『意識喪失事件』
不備があるかもしれませんが、その際はどうか、お知らせ頂けるとありがたいです。
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ここ数日、あるニュースが世間を騒がせていた。
今朝の新聞の一面にも、それは大々的に掲載されていた。
『意識喪失事件』__
この事件の概要は『突然人が倒れ始め、警察などが駆けつけた時には、既にその場に居合わせた全員が植物状態となっていた』というものだった。
被害件数は今までに53件。
被害者数はざっと5000人にまでのぼる。
原因は解明されておらず、また事件の法則性も掴めていない。無差別に大人から子供まで、中にはまだ生まれて1年しかたってない乳児も含まれていた。
どのチャンネルをつけてもこれを特番とした『意識喪失事件』の番組が放送され、警察も早期解決のため、協力を仰いでいるのが現状だった。
しかしそれでもなお『意識喪失事件』はまだ解決の糸口も見つからず、謎はますます深まるばかり。
今世紀最大の大事件であるのは疑いようもなかった。
まだ【因果関係】が解明されていない以上、対処をすることがままならない。
被害は拡大する一方だった………
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〔手こずる女だ……〕
男の声から背筋が凍おるような冷たさを感じた。言葉にはどこからも感情を見出せず、怒っているのか、笑っているのか、はたまた優越感にどっぷりと浸っているのか、分からない。
視界はただ暗闇を映し出すだけだ。
瞼の筋肉を動かすだけの力すら持たない俺は、眼前に光を見出すなど、到底出来はしなかった。
体は流れるままに従い、愛華の温もりの中に俺は寄り添うしかない。
少し前までは彼女から伝わってくる温かみから、今どんな気持ちでいるのかなど、目には見えなくとも分かることがあったが、どうしたものか、今はとなっては彼女の気持ちすら察することが出来ない。
まるで石のように冷たく硬い反発が自分の頬に返ってくるだけだった。
一瞬、愛華の体が動いたかと思われたが、それは俺の勘違いだったのだろう。
動きはすぐに止まってしまった。
ごつん、俺は頭を硬い物にぶつける。
猛烈な痛みが当たった箇所からすぐさま電撃を走らせ、神経をビリビリと刺激していった。
この感覚は依然にも味わったことがあるものだ。子供の時にジャングルジムの上から落ちて頭をぶつけたあの痛みに似ている。あの時の俺は、辺りに誰もいない静寂と化した暗い闇の中で一人、こどくと冷たさとを感じながら泣き喚いたものだ。
〔コクリュウ、この女を噛み殺さず【エリン・フィア】に連れて行け。〕
男は何かに向かってそう言い放つ。
【コクリュウ】とは一体なんだ。俺はその言葉に蟠りを感じながらも、反芻してその真意を探ろうとした。
だが、真相に辿り着く前に深い闇に遮られてしまう。
愛華をどこへ連れて行く気だ………
反射的に再度有りっ丈の力を込める俺の体。
だが、結果は同じで、うんともすんとも微動だにしない。
ーー 何とかして、愛華を助けなければ……
もうこれまでに100回以上は体を力ませただろう。心の中では心臓の脈拍数が時間式爆弾が爆発する寸前であるかのように激しくなり、音もまたそれに伴い荒くなっていた。限界はすぐそこまで来ているような、そんな気さえ感じた。
しかしそれでもなお、微かな希望を胸に抱き、俺は必死に足掻く。
 ̄_/\キュオォォォォォーン_ ̄\/
奇妙な動物の鳴き声が周囲に轟くように響き渡り、その後から強風や大きな翼を羽ばたかせるような音が俺の元へと伝わって来た。
今さっきから若干ではあるが、気にはなっていたことがあった。
【ドシーン、ドシーン…】と、地響きまでも起こす鈍い音………
果たしてこれは一体………
今となって始めて、それが何であるかについて予想がついた。きっと、これらの原因は全て、この【コクリュウ】とやらにあるに違いない。
ーー そう、このコクリュウに…コクリュウに…って、コ……コク……リュウ?
言葉を連呼していた時だった。心の中にモヤモヤと漂っていた蟠りがキリッと解け、そこから蒼い空が見えるかのように晴れやかなものとなった。
心の中に引っかかっていた【コクリュウ】という言葉。
【コクリュウ】………そう、コクリュウとはアレに違いない。
しかし全てが綺麗になった爽快感を感じると同時に、そのあと暗い闇が心の中に起こった。
俺はそれを口にしたくはなかった。
寧ろ今自分が出した答えが間違いであって欲しいとさえ思う。
それは昔から語り継がれてきた……誰もがその名を口にしたことがある架空の存在。
信じたくはない。だが、信じずにはいられなかった。
この荒々しい息遣いに、地響き、そしてさきほどの地を揺らす程の咆哮を、聞く限り、感じる限り……
それが何であるかという問いに対する答えの選択肢は、自ずと特定される。加えて【コクリュウ】という言葉………
もうここまでくれば、それは自分が今思い描く答え以外の何ものでもなくなってしまった。
コクリュウ……つまりは【黒龍】。
俺の前にいる奇妙なものの正体は【ドラゴン】ということだった。
それを言葉にするだけで、全身の毛がそそり立つような錯覚を覚える。血の気もないようだ。
これほどまでに絶望感を感じされる言葉がこの世に、そうはないだろう。
「このままではいけない」
そう思った俺は、声にならない無音の叫びを黒龍に向かって絶えず叫んだ。全身を奮い立たせるように、気持ちは常に体を叩く。
龍の存在は架空なものとして今まで扱われてきたのが、この世の理だ。
それを考慮すれば、この龍が連れて行くであろう場所というのは、この世界とはかけ離れたものだということになる。架空の存在は架空の場所にして、存在を獲得するのである。
〔 いけ ………〕
黒龍は男の言葉に従い、地響きを起こしながら、大きな羽ばたく音を飛翔音へと変え、徐々に上空へと遠のいていく。
路地のアスファルトはとても冷たかった。
ーー動け動け動け動け動け動け動け動け動け
何度も体を震わし、鼓舞をする。
ー動け、雨夜雫………
いつからだろうか。頬には何やら、じーんと来る何かが溢れだしていた。
俺の無言の声が届くわけもなく、ましてそんな俺の気持ちを黒龍が汲み取るわけでもない。
飛翔音はそのまま、躊躇することなくどこかとおくの彼方へと消えていった。
俺はその音が耳から遠のくのに従って、冷たいものがどっと溢れ出すのを感じた。
最後の咆哮を耳にした時にはもう、俺は俺ではなかった。
《ここでの別れは、二度と会えないことを意味していたのだから………》
○**○
ーーくそおおおおお。ちくしょおおお。
俺は、彼女のことが頭に過る度に自責の念に心を潰されそうになった。
咆哮が消えてもなお………心の中で彼女の名前を叫ぶ。
声が無くなりそうなほど、何度も何度も叫んだ。
自分の精神の血肉がどうなろうと、愛華を取り戻せるなら……自分がどうなろうといいから、愛華を助けたかった。
だが想いは通じないばかりか………体もまた、俺の思いに応えようとしない。
アスファルトの冷気は俺の身を冷たくするだけだ。
俺は自分の弱さを自覚した。
何も出来ず、ただ地に伏す。
惨めなものだ。
隣にはいつも太陽のように明るかった愛華がいたが、今は連れ去れて、ここにはいない。
失って始めて分かるとは、このことを言うのだろう。
こんな時になって始めて愛華がいてくれて、どんなに救われていたか………
なのにも関わらず、何も出来ない自分というひ弱な存在。
心の中には大切なものを失った消失感と何も出来なかったやるせなさ、自分に対する落胆とが交錯しあい、【破裂する】と言わんばかりに心臓は悲鳴をあげている。
特に何も出来なかった事にたいするやるせなさは大きく、見えない剣でズキズキと刺されているかのように痛みを伴った。
『……雫………』
微かな声だが、確かにそれは俺に脳裏に鳴り響く。
俺を求めたあの声はまだ、俺の中に残っていた。
ーーくそ、くそ、くそ、くそ、くそ
悲しみを帯びていたあの言葉から、愛華の涙が自然と想像され……
くそ、くそ、…………。
俺は胸が張り裂けそうになった。涙が止まらない……どうしてだろう。後から後からと俺の顔をぐしゃぐしゃにしていく。
にこやかでいつも他人思いの優しい愛華。
ろくでもないことをして、いつも他人に迷惑をかける俺すら、その恩恵の対象になっていた。
堪えきれない胸の奥の苦しみに、俺は両手で心臓を掴む。
何かしたい。
俺は何かしたかった。
そんな彼女は今、ここにはいないのだ…
体は地面に惨めに伏したまま、ピクリと動くことさえない。
ーー動かない、動かないんだ、動かないんだよ。
俺は震えたその言葉で、この場の状況に嘆く。
ー 動かない腕。
冷たくなり、炎の灯らないろうそくであるかのように、俺の意思を受け入れようとしない。
ー 動かない足。
硬くなり、地面と一体化しているかのようだ。
また俺は自分が何も出来ない事にある種の悔しさといった感情を見出していた。
俺は溢れ出る涙を抑えているつもりだが、それはボタボタと、零れ落ちていくその目を拭いながら。
俺は何もしてやれなかった。
俺は何も出来なかった。
いつも彼奴から貰ってばかり……過去を思い返して見れば、何一つ、返せていないのだ、か、ら………
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〔喰らえ、アリア〕
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感情のこもっていない声は、周囲の空気をなお冷たくする。
何やら金属音のようなものがそのあとから起こった。
ガガガガガガガガっと、その不気味な音はだんだんと俺の大きくなっていく。
「うあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ!!」
激痛が左眼に襲った。
抉られているのだろうか。
その痛みは言葉にならないほど痛い。闇の中、正体も知れぬ痛みは、肉体どころか精神までも蝕んでいく。
頭は小刻みに揺れ、顔についた頬肉はブルブルと振動しているのが、分かる。しかし、なぜだろうか。今起こっていること出来事が現実感にどこか欠けていたように思われる。
ふと、そんな中…
ーー 俺は………このまま死ぬのか。
途轍もない痛みを感じながらも、自分の運命を悟る。
何とも呆気ない、ものだ。
『死』は突然来るもだということは分かってはいたが、こんなにも早く、しかも哀しいものだったとは…
人はこの世に生を受け、やがて死ぬ。
俺もその例外ではない。
死に方は人それぞれだが、自分の場合は幼馴染みを助けられず非力に悪党に屈するものだった。
漫画で言えば、大切な人を失われる被害者Aだ。
静かに俺はその滑稽なストーリーを無言の笑い声を立てながら、笑う。
だが笑っているはずの自分だったが、なぜだか、冷たく感じた。
本心から笑っていたつもりだったが、やがて笑いは顔から消えていく。
『………雫………』
再度あの言葉が俺の頭に過った。