04.目が覚めて
第一章 命懸けの逃走
天宮大地は、激しく揺さぶられる身体と切羽詰まった声に目を開けた。
目に痛い陽光を浴びて、目を瞬かせる。
「大地っ、しっかりして大地!」
焦った表情の向日葵が大地の顔を覗き込む。陰で薄暗くなった向日葵の顔の向こうで、羊雲の浮かぶ青空が見えた。
大地は身を起こす。全身をなんとも言えない倦怠感が包んでいたが、動きに支障はなかった。これなら空手の練習後と比べても軽い。
「ヒマ、ここはどこだ?」
大地は辺りを見渡す。見知らぬ森の中だった。鬱蒼と茂った木々に、不気味な蔦が幾重にも絡まっている。視線を手元に移すと、ふかふかとしていながら少し湿っぽい腐葉土の上に寝ていたと気づく。
ほんの少し先では太陽が倒れていた。おそらく先ほどまでの大地と同じく眠っているのだろう。三人は、生い茂った木々の間を縫うようにできている窪地にいた。
「わかんない……。わたしも今目が覚めたところだから」
わずかに声を震わせながら向日葵が答える。怯えるその姿に、大地はつい癖で向日葵の頭を安心させるようにぽんぽんと叩いた。
「ん……ここは……?」
そんなことをしていると、太陽も同じく目を覚ます。視線が森を彷徨い、大地と向日葵を見つけて僅かに瞳が開いた。
「無事か?」
「まあ、なんとか。どこも怪我してないみたい」
大地の質問に答えながら、のろのろと太陽は立ち上がる。
その時、どこからともなく獣の声が響いてきた。数拍遅れて、たくさんの鳥の鳴き声と羽ばたきの音が聞こえてくる。
それを聞いた向日葵が、大地の手のひらの下でびくりと身を強張らせた。
大地は再びあやすように向日葵の頭をぽんぽんと叩く。不安そうな視線を合わせてきた向日葵に、にかっといつもの調子で笑う。つられて、向日葵は引きつりながらも笑顔を見せた。
「よし、とりあえずちょっと移動しよう。このままじゃ埒があかないからな」
大地は立ち上がると、そのまま向日葵の手を引いて立ち上がらせる。
そんな二人の様子を一瞥すると、太陽はすぐさま視線を森に向けた。
「さっきの獣の声はあっちから聴こえたから、念のため反対方向へ行こう」
「だな。ここでばったり対面、こんにちはパクリじゃたまったもんじゃねえし」
「その冗談、全然笑えないよ」
言いつつも太陽は苦笑を浮かべる。それを見て、大地はいつものように大胆不敵な笑みを浮かべた。
大地が先頭に立って森の中へ足を踏み入れる。その後ろに肩を強張らせた向日葵が続き、殿として太陽がその後ろについた。
森の中は少し薄暗く、体感温度が窪地いた時よりも少しだけ下がった。ひんやりとした寒気に、首がすくみそうになる。
木々の根っこや腐葉土に足を取られないように気を付けながら、一行は見知らぬ森を歩き始めた。
「しっかし、ここはどこだ? 俺たち、夜のキミコーにいたはずだよな?」
進行方向を遮る枝などを落としながら、努めて軽い調子で大地が後続に尋ねる。
「そうだね。僕らは確かに夜のキミコーにいたはずだよ。でも、僕の記憶が確かなら、僕らの廊下の足元が急に光り出して、それから」
「――引きずり込まれた」と真ん中の向日葵がぽつりと呟く。「なんだか自分の立ってるところがあやふやになって、とっても怖かった……」
言うや否や、自分の存在の座標がずれ、世界から剥離されて行った瞬間を思い出して向日葵は肩を震わせた。
太陽が小さく喉を鳴らした。
「確かに僕も強い力で引っ張られるのを感じた」
「俺もだな」
また一つ、枝をぽきりと折りながら、大地も端的に同意する。
「あれは、なんだったのかな……?」
向日葵がおずおずと、しかしどこかで答えを切望している声を出す。
太陽は顎に手を当てて、あの瞬間のことを思い出した。
「今思うとあれは……魔方陣、だったのかも」
「魔方陣? なんだそりゃ。まさかお前、あの現象は魔法のせいだっていうのかよ」
太陽の言葉を、大地は鼻で笑い飛ばした。
「魔法なんてあるわけねえだろ。マンガじゃあるまいし」
「でも」と少し強い口調で太陽は答える。「そうじゃないと、突然足元が光り出して、三人同時に何かに強く引っ張られて、目が覚めたら森の中だなんて、そんなの説明つかないじゃないか!」
徐々に声を荒げる太陽。しかし、その勢いは一瞬にして掻き消え、ぽしょりと付け加えるように呟いた。
「説明がつかない――んじゃない。でも、もしも今の僕らの状況を現実的に解釈しようとすると……」
太陽はそこで言葉を切った。その言葉の後を大地は想像する。
もしも、今のこの現状を現実的に説明しようとすると、それは一体どういうことか。
暗い廊下で突如足元が光ったのは、何らかの光輝く物体が足元にあったから。目を瞑った瞬間強い力で引っ張られたのは、誰かに引っ張られたから。そして、森の中で目覚めたのは、その引っ張った誰かに――拉致され、放置されたから。
「そんなの、魔法でここに連れてこられたのだって大差ねえだろ。ここにいるのがすでに魔法みたいなんだからよ」
進行を遮る枝をばっさりと取り払いながら、後ろを振り返らずに大地が落ち着いた声音で言った。
「そう……だよね。ある意味、むしろそっちの方が悪い想定だよね」
あはは、と太陽は力なく笑う。
大地が振り返り、いつもと変わらない不敵な笑みを浮かべ、親指を立てる。
「魔法だなんて現実逃避してねえで、今は三人で生き残ることを考えようぜ」
大地の変わらない姿に、太陽は少し平静を取り戻す。
そして、力強く頷く。前で俯き押し黙ってしまった向日葵を元気づけるかのように、太陽もまた大地に親指を立てた。
「そうだね。今はとにかく生き残る方法を考えなくちゃ。ほら、向日葵さんも」
太陽が声をかけると、向日葵は俯いていた顔を上げる。少し青ざめた顔で、向日葵は大地と太陽を交互に見やる。二人がいつものように親指を立ててのを見て、目を見開いた。
「そ、そうだよね。……とにかくっ、なんだかんだと三人とも無事なんだし、今はなんとかしてこのピンチを乗り越えなきゃっ。わたしたちが揃ったら向かうところ敵なしの最強なんだもん、絶対に大丈夫だよね!」
言って、向日葵は強張った身体でなんとか親指を立てる。向日葵がぎこちないとはいえ、なんとか笑みを取り戻したのを見て、大地は鷹揚に頷きながら頼もしく笑い、太陽は安心したように笑みを返した。
それを確認して、向日葵は右腕を高々と上げる。
「よーしっ、がんばるぞー! えいえいおー!」
向日葵が掛け声を上げる。それだけで、その絶望的な雰囲気がだいぶ払拭される。一気に場の空気が晴れやかになった。
太陽がすぐさま生き残るための方針を挙げる。
「それじゃ、まずはなんとしても水の確保をしよう。安全に夜を過ごせそうな場所も見つけて、それから――」
太陽の活き活きとした声は、そこで途切れた。
大地がいぶかしみながら太陽を見やる。太陽の顔から見る見る血の気が引き、黄土色に変色していった。口元がわななき、恐怖に顔を引き攣らせる。
大地はすぐさま太陽の視線を追う。
そこには、毒々しい緑の肌をしたおぞましい怪物がいた。
体中の血がさっと引き、毛穴から汗が噴き出す。
怪物が血の色をした双眸で大地を射抜く。視線が合うと、怪物は釘が縫い付けられたような歯で、にたりと笑った。