暗雲
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『時の狭間』____
定義:
*時空間の中核に位置する、時の集合体
*万物、あらゆるものが干渉できない特殊領域
*時の概念がない世界
*あらゆる時間軸が存在する世界でありながら、個々の時間軸が相互影響をしない、聖域
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著者:kaol_tomath
タイトル__『時と空間』.
………………
『時の狭間』は今だ謎めいた言葉だ。
それはなぜか____端的に言えば、理由は真の像を掴めないからである。
つまり、それは話の内実があまりにも現実離れし過ぎているのだ。それゆえ話し合っても時間の浪費になるだけで、結局、価値を見出せないまま終わってしまう。ないものは確かめようもない。
しかし私は思うに、結果を見出せないままで結論を下す、それでは些か拍子抜けではないだろうか。
我ながら考えたことだが、反感覚えずにはいられない。
そもそもこの言葉が存在するからには、何かしらの起点があるはずだ。火のないところには煙が立たない………
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 ̄_Japan Time Depertment_ ̄
深い青のジャケットを着たチャールズは黒い皮製の椅子にゆったり腰掛けながら、読書に耽っていた。熱心に読書する姿は、大人の独特な雰囲気というものが漂っている。
読みふける中、彼は本のある一点に目を留める。そして上瞼と下瞼をこれでもかという程に細そめ、表情もそれに伴い険しくなった。
彼は長らく閉じていた口を開き……
「『時の狭間』………か。存在の有無………か………」
そう小さく呟いた。
眉間にシワを寄せその言葉を口にしながら、チャールズはその言葉の存在について考えを巡らせる。
机に一定間隔で音を刻む人差し指。シワの寄った口からは深いため息つかせる。しかし思考をいくら巡らせようが、チャールズは得心のいく答えに辿り着くことができなかった。まるでカフェ・ラテの泡を飲むかのように。
そこでチャールズは深いため息をもう一度するや、少し間を置き__
「君はどう考えているのかなぁ。青嵐。」
部屋の真ん中には黒いソファーが置かれてあり、そこには一人の青年座っていた。チャールズはこの少年に向かって意見を問うた。
中年男性とまだ幼さの残る青年__
このせせこましい部屋には、二人しかいなかった。
青年は肩をピクリと動かせ、今までどこか遠くの方に飛ばしていた意識を現実世界へ戻す。
顔を上げた後、今の状況が読めない青嵐はまず把握するべく周囲を見渡し始めた。
見渡すと、白く霞んだ景色がそこには広がっていた。始めは何だかわからない白い煙だったが、臭いでその正体が何であるかをすぐ悟った。
青年は目をチャールズの机へと向ける。
すると、そこには灰皿にのるパイプが置かれてあった。
そこから立ち昇る煙は、部屋一帯を白く曇らしていた。それは彼の思い通りの光景だった。
青嵐はその部屋の煙の充満度に思わず背筋に寒気を感じた。どう考えてもその煙が人の寿命を削っているだろうとしか思えなかった。例えタバコの副流煙や主流煙が人に害を及ぼすことを知らなくとも、直感的に分かる程に。
まさに屍の墓に立ち昇る煙とでも言ったところか。そこでは、煙が覆う墓の周りに毒素を吸い屍となった人の死骸があるのである。考えるだけでもおぞましい光景だが、まさにこの部屋はそれを再現しているかのようだった。
部屋の片隅に目をふと向かわせると、そこには足を宙に向けた蛾の死骸があった___
この部屋には窓がある。それはチャールズが今座っている後ろに位置するものだ。
青嵐は緑のカーテンで覆われる窓を見た。またその窓は開かれてさえもいなかった。
なるほど。青嵐はそれを見て、部屋の中が煙で覆われる現状に納得がいった。換気しなければ、部屋は曇るのは当然だった。
また、光が煙で遮られているのか、もともとの光が弱いのか、はたまたこれが普通なのか、とにかく何にせよ、部屋の中は少し暗かった。
読書に耽るのに、些か支障が出はしないだろうか。
『時と空間』
内容は最初に紹介したものだ。
青嵐は少し前までその本を、膝の高さくらいの机に置き、黙々読んでいた。本は白人男性と同じものだ。
少しばかりして周囲の状況把握を終えた青嵐は、次に緑色の双眸を声のかかった方向へ移した。
チャールズは手を額に当てながら、険しい表情で本を読んでいた。時折パイプを天井に向かって吹かすが、それ以外、特に変わった仕草というものはない。
青嵐は相変わらずの彼の能天気ぶりな行動に少し頭を悩ました。
目も髪も緑に染まる19歳の少年。
名は青嵐 斗真といい、この白人男性の元で使える従者で、日々この中年男と共に行動をしている者である。
「はぁ………」
深々とついたため息は部屋の隅々まで響き渡る。
青嵐は「またか」と言わんばかりに、顔をどっと疲れさせた。
呑気に本を読む白人男性に何やらもの言いたげに見つめる彼のその目には、また少し呆れた感じのものも感じられる。しかし、青嵐はその蟠りを喉の奥に封じ込め、黙々と本のページを捲る黒い指先を見ながら、不満のこもる口調で言うのだった。
「サー・チャールズ……僕ら人類は、まだ、『時の狭間』があるのかどうかさえ分かっていません。故に、そのような質問は愚問以外の何ものでも無いと思いますが…知らない以上分からないという答えが返ってくるのは最初から自明な事ではありませんか………まぁそれよりも、分からない事を聞いてくるの、いい加減、やめて頂けないでしょうか?」
一つ間を置く。
そして、それからチャールズ卿は吐息をもらすのだった。
組んだ足を再度組み直し、それから不機嫌そうに頬杖をつき……
「私は君の意見を聞たのだが………はぁ困ったものだ。やはり抽象性の高い発言を言うのは君、いや日本人特有の症状なのかな。」
ページをヒラリと捲ると共に、ため息が交じりにそう言う。
チャールズ は英国から来た派遣員で、つまりは英国人であった。国が違えば習慣が違うというが、ここに来てからというもの、彼は毎日のように自国との文化の違いに頭を悩ませていた。その蟠りは日に日に積み重なって行った。そしていつしか、自分の意図した答えをしないあるいは腑に落ちないような発言があった時、ついつい愚痴を零すようになってしまったのだった。
チャールズのその言葉を聞きくや、青嵐は耳をピクリと動かしたあと、ムッとして腹を立てた。
バンッ!!
机を強く叩いて、その場に勢い良く立った。
いつもはチャールズの侮辱的な発言があっても、「はいはい」というように話を流し、また、何事も無かったかのように振る舞うのがいつもの彼の対応だったが、今回は違った。
それは発言の内容が自分の事なら未だしも、日本人を含めた事に関係があった。
青嵐の自国への愛国心は、英国の愛国心と引けを取らないくらいに、高かった。日本は彼にとって母国とは愛しても愛し切れないものだった。
だからこそだ。
今、青嵐の顔は平然と振る舞っているように見えるが、内側で燃え盛る炎の如く、その憤りを燃やしているのだった。まるでこの周囲に漂う白い煙は彼から出ているかのように。
部屋の天井に上る煙を見るや……
「では、サー・チャールズ。換気もしない部屋の中で、視界が霞むまで吹かし続けるこのパイプの煙というものは、さぞ英国人の習わしなのでしようね。」
目を妙に細めながら、そして言葉一つ一つにアクセントを打ちつつ、強い口調で言う。
「それは………」
少し言葉につまる男。
目を周囲に泳がせ、必死に弁解するべく言葉を探す。
「どうなんですか、サー・チャールズ。」
青嵐は不気味な微笑みを浮かばせ、発言を煽る。
額に大量の汗が吹き出るチャールズ卿。
何も無いただの一言に過ぎないかもしれないこの言葉だが、チャールズには最大の一撃があった。
ページを捲ろうとして端に指をかける彼の指は、それ以来微動だに動こうとしないことからも、それは伺い知ることが出来る。
ここ日本支部には、喫煙をマナーの悪い行為として日々、散々にこっぴどく怒るお偉いさんがいた。
お偉いさんは喫煙が嫌いだった。そして最悪の所業だとそれを見つけるや毎回怒号を撒き散らすのだ。もちろん処分も検討される。
よく喫煙をするチャールズもその例外ではなく、喫煙するのを目撃されるや、その人に脅迫めい言葉をかけられたりなど、終いには干し柿のようにどん底まで追いやられるのだった。
従者である青嵐から言われたこの言葉は、裏を返せばそのお偉いさんに告げ口をしてもいいのか、ということでもあった。告げ口をすればどうなるか___
だからこそ、この言葉にはインパクトがあった。
暫くすると、チャールズは無言のまま椅子から立ち上がる。
そして何をするのかと思えば、窓際に体を寄せ…
バタン。
何やら聞き慣れた音が部屋に響き渡る。
見ると、どうやらその音は窓を開けた音だった。
「……そう言えば、いつからだったかな。タバコの上にバツ印がついたポスターが、通りの中で目立つようになって来たのは……」
チャールズは窓から見える外の景色に目をやりながら、何も無い曇り空に向かって、囁いた。
外は風が起こっていなかった。
それゆえ換気はすぐに起きないが、それでも、ある程度は窓を開けた効果が現れるに違いない。
青嵐はチャールズ卿のその発言から「少し悪かったなぁ」と思う。彼の小さく見える背中を見て、少し冷水を浴びさせられる気分になった。
「……いい加減、煙草を吸うのを差し控えた方が宜しいですよ。そうしなければ、自分の体が悪くなるだけではなく、飛鳥さんに怒られます。」
喫煙は良くない。だからこの際に乗じて、呆れた物言いではあるが、彼にダメ押しすることにした。
チャールズは、声を途切れ途切れにしながら……
「…ぁあ。頭の片隅、には、入れて置く事に、しておくよ…」
顔の表面を軽く指でかきながら、言った。
青嵐は部屋の片隅に置かれたポットに紅茶を淹れるべく、足を進ませる。
その頃には部屋の煙は少し、薄れていた。
「青嵐………」
突然チャールズは目を鋭く尖らせ、窓から見える外の景観に注視をする。どうしたのだろうか。彼の顔は今までと違い厳格なものだった。
窓の外は灰色の空が広がっていた。
すると、ピリピリとした感じがこの部屋一帯に漂い始める。
「……青嵐…」
そう言えば今さっきからおかしなことがあった。
それはこの二人から発せられる音以外、全くと言っていいほど、他の音がないことだ。
それは繁華街であり賑わいをみせるここでは、異様な事だった。この狭い部屋の中を壁が震える程に騒音が響くのがここの普段のことだった。
騒音は少し問題なことではあるが、今はさて置き………
寧ろ鳴り響いていない事に問題があった。
青嵐はその言葉を聞く前に、異変を察知していたらしい。それは彼が向ける視線の先にある時計にあった。
「どうやら支度に移った方が良さそうだ…」
「……いえ、もう支度をしなくてはいけませんよ。」
青嵐はクローゼットの元へと早足で向かう。
クローゼットはチャールズが英国から持って来たものであろうと思われるが、それは実に立派な西洋の装飾が施されたものだった。
バンっ。強い開閉音を立てながらその扉を開き、そこから白いスーツケースと黒いスーツケースを取り出す。
そのスーツケースには奇抜なデザインが真ん中にあり、それはそれぞれ違った紋章だった。
「サー・チャールズ。準備が出来ました。」
目をさっと送る青嵐。
チャールズ卿はそれに無言で首を縦に振り、返した。
「……それにしても今日は、少し良くない気がするなぁ。」
「…それでは、急がないと行けませんね。」
青嵐は無表情ながらも、硬く紐をぎゅっと縛るように気を再度引き締める。
チャールズ卿は白いスーツケースを受け取るや、そのまま部屋の扉へと足を運んだ。
扉を開くと、暗雲の立ち込める空が見えた。
「ほんと、今日は雲が多いな………」
チャールズ卿は小さくそう呟いた。
空は暗く曇天な空模様。そこには色を失ったかのような光景が広がり、ただ灰色と化す街並みだけがあった。どこまでもそれは灰色であり、まさにそれは白黒テレビの世界と同じ光景だった。
二人はコツコツと甲高い靴音を響かせながらそんなモノクロの世界に足を踏み入れるのだった。