22.屍鬼の森(1)
「準備は万端なようじゃな」
ラティニオスが満足そうに頷く。
「はい」
「問題ない」
それに向日葵と大地が頷き返す。
向日葵は決意の滲んだ顔で。
大地は不敵に笑いながら。
二人の背後には、万が一に備えて王国騎士が四名控えていた。ウィルケドスは王国の国防的な観点から、今回は見送る立場にある。
今日、大地たちは【屍鬼の森】へ赴くこととなっていた。
時間にして約一カ月。
太陽と離別し、安否もわからないまま捜索も行けずにそれだけの時間が経っていた。
その間に大地はウィルドスに剣と修行をし、向日葵は<巫女>として研鑽を積んだ。
そしてついに昨日、向日葵は<巫女>として覚醒を果たし、それに合わせて大地も<矛>として本格的に力を得たのだ。
「では、くれぐれも気を付けるようにの。もしも、屍姫と遭遇するようなことがあれば、速やかに退避せよ。これだけは絶対に守ってもらわなければならん。今のお主らでは絶対に勝てぬ相手じゃからの」
「わかった」
「はい、その時は全力で大地を止めます」
大地の頷きに、間髪入れずに向日葵が断言する。
そのあまりに切れ味の鋭い断言に、その場にいた者に笑顔の華が咲いた。
◆
アモルトス王国西部の果て。屍鬼が跋扈するS級危険地帯――通称【屍鬼の森】。
その入り口に立った大地と向日葵は、じっとその森を見つめていた。
「ようやくだな」
「そうだね」
大地と向日葵は短く言葉を交わし合う。今日この日を迎えるまで、そして太陽を見つけるために努力してきた。
様々な思いが胸中で疼いていた。
必ず見つけ出す。
大地は胸の内で、再び固く決意する。
「行くぞ」
「うん」
大地は誰よりも先頭を、はやる気持ちを抑えて歩き出した。
鈍い閃光が閃いた。
騎士のひとりが盾で防御したにも関わらず、吹き飛ばされる。
「グアァァァァッ!」
騎士を吹き飛ばした化け物――屍鬼が雄たけびをあげた。
この異世界に召喚されて最初に遭遇した屍鬼とは全然違う姿だ。体格は三メートル程。茶色の身体に、筋骨隆々とした体つきをしている。そして何よりも目を惹くのが、その両腕だ。
ハンマー、あるいは鎚と形容できる鈍器。両腕とも手のひらの代わりに、凶悪な鈍器の形をしていた。
最初の騎士は、その鈍器を防ごうとして弾かれていた。防いだはずの盾を見ると、真ん中が完全にひしゃげ、粉々になる一歩手前であることが伺えた。
防御するのは悪手だ。
大地はすぐさまそう判断する。
「ガアァァァァッ!」
屍鬼が大地たちに向かって駆けだしてきた。
残る三人の騎士が、大地と向日葵を護るように前に出て盾を掲げる。
しかし、それは無意味だ。大地と向日葵を護るために、こんな入り口で装備を消耗することも、人命を無駄にすることもできない。
「うらあああああああ!」
大地は防御を固めた騎士の間を縫って駆けだした。
その背中を、風が後押ししてくる。逆に屍鬼の方には突風にあおられ、砂が目に入り悲鳴を上げた。
チャンスを見逃さない。大地は雄たけびを上げながら跳躍する。軽く五メートルほど跳躍し、掲げた大剣を振り下ろす。
一刀両断。
大地は屍鬼の脳天から一直線に屍鬼を斬り裂き、真っ二つにする。
緑の異臭を放つ血潮が噴き出した。しかし、その血液は大地を取り巻くようにしてある風にあおられ、大地には一滴もつかなかった。
「うしっ、一丁上がりだな」
大地が不敵に笑いながら戻ってくる。
「大地殿」
そんな大地に、騎士のひとりが苦言を漏らす。
「あまりお一人で突っ走られたら困ります。我々が御守りできません」
それにあまりわびれた様子もなく、大地は謝る。
「わりぃ。でも、ヒマに守られてたし、行けると思ってよ」
「しかし……」
まだ苦言を漏らそうとする騎士から逃げるように、大地は向日葵のところへ歩き出した。
向日葵は吹き飛ばされた騎士の元へ駆け寄り、折れているらしき盾を持っていた左手に手をかざしていた。
向日葵の手から淡い光が灯る。
「大丈夫ですか?」
「申し訳ありません……」
力のない声で、騎士が呻く。
そんな騎士に、向日葵はふんわりと笑いかけながら言う。
「謝らないでください。さっきは助けてくださり、本当にありがとうございます」
向日葵の笑みは陽の光のように暖かく、騎士は甲冑の中で顔を赤らめた。
「ヒマ、どんな具合だ?」
歩み寄ってきた大地が向日葵に尋ねる。
「今治癒をしてるんだけど、手のひらが完全に砕けちゃってるみたい」
「治せるのか?」
「自然治癒力を高めつつ、骨を結合してるからたぶん完治できると思う。でもちょっと時間かかるかな」
「ゲームのようにぱぱっとできねえのか?」
「もぅ、ここはゲームの世界じゃないんだよ。回復魔法みたいに、一瞬で完治できるようなものはないの」
「じゃあ、今やってるのは何だよ。回復魔法じゃねえの?」
「違うよ。もぅ、ラティニオスさんの説明何にも聞いてなかったでしょ」
騎士の治癒をしながら、向日葵は大地を見て不満げな顔をする。ただ、その顔も可愛らしく、見てる側からしたらご褒美でしかない。
「この世界に普及しているのは魔術だよ。魔術っていうのは、森羅万象を司る魔法を、なんとか人の手で使えるレベルにまで落とした技術で、魔法と比べたら百歩も千歩も効果が落ちちゃうの。それで、今やっているのは治癒魔術。治癒魔術ってのは、怪我をした人の自己治癒力を高めて治す魔術なの」
「なるほどな」
大地は向日葵の説明に納得の頷きを返す。が、すぐさま疑問が出てきて向日葵に尋ねる。
「ん? 自己治癒力を高めるだけだったら、普通砕けた骨は元通りにならねえだろ」
「それは――」
「そこが<巫女>さまのすごいところなんですよ!」
不意に二人の会話に割り込む声がした。声のした方へ視線を向けると、怪我をしていない三人の騎士の中で、一番若い騎士が興奮した様子でそこにいた。甲冑で顔までは見えないが、声の感じから十六、十七程度であることが伺えた。
「普通、治癒魔術って打撲とか切り傷とか、そう言ったものを治すのがせいぜいの魔術なんですよ! だから、骨折したら完治までの期間を短くすることはできても、骨をくっつけたり砕けた骨を治したりはできないんです! でも、<巫女>さまはそれを、それもこんな短時間で成されていらっしゃるんです! これは『神の奇蹟』と言っても過言じゃありませんよ!」
興奮した様子で、まくしたてるように少年は言う。
その勢いに押され、大地は「お、おう……」と生返事を返すことしかできなかった。
「そ、そこまで言われるほどじゃ……」
向日葵は『神の奇蹟』とまで言われ、恐縮しながら照れてしまう。その愛らしい姿に、少年は一歩後ろに下がって、小さく呻いてしまった。少年は甲冑の中で、移動や興奮とは関係ない熱を感じていた。
そうこうしている間に、向日葵の手から光が消える。
「はい、これで大丈夫です」
向日葵が倒れている騎士に声をかける。
「でも、かなり自然治癒力を高めてしまったので、体中がだるくてしょうがないと思います。しばらくは安静にしていてください」
「ありがとう、ございます……。<巫女>さま……」
「こちらこそ、さっきは庇ってくださりありがとうございます」
微笑みながら言って、向日葵は立ち上がる。
そして大地を見ながら、
「そういうわけだから、ちょっと休憩ね。流石にここだとあれだから、ちょっと移動したいけど」
「仕方ねえなぁ」
大地は後ろを振り向き屍鬼の亡骸を見やりながら、またはやる気持ちを抑えながら承諾する。
「大地、騎士さんを負ぶってあげて」
「了解」
言うなり、大地は倒れ込んでいる騎士を担ぐと、その背に背負う。
成人男性の体重に加え、騎士の甲冑の重さもあるのに、それをまったく苦にした様子がない。
大地は軽々と騎士を背負うと、
「よし、じゃあちょっと移動するか」
と残る向日葵たちに告げた。




