ハンター、ヒューイ
ルナステーションから出航して2時間が経った。諸々の確認や最終手続きも済み、口直しの夕食も済んで船内は夜時間を迎えていた。
中型定期船のカンタータ号には、125名の乗客が乗り込んでいる。ビジネスで、任務で、移住で、旅行でと目的は様々だった。ラウンジでは、乗客の気晴らしのための催しが開かれ、今夜はロードショーが上演されていた。
そのラウンジからずっと遠く離れた船室は、二人だけの世界だった。
待ちきれなくてそわそわしていたくせに、いざ二人っきりで夜を迎えるとレイは恥じらうように目を伏せた。ハルカは腕を伸ばしてレイの身体を抱き寄せる。その身体が少し震えていた。
キスを交わす。抱きすがってくるレイの手に力が籠められ、身を摺り寄せてくる。
クリスタルリング惑星の岩棚のテラスでキスしたのが最後だった。会うことはできたけれど、こういう機会はなかなか取れなかった。レイの周りにはいつも誰かの目があったのだ。
レイの身体が緊張していた。これから始まるかもしれないことに覚悟を決めているという思いが痛いほど伝わってくる。まるで、新婚旅行の花嫁みたいだった。
ハルカは笑って、レイの顔を覗く。
「心配しないで。何もしないし、何もしなくていいわよ。こうしているだけで、十分」
そして、強く抱きしめてやる。
「いいの?」
少しほっとした顔で、それでも心配そうに訊いて来る。
「いいのよ。あたしたちはまだまだ若いし。急ぐ必要なんかないから」
レイには強いトラウマがあった。6歳の時に受けた怖い思いが原因だった。誘拐され、遺伝子を採取するために、たぶん性的な暴行を受けたのだ。6歳児に対して、だ。
レイがバリヌール人の血を引いていたために。未だに、バリヌール人の遺伝子を欲しがる種族は少なくなかった。レイ自身は、どうみてもソル人そのものなのに。
それがもとで、レイには心理的障害が残った。恐怖に対する過剰反応と性行為への強い抵抗感。こればかりは本人にもどうしようもないことだった。
ハルカはレイの気持ちを大切にしたかった。レイがとても可愛いから。
夫婦室ではないから、二人部屋といってもシングルベッドが上下にある二段式だ。乗船チケットはハルカの名義で買ってあり、レイの名を出さないようにしていた。彼も特別待遇など望んでいない。
その狭いベッドが二人分の重みと動きで軋む。きゃっきゃっと笑い声が弾けた。
ジャンケンゲームをして勝ったらキスするはずが、くすぐりっこのバトルに変貌して、顔を真っ赤にして本気になってお互いをくすぐり倒そうと熱くなった。
息を切らせて見つめれば、にっこり笑って抱きしめ合う。それは幼い恋人同士の甘やかな、とても甘やかな夜。
昼頃近く、ハルカは遅い朝食を求めに一人ラウンジの売店へ行った。レイはまだ眠くてベッドでごろごろしていた。少し破目を外し過ぎたかなと反省しながら、何がいいだろうと物色する。
その背に突然、声をかけられた。
「昼食かい? 一緒にどう?」
のんびりとしているが、低くてよく響く声。
振り返ると、売店のポールに背中を預けている黒髪の男がにやにやと笑っていた。
年は二十六、七ほどか。日焼けした浅黒い肌に黒い瞳。190センチを越えていそうな長身で筋肉質のがっしりとした体躯をしている。格闘系のスポーツかラグビーでもやっているような印象だ。ポケットの多いアウトドア用のジャケットを着ているところを見ると、ハンターかもしれない。
にやけていなければ、渋い二枚目で通りそうな顔をしている。
眇めた目で見ているとそれをどうとったのか、ハルカの肩に手を置いてすり寄ってきた。
「君、ひょっとしてアカデミーとかの学生? 姿勢が違う。男にしちゃ華奢な造りだけど、鍛えた身体してるねえ。俺の好みだなあ」
なんだか寒気がして、振り払う。
「気安く触らないで。相棒が腹減らして待ってるんで」
低い声に怒りを込める。ハルカの声は女にしては低く、ハスキーだ。
やんわりと断ったつもりだった。だが、男はへらっと笑って、
「俺、ヒューイ。ヒューイ・グロッサム。じゃあ、今度、その相棒も一緒に食事しようぜ。旅は長いからなあ。楽しもうよ」
と、ハルカの腰を撫でてきた。ぞわっと鳥肌が立って遠慮のない力で叩いた。ばちーんっと大きな音が響いて、周囲の者が驚きの視線を向けてくる。
「悪いけど、それ、絶対ないから!」
急いでその場を離れていくハルカに、ヒューイがにやけた笑いを送っていた。
キャビンに駆け戻ってばたんとドアを閉じ、さらに念入りにロックをして、やっと息を吐く。全身に鳥肌が立っている。
――なに? あいつ。気持ち悪い。
「どうしたの? ハルカ。ランチは?」
レイが下段のベッドに腰かけて訊いてきた。
「あ、ごめん。まだ、買ってない。」
「何しに行ったの?」
――あう、なんか前途多難だわ。あたし……。
***
翌日、ラウンジで朝食を済ませたあと、レイとショーのプログラムを見ていると、昨日の声が降ってきた。
「おや。かわいい相棒だねえ」
ぎょっと振り返る。迷彩色のハンタージャケットの男が、にやついた顔で後ろに立っていた。気配をまったく感じなかった。けっこう、やばい相手かもしれない。
ハルカの緊張を感じたか、レイは隠れるようにハルカの後ろに回って服の裾をつかむ。
レイの肩に手を回し、男を無視して立ち去ろうとした。その背に、男は突然大きな声を上げた。
「ハルカ・ホシノ。ルナ・ステーション・アカデミー三年生。そこの相棒は、レイ……」
「黙れ!」
ハルカは男の言葉を遮った。レイの素性を大声でばらされたらどうなるか、考えるまでもない。
「あなた、なんのつもり? どうやって、調べたのよ?」
「そりゃあ、いろいろ方法はあるさ。好きな奴の事だったら、なおさらだね」
男はへらっととんでもないことを言う。周りにいた乗客達が好奇の視線を向けてきたので、ハルカはあごで表に出ろと示した。
ラウンジからエレベーターに乗り客室が並ぶ通路へと行く。さすがにこの時間、この辺りは人気がない。
ハルカはレイを後ろにかばったまま、改めて男に向き直った。
「いったい、どういうつもりなのよ? あたしに喧嘩を売りたいの?」
「とんでもない。好きだって言ったろ。ハルカ。俺と楽しく過ごそうぜ」
険しい剣幕のハルカをへらりとかわして、なおも気持ちの悪いことを言う。
「あんた、最初、あたしを男だと思ってたでしょ? 調べたら判ってると思うけど、あたしは女よ。お・ん・な! あんたの好みとは違うんだから、放っておいて!」
――そう、こいつはゲイだ。どこ見て、あたしを男だと勘違いしてるのよ! 失礼にもほどがある。
だが、ヒューイはへらへらした笑いを引っ込めない。
「ああ、判ってるよ。あんたみたいに男らしい女もいるなんて、驚いたさ」
そして遠慮なく笑いこけた。ハルカの形相はますます険悪になる。
「ひょっとしてあんた、レイが目当てなの?」
「俺は少年は好みじゃないんだ。ハルカ、そんなガキの相手してたってつまらないぜ。大人の遊びをしようじゃないか」
ぞわぞわぞわと悪寒が走った。すると、レイがぱっと前に出てきて、ハルカを守るように立った。
「ハルは僕のものだ! お前なんかに渡さない!」
「ほお、勇ましいな。だが、ハルカは俺がもらうぜ」
ヒューイはにやっと余裕の笑みを浮かべて、エレベーターでラウンジに戻って行った。
その後キャビンで、しがみついて離れないレイを宥めるのがたいへんだった。