第2話 私の運命が変わった日
「エリー、うるさい。お客さんがびっくりしているじゃないか」
「仕方ないじゃん! このお店に私以外のお客さんが来るのって三百年に一回とかじゃないの!?」
「そんなわけがないだろう! 僕の自慢の店を一体なんだと思っているんだ」
美少女がキッと睨んでいる姿にはえも言われぬ威圧感があるのだが、新しく店に入ってきた女性はそれを涼しい顔で受け流している。
スッと伸びた背筋にキリッとした目つき。女の子の方を可愛く儚いと称するのであれば、この女性からは綺麗で力強い印象を感じた。
飄々としたその様子に問い詰めるのは諦めたのか、あるいはいつものことで慣れているのか、店主さんは頭を何度か横に振って呆れを脳から追い出そうとしている。少しして上がってきた彼女の顔には明らかに疲れが浮かんでいた。
「……それで、今日は何だい?」
「そんなことより、君は何を買いにきたの?」
その外見からその声が出ているなんて信じられないというほどくたびれ果てた声でされた問いかけを綺麗に無視した女性、エリーさんはあろうことか少しかがみ込み、私に向かってそう尋ねる。
その燃えるように赤い瞳は店主さんとは対照的で、その艶やかな黒髪も相まって冷ややかな印象を抱く————には少しフレンドリーすぎる気がした。
「えっと、外を歩いていたら魔導書が見えたのでつい……」
「ああ、なるほどー。確かに魔導書って珍しいよね。……おまけに高いし」
思わずうんうんと頷く私に綺麗な笑みを飛ばしながらエリーさんは魔導書の背を撫ぜる。
「魔術は一応私もちょっとは使えるけど、ちょっとしか使えないからなー」
「使えるんですか!? 魔術!? 本当に!?」
「おぉ…… 急に積極的だねー」
私がカッと目を見開いたせいか、エリーさんが若干引いている気がする。しかしこれに関しては間違いなく私の方が正しい反応のはずだ。
二パーセントしかいない魔術適性持ちのうち魔術を使えるようになるのは一パーセントにも満たない、つまり人類のうち魔術が使えるのは五千人に一人以下。そのうちの九十九パーセント以上は大金を払える貴族かそれに仕える人だから、実際に魔術が使える人を見る機会なんて一生に一度あるかないかである。
チャンスの神様には前髪しかない。それにこの人ならもしかするかもしれない。そんな期待をこめて私は一つお願いをした。
「あの、もし良ければ、魔術を見せてもらえたり……」
「うん? いいよー」
私の一世一代のお願いは、いとも簡単に了承された。しかしエリーさんはどこか浮かない、というよりは納得できていないような表情。そんな彼女に覚えた不安が顔に出ていたのか、エリーさんは私の頭を軽く撫でながらこう聞いてきた。
「でも、私でいいの? ほんとにちょっとしか使えないよ?」
「もちろんです! 私、魔術を使える方とお話しできたのが初めてなので!」
その私の言葉に、エリーさんはゆるりと首を横にふる。
「うん? 初めてじゃないよ?」
コテっと首を傾げた私の頭をまだ撫で続けながら、彼女は衝撃の事実を口にした。
「だって、マリーも魔術使えるし。私なんかよりマリーの方が余程魔術上手だよー?」
「…………え?」
数秒店内の時が停止した後、解放された私はギギッと店主さんの方を向く。
そこにはぶすっとした表情の店主さん。かわいい。
そしてその隣には魔術師が持つという長い杖。なぜ見逃していたのかというほど大きく美しい魔法石がついている。びっくり。
「…………それで? エリー、君は大魔術師たる僕が営むこの店に何をしに来たんだい?」
憮然とした表情で明らかに拗ねている店主さんは私の隣のエリーさんを睨め付けていた。本当にこの子も魔術を使えるのだろうか。
「ねぇ、聞いた? 自分のこと大魔術師だって」
相変わらずなエリーさんにただの客でしかない私は苦笑を返すしかない。プククとわざとらしくマリーさんを指差していた。
そしてこの言葉が聞こえたのだろう、店主さんは額に筋を立てる。
「きゃ、く、が! 困っていると言っているんだ! …………全く、僕の店の売り上げを下げないでもらえるかな?」
バンバンバンと自分が座るテーブルを叩いて店主さんは言った。彼女には申し訳ないが、声を除けば駄々っ子にしか見えないのが可哀想でかわいいところ。
「一丁前に売上とか言っちゃっ——」
カンッ!
エリーさんの言葉は、店主さんの足元で生まれたその硬質な音に阻まれた。店主さんの手にはいつの間にか彼女の杖が握られていて、その薄氷色の魔法石は今、優しくも強靭な光を帯びている。
「どわー!?」
緊急時にしては気が抜けた声に釣られて振り返ると、エリーさんがちょうど店の外に吹き飛んでいくところだった。
「————————えっ!?」
バタンと扉が閉じる音。
微かに感じる風の残滓が髪と服の裾を揺らす。今のは、間違いない————魔術!
それを頭が理解すると同時に、今の一瞬の出来事の異常さが身に染みてきた。
魔術は確かに、魔導書を読めば習得できる。しかしそれはただ習得するだけの話。例えば、光を生み出す魔術を習得したとして、それを目眩しに使うか光源として使うかはその人次第であり、その精度もその人次第。ただ習得しただけではせいぜい弱い光が幾らかの間灯るだけ。その光を強くするのも、持続させるのも練度が必要なのだ。
魔術は自分以外の人体と魔法具には直接作用できない。だから今店主さんが使った魔術は人を吹き飛ばすほどの強い風を起こすもの。それだけであればまだ理解できる。あくまでもまだという話でそれほど強い風を起こせる魔術師などこの国で片手で数えられるほどしかいないだろうが、ギリギリなんとかいないわけではない。
しかしそれよりも驚きなのが、その強い風をすぐそばにいた私にほとんど影響がないほど制御し切ったその練度だ。ただ闇雲に力をぶつけるのではなく、精密に計算され、制御された美しい魔術。
それをあの一瞬で構築し、人どころかあたりに置いてあるものにすら影響を与えることなく実現させるなんて、物語の中でしか聞いたことがない芸当。
魔術の頭でっかちである私が保証しよう。彼女は、マリーは、天才だ。
「…………すごい」
人生で初めて見た魔術が、まさか魔術の真髄にまで迫るものになるなんて。こんなにも心が躍るのは生まれて初めてだ。
——やっぱり私は、魔術を使いたい。
この魔術が見れただけでも、そしてこの気持ちが固まっただけでも、この店に入った価値はお釣りがくるほどだった。
「そうだろう? どうだい、その魔導書、買ってみるかい?」
そうだ、魔術を使うには魔導書が必要。今あるお金では絶対に足りないが、目標を明確にするためにも値段を聞いてもいいかもしれない。
「……あの、これの値段って————」
その瞬間、店の扉が大きな音を立てて開かれた。
「あー、びっくりした。あれ久しぶりに食らったなー」
どことなく既視感を覚える状況。店主さんは苦々しそうな顔。これも見たことがある。
「ちっ、早かったな」
舌打ちではなく口で言ったちっという言葉に思わず笑みがこぼれた。
頭を撫でてよしよししてあげたくなるけれど、そんなことをすれば私も吹き飛ばされてしまうだろう。つまりそれは、私があの神の如き魔術をこの身で体感出来るということだ。……どうしよう、悪くないかもしれない。
店主さんは馬鹿なことを考えている私の方を見て、申し訳なさそうに言う。
「すまないが、しばらく僕はこれの相手をするから店内を見ていてもらっても大丈夫かい? 好きに触ってもらって構わないから」
「はい、もちろんです」
むしろ言われなくても見て回るつもりだった。こんな大魔術師の店に置いてあるものなんて、いくら見ても見足りないくらいである。どうせ無職だし。時間は有り余っている。
私が頷いたのを見て一言礼を言った後、店主さんはエリーさんに向き直る。
「……それで、エリー。今日は何だい?」
「んー、時空魔術を使う魔獣の情報」
時が止まった。私も、店主さんですら時空魔術の餌食になった。
時空魔術!? 今時空魔術って言った!? 人類の歴史上使えた人が一桁しかいないと言われているあの時空魔術!? それを魔物が使ったの!? それって国の危機では!?
「……中級二十ずつと上級五ずつでいいかい?」
「えー、流石にちょっと多すぎない?」
エリーさんの疑問には答えることなく、店主さんは立ち上がった。彼女にかかっていた時空魔術は解けたらしい。ちなみに私はまだ時が止まったままだ。なぜなら店主さんが新たに時空魔術を使ったから。
上級!? 店主さん上級って言った!? 上級って上級ポーションのことだよね!? あの死んでいなければ全てを治すと噂の!?
というか中級二十ずつと上級五ずつとか、それだけで小国を買い取れてもおかしくないんだけど!?
「上級ポーションを持ってくるからちょっと待っていてくれ」
やっぱり上級ポーションだった……国宝級だった……
呆然とする私の顔の前十センチくらいで綺麗な赤と青のネイルをした手がブンブンと振られる。
「太っ腹だねぇ……おーい、生きてるー?」
ネイルが流星か、あるいは流れ星みたいに私の視界を彩っている。今願い事をすれば叶うかな?
この夢がいつまでも覚めませんように。
「おーい、生きてるかー?」
流れ星って三回じゃないと意味がないんだっけ。あと二回。
「おーい、意識があったら握り返してくださーい」
この夢が————
「冷たっ!?」
「おー。生き返った」
突然私の右手に現れた冷気。我に帰った私の目の前には、ニシシッと微笑む綺麗な顔。
「びっくりした? これが私の魔術だよ。地味でしょ?」
「そんなことないです! 魔術を使えるってだけでも羨ましいのに、こんなに便利そうな魔術なんて」
「まー、夏は涼しくて便利だけどね? やっぱりマリーを見た直後だとさー」
少しだけ拗ねたような表情は、ついさっきの店主さんの憮然とした顔と重なった。正反対なようで、案外この二人は似たもの同士なのかもしれない。
「店主さんはすごすぎです……何であんな人がこんなお客さんが少ない店をやってるんですか……」
「お? 分かるの?」
少し驚いた様子のエリーさん。
確かに一般の人からすればあの凄さはただ凄いというふうにしか伝わらないのかもしれないが、何を隠そう私はずっと魔術を諦められずにいた、最強の頭でっかちなのだ。幼少期から鍛え上げた私の頭はもはや、この星よりも大きい。
「勉強だけは、ずっとしてましたから。見込みが薄くても、使えるようになりたいって、なったときに後悔しないようにしたいって」
なぜかエリーさんがニコニコしながら私の頭を撫で出した。
「いい子だねー」
エリーさんの身長が高いからか、私の頭がちょうど撫でやすい位置にあるのかもしれない。少し恥ずかしいけど、無理やり振り払うわけにもいかない。
「じゃ、魔導書は買うの?」
「お金が足りないですよ……これを目標に、頑張ろうと思います」
「うん? まだ聞いてないの? お金は別に————」
エリーさんがそこまで言ったところで店主さんが店の奥から帰ってきた。
おそらく上級ポーションが入っているのであろう小箱を雑にテーブルに置き、踏み台を引き摺り出す。その上に乗り、背伸びしてギリギリ届くか届かないかくらいの場所に必死になって手を伸ばす。かわいい。だけど、ちょっと危ない。
「私が取りましょうか?」
「……ああ、すまないね。そうしてもらえると助かる」
店主さんと場所を変わり、手を伸ばしていた棚を開ける。
「左右の箱を二つずつ取ってくれ」
「はい」
埃っぽい棚の中にはいくつもの小箱が積まれている。まさかこれ全てに中級ポーションが十個ずつ入っているのだろうか。だとしたらこの棚だけでも下級貴族の財産くらいはありそうだ。
「マリー、ちゃんと掃除してるー?」
「魔力がもったいないだろう」
「私には魔術使ったのにー」
「この店にとって、埃よりも迷惑な存在だったからな」
「ひどー。なら自分で動けばいいじゃんこの引きこもりー」
掃除で魔術を使うなんてかなり繊細な制御が必要なはずだが、そのことを後ろの二人はわかっているのだろうか。そんなことを思いながら恐る恐る小箱を掴み取り、台から降りる。
「ありがとう、助かったよ」
天使の微笑みを正面からくらったせいか、過去に類を見ないほどのダメージを受けながらも、私はどうにか小箱を手渡した。
「ほら、中級二十ずつと上級五ずつ」
「ありがとー。今日の夜でいい?」
「ああ。いつもの場所で」
エリーさんとの会話を終えた店主さんは、改めて私の方に向き直る。
「どうだい? 魔導書、買ってみるかい?」
まるで買っていってほしいかのように期待した視線を向けられる。当然か。店主としてしっかりと売り上げを出さなければいけないのだろう。
「買いたいんですけど、お金が足りないので……今後の目標のために値段だけ教えていただくことはできないですか?」
申し訳なさと共に告げた私に、店主さんは優しく笑みを向けた。
「ああ、僕はお金で物は売らない主義なんだ」
「……はい?」
「だって、お金には額面通りの価値しかないだろう? そんなのつまらないじゃないか」
つまらない? お金はそういう物でない気がする。額面以上の価値が出てしまえば買い物なんて出来ないじゃないか。
しかし考えてみれば彼女ほどの魔術師、お金に困ることはないだろう。それを鑑みれば確かに、つまらないような気もしてくる。実用的だけど面白味はない、そんな感じだろうか。
「だから、君は何を出せる? 物でも、体験談でも、君が創った物語でもいい。君は僕に、何を対価として差し出せる?」
こちらの反応を伺うような小悪魔的視線。それに応えられるだけのものなんて、私にあるのだろうか。
俯き、自分の内を見つめ直しても、何も見つけられない。お金以上に、自分が出せるものがない。
「私は情報を出して、ポーションを買ったよ。きっと、あると思うな。君にも、マリーが価値を感じる何かが」
エリーさんの言葉に背中を押されてもなお、何も思い浮かばない。ずっと勉強と仕事だけしてきた私には、何もない。空っぽだ。
少しだけ瞳を潤ませながら顔を上げると、店主さんとエリーさんが優しく私を見つめていた。
仕方ないなー、そんな言葉が聞こえてきそうな表情で、エリーさんは私に近寄ってくる。そのまま私のそばで屈み、唇を耳元に寄せた。
こしょこしょとくすぐったい気持ちになりながら聞いたアドバイスに、私は何度も頷く。
全てを話し終えたエリーさんを見上げる私の瞳はきっと、ちょうどこの魔導書の魔石のように、爛々と輝いていたはずだ。
「店主さん」
改めて私は店主さんと向き直る。
「うん、何だい?」
「私は店主さんに、私の時間を出します」
「……ほう?」
興味深そうに、店主さんが私を見つめる。
「私、掃除できます」
「…………ほう?」
「高いところにも届きます」
「………………ほう?」
「私、ここで働きます」
興味深そうな視線が、どこか気まずそうな視線に変わった。
「雑用、なんでもやります」
「…………はぁ」
そのため息は決して嫌なものではなくて、例えるなら、そう、負けを認めた時のような物だった。
「それにマリー、この子、まだ魔術は使えないけど知識は十分だよー。むしろそこらの魔術師よりも凄いくらい」
「そうなのかい?」
「んー。雇って損はないと思うよー」
そこまで聞いたところで、店主さんは苦笑を浮かべる。
「三ヶ月、かな。それだけ働いたら、その魔導書を君にあげよう。もちろんそれまでの間は買われないようにもしておく。これでいいかい?」
短すぎる、とは言わない方が良いのだろう。本来ちょっと雑用をするくらいでは一生かけても買えない物なのだから。
優しさに縋ろう、私の夢のために。その分必死になって働いて、少しでも多くのものを返そう。
「はい! よろしくお願いします!」
勢いよく私は頭を下げた。店主さんがそんな私に近寄ってくる。
「マリーだ。これからよろしくね」
「ソフィアです。全力で頑張ります!」
頼んだよ、と。その日、私の人生が変わった。




