女王クルーキシリアン
SSが二人とも殺され、大勢の異星人が死に、そして、今、言葉も通じない翅のある異星人に囲まれて、レイは怯えきっていた。
乱暴な扱いを受けているわけでもなく、むしろ優しいような気もするが、ショックを起こしているレイは、全てが受け入れられない状態だった。
身体を縮め、小刻みに震えて涙を零していた。
――ハル、ハル。助けて。ハル。
呪文のように胸の中で繰り返す。ハルカの名前を呟くと少しだけ落ち着く気がした。
レイは土を固めたような大きな山の中の部屋にいた。同じように土を固めた床に編み込んだ敷物が敷いてある。照明灯はないが上の方から、柔らかい光が降って来る。どこか上の方の明り取りから、間接的に光をここまで届けている印象だった。
そして、レイの前には巨大な異星人。何枚もの敷物を重ねふんわりした褥の上で、木材で作られた背もたれの腕に身体を預けて、横座りの形で座っていた。
明るい青の光沢のあるゆったりした長い服をまとい、首にルビーのような石が輝く。全体にピンク色がかった体表で、頭部には長い触覚があり、大きな複眼が一対。緑色の宝石のように見える。
その下に口と思しきものが二個縦に並んで開いていた。手が3対、足が2対。だが、特徴的なのは、膨らんだ巨大な腹部だった。全体の半分以上を占めている。
回りにいる他の者達はその女王の三分の一ほどの大きさで、軽快な青いチュニックを着ていた。
「ぎちぎちぎちぎち」
女王がしびれを切らしたように苛立たし気な調子できしる音声を上げた。だが、レイには何と言っているのか、まるでわからない。
女王は側にいる者に何事か命じた。それが、さらに出口のほうへ声をかけ、そこで待機していた者が、また外に向かって命令を伝えた。そうやって伝達されていき、しばらく待つと、外から誰かがやってきた。
戦闘蜂が連れてきたのは、一見人間のような生物だった。レイはそれを一目見ると、ひっと叫んで思わず部屋の反対側へ逃げてしまった。
何も身に着けていないぶよぶよに膨らんだ肉の塊のような肉体と不器用そうな二対の手、太い一対の足。だが、何よりレイを怯えさせたのは、大きな肉体の上に乗る不自然なほど小さな頭部だった。
無毛の頭。横に広がる締まりのない口。二つの呼吸用の穴。そして肉に埋まるようについている愚鈍そうな生気のない目。何の感情も映さないどんよりした目が、レイに恐怖を与えた。
戦闘蜂が肉団子の生物の背を打ち、何か命じた。肉団子の口がゆっくりと動いて、
「うおーあ、あーあお……」
と、言葉にならないような音節を出した。
レイはプルプルと頭を振って、壁に張り付く。
女王はうんざりしたように頭を振った。戦闘蜂より大柄な体格の側近らしい蜂が女王に何事か囁く。側近は3人いて、働き蜂とも戦闘蜂とも様子が違っていた。
昆虫族に筋肉質という形容詞が当てはまるかどうかわからないが、体表のキチン質は艶を帯びてがっしりした印象がある。服装もそれを見せびらかすような意匠だった。女王に侍る雄なのだろうと、レイは怯えながらも推測する。
女王が戦闘蜂に合図を送り、肉の塊の生物を連れ去ったので、レイはほっとした。あの生物は見ているだけで生理的な拒否感を覚える。
レイは唇を噛んだ。意思疎通ができなければ、何時間ここにいても何も進まない。女王は自分と話したいのだとは判った。
もう一度女王の前へ戻り、自分を指して
「レイ」
と、発音してみた。女王が繰り返そうと試みる。
「げげぎちちち」
発声の基礎が違い過ぎた。おそらく、コオロギのように模様のある盤を擦るようにして発声しているのだ。お互いの音を模倣することは不可能といえる。
レイはポケットから手帳版のP-Tbを出した。これを使うしかなさそうだが、さすがに容量に限界があるため解析には時間がかかりそうだった。女王は辛抱してくれるだろうか?
***
ベースにグリーン人の言語を入れたのが功を奏したのか、P-Tbの翻訳ソフトは1時間かからずに、何とか意思疎通できる範囲まで言語体系を分析してくれた。
女王は自分達をググルーの子と呼び、自分を西北国のクルーキシリアンと告げた。雄達を指し、愛しげに、「クルルキン」と呼ぶと、3人の雄は誇らしげに胸を張って3対の腕を優雅な動きで次々と胸の前に重ねた。
戦闘蜂をクルール、働き蜂をクラーレと紹介。役割と名前が密接であり、個体名が存在していないのかもしれない。
『船、来る、クルーキシリアン、ない。東東国、ガレーガリアン。敵』
――敵……敵対勢力というわけか。結構きな臭い世界らしい。
『クルーキシリアン、心配。船、ここ、来る。クルーキシリアン、襲う、ない』
「旅客船を襲っているのは、東東国のガレーガリアンだけということですか? クルーキシリアン女王は、それに反対しているのですね」
『そう。よその種族、襲う、良くない。報復。必ず、滅ぶ』
クルーキシリアン女王は理性的な判断能力があるらしい。
「なぜ、ガレーガリアンは外の種族を襲うのですか? 船をここまで運んできてまで」
『ゴゴラが足りない、なった。卵、孵る、ない』
「ゴゴラ?」
『さっき連れてきた。ゴゴラ』
レイは顔を青ざめた。卵……を、孵すゴゴラ。宿主か! ここの知性体は地球のジガバチのような繁殖形態なのだ。ゴゴラは宿主として特化して育まれてきた生物。むしろ知性や知覚がないほうが幸せなのだ。
『お前、ゴゴラか?』
クルルキンの一人が訊いてきた。
「違う! 僕はおいしくない!」
思わず叫び返していた。もう一人のクルルキンが軋む声を立てて、多分、笑った。
『痩せすぎ、いる。良い餌、ない』
レイはぶんぶんと首を縦に振った。
『クルール、大勢死んだ。お前の仲間、撃った』
三人目が冷たい目でレイを睨んだ。レイはざっと身体中の血が頭から引いていくような気がした。
「あの二人は僕を守ろうとしたのです。あなた方を敵だと思ったのです」
『わかっている。大勢失われた。悲しい。だが、卵、また、孵る』
女王が取りなすように口を挟んだ。三人目の雄が女王の側に行き甘えるように顔を大きな腹に擦り付けた。女王は愛しそうに、そのキチン質の身体を撫でる。
『卵、また産む。クルルキン、お前の子、増える。また、愛の時もつ』
そして、レイに目をやって教えてくれた。
『クルール、みな、このクルルキンの子。クルルキンの愛、クルールになる。それで、クルルキン、怒った。全て、ガレーガリアンのせい。お前の仲間、敵、思った、ガレーガリアンのせい』
どの雄の精子で受精するかで、孵る卵の幼蜂の役割が決定されるのだ。
ガレーガリアンは宿主のゴゴラが足りないと言っていた。では、乗客達は……。
レイが女王に質問を重ねようとした時、部屋の外で慌ただしい動きが生じた。大勢の足音が土壁に響く。
女王は、しかし、悠然と訊いた。
『何か?』
出口を守っているクルールが興奮した口調で報告した。
『外に異人、現れた。車、乗って。武器。クルール人質』
「ハル!」
レイが立ち上がった。クルールの父親であるクルルキンが外へ走り出す。
『クルルキン!』
女王が呼びかけたが、クルルキンは止まらなかった。
『しょうがない。クルルキン、止めて。怪我をする、悲しい』
クルールが外に向かって、大声で命令を発した。
『クルルキンを止めろ! 闘うな!』
『クルルキンを止めろ! 闘うな!』
同じ命令が遠くへ復唱しながら伝わっていく。レイは女王に向き直った。
「僕を外に行かせてください。きっと、僕の仲間です。僕を助けるつもりで来たのです。僕が顔を見せれば、安心して戦闘は起こらないでしょう」
『わかった。行って、仲間、連れて来る』
女王が鷹揚に許した。翻訳もだいぶ性能が上がってきた。