12.宰相
「失礼してもよろしいかな?」
その声が聞こえた時、大地はやられたと思った。向日葵となんの打ち合わせもできていない。
まるで聞いていたかのようなタイミング。ギリッと奥歯を噛みしめる。
「は、はいっ!」
椅子に座っていた向日葵がびくんと肩を震わせ、慌てて返事をする。
がちゃ、という音と共に寝室の扉が開く。
そこには、青いマントを纏い杖を持った老人と、老人の傍に控えるように蒼い狼男であるウィルケドスがいた。
「おお、お目覚めでしたか。それはなにより。腕の調子はいかがかな?」
好々爺然とした笑みを浮かべ、老人は大地と向日葵の元へ歩み寄ってくる。
老人に言われ、初めて大地は両腕に痛みがないことに気づく。慌てて両腕を確認する。完全に折れていた腕は、しかしなんの痛みも違和感もなく動いた。その事実に、大地は驚きを隠せず動揺する。
「ヒマ、この腕、どうして……」
「それは……」
向日葵が言葉を詰まらせる。
詰まらせた向日葵に代わり、老人が大地の問いに答える。
「魔術で施術させておりましてな、我々が準備できる最高の薬と魔術師による魔術を行使させて頂きました。お加減はいかがかな?」
「魔術、だと……?」
大地は開いた口が塞がらなかった。衝撃も冷めやらぬうちになんとか向日葵へ顔を向けると、大地の視線を受けた向日葵はわずかに顎を引いた。
「ふむ、ヒマワリ嬢の言われていた通り、あなた方の住まれていた世界には魔術はなかったようですな」
言って、呵呵と髭を撫でながら老人は快活に笑った。
「そんな、まさか……」
大地は堪えきれず唸るように言葉を漏らす。
それに老人は右手の人差し指を宙に向ける。
「どれ、せっかくですから一つ簡単な魔術をお見せしましょう。その方がダイチ殿もご納得頂きやすいのではないかな」
そしてさっと一文字何かを空中に描く。指先から光の粒子が漏れ、空気中に見たこともない文字が刻まれる。かと思うとそれらは掻き消え、次の瞬間老人の人差し指に火が灯った。
「今の魔術は、わしが空中に【火】というルーンを刻むことによって発動したのですじゃ」
老人の指から火がふっと消える。
「これで信じて頂けたかな?」
そして再び呵呵と笑った。
大地は自分の常識ががらがらと崩落していく音を耳にした。思わず頭を抱えて呻きたくなってくる。
これである意味確定してしまった。
ここが、この世界が。
大地の知らない異世界だということが。
「さて、それでは本題にはいろうかの」
老人が笑みを引っ込める。顔つきが変わった途端、纏う空気ががらりと変わる。
その空気に当てられ、大地も向日葵も思わず背筋を正した。
「何故わしらが、お主たちをこの世界に召喚したのか、それはまずお話しいたしましょうかの」
◆
「そう言えば自己紹介がまだだったのう。老いぼれはすぐ忘れるから困ったもんじゃ」
そう言いながら、老人はウィルケドスに持ってこさせた椅子に腰かける。ウィルケドスはその背後で老人を護るように佇んでいる。
「わしの名はラティニオス。このアモルトス王国の宰相を務めておる者じゃ。つまり、女王不在の今、この国の最高意思決定権を持つ唯一の存在ということじゃな」
そして呵呵と好々爺らしく笑った。
「先ほど女王不在と言ったが、女王は現在少々野暮用でな。遠征に出られておる。実はその理由も若干、お主らの召喚が理由だったりするのじゃが……それは後回しにするかのう」
そしてラティニオスは豊かな髭をゆっくりと撫で、目を閉じる。
「まず、今この世界は存亡の危機に面しておる」
そして、目を見開くとゆっくりと語り始めた。
「実はこの世界には、ほぼ隣り合うようにもう一つの世界が存在しておる。その世界のことを我々は【魔界】と呼び恐れておりましてな。常時はこの世界と魔界は触れ合うことすらないのじゃが、なんらかのきっかけで境界の門が破れてしまうことがある。わしらはこの現象を破境と呼んでおる」
そこでラティニオスは一呼吸開ける。
「今回の破境は、魔界側の絶大な力を持つものが無理やり境界の門を無理やりこじ開けたことによって起こった。わしらはその者を【魔王】と呼称しておる。そして、魔王は魔界の住人を束ね、この世界を侵略しようと攻撃を開始し始めたのじゃ」
髭をひと撫でし、少し声の調子を軽くする。
「とはいえ、現段階では深刻になるほどの破境は起こっておらぬ。が、それも時間の問題であろうな。――それで、ここからが本題じゃ」
ラティニオスが上体を大地と向日葵の方へぐっと倒す。
「お主らには魔王を討伐し、境界の門を閉じてもらいたい」




