壱
なかなか進められない…。
石盤に刻まれたクロアという名に、今一度強く強く怨讐を叩きつけた後、ローランの視線は再び二つ上の勇者の名で止まった。
サラ・エルメス
それは彼の唯一の幼なじみの名でもある。
しかし、それを見つめる彼の瞳には先程と正反対に何の感情も見当たらなかった。
比較的すぐにそこから目を離した後、ローランは震える足取りでその石盤の裏手へと回る。
既に老魔術師の体力は限界を迎えていた。しかし、彼は進む。
裏手に回ると奥に1つ扉があり、その中へ入ると緩やかな螺旋階段が上へと続いていた。
やはり今の状態で階段はキツいのか、ローランにも苦悶の表情が浮かぶ。
「儂はやらねばならない」
しかし、強い言葉で己を鼓舞し、紫に変色してきたカサカサの唇を噛み締めながら階段を上っていく。
数十分後、上り終えた彼は神殿の内部のとある空間にいた。
四方の壁には大理石の薄い板で仕切られたブースのようなものが幾つもあり、その内の二つにはボロボロのローブらしき布が掛かった骸骨が胡座を組んでいた。
また、部屋の中心にはおそらく人間のモノとは思えない異形の骨なども転がっており、一目にここがなんのための場所なのかは想像つかない。
しかし、ローランは知っていた。
修練の間
はるか昔に生きた人々、その中でも神の僕として修業を重ねていた巫女や修験僧たちは、ここでその身に神力を馴染ませる苦行を行ったのである。
後世においても人智を越える力を望んだ主に魔術師たちが幾度となくこの場所で修業に励んだが、誰一人として神力を身に付けることに成功したモノはいなかった。そして、数々の優秀な人間が命を散らしていったのである。
よって、近世からは聖王教会によりここに無断で侵入することは大罪とされ、ここが使われることはなくなった。
しかし、そもそも教会の人間たちも神の森の神力を恐れてこのグラナンド神殿には何か特別な祭事がない限り近寄らないため、例え侵入したとしてもバレることはない。
その証拠として、ここに残っている二人の骸骨もかなり昔のモノではあるが、比較的最近の者であろう。
彼らも目指したのだ。
今よりローランが求める力を。
彼には大いなる野望があった。
そのために大戦後の余生の全てを費やし、己の全財産を捨てでもとある研究に心血を注いできた。
それは〈時間逆流〉の魔法である。
時空魔法は存在する。一定空間を魔力干渉によって歪め、擬似的な小異次元空間を造り出したり、同じく時を停止させたりする魔法である。
しかし、これらは小規模ながら莫大な魔力を必要とするため、そもそも大魔導師と呼ばれるレベルになった者のみに許された魔法であった。
さらに時間魔法に限定するならば、時の停止は比較的に少ない魔力(と言っても比較対象が莫大)で済むが、そこに加速、減速、そして逆流と〈流れ〉のベクトルを細かく操作するとその消費量は尋常ではなくなる。
それを行使できるならば、もはや人間ではない。
そして、それは小規模での話である。
ローランが編み出した〈時間逆流〉の魔法は違った。
世界の理へと魔力を以て干渉し、その世界全体の時間を過去へ。あらゆるモノの時間を過去へと引き戻す究極魔法である。
本来ならば机上の空論と一笑に蹴される暴論。
本当に〈神〉という名の存在でなければ不可能なもの。
しかし、周囲になんと言われようとも、優れた魔術師が堕ちたものだと囁かれようとも、ローランは気にも留めなかった。
確信していたからだ。
「儂ならやれる。いや、儂以外にはできない」




