今はどうなの?」
「くすぐったくなった後に元に戻ってるけど……」
「それ普通の痺れじゃないの……」
「でもわかんないだろ、痺れてる間に何かあって壊死が始まってたら?腕に力入らないし、あたしが症例者一号かもしれないじゃん……そう思ったら怖くてたまらないんだよぉ……」
「もう!じゃあわかった!仮に壊れたら私が激烈にイカすロボットアームに改造してあげるから!」
あれみたいに!と飾ってあるロボットのプラモデルで、ロケットパンチを飛ばしているジオラマを指差した。留音も見やると、少し照れたように訊き返す。
「ホント?精密に動作してロケットパンチもできるやつ……?」
「えぇ、あなたの好きな有線式ロボットアームにしてあげるから」
「プラモも作れる?あたしのパンチ力に衰えは無いと言い切れる……?」
「作れるわ、なんならペンチやピンセット内蔵にしてもいいし、強度も増して純粋な強化になるわよ」
「うぅ、ありがと衣玖……でも壊死したくないからそっちの方向で励まして欲しかった……」
布団から覗かせる、留音の潤った瞳。衣玖はそれを見てただただこう感じた。気持ち悪っ。あとうざい。
「だから壊死なんてしないっての!あぁもう、元気そうだから帰るわよ!」
「あぁ待って、衣玖ぅ……まだあるのに……人でなし〜……」
ゲホゲホと咳する留音を置いてドアを閉め、とっととリビングに戻る衣玖を、他の三人が迎えた。
「あ、衣玖さんおかえりなさい。どうでしたぁ?」
声をかけた真凛はお風呂に入った後のようだ、テレビを見ながら髪を乾かしている。衣玖はテレビ前のソファーに腰掛け、言いづらそうに目線は合わせずに答える。
「あぁうん、なんていうか、弱ってたわ。別に顔出す必要ないかもね」
真凛はよくわからないで首を傾げる。西香は興味を持ったようだ。
「弱ってた?それはどんな風にですの?死に目っていう事ですか?一人でシクシク泣いてるとか?留音さんが!あは、それウケますわね!ちょっと見てきますわぁ!」
何故かテンションが上がった西香はそのまま軽い足取りで留音の部屋へ。遠慮もなしに扉を勢いよく開けて飛び込んでいく。
「留音さぁん!あなた風邪程度で死に目を悲観して泣いてるって本当ですのー?」
ワクワクした表情で留音の顔を覗き込む西香の声に反応してゆっくり体勢を西香の方へ向ける。
「ん、西香か……いらっしゃい……お前でもいいや、なぁ、西香……」
留音は相変わらず思いつめた表情でいるのだが、西香は表情の機微に気付けるか?無理である。むしろ積極的に会話してくる留音を弱ってるとは思えない。衣玖に担がれたような気持ちになった。
「んぁ?泣いてないじゃありませんか。なんです?」
実に興味なさげな声だが、切実な様子の留音は気にせずに尋ねる。
「あの、西香が風邪ひいたときさ、背中痛くなかった?左の奥……」
留音は布団をずらし、左の胸の上のあたりをさすって見せながら「この裏の辺りなんだけど」と、深刻そうにしている。ふむ、と西香。
「背中?はて、覚えが……あ、留音さんもしかして咳が結構出てるとかあります?」
「あるよ、割と咳出てるけど……背中には関係ないだろ?」
「いやいや、咳出ると背中に来るって衣玖さんが言ってたんですよ。それじゃありませんの?」
知りませんけど。という感じで答える西香だが、留音には僥倖だ、目を丸くして答えに出会えたような気になって感心した。
「へぇ、そうなのかぁ……じゃあ咳止まれば背中治るのかな……それまでは様子見ないとか……。なんかさ、この風邪のだるさがずっと続いたらって思っちゃうんだよ……」
実は重篤な病気でこのままずっとだるさが取れず、寝たきりになってしまったら……そんな風に考えると不安で仕方がないらしい。西香はうんうんと頷いて聞いているが同じ不安に欠片の覚えもない。あるのはずっとだるさが続いたらそれだけ長く看病してもらえるのにな〜と思っていた記憶だけ。その意味で頷いている。
「あぁそれ、よくわかりますわ。でもわたくしがそれを考えた次の日にはかなり治ってしまいましたから、全然大したことなかったですわよ」
ちなみにここで良くなってきてしまったことをきっかけに健康風邪を考え始めたのがこの西香という女である。
「そうなんだ……」
「ふむん……しかしつまらないですわね、衣玖さんがあなたが弱ってるというから見に来たのに、普通に会話も出来てるではありませんか」
留音の様子も面白くないし、健康風邪が撃沈したことも思い出してしまった。西香はテンションガタ落ちだ。
「普通?あたし普通に出来てる?なんか頭がぼーっとしてさ、反応がいつもより遅い気がしてるんだ。すげぇ頭ガンガンするしさ、もしかしたらウィルスが脳に侵入してるんじゃないかと考えちゃって。もしそうだとしたら、ちゃんと物事を考えたり出来るのも、これで最後なのかなって……」
実はそれが心配で眠れなかった。
「あぁ〜、ガンガン来てるんですのね。わたくしも頭を少し動かすだけでこう、頭の中に振り子でもついていて揺らすたび脳内を鉄球で叩かれてるような気がしましたわね、ゴーンって。懐かしい思い出ですわ」
西香は人差し指で振り子を作りながら答えつつ、その時のこと思い出す。真凛にそれを訴えたら頭が動かないようにベッドにガチガチに固定されて看病をうけたものだと。
「そうそう!そうなんだよ!……そっか、西香もあったのか。それでお前のはすっかり治ったか?前に出来ていたことが出来なくなったなんてこと無かったか……?」
「いえ全く。たしか……治るまでには二晩くらいかかりましたけど、治ってからは今言われるまで忘れてるくらいでしたもの」
「そっか……じゃあきっちり治るんだ……よかった」
今の留音に心配事はたくさんあるが、自分の心配を少しでも払拭した気分になるとそれだけ肩が軽くなったような気がする。心配するよりも寝た方がよさそうだなと考えるようになってきた。
「まぁ留音さんの風邪はわたくしのように周りに本気の看病をさせるレベルではないと見受けられますので、寝てれば治るんではありませんか?真凛さんも顔を出したがっていましたが、寝るんでしたら明日にするよう言っておきますわよ。寝たほうがいいと思いますわ」
真凛が見たら看病したがるかも。他の人が看病されるのはずるい。西香の奥底の嫉妬心が親切という形で現れている限りなく奇跡に近い台詞だった。
「そうかな……、じゃあ寝てみる、真凛には頼むよ……ありがと西香、正直お前がこんなに頼りになるとは思わなかったよ」
疲れが出て良い笑顔の留音に「ふっ、やれやれ」的な様子な西香が言う。
「自分が弱ることではじめて、いつも頼りにしている人間のありがたみがわかるというものですわ。勉強になりましたね、留音さん」
それには返事をしないで眠る体勢に入る留音にウンウンと満足そうに「では失礼致しますわ」と部屋を出て行く西香はリビングに向かい、真凛に明日にするよう伝えた。
そして次の日、留音が起きた頃を見計らって真凛が訪ねて行くと、ベッドの片隅で体育座りで身を縮こませている留音の姿があった。
「うわ、留音さんどうしたんですか?寒いならお布団をかけたほうが……」
留音は真凛の方を向いて首を横に振ると、「もう寒くない」と元気のない声で返す。
「寒くないんですか?なんだか元気ありませんけど、熱はどうですか?」
留音はゆっくりと「もう一回測ってみる……」と近くにあった体温計を腋に挟み、かなり真剣に通知音がなるのを咳をしながら待っている。真凛的には熱が悪化しちゃったのかなぁという感じだ。
すぐに体温計が音を鳴らし、留音がサッと取り出して表示を見るなり、不合格通知でも届いたように体温計を持っていない手で顔を覆った。真凛が見せてくださいと体温計を取り上げ、温度を読んだ。
「六度五分……あれっ?治ってませんか?」
体温計の表示と留音の様子がまるで違う。留音は小さく「そうだ……」と頷き、更に続ける口調は加熱するように激しい。
「そうだよ……!熱が下がったんだ!もう体もほとんどだるくないんだよ!それなのに……それなのに……っ」
加熱したと思ったら自分の胸元をさすって、「ん、ん!」と咳払いをしてから続けた。
「咳が抜けねぇんだよ!つまりさ!この咳は風邪じゃなくて、別件って事になる!きっと肺だ……肺が病気なんだ、うっぅぅ……どうしよう、入院とかになったら……それか重篤な病気で、万が一がんとかだったらあたし死んじゃうのか……?うわぁぁぁん、やだぁぁぁそんなのぉぉ!」
「はっ……」
真凛は口から空気の抜けるような「は」を発音して固まってしまう。昨日までカッコいいところあるなぁって思ってた人がなんというか、面白いと言うか哀れと言うか、随分な理由で目の前で泣いている。
「あの、えっと……バカ言っ……じゃなくて、泣かないでください留音さん、あなたがそんな簡単に重篤な病なんてかかるわけないじゃないですか、わたしから見てもすごく元気そうですよ?」
「そんなのわかんないじゃん!体の内部だぞ!?真凛の隠された力にバイタルスキャン能力でもあるなら話は別だけどさ!あるのかよ!?あってください!」
「いやありませんけど……そんなに怖いなら病院行きます?」
「病ぉぅ院!?やだよ!!怖い怖い!それともっ、行くべきに見えるのか……?」
本気で怯えているのが真凛にはすごく鬱陶しい。
「いえ別に……元気そうです」
でも精神的な病院の方には行ったほうが……とは言いかけた。
「じゃぁああ病院とか言うなよ!!あたし本気で怖がってんだぞ!?真凛にはわからないかもしれないがね!人は知らない事に恐怖を感じるんだよ!あたしはもう長いことずっとこういうの無かったからワンアクション起こる度に超怖えんだよ!そこに病院とか未知の空間に連れ……いや無理だろ!怖いわ!そういうとこ気ぃ使ってよ!過剰なストレスで死んじゃうかもしれないじゃん!もぉぉ、まさか病気の相談で一番役に立つのが西香ってどういう事なんだよぉぉ……」
ぴきっ。真凛の笑った音がした。
「それはすいませぇん……でも寝てれば治りますからぁ……良いですか?わたしが三つ数えるとあなたは眠りに落ちますよ、いち」
「ぐぅ」
よしよし。真凛は謎の力で留音を眠らせ、ため息をつきながら部屋を出て行った。
そんな感じで数日後。そこには何もかも完治した留音の姿が。
「いやぁ、やっぱり人間健康一番だなぁ!」
対して、衣玖と真凛が白くジトリと湿った瞳で見ていた。
「そうね……」
「はい……」
同意するのは西香もだ。それに一応、あの子も治ってよかったねというような事を伝えて喜んでいる様子。
「そうですわよね、いくら看病という蜜があっても、やっぱり元気な方が良いと思いますわ!」
「いやホントな!しかし治ってみるとあんなに心配してたのがバカみてぇだぜ!いやいや、いくら病気でネガティブ思考になりやすいってもさ、あたしのはちょっと行き過ぎだったなぁ?な、衣玖!真凛っ?」
「そうね……」
「はい……」
「そうだったんですの?全然わかりませんでしたわよ?」
「そうかっ?いやぁでも治ってくれると、日頃の自分の体の丈夫さに感謝したくなるってもんだよ!西香!たまには一緒にジムでも行くか?代金あたしが払ってやっても良いぞ!」
「面倒くさいですわ」
いいじゃんいいじゃんと西香を引っ連れて行く留音を見送る真凛と衣玖の二人が静かに会話している。
「衣玖さん」
「ん?」
「任意に風邪にさせるウィルスとか持ってないんですか?」
「風邪は今はないけど、物凄い疲労感を生む粉薬ならこの前作ったわよ」
「そうですか……」
「うん……」
ーー真凛は風邪ひいた?
「いやぁしかし、やっぱ真凛は凄いよな」
「ほぇっ?いきなり何ですか?」
留音の風邪の完治からまた数日後の夕食の席で留音がしみじみと言うと、真凛はどの事か思いつかないと首を傾げている。
「風邪のことじゃないの?ほら、私たちこの一ヶ月弱で四人もダウンしたでしょ。なのに看病までしてた真凛は一切かからなかったもの」
「それ、凄いんですの?わたくしとしてはちょっと可哀想ですわよ、看病される快感を味わえないという事じゃありませんか。健康が一番ですけど、献身的に尽くされる看病もいいものですわよ」
あの子もニコニコと頷いて真凛は凄いと讃えている。真凛は少し照れ臭そうに笑った。
「あはは、まぁわたしですから、ほとんどの病気とは無縁ですねぇ。そういう意味では実家の方が危険かもしれませんね、あっちの風邪とかは普通にかかっちゃいますから」
はははは、と談笑の響く家の中。だがみんなは知らない。この話の真相を。
それは別の昨日か、一昨日か。それは誰にもわからないが、とにかく留音の風邪が治ってから割とすぐの事だった。
「う……うぅん……はぁぁ」
真凛は一人、自室のベッドで息を荒げていたのだ。整頓の行き届いた、甘い香りと淡い色で飾られた少女の部屋の中、真凛の顔は赤く火照り、汗に濡れた服が乱れている。
「はぁ、はぁ……ゲッホ!!」
ズゴォォォオッォオ!!地球は破壊された。三十億年後に目覚めた真凛が現状に気付く。
「う……あれ……なんで宇宙に……ゴッホ!あ……直さなきゃ……」
コネコネ、ペトペト。意識が二割くらいしか無い真凛の手により雑でゴツゴツの地形が続く歪な地球が出来上がった。そこでは地上での暮らし難さと豊富な鉱山資源から地下空間での居住がなされ、科学力が発達し、人類が機械化している可能性世界が広がっていた。
そんなことも知らず、真凛はいつもの家の自分の寝室で寝ていると誰かが入って来た。起きてこない真凛を心配したのだろう。ピポロパポロウィーンと人型ロボットが真凛に親しげに話しかける。
「++*!_!*%_##{!!|_・'」
「あ、すいません……なんか調子が悪くて……」
「!_!!'|_+'_{'+?%+^€*€_」
「真凛ちゃん、大丈夫?」
「はい……おやすみなさい……は、はくし!」
ドジャジャアアアアア!!ゴツゴツ地球は粉砕した。真凛は眠りから三十五億年後に覚めると、眠気まなこでもう一度惑星を作り直す。寝ぼけながら赤くてブニョっとした地球が作られた。恐竜が進化を遂げ、人類に取って代わられた文化を持つ戦いの歴史を持った地球である。
「なんか違う……うぅん……すぴぃ……」
作るたびに疲労で自分の場所で眠ってしまう真凛だが、寝室を誰かが訪ねてきた。長身の人型恐竜ルネゴラス、子供っぽい体型の天才恐竜イクプトルス、人型恐竜界アイドルのサイカドンはまるで仕えるべき王でも見つけたように首を垂れて何かの儀式を始めている。
「ギャオ!ギャオガジジ!グゲロッピープ!」
「バジョー!バジョー!」
「ジンガラパッパ!ジンガラパッパ!!」
「真凛ちゃん、ゆっくり休んでていいからね」
儀式を遠くで聞きながら眠ろうとするのだが、意識は落ちかけても体の熱さとジワリジワリと蝕まれるような、体内を嫌なものがネットリと走る感覚に呑まれてうまく眠れない。
「うぅっ……体がだるいですぅ……」
だるさを紛らわすために寝返りをうって拳が地面に叩きつけられパァァン!!レッド地球は泡みたいに弾け飛んだ。
無重力に安心してやっと眠りについた真凛が目覚めたのは四十億年後。風邪はやっと自然治癒したらしい。
「あっれぇ、わたしこんなところで何を……地球は……あれ!手にベッチャリついてる!!あちゃー、久しぶりにやっちゃいましたかぁ、寝相破壊……まいっか、作り直しましょう」
こうして真凛は風邪をひいていた事も何をしたのかも知らず、いつも通りの日常に戻ったというわけだ。
というわけで、五人は仲良く風邪をひいていましたとさ。風邪って本当に辛いよね。そんなお話でした。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
自分も咳は長引くタイプです。
シリーズにはこの他、女子力という未知の力に遭遇したり、みんなハゲる話などがありますので、よろしければシリーズの一覧をチェックしていただければと思います。
あとポイントくださったりブックマークに入れてくれた方、とても感謝しています。感想などもお待ちしています!