06.木の棒
掲げられた怪物の鉤爪が濁った光を放っている。
太陽が今にも切り裂かれそうな、その瞬間。
「うらああああああああああああ!」
大地はありったけの気力を振り絞り、手にした木の棒を振り上げ怪物に踊りかかった。
棍棒のような木の枝が、怪物の後頭部に炸裂し、そのまま二つに折れる。あまりの衝撃に、手がびりびりと痛んだ。
大地はすぐさまバックステップで怪物から距離を取る。
腕を振り上げた状態のまま固まっていた怪物が、ゆったりとした動作で後ろへ振り返り、大地を見やった。
紅い、瞳孔のない眼が大地を映す。その深紅の瞳に魅入られ、大地は思わず身体を硬直させる。
あの瞳を見てたら動けなくなる……! 大地は無理やり眼球を動かし、怪物との目線を下へと逸らす。するとそこには、焦点の定まっていない目でこちらを見つめるもう一つの視線とぶつかった。
その視線の主は、見て気の毒になるほど震えている。それを見て大地は、生まれたての小鹿見てだな、と僅かに口角が吊り上げた。
もう一つの視線の主――太陽は、全身を小刻みに震わせていた。その瞳は大量の涙を溜めこんでおり、今にも溢れ出てきそうになっていた。
間に合った。間一髪だったが、それでも間に合った。
「……フーッ」
息を限界まで吐き出し、丹田に力を込め、腰を落とす。
そのまま慣れ親しんだ構えを取る。左手を軽く突きだし、右ひじを軽く引く。数千回と繰り返してきた反復練習で身に付いた型は、ただそれを取るだけで静かな闘志を呼ぶ覚まさせる。
低い呻き声を漏らしながら、怪物が完全に大地と相対する。その醜い容貌は邪魔された憤怒ではなく、昏い歓喜に激しく歪んでいた。
そして全身から放たれてくるプレッシャー。ただ相対しているだけで、冷や汗が止めどなく溢れてくる。一瞬でも気を抜けば身体がすくみ上がって使い物にならないと理解した。歯をきつく食いしばり、さらに丹田に力を込める。
怪物が首を軽く動かす。それだけで、ボキッ、バギッ、という身の毛もよだつ音が響いた。
機会は一度きりで、勝負は一瞬。
次を逃せば太陽ともども鉤爪で切り裂かれ、後方で隠れている向日葵も惨殺されるだろう。
大地は再び息を吸い、吐き出す。
失敗するわけにはいかない。何故なら今この肩には、自分の命だけでなく、雨宮太陽と笠原向日葵の命、そして未来が乗っているからだ。己の失策は即三人の死。こんなところでくたばってたまるか。
「太陽」
大地は視線を怪物から一切逸らさず、その背後にいる太陽に語りかける。
放心していた太陽の肩が、ほんのわずかピクリと反応する。
「今から俺がチャンスを作る。そしたら、お前はすぐ後ろの森の中へ飛び込め。そこに向日葵もいる」
それを視界の端でとらえた大地が続ける。
「三人で、絶対生きて帰るぞ」
覚悟と決意の言葉を。
その言葉を受け、太陽の焦点が徐々に定まる。そして太陽は決意に満ちた表情でコクリと頷く。それを捉えた大地は、にやりと笑った。
怪物が呻き声を上げながら、一歩大地へ踏み込んでくる。ようやくかと言わんばかりに、ニタリと嗤いながら。
ついに、怪物の影が完全に大地を覆い尽くす。そこで、怪物は再び立ち止まり、そして大地を見下ろした。
「ぶっ殺してやるよ」
睨み上げながら、大地は呻いた。
それを受けた怪物の口が裂け――威圧するように咆哮を轟かせる。
それが死合いの開戦の狼煙だった。