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義姉弟シリーズ(背徳シリーズ改め)

偽りの仮面

作者: 沢木 えりか

またまた不器用な男女の話です。


 街の中心にある高校から、閑静な住宅街へと向かうバスに乗って三十分。住宅街の更に奥まった場所に私立図書館がある。建築物としては古いほうで、レトロな雰囲気とステンドグラスが私のお気に入りだった。学校帰りに、帰り道とは正反対のバスに乗る。あの周辺は高級住宅が立ち並んでいるので、同じ公立高校の生徒は私くらい。色白の肌と少し天然パーマで色素の薄い長い髪が他人のイメージを搔き立てて、私はいつしか良い家のお嬢様であると噂されるようになった。

 本が、本の匂いが好きだった。図書館のように本が沢山ある場所は、古い紙とインクの匂いで充満していて心が安らぐ。本は口下手な私に心地よい一歩的さで語りかけてくれる上に、誰かと無理をしてつまらない会話をしているよりもずっと楽しかった。そんな、学校帰りに図書館に通う日々がずっと続くような気がしていた。私が人付き合いが下手である事も手伝って、放課後に一緒に遊べるような誰かもいなかった。学校では授業の無い時はずっと本を読んでいた。休日など丸一日図書館におり、本を読み、本に顔を埋めて眠り、また起きて課題をこなすという日々を送っていた。

「坂下さん、だよね」

 図書館に彼が来たのは、初夏の頃だったように思う。私は着ていた制服から同じ高校の男子生徒であることを理解した。そして、その顔から同じクラスの人であるとわかった。

「あなたは、内田くん」

 イレギュラーな状況に内心焦ってはいたが、とにかく彼が何者であるかはわかっているという事実を伝えたくて、途切れ途切れに言葉をつむいだ。すると、意外な返答が帰って来た。

「春からずっと来てるよね」

 なんで。最初に浮かんだのはそんな言葉で、その次に様々な考えが浮かんだ。別に隠しているわけじゃないけれど、私はお嬢様でもなんでもなくて、ただ行く当てもなく図書館にいるだけだという事実を知られていたことが何だかものすごく恥ずかしいことに思えた。私は自身の耳の熱さから赤面していることに気づいた。

「なんで、知ってるの?」

「ここ、俺の家だし」

 衝撃だった。私は、心臓が早鐘を打つのを感じた。苦しい。どうしたらいい? こんなとき、どうやって息をしたら良いのかわからなくなる。他人とのコミュニケーションは、稀に突拍子も無い結果を運んでくる。それに上手く対処できない私は、思いがけないガラスの破片がいつ来るものかといつも緊張する。だから、下手に構えてしまい相手のフェイントに対処できずに致命傷を負う。今回もそれだった。私の耳は益々熱をおびて、私は息も出来ずにただ声を発していた。

「あ……ぁ……」

「坂下さん?」

 内田君は私の具合が悪くなったと感じたのか、うつむいた顔を覗き込んできた。それが、逆効果であるとも考えずに。私はいつの間にか、走り出していた。言葉で上手く逃げられないから、体ごと逃げ出していた。

 外に出ると雨が降っていた。傘は無かったけど、濡れるのも構わずにバス停まで走った。けれど、ここは田舎だからバスがない。バス停の屋根で少しだけ透けてしまった制服の上から体をさすって暖を取ろうする。ふと、後ろから暖かい何かが掛けられた。バスタオルだ。

「風邪引くといけないと思って。さっきは弟がすまなかったね」

「いえ……」

 それは先程みた顔と少し似ていて、少しだけ大人びた顔の男だった。“弟”と言ったが、内田の兄なのだろうか。内田の兄とは初対面ではあるものの、不思議と息苦しさは感じなかった。バスタオルで髪を吹き終えた頃にバスが来た。

「あの、これ。洗って返しますから」

 バスに乗り込みながら言うと、内田の兄は少しだけ驚いた顔をして微笑んだ。

「うん、まっているよ」

 どこで、とは聞かなかった。きっと図書館に行けば会える。だって、あそこは内田の家でもあるのだから。何の変哲も無かった私の生活が変化したのは、翌日からだった。あんな風に逃げてしまったにもかかわらず内田が話しかけてくれたのだ。

「この前は、ごめん。坂下さん驚いただろ?」

 申し訳なさそうにしている表情に加え、兄に似ているからだろうか。私は内田の前では上手に言葉が出るようになった。

「大丈夫。私も失礼な態度をとってしまってごめん」

「帰り、大丈夫だった? 家、近所だっけ。バスタオルの話は兄貴から聞いてる」

 私があの辺りに住んでいると言う噂は、内田の耳にも届いていたようだった。どうやら内田の兄は私がバスに乗った事を話していないらしい。しかし、私にとってはそちらのほうが都合がよかった。


 この街のような田舎では高校生の一人暮らしは珍しかった。未成年の一人暮らしというだけで、男を連れ込んでいるとか、夜遊びをしているとか、そんな風な噂を立てられた。学校では、なるだけその事実を知られたくなかった。一人暮らしを始めたのは、高校に入学してからだ。元は母子家庭だったが、母さんはあるとき私を置いて死んでしまった。交通事故だった。私はレイプされて出来た子供だったから、母さんはそれを隠すために田舎へ逃げたのだ。幸い、保健はかけてあったけど、呼ぶ人間もいなかったので葬式もしてあげられなかった。残された私は頼るツテも無くて、母さんが受けていた生活保護を引き継いで生活している。たまに児童相談所の大人が来るけれど、私はあんまり好きじゃない。張り付いた笑顔で言葉だけのほめ言葉をくれる。

『まじめに学校行ってるんだね。藍莉ちゃんは偉いね。辛くなったら相談してね』

 児童相談所の人が来る日だけ、図書館には行かないようにしている。じっと家でその人が来るのを待っている。来たら、お茶を出して質問に当たり障り無く答えて出来るだけ早く終われるようにして。


「坂下さん、今日もウチ寄るでしょ。一緒にバス乗ろう」

 その日から私は内田と一緒にバスに乗るようになった。周囲は私と内田が交際を始めたのだとはやし立てた。内田はそのたびにムキになっていたけれど、私がさほど気にしていない旨を伝えると何故か真っ赤になってうつむいて、それから上手に交わすようになった。私はと言うと、いつも内田の兄の姿を探していた。その間に、内田は私のことをさん付けするのをやめた。

「坂下ってさ、いつも誰探してるの?」

 バスタオルはいつも手さげの中に入っていた。兄ではなく、身近な内田に返しても良かった。だけど、私は内田の兄に会いたかった。内田はそれをわかっているのか、何も聞かずにいてくれた。反面、兄のことを一つも教えてくれなかった。

「兄貴を探してるの?」

 外は大雨で、図書館には私と内田の二人きりだった。小さく放たれた内田の声が、寂しそうに響いた。私は何と答えて良いかわからなかった。逃げようにも、私と内田にはすでに細い鎖がつながっていた。初めてこの図書館で遭ったときのように、すぐに逃げられる関係ではなくなっていた。

「一つ、俺の秘密を話してもいい?」

 細い鎖に囚われ、動けない。そんな私をわかっていながら語り出す、内田はずるかった。


「俺さ、いや俺ら。そっくりな双子なんだよね。俺が、是彦で兄貴が常彦って言うんだ。そう、坂下が一回遭ったやつ。んで、五歳までずっと一緒でさ。性格とかも、好きな食べ物とか、全部。似すぎてて、母さんくらいしか見分けつかねーの。でもね、兄貴去年死んじゃったんだ」

 去年。それは、母さんが死んだ年だった。死因は交通事故。相手は、無免許の原付に乗った中学生で。名前は確か――内田常彦――そんな名前だった。

「そ、んな……だって、あの日遭った。常彦さんに」

 頭が真っ白になった。色々な事が同時に起きすぎていて、整理がつかない。

「ごめん。俺、悪気はなかった。知らなかったんだ、坂下のお母さんがそうだって。ほら俺、いつも相手に近づきすぎちゃうから。兄貴になったら上手に話せるかなって。そう思ったんだけど」

 じゃあ、じゃあ。あの日私にバスタオルをくれたのは。わざわざ、髪を下ろして服まで着替えて。お兄さんになってまで、来てくれたのは。

「そっか、是彦くんだったんだね」

「不謹慎だった。知らなかったとはいえ」

 母さんが死んだ事とか、常彦さんが死んだ事とか、騙されていた事とか。考えなくてはならない事は沢山遭った。でも、私はそれよりも是彦に伝えなくてはならない事があるように思えた。

「あのね、さっき。相手に近づきすぎるって言ってたやつ。あれ、そんなこと無いと思う」

 内田が何も話さない。私の言葉を待ってくれている。ほらね、あなたはお兄さんの真似なんかしなくても、そうやって私から近づいていくのを待ってくれる人なんだよ。

「最近、一緒にいるからわかるの。是彦くんは、お兄さんの真似なんかしなくても大丈夫だよ」

 そういって微笑んだ。微笑めたのだろうか。わからないけど、いつもよりは少し顔の筋肉が柔らかく動いた気がした。

「ありがとう」

 そういった是彦の表情は見えなかったけど、声は震えていて泣いているのかも知れない、そう思った。

「今度は私の秘密を話すね。もう知っているかもしれないけれど……」

 私たちは、少しづつ距離を縮める。偽りの仮面をはがした姿で。


 






イメージって怖いですね。

勝手に作り上げられているものですから。

でも、時には良いよろいにもなるんだと思います。

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― 新着の感想 ―
[一言] 初めましてー失礼します。 >「ごめん。俺、悪気はなかった。 の箇所に脱字があります。気になったので一応。 優しくて悲しい作品で、一気に読みました。 個人的にはなるほどこう納めるのかーという…
[一言] はじめまして(・∀・)♪ 読ませていただきました* とても面白かったです\(^O^)/ これからも頑張ってください(*^-^*)
2012/09/22 20:41 退会済み
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