表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
平民出の令嬢は継母と義姉にいじめられる……って全部誤解ですから!  作者: 紗幸


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

8/13

8 ひとすじの風


 国王は軽く手を上げ、広間の楽団へ視線を送った。


「さあ、諸君。音楽を止めるとは、なんと不粋なことか! 我が王宮のシェフが丹精込めた料理も、美酒も、このままでは冷めてしまうだろう」 


 王の口調は、まるで親しい隣人に話しかけるように軽やかだった。


「宴を再開せよ! 今宵、最も輝く者に、さらなる喝采を!」


 国王陛下のその一言は、魔法のように会場の重苦しい空気を打ち破った。楽団が、待ってましたとばかりに、先ほどよりも一層華やかで陽気なワルツを奏で始める。

 緊張で強張っていた令嬢たちはホッと息をつき、紳士たちは再び笑顔を取り戻す。

 あちこちでグラスが触れ合う軽快な音が響き始め、先ほどの断罪劇を打ち消すように、会場は熱と活気を取り戻していく。


 その様子を見て、ターニャは力が抜けるのを感じた。胸の奥にあった怒りと緊張が、ようやくほどけたのだ。

 けれど急に世界が遠く感じられ、視界が少し揺らいだ。


「……あれ?」


 ふらりと身体が傾いた瞬間――

 しっかりとした腕が、彼女の背を支えた。


「立っていられますか?」


 耳に届いたのは、落ち着いた低い声。香るのは、夜風のように冷たく澄んだ香り。


「大丈夫ですか?」


 低く、落ち着いた声が耳に届く。ターニャははっとして顔を上げた。

 そこにいたのは――銀の髪を持つ青年だった。月明かりを溶かしたような髪が、揺れる光を受けて静かにきらめく。

 瞳は澄んだ青。けれど、その奥に氷のような冷たさと、炎のような熱を同時に宿している。


 彼は黒の礼服を身にまとっていた。肩口には繊細な銀糸の刺繍が施され、胸元には蒼い宝石のブローチが一つ光る。

 全体に無駄がなく、しなやかで鍛えられた体の線。


「す……すみません、少し、気が抜けてしまって」

「当然でしょう。あれだけの場で立ち向かわれたのです。むしろ、今まで倒れなかったのが不思議なくらいですよ」


 その声音は、淡々としているのにどこか優しかった。


「外の空気を吸いましょう。少しでも気を落ち着けた方がいい」


 彼はそう言うと、ターニャの腕をそっと取り、人々の視線を避けるようにして大広間を後にした。



 王城の回廊は、夜風がすうっと吹き抜けていた。石畳が微かに冷たく、壁の燭台がゆらゆらと揺れている。


「……すみません。ご迷惑をおかけして」

「迷惑?」

「だって、あんな……大声で。貴族の方々を前にして…………」


 男は少しだけ視線を上げて、月を見上げた。


「叫ばなければ、誰も気づかなかったでしょう。あなたがどれほど、あの家族を大切に思っているかを」


 その優しい言葉にターニャは唇を噛んだ。


「ですが……見苦しかったかもしれません」

「いいえ」


 彼は小さく息を吐き、ほんの少しだけ口元を緩めた。


「見苦しいというより――あれは、覚悟のある人間の声でした。なかなかできることではない」


 その言葉に、ターニャは驚いたように顔を上げた。


「……変わってるって言わせませんか?」

「よく言われます」


 その淡々とした返しに、ターニャは思わず吹き出した。久しぶりに心の底から笑った気がした。


「今夜は冷えます。しばらくここで休んでください」


 そう言って彼は少し離れ、近くの侍女に目配せをした。

 その仕草だけで、侍女が軽く会釈をしてターニャのそばに立つ。


「……あなたは?」

「ご家族をお連れします。ここでお待ちを」


 彼はターニャが一人にならないように侍女を付けたあと、それだけを言い残して歩き出した。

 月光の下を進むその背中は、静かで凛としていた。


 ――名前も、身分も知らない。

 けれど、なぜか心が少しだけ軽くなった。


「……不思議な人」


 ターニャは、冷たい風が頬を撫でる中でそっと呟いた。





 夜会から数日後、王都の空は眩しいほど澄み渡っていた。

 先日の騒動をすべてを洗い流してくれたかのようだった。


 ベルナルディ伯爵家の屋敷には、あの夜会の翌日から次々と届け物が届いた。

 花束、贈答品、謝罪の書簡――どれも断罪未遂を謝罪するものや、伯爵家への労い表すという名の贈り物ばかりだった。


 ターニャと姉達は、午後のティータイムを楽しみつつ送られた品々に目を通した。


「見てこれ“ターニャ嬢の勇気に敬意を”ですって」


 セレスティーヌが封書を読み上げながら、少し呆れたように笑った。


「数日前までは“かわいそうな子”って噂してたのにね」


 アナスタシアは紅茶を注ぎながら肩をすくめる。


「人の心って、軽いものよ。……でも、妹が誇らしいわ。あの時のターニャったら………」

 

 お姉様たちが肩を震わせて笑いだした。ターニャは恥ずかしそうにカップを両手で包む。


「……あんな怒鳴り方したの、初めてだったのよ」

「かっこよかったわよ。あの場にいた人たちの顔が、今でも忘れられないもの」


 そんな姉妹の会話を見ていたエリザベート夫人が穏やかに微笑む。


「ターニャ。あなたが自分の言葉で私達を守ってくれた。それが何よりも嬉しいことなのよ」


 その言葉に、ターニャの胸がじんわりと熱くなった。


 数日も経たないうちに、王都の空気は一変した。通りを歩けば、人々は小声でこう噂する。


「ベルナルディ伯爵家の令嬢たちは、あの可憐な庶出の娘を守ったんですって」

「王子殿下が軽率だったとか……」

「陛下のお言葉がごもっともで……」


 噂は“いじめ”から“絆”の話へと変わっていった。

人々はターニャを“美しく芯のある娘”として語り、姉たちは“誤解された愛情深き令嬢”と称されるようになった。

 そうして、ベルナルディ家の名誉は見事に回復していった。



 数日後、王城へ謝礼の報告に赴いた帰り。ターニャは庭園でふと立ち止まった。

 夜会で自分を支えてくれた、あの男性の姿を見かけた気がしたのだ。


 噴水のそばに、あの時の青年が立っていた。王家の紋章を刻んだ騎士服を身にまとっている。

 深い紺色の上着は光の加減で黒にも見え、肩から胸にかけて走る装飾糸は、まるで剣の軌跡のように鋭く美しい。


 彼は彼女に気づくと、穏やかに微笑んだ。


「……あの時の令嬢だな」

「あなたは……」


 ターニャが戸惑うと、彼は手を胸に当て礼儀正しく頭を下げた。


「アラン・リュシアン。王国騎士団副隊長を務めております」


 ターニャの目が大きく見開かれる。


「ふ、副隊長……様!? そんな偉い方だったんですか……」


 アランは苦笑した。


「偉くはない。ただ、少し長く剣を握っているだけさ」


 その穏やかな声色と笑顔がふと眩しく見えて、ターニャは思わず頬を赤らめた。





 それからというもの、アランと顔を合わせる機会が増えた。王城への書状の届けなどで、姿を見かけるたびに会話を交わすようになった。


「また会いましたね」

「偶然ですよ。……多分」

 そう言い合って笑う時間が、少しずつ心を温めていった。


 アランはターニャの言葉に、よく耳を傾けてくれる。母のことを話すと、静かに目を伏せて聞き、姉たちの話になると口元に微笑みを浮かべる。


 「貴族であろうと平民であろうと、守りたいと思える人に出会えるのは奇跡だと思う」


 そう言った彼の言葉が、ターニャの胸に深く残った。


 顔を合わせたときの僅か時間だったが、彼と話す時間はとても心地よい。

 気のせいか、風の香りまで違っているような気がした。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ