13.四強
ラティニオスの言葉に寝室の温度がぐっと低くなる。
口内がからからに干からびる。ごくり、と大地は生唾を飲込んだ。
「それは……つまり」
向日葵が恐る恐ると口を開く。
「わたしたちに、魔王と戦え、ということですか?」
「左様」
嘘だと言って欲しかった。冗談だと呵呵と笑って欲しかった。
しかし、そんな大地と向日葵の想いはラティニオスの一言で泡となり消えた。
「無論、生身で闘えなどとは言わぬ。それ相応の力も、兵士も、技術も知恵も授けよう」
ラティニオスが厳かに言葉を紡ぐ。
「それにお主らは、特にヒマワリ嬢は、この世界に召喚されたその時からこの世界の住人にはない力を宿しておる。超大にして、絶大な力を、のう」
ラティニオスの外見に似つかわしくない鷲のような視線が向日葵へ向けられる。
「もうわかっておるのであろう?」
大地は思わず向日葵の方へ視線を向ける。
そこには唇まで青白くした向日葵がいた。
震えだした身体を護るように、向日葵が自らの身体を強く抱きしめる。
「案ずるでない」
そんな向日葵を見て、ラティニオスが優しい声音を出す。
「お主は何も変わってはおらんよ。ただ、この世界に召喚されたことにより、今まで目覚めておらなんだ力に目覚め始めておるだけだ。自分が気づいていなかった、他者を超越する才能を自覚し始めたに過ぎない。お主は何も変わっておらん、安心して受け入れるがよかろうて」
「ほんとうに……変わって、ないん、ですか……?」
ラティニオスの言葉に、向日葵が縋るように呟く。そこには隠しきれない不安が滲み出ていて、気の毒になるほどだった。
「左様。ただ自らの才に目覚めただけじゃ」
ラティニオスが力強く頷く。その断言に、ほんのわずか向日葵の震えが止まる。
大地はいつものように、ぽんと向日葵の頭に手を載せ、あやすようにぽんぽんと叩く。
向日葵の不安に濡れた双眸が大地を見つめる。
「安心しろ。俺の目から見ても、ヒマはヒマのままだ」
そして、そんな向日葵に大地は頷き笑みを見せる。
ようやく向日葵が落ち着きを見せ始める。まだ顔色は青白いが、震えはもう止まっていた。
ラティニオスがふっと頬を緩める。
「ヒマワリ嬢は今、境界の門を閉じる<巫女>として覚醒しつつある。そう遠くない先に、力を自覚し、やがては自在に使いこなせるようになるであろう」
そして、今度は大地へと視線を移す。
「ダイチ殿。ヒマワリ嬢が<巫女>として最初の覚醒をした時、おそらくお主は<巫女>に仇なす敵を屠る<矛>として目覚めるであろう。今ヒマワリ嬢は徐々に<巫女>へと覚醒しつつあるから、それに伴いお主も自身の変化を自覚できるはずじゃ」
丹田にぐっと力を込める。そして、大地は口を開いた。
「もし……もし、俺たちが魔王と闘うのを拒んだら?」
その一言が大地の口から紡がれた瞬間、寝室に今までにない緊張感が張りつめた。
ラティニオスは目を瞑り、無言となる。鈍痛を伴う沈黙が数秒流れ、ラティニオスは静かに目を見開いた。
鷲のような眼光が、大地と向日葵を射すくめる。
「その時は、わしらは何もせぬ」
その一言に、思わず大地と向日葵は肩の力を抜く。
しかし、続けてラティニオスは口を開いた。
「お主らの生活の面倒も、タイヨウとかいう青年の救助も、そして――元の世界にお主らが帰還する手段を講じることも、何もせぬ」
「…………」
「…………」
心臓を鷲掴みされたかのような痛みを感じた。大地と向日葵は息を飲む。圧倒的な雰囲気に呑まれ、怒りすら感じられない。
「無論、酷い仕打ちであることは重々承知しておるよ。勝手に召喚し、命を賭した戦いへ赴かせようとし、お主らには関係ないこの世界の命運を任せようだなど。それも、これを断れば野垂れ死ねなどと」
ラティニオスが大きく息を吐きだし、背もたれにもたれかかる。
「だが、出来れば理解してもらいたい。我々もこの世界を救うために必死なのだ。非道と誹られようと、わしらにはもうこれしか残されておらんのだよ」
だから、とラティニオスは椅子から立ち上がり、そして大地と向日葵に向けて深々と頭を下げた。
「どうか、わしらに力を貸して欲しい。この世界を、救って欲しい。その援助なら国を掛けてしよう。だから、どうかこの通りだ」
ラティニオスの後ろでは、ラティニオス以上に頭を下げたウィルケドスの姿があった。
長い沈黙の幕が降りた。
大地と向日葵は目を合わせる。
「……」
こくり、と向日葵が頷いた。それを確認して、大地は深く息を吐き出す。
そして、
「…………わかった」
ゆっくりと、ラティニオスの言葉に頷いた。
「――恩に着る」
ラティニオスがさらに深く頭を下げ、その後ろではウィルケドスも同様に深々と頭を下げていた。
「やめてくれ、爺さん。ご老体にいつまでも頭を下げられていたら、こっちの肩身が狭い」
そんな二人の姿を見て、大地が耐え切れずやめるように頼む。
大地の言葉を受けて二人は顔を上げ、ラティニオスは再び椅子へと腰かけた。
それから、ぱん、と場の空気を換えるようにラティニオスが手を打ち鳴らす。
「ではダイチ殿とヒマワリ嬢の了承も得られたということで、早速お主らにこの世界の知識を授けよう。最低でも主要八ツ国のことと、そして聖遺武具を知らぬではこの先苦労するであろうからな」
◆
「まず、この世界には主要八ツ国と呼ばれる、世界のパワーバランスを担う国が八つ在る。今お主らがおるここ、【アモルトス王国】はその中の筆頭じゃ。他には北の【グラン連邦】、南の【コルディア共和国】があり、この三国をまとめて俗に三強と呼ばれておる。最近では西の【リベラ帝国】を含めて四強とも呼んだりするがのう」
ラティニオスは椅子に座ったまま、杖でこの世界の地図を空中に浮かせ、魔術で光を生みだして該当箇所を差しながら説明を開始した。
「他にも知っておくべき国が四ヶ国あるが、今説明するのは混乱を生むだけじゃろう」
ラティニオスが一息つく。
「ともかく、これら八つの国を併せて主要八ツ国と呼び、この世界のパワーバランスを担っておる。それぞれの詳細はまた折りに触れて話すとしよう」
ラティニオスが杖を振ると、世界地図がしゅるしゅると巻かれ、部屋の隅に閉まれた。
世界地図を片づけたラティニオスは「ちとしゃべって喉が渇いたの」と呟き、立ち上がった。
「次はこの世の人知を超越した聖遺武具について説明しようと思うのじゃが、せっかくじゃ、我が国にはこのウィルケドスがおる。実際にその目で確かめた方がよかろう」
そうじゃ、とラティニオスが悪戯っ子が悪戯を思いついたようなニヤリと悪い笑みを浮かべる。
「ダイチ殿。せっかくじゃから、ラティニオスと一手し合ってみんか?」




