12 ターニャの幸せ
柔らかな陽射しが降りそそぐ朝。
王都の街は祝福の鐘に包まれていた。ベルナルディ伯爵邸の門前には、花びらを撒く子どもたちの姿。
その中を一台の馬車が、ゆっくりと進んでいく。ターニャはアランとの結婚式の日を迎えていた。
花嫁控えの間。
鏡に映る自分の姿に、ターニャは胸の奥がくすぐったくなるのを感じていた。
淡赤色の髪は、姉のアナスタシアが丁寧にまとめ、
クリーム色の花飾りが付けられた。それは王妃陛下から贈られた特注品。王妃自らが選んだ最高級の絹で縫い込まれ、天の光を纏ったように輝いていた。
「王妃様から、こうしてお祝いが届くなんて……」
ターニャはそっと髪飾りを撫でる。それを見たエリザベート夫人は優しく微笑んだ。
「あなたの刺繍の美しさは、いまだに話題なのよ。その優しい手で縫ったものが、きっとこれからの彼も包んでいくのね」
「ターニャが幸せになるのは分かってたけど、王妃様からも祝福されるなんて……本当に自慢の妹ね」
「ほら、泣いちゃだめよ。花嫁が泣いちゃったらお化粧が崩れるわ」
お姉様たちが笑い合う中、エリザベート夫人がそっとターニャのヴェールを直した。
「ターニャ、貴女は私の自慢の娘よ。今はもう、自分の光で誰かを照らす女性になったのね」
ターニャの喉が熱くなる。
「……お母さま。わたし、本当に幸せです」
「ええ、見れば分かるわ。今の貴女はとても幸せそうな顔をしているんですもの」
その言葉に、姉たちが同時に「わかる!」と笑い出す。部屋に柔らかい笑い声が満ち、春の光が窓から差し込んだ。
式場となる王都の大聖堂。
扉の前に立つターニャの胸は、静かに高鳴っていた。外では鐘が鳴り響く。大扉の向こうには――彼がいる。
「……ターニャ」
扉が開いた瞬間、低く穏やかな声が届いた。
祭壇の前で待っていたアランが、真っ直ぐに彼女を見つめていた。黒の礼服に金の刺繍が映え、凛とした姿はまるで絵画のようだった。
(アラン様……やっぱり、今日も素敵……)
その姿を見た瞬間、鼓動が少し速くなる。アランはゆっくりと歩み寄り、ターニャの前で立ち止まる。
そして、彼女の手を取り――ほんの少しだけ口角を上げた。
「……眩しいな」
「え……?」
「太陽でも勝てない。今日の君には」
(どうしてこの人は、たった一言でこんなに……)
耳まで熱くなるのを感じながら、ターニャは彼の手を取った。指先が触れた瞬間、微かに震える。それをアランが包み込むように握り、静かに囁いた。
「顔を上げて。君の笑顔が見たい」
その一言で、緊張が溶けていく。彼の顔を見るだけで、自然と笑顔になっていた。
ーー式が進み、神官の声が静かに響いた。
「汝、永遠の愛を誓うか」
アランの低く落ち着いた声が、聖堂の中に響く。
「誓います。命ある限り彼女を愛し、守り続けると」
ターニャは涙を堪えながら、彼を見上げて答えた。
「誓います。悲しみの時も、喜びの時も、あなたと共に歩みます」
神官が頷き、鐘の音が鳴り響く。
会場に拍手が広がる中、アランがターニャの頬にそっと触れた。
「……ターニャ」
「はい……?」
「キスをしていいか?」
「……はい」
その瞬間、柔らかい唇が触れ合った。まるで春の花びらが落ちるような、優しくて短い口づけ。
けれどその一瞬が、永遠のように感じられた。唇が触れ合った瞬間、会場から拍手と歓声が湧いた。
アナスタシアは目頭を押さえ、セレスティーヌは声を殺して涙をこぼしていた。エリザベート夫人は微笑みながら、静かにその光景を見つめていた。
ーー夕刻。
橙から茜、そして紫へと移ろう空の色を、アランの屋敷が映していた。祝宴を終えたばかりの屋敷は、まだ賑やかな声で満ちている。
けれど、ターニャは少しだけ外の空気を吸いたくて、ひとりバルコニーに出ていた。
風に揺れるドレスの裾、花々の甘い香り、そして遠くから響く鐘の音。
(……なんて、穏やかな夜)
その背後に、いつの間にかアランが立っていた。
「……夜風は冷えないか?」
穏やかな低い声。アランが歩み寄り、ターニャの隣に立った。夜の灯りが、彼の瞳に金色の輝きを宿しているのが見えた。
「少し、静かに空を見たくて」
「なるほど。花嫁の余韻、というやつだな」
「……そんなものが、あるんですか?」
「君を見ていると、あると信じたくなる」
ターニャは思わず笑った。
「アラン様ったら、いつもそうやって冗談ばかり言うんだから」
「言葉は剣と同じだ。使いどころを誤ると人を傷をつける事がある。だが、君に向けられる言葉だけは、君を笑顔にするものであってほしいな」
そう言ってアランは、彼女の手をそっと取った。指先が触れ合うたびに、ターニャの胸が熱を帯びる。
「君の手、少し冷えてるな」
「緊張しているからかもしれません。……まだ、夢のようで」
「……そうか」
そのまま彼はターニャを引き寄せ、両腕で包み込むように抱きしめた。
「夢だったか?」
「……いいえ」
アランの胸の鼓動が、ターニャの鼓動と重なる。頬が彼の胸に触れ、暖かさに包まれる。
「ターニャ」
「はい」
「君を初めて見たあの瞬間から、俺は目が離せなかった。それは今もずっとだ」
「……アラン様」
「剣を握るより君の手を握る方が難しいと知ったのは、君が微笑んだ時だ」
「それは……」
「君が笑顔でいる。それだけで充分だ」
ターニャはそっと顔を上げた。目の前にあるアランの瞳は、まっすぐで、やさしくて――
すべてを包み込むような温度を持っていた。
「……アラン様、そんなに真っ直ぐ見つめられたら恥ずかしすぎます」
「君を逃がすつもりはない」
その言葉に、ターニャの心臓が高鳴る。唇が震えた。
「ずるいです……」
「君が好きだからな」
アランは軽く微笑み、ターニャの淡赤色の髪を、指先で優しくすくった。
「この髪が、俺の光だ」
「……もう、アラン様……」
「冗談ではない」
ターニャは顔を赤らめながら、彼の胸に寄り添った。風が二人の間をすり抜け、花びらがひとひら、足元に舞い落ちた。
「アラン様」
「ん?」
「わたし、今日……本当に幸せです」
「それは、俺の台詞だ」
二人は小さく笑い合い、見つめ合った。夜の帳が降り始め、灯火が屋敷の窓を照らす。
「お義母様も、お姉様たちも……みんな笑ってくれました。王妃様からも祝福をいただけて、これ以上の幸せはありません」
「その笑顔を見て、皆が幸せを感じるんだ。君の存在が、俺にも光をくれた」
ターニャは静かに頷いた。
「……お母さん、見てくれているかな」
空を仰ぐように言葉を紡ぐ。
「わたし、今……愛する人と、家族に囲まれて、幸せだよ」
アランがそっとその手を握った。
「きっと聞こえてる」
「ふふ……そうだといいな」
少し間を置いて、ターニャは微笑んだ。
「あ、お父様にもありがとうって言わないと」
アランが肩を抱き寄せた。
「君らしいな」
「そう?」
「……やっぱり、惚れ直した」
「もう……!」
ターニャは顔を真っ赤にしながら笑い、アランの胸にそっと頭を預けた。
風が二人を包み、金糸のような光が夜空に流れる。
――それは、ふたりの未来を繋ぐ光。
ターニャは小さく囁いた。
「アラン様、これからも一緒に居てくださいね」
「ああ。どんな日も、君の隣で」
そして、月明かりの下、二人の唇が静かに触れた。
その瞬間、すべての時が止まるように、世界が金色に染まった。
ここでターニャのお話は完結となります。
お読みいただきありがとうございました。
本日、夜にアラン目線のお話を出す予定です。
良ければそちらもお楽しみ下さい。
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