20.屍姫との穏やかな日々
【屍姫】フェリクス・モールス・イペリムの下僕として再び生を受けて、あっという間に一週間が経った。
その間に太陽がやったことと言えば、朝と夕に水を汲み、果物を取って着たり山菜を取ってきたりといった程度。なんだか、下僕と言うよりかは使用人のようなことをしていた。
「ふむ、今日は辛い物が食べたいな」
いつものように書き物をしていたフェリクスが机から顔を上げると、ふいにそんなことを呟いた。
「辛い物、ですか?」
部屋を掃除していた太陽が尋ね返す。
「ああ。お前が来てだいぶ変わってきたが、いかんせん生活に変化がなくて退屈なのでな――まぁ、仕方がことだが。せめて味くらい刺激的でもいいだろうと思ってな」
「はぁ」
フェリクスの言葉に、太陽は生返事を返す。
そんな太陽を見て、フェリクスはにやりと悪人の笑みを浮かべた。絶世の美女が悪人面をしても、それはただ映えるだけで、太陽はわずかに頬を染めた。
「下僕から性奴隷に変更してやってもいいのだが……」
「ええ!?」
「冗談だよ」
悪人面にたがわぬ爆弾。さっきと違う意味で赤面し、驚愕の声を上げる太陽。そんな太陽を見てフェリクスはからからと愉快そうに笑った。
そして、ひとしきり太陽をからかって満足したのか、椅子から立ち上がる。
「さて、それでは夕食でも準備するか」
「はい」
フェリクスが台所へ移動する。それを確認しつつ、太陽はフェリクスのために調理道具をそろえたり水を用意したり、言われた食材を取りに行ったりと動き始める。
それからしばらくして。
部屋中に香しい、刺激的な香りが充ち始める。嗅ぐだけで食欲を刺激される。その香りは、太陽にとってはもう懐かしい匂いだった。
「さあ、食すが良い」
机を挟んで、端と端に皿が置かれる。太陽が取ってきた山菜に、この間締めた鳥の肉、そして茶色のスープのような汁がまぶされた穀類。
それはどこからどう見ても、太陽のよく知るカレーに酷似していた。
「いただきます」
手を合わせて、太陽はカレーモドキを口に入れる。食べてみて、やはりカレーだと確信する。知らず口元が緩み、ついでに涙腺も緩みそうになって慌てて締める。
二口目を口に運ぶ。ああ、美味しい。ほっと息を吐く。
太陽はこっちの世界に来て、正確にはフェリクスのお世話になってから初めて、「いただきます」と言う言葉の本当の意味を知った気がした。
命を頂く、感謝。
どれもこれも、ついこの間まで生きていたものだ。
それを太陽が泥だらけになりながら採取したり、フェリクスが魔術で仕留めた動物を、これまた魔術でさばいていくのを目の当たりにして、強く印象付けられた。
皮肉なものだった。日本にいる時には流れでやっていた行為を、異世界で理解するとは。
「その『いただきます』という祈りは、やはり良いものだな」
食べてると反対側のフェリクスが微笑んだ。
「自然界は巡廻し、流転していることを改めてわからせてくれる。我らは命を食べ、命を育み、そしていずれは自然に還り、別の命の糧となる。食に感謝を忘れた者は、大いなる森羅万象に背いた愚か者よ」
言って、フェリクスは太陽を真似て手を合わせると、静かに「いただきます」と呟いた。
その姿は神に祈りをささげる神官のようで、とても神秘的で美しかった。
太陽は思わずそんなフェリクスに見惚れる。
「腹の具合はどうだ?」
スプーンでカレーらしきものを口に運びながら、フェリクスが尋ねてくる。
「はい、だいぶ違和感が取れてきました。ありがとうございます」
「それは重畳」
太陽が深々と頭を下げると、フェリクスは微笑んだ。
「ところで、あの、フェリクスさん」
太陽は主となったフェリクスに声をかける。最初は下僕らしく「様がいいのかな?」と思ったが、それはフェリクスに「仰々しすぎる」と却下されていた。
「なんだ?」
「僕と一緒にいた二人は、無事なんですよね?」
ちらりとフェリクスが太陽を一瞥する。しかし、すぐにカレーモドキに戻り、また一口運ぶ。
「無論だ。我が眷属がお前を貫いた後、王国の騎士団が来て、眷属の首を刎ねたからな。今頃、王国でのんびりしているんじゃないか?」
「そう……ですか。そうですよね」
太陽は、苦みと喜びの入り混じった複雑な笑みを浮かべた。
太陽はフェリクス自身の口から、太陽たちを襲った化け物はフェリクスの眷属であることが告げられていた。
つまり、太陽たちが死の恐怖を感じて逃げ惑い、胴体を貫かれたのは、ある意味ではフェリクスのせいなのである。
見方によれば、太陽はフェリクスに殺され、あの化け物と同じ屍鬼として生き返らされたと言えた。
「安心しろ」
フェリクスがカレーを食べながら静かに口を開いた。
「お前もあれと同じく屍鬼だが、お前は生きている。言うならば半分人間で、半分屍鬼なのだ。多少不便だろうが、腹さえ見えなければ人間で通しても何ら問題はない」
「はい……」
太陽は自分の腹を触る。だいぶ収まったとはいえ、そこはとても違和感がある箇所だった。
己の肉体であると言う認識は、一応ある。しかし、触れてみるとそこは、膜を何十もとおして触るような違和感があった。
服を脱いで腹部を見ると、中央に灰色っぽい肉が、本来の太陽の肉体にまとわりつくようにあった。
太陽は命を繋ぐ代償に、半分人外となってしまったいたのだ。
「それに」とフェリクスは再び口を開いた。
「あともう一カ月もすれば肉も馴染み、激しい運動もできるようにある。そうすれば王国へ行き、仲間と再会できるさ」
言って、それ以上もういうことはないとばかりに食事に集中するフェリクス。
太陽は、肉さえ修復されれば、王都へ向かうことを許可されていた。それは下僕として、眷属としての在り方としてありなのかと思ったが、主であるフェリクスが許可しているからありなのだろう。
明らかに優遇された恩情。だからこそ、太陽は自分を間接的に殺した張本人を憎むことが出来ず、今日までこうしてもやもやしながら日常を送ってしまっていた。
僕はこれからどうしたらいいのだろう?
肉が修復し、また向日葵たちと出会えるかと思えば、それは素直に嬉しい。
けど、半分バケモノとなってしまった自分を受け入れてもらえるかどうかと考えた時、底のない沼地に足を入れた気分になってしまう。
「ごちそうさまでした」
物思いにふけっていると、フェリクスが間食してしまう。
そして、
「ほれ、早く食べてしまわんか。片づけができんぞ」
「は、はい!」
慌てて太陽はカレーをかき込む。
今は向日葵たちの無事を祈って、出来ることをするしかなかった。




