うつくしき彼女
彼女はいつも背筋が伸びていた。背中に一本芯が通っているように。
棚に本を差し込むときも、落とした消しゴムを拾うときも、彼女の背はうつくしかった。
彼女は小さな市立図書館の司書だ。僕は図書館に行き始めた大学生の頃から、彼女のことを目で追うようになっていた。一筋の乱れもなくまとめられている髪も、肌荒れなんて知らないような白い肌も、全てが彼女の綺麗な背中を引き立てる要素だった。
やがて僕が大学を卒業し、社会人になっても、彼女の背筋はまっすぐだった。僕は四年間大学にいる中で、服装の趣味なんかも随分変わったけれど、彼女はなにも変わらないまま。相も変わらずきらきらとした目をしていた。僕は会社帰りのわずかな時間に図書館に立ち寄っては彼女を眺めた。
しばらく時が過ぎ、僕がもう青年ではなくなっても、彼女は背筋を伸ばして歩いていた。もう彼女に初めて会ったときから20年以上経っているというのに、彼女は殆ど同じ姿をしている。肌の質感は確かに衰えたのかもしれないが、そんなことがわからないほど彼女の振る舞いは若々しかった。
ずうっとずうっと年月が過ぎて、僕が仕事を退職しても、彼女の背筋はうつくしかった。僕の腰は少し曲がっていたけれど、彼女はそんな素振りは微塵も見せなかった。彼女はカウンターからいくつかの本を抱え上げて、地下にある書庫へと向かっていく。僕はその凛とした背中を追った。彼女の背筋が曲がってしまう前に、彼女と話がしたかった。
階段を下りていく彼女に、駆け上がってきた小学生がぶつかった。小学生はそのまま走り抜けていったが、重い本を抱えた彼女はぐらり、と揺れて、次の段を踏み外した。
「あ」
僕の伸ばした手は空をかき、彼女は階段の中ほどからかび臭い書庫の床へと落ちた。
ばきり。
おおよそ人間からはしないような音がして、彼女の本を抱えた右手が外れた。関節が、とかではなく、文字通り、外れた。彼女の腕から、細くて青いコードが頼りなさげに伸びていた。
「ああ」
落ちた時の衝撃か、彼女の首も外れかけているようだった。僕の位置から見えるうなじから、白い板状のものが見えた。彼女の背中には、文字通り芯が通っていたのだ。
「そうか。……そうか」
他の図書館員が駆けつけてくる。「もうこりゃあダメだな」「古いアンドロイドだったからな」、と話すのを背中で聞きながら、僕は図書館を後にした。