1 母の針音と知らない父
短編として書きましたが、思ったより長くなったので連載にしています。
王都の下町の外れ。
石畳が欠けた細い路地を抜けた先に、古い木造りの家があった。
窓際の机の上には、布地と針。そして手のひらほどの小さな糸巻きが並んでいる。
その傍らで、病弱な母が針を動かしていた。淡い亜麻色の髪をゆるく結い、やせた指先で布を縫う姿はどこか儚い。
「おかあさん、今日もお店に納品に行くの? 少し休んだほうがいいよ」
ターニャが心配そうに声をかけた。
大丈夫よ。と母は優しく微笑んだが、その頬は少しこけていた。
ターニャは15歳。少し癖のある淡赤色の髪を三つ編みにし、素朴な麻の服を着ている。
母の髪色と違うのは、会った事もない父のせいだろうか。整った顔立ちではあるらしいが、自分では「普通の子」だと思っていた。
決して楽な暮らしではなかったが、母と二人の穏やかな毎日。
──そんな日々が、ずっと続くと思っていた。
だが、そんな平凡な日々は突然終わる。
母が病に倒れ、数日のうちに帰らぬ人となったのだ。
「……おかあさん。ねぇ、さみしいよ……」
母が亡くなり一人になったターニャは、寂しさの渦から抜け出せなくなっていた。毎夜、母の針箱を胸に抱きしめ、何日も何日も泣き続けた。
ある日、朝から扉を叩く音が家に響いた。
現れたのは、黒いマントをまとった壮年の男。整った顔立ちに、ターニャと同じような髪色。冷たい印象の金の瞳がこちらを見つめていた。
「……ターニャ嬢だな」
「は、はい……」
「私はベルナルディ伯爵。……君の父だ」
「………………はい?」
言葉の意味を、すぐには理解できなかった。けれど男の口調は真剣だった。ターニャの目の前に、封の切られた手紙を差し出してきた。
──母の筆跡だ。
そう思っただけで引っ込んでいた涙が出そうになる。
その手紙には「私の命は長く保たないかもしれない。その時は娘のターニャをお願いします」という内容が書かれていた。
男性は、私の顔をちらりと見ると「君の母とは、過去に少し関係があってね…」と感情の読めない声で言った。
そして、形式的な表現で私を迎え入れると告げ、私は戸惑いと悲しみを抱えたまま、伯爵家へと連れて行かれることとなった。




