黒影
「奇遇ですね、雫。」
話し声の飛び交う人混みの中で、その言葉は、俺の背後からかかってきた。
その男の低い声には、何か聞き触りがあるのに、気がつく。だが、肝心のそれが何であるかまでは分からなかった。とりあえず俺はおそるおそる、後ろを振り返って見ることにした。もちろん警戒は最大限にする。
するとそこには一人の男の姿があった。
右手に黒いスーツケースを握りながら、柔和な表情見せる男。目が合うや、もう一方の手を頭につけ、敬礼のような仕草をとるのだった。
スーツケース……おそらくは時空戦器だろう。つまりはそれが意味するのは、彼が時空騎士ということだった。時空騎士とは簡単に言うと、この世界で未知のモンスターと戦う戦士のことである。そして俺もまたその中の一人であった。
俺はため息をつき、反射的に敬礼を返す。
「黒影か……」
妙に緊張していた自分を落ち着かせながら、そう言った。
「相変わらずですね、その上から言う物の言い方は……」
黒影は笑みを零しながら、こちらを見る。
俺にとっても、彼は以前と変わらないままだった。特に独特の雰囲気には、思わず笑ってしまいそうなほどだった。俺の知っている彼がそこにはいた。
黒影 宗馬。
昔馴染みのある大切な数少ない知人のうちの、一人である。
「二年ぶりです、雨夜 雫。いや、今はいっそ独眼の漆黒、または鷹と呼んだ方がよろしいかったかな。」
「っ…….別にあんたが好きなようにすればいいだろ。俺にはその言葉を訂正させる権限もなければ、それを叱咤することさえできないんだからな。」
彼は一応年上だからそれなりの配慮が必要だった。
「おや、これはこれは少しからかい過ぎたようですね。気を悪くしないでください。失礼なことをしました、雫。」
黒影は軽く頭を下げ、謝罪をする。しかしそれは見るからに浅はかなもので、誠意が感じられるものではなかった。
「でも……まさか本当に君が左眼を失ってしまっていたとはね……」
視線の先を移し行くと、服の色が俺と同じく黒い色だということに気づがついた。上から下までそれは洗練されており、彼の衣服が高価な衣服だということはすぐに分かる。庶民である俺から見ても、その額の値には脱帽せざる負えないのは一目瞭然なほどだった。そんなことにお金を使うくらいなら、もっとマシなことに使う方がいいだろうに。
しかしそれと同時に彼の衣服には、些か抵抗感というものも感じた。
黒の服装といえば、たいていお通夜のことを連想させれる。
俺はお通夜というものには無縁でありたいと思っており、またそれを視界に入れたくも無かった。だが最悪なことに、今回の場合___彼の姿がまさにそれそのものであった。
お通夜があるということは誰かが少なくとも死んでしまったことを意味する。死者を送別するため、葬式は催されるのだから。
俺だけに限ったことではないかもしれないが、少なくとも俺は死者を送るという行為は好きではなかった。むしろ嫌いと言ってもいいくらいだ………いやはっきり言って嫌いだった。死者を送るのは辛い。まして、関係の深かった者ならば、なおさらだった。
しかし、それにもかかわらず葬式というものはいつもその残酷な現実をもう一度、その当時者の眼前に呼び起こさせるのだった。
参列者あるいは開催者の人の中には、やっとの思いで、死と向き合えた者もいるだろう。ましてや精神的にも肉体的に大ダメージを被った者をいるほどだ。
死は精神力をとても蝕むものだから、心を落ち着かせるのは難しい。それ故に、克服するということはそれだけで、すごいことだった。
お通夜は、その後の人達の気持ちを汲み取るべきである。その険しき境地を一度克服した者たちにまた冷水の如き悪夢を、それはまた降り注ぐのだ……
これを辛いことの悪循環、マイナスのデフレスパイラルと言わずして何と言えばいいだろうか。
・○・○・○・○・○・○・・・
ともかく、その黒は俺の目には、憎悪の対象として以外何ものでもなかった。
男がそうであるのならば、彼の近くにいるこの大勢の人集りは弔いに集まった者たちと推測できる。なるほど、やけに多いと思ったこの場の状況に今、納得がいった。皆明るく振舞っているが、個人個人、心の奥底では深く悲しんでいるのだ。
そう考えると気丈に振る舞う彼らの姿は、痛々しいもの以外、何ものでもなかった。
「君もここに?」
黒影は指を地面に指しながら、言った。
「いや、暦だけが呼ばれただけだ。俺はそれの付き添いだ で来ただけに過ぎない。」
「なるほど。お前は相変わらず、飛鳥支部長と仲があまりよろしくないということですね。どうせ暦宛の手紙の端っこにでも『二人で』とか、暗に示すようなものでも書かれていたんでしょうね。」
そう言うと彼は図星かと言わんばかりに嫌な笑みをこちらに零す。
イラっ。
不快に思った俺は冷たい視線を彼に送った。
するとそれを見た黒影は突如笑いをこらえるかのように、口に手を当て必死に耐える。しかし笑いがそれで抑えられるはずもなく、指の間からそれは零れ落ちるのだった。
俺はそんな彼の姿を見て始めて、自分が失態をしたことを悟った。なんと自分は愚かな人間なのだろうか。
__俺にはいざ自分の隠そうとする内容を口に出されると、ついつい相手を睨んでしまうという癖があった。
向こうは旧くからの知人であるため、俺の癖はむろんそれを知っていた。今回の場合、その癖が思わぬ失態を生んでしまう羽目になったのだった。
目は口ほどに物を言うというが、まさにそれだった。
つまりは黙って白状したも当然のことを俺は仕出かしたのだった。端的に言えば、黙認である。
癖は意識して直るものではなかった。しかし今回それが仇となり自分の心境が暴かれることになったのだから、いづれは直さなければならない。全くもって、身に沁みる重い言葉だ、こ、と、で、癖というものは。まさか自分の癖に一手食わされる日が来ようとは…
「そんな顔をしないでください、雫。事実は事実です。……まあ、それよりも暦です、暦。彼女は今どこに?」
そう言うと黒影は今までとは違う目つきで、辺りをぐるりと見渡し始めた。
あいにく俺は彼がお目当ての彼女をここに連れては来ていない。それは、ここにはお忘れ物をここに預けようとして来ただけに過ぎないからであった。タブレットを落とす誰かさんがいなければこんな手間はせずにすんだところではあるが。
ことを彼に伝えようと思った。だが、彼の姿を見ていると、言い出すタイミングを掴めなかった。彼の瞳には夕日の赤よりもなお赤い、炎のようなものが揺らめいるのがこちらにもはっきり見て取れるのだった。
……俺は半ば呆れて、言葉さえも失ってしまった。
今彼に言葉を伝えようとも、どうせ耳の穴に入るだけだ。つまりは彼の頭の中にまでは届かないのだった。俺の言葉は彼にとって雑音いがい、なにものでもないのである。途方もなくなる俺はただ、深々とため息をついてこの場に落胆するのだった。
そんな時だ。俺の背後からコツコツと、こちらへ近づいてくる足音が耳に入ってきた。そしてしばらくもしない内に、その方角から声が聞こえてきた。
「私はここです。」
綺麗で透明感のある声だった。まさか……そう思い、ふと目を後ろに向かわせると、そこには案の定、暦の姿があった。彼女は飛鳥との面会を終えたということもあってか、少し気落ちしているような顔をしてこちらを見ていた。
なぜここに。俺は驚きの声を心の中で上げる。彼女は俺に気づくや、軽くにこりと笑みを浮かべ、そのあと黒影の方を見る。
「君は相変わらず綺麗だね。」
「いつもお世辞はやめて下さい。私はそんなに綺麗ではありませんから。」
暦は俺の横に来るや立ち止り、胸まで伸びる髪を軽くその場で流す。その際、髪の間には、何故だか気悩む彼女の顔が見て取れた。そんなに彼の発言が気に病んだのだろうか……それとも………
それよりも俺は、反射的に首を縦に振る自分に驚いた。もちろんそらは彼女の発言の後にする行為であった。
暦はもちろん。そんな俺を一瞥する。
やばい。俺がそう思った時には既に、ごつんと、グーの硬い拳が頭上に落ちた後だった。
痛烈な痛みが体全体を駆け巡った。やはり暦のそれは格別な痛みがある。腕の筋肉の盛りと痛さが噛み合っていないのが不思議なくらいだった。もしや俺の目がおかしいだけなのか。本当は本気で力を入れれば、もしや………
そんなことを考える俺の思考を読んだのか、今度はバチンと、頭の裏をしばかれる。これもまた痛かった。
「君たちは本当に変わってないな。」
クスクスと口に指を添えながら、黒影は笑った。
「どういう意味だ、黒影。」
「どうもこうもないですよ。ただありのままのことをいったまでです。何か文句があったかな。」
こいつ。俺は心の中でそう思った。




