第1話 小さな店長との出会い
色々あって私がアルバイトをさせてもらっている古びた雑貨屋。そこは、かなり変わっている。
まずは建物。しっかりとした作りではあるのだが、まるで数百年そのままだったのかと思うほどの年季は隠しきれていない。この古ぼけたところを気に入っているらしい店長には内緒だが、正直かなり入りにくい。
つぎに商品。下級、中級の回復、解毒ポーションや雑貨というのはどの街にもあるようなものだが、なぜこんなものがと思うような貴重品、高級品もそこに紛れていることがあるのだ。これのおかげで私はこの店で働くことができるようになったのだが、それはそれとして働いてみると少し怖い。手から落として割りでもしたら身を売っても賠償できないと考えると、その瞬間だけは働く場所を間違えたのかと後悔するほどだ。
最後は店長。私が働き始めるまでは一人でこの店を切り盛りしていた、というほどお客さんはいないけれど、とにかく経営していた店長は、ちょっとちっちゃい。……ちょっと、というのは店長に配慮した表現である。
踏み台の上に乗って棚にある商品の整理をしている私の斜め後ろで、何やら紙に魔法陣を描いている女の子。何も知らない人には両親の代わりに留守番をしているようにしか見えない彼女こそが、この店の店長だ。
輝く銀髪が乱れるのも構わず、透き通る碧眼を輝かせて一心不乱に書き殴る姿はまさしく見た目相応の童女なのだが、実際の年齢は不明。少なくとも見た目通りの年齢でないことだけは確実だ。
そして彼女のすぐそばには、百五十センチくらい、店長の背丈とちょうど同じ長さの杖が立てかけられている。店長の瞳と同じアースブルーの巨大な魔法石と小さな深紅の魔石がずっしりとした重厚感のあるウッドスタッフに取り付けられた、ただならぬ気配を放つ逸品。聞くところによれば、魔力を自動で貯蓄する機能まであるらしい。
そんな伝説級の魔杖の先は、椅子に彼女が座っている今ではもはやその頭の位置よりも高くにあるが、それを見事に使いこなす彼女の姿を、私は知っている。
店長は、まだ魔術を使えない私でも分かるほどの、稀代の魔術師なのだ。
本来であれば、間違っても従業員がただの二人しかいない寂れた雑貨屋に埋もれて良い人間ではない。
「店長、飲み物をお淹れしましょうか?」
「……お願いしようかな」
整理を終えた私が提案すると、店長は顔を上げて微笑んだ。かわいい。この笑顔だけでアンデットの一体や二体跡形もなく浄化できるに違いない。
店の奥の魔道具でお湯を沸かしている間に茶葉を選ぶ。ここにあるのは全て、店長が世界各地から集めた茶葉らしい。
今日は特に甘みの強い緑茶にしよう。特に意味もなくそう決めて、ちょうど適温になったお湯を使ってお茶を淹れる。
「熱いので気をつけてくださいね」
淹れ終わった緑茶を店長のいるカウンターまで持って行くと、手を伸ばして受け取ってくれた。
「ああ。ありがとう、ソフィ」
二度目の微笑みは今日の仕事のお駄賃なのだろうか。もしそうなら、私の働かなければならない日数が一日伸びてしまう。それもまた、ご褒美かもしれない。
そんな時、入口の扉に取り付けてある上品な鈴の音が鳴った。どうやら今日は珍しく、お客様が来たようだ。
バタン、と荒々しく開いた扉の奥から店に入って来たのは、少し、いやそこそこ見窄らしい格好をした小さな男の子。その背丈は店長よりも明らかに小さい。まだ年齢も二桁はいっていないだろう。
「ここ、ポーション売ってますか!?」
店の中に入るや否や、乱れる呼吸を整えようともせず、その子は大きな声で尋ねた。その目線の先には私がいる。実際には私の隣にいる、自分より少し年上くらいに見える女の子が店長だなんて思っていないのだろう。
「回復かい? 解毒かい?」
それでも答えは私の隣から返った。一瞬目を白黒させた男の子だが、そんなことを気にしている余裕もないと我に返ったのか、頭を左右に振った後、話を続けた。
「分かんない! お母さんがずっと体調が悪そうだったのに無理して働いて、だんだんひどくなっていって、今日俺が起きたらずっとうなされて動けなくて。——ポーションなら、治るのかなって……」
今にも泣き出しそうになりながら体の横で拳を握りしめる男の子。動けない段階まで行ってしまっているなら中級の回復ポーションは必須だろう。もしかすると中級解毒ポーションも追加で必要かもしれない。そしてその姿からして間違いなく、彼の持つお金では両方どころか中級回復ポーションの半分にも足りない。
それでも私は、ポーションが入れてある棚まで向かった。
「……念の為、中級を両方かな」
私と同じ結論に至ったらしい店長の声と、男の子の息を呑む音だけが聞こえてくる。中級ポーションは庶民が簡単に買える値段ではない、そんなことは五歳児でも知っている常識だ。
「そんな顔はしなくても良い。僕は客からお金は受け取らない主義なんだ。…………その代わり、他のものは貰っていくがね」
思わず微笑みが漏れる。高い位置にある中級ポーションを取るために踏み台を寄せた私は、この店に初めて来た時のことを思い出していた。
「はぁ……」
私、ソフィアの口から漏れ出た辛気臭いため息は十五分ぶり本日五度目の常連さんである。
突然だが、私には魔術の適性がある。だいたいこの世界で五十人に一人くらいの少し珍しい適性だ。しかしこの適性の面倒なところは、適性があるだけというところなのだ。言い換えれば、使える素質があるというだけで無条件に使えるわけではないということ。
もう少し詳しく言えば、この世界の人間は魔術の観点から三種に分けられる。一つは全く魔術を使えない人間。一つは魔術を使える適性だけがある人間。最後は実際に魔術を使える人間。私はこの中で二番目。
一つ目の人間は一生魔術を使えない。二つ目の人間は魔導書を使って魔術を覚えれば三つ目の人間になれるが、それまでは一つ目の人間とできることは変わらない。三つ目の人間はごくごく稀に現れる生まれつき使える魔術を持つ人間か、後天的に魔術を覚えた元二つ目の人間の二種に分けられる。
ここで新たな問題が現れる。…………魔導書は、高いのだ。
魔導書は一人が読めば効力が消える。流通量も多くない上に三つ目の人間であっても新たな魔術を覚えるには魔導書が必要であるため、平民が買うためには死ぬ気で働いた上でせめてもの善行を積み、神に頼むしかない。
これが原因で二番目の人間の九割九分以上は一生魔術を使えないままなのだが、せっかく適性があるなら私は使いたい。そんな思いで十二歳の頃から働き始めてはや三年と少し、私が働いていた宿屋が閉業することになってしまった。店主の老夫婦は余生をのんびり過ごすらしい。幸せに過ごしてほしい。
そんなわけで今日から無職。三年間働いたとはいえ、その程度のお金では魔導書にはまだ遥か遠い。この先も魔導書を目指し続けるか、これを機会に諦めてしまうか。十六歳になった私は今、人生の岐路に立たされているのだ。
「はぁ……」
数分ぶり六度目。
そんなふうに考え事をしながら歩いていたせいだろうか、正面から早足で歩いて来た人の腕と私の肩がぶつかってしまった。
「あっ、ごめんなさ——」
振り向いて謝罪をする間もなく、相手の人はさっさと歩いていってしまう。急いでいたのだろう。
視線を前に戻しながら少し空気を蓄えた私の視界の端に、あるものが入ってきた。
「魔導書?」
本日七度目のため息はキャンセルされ、代わりに今見つけたものの名前が口から漏れた。
ちょうど私が今通り過ぎようとしていた古ぼけた店の窓。そこから見える重厚な皮の本。不審者よろしく窓に張り付いてしっかりと確認すれば、背表紙には魔石が埋まっている。
間違いない。あれは魔導書だ。
「……なんで?」
魔導書は超高級品であるが故にその取り扱いには注意が必要だ。ストレートに言ってしまえば、殺してでも奪い取るの精神でくる人だって中には存在するということ。間違っても防犯も何も無いような店にあって良いものではない。
店の扉には、店名らしきものが書かれた札がぶら下がっている。
「……ぷり、まにー?」
気がつくと、私の手はその扉を引いていた。
チリンと心地の良い鈴の音が鳴る。
「——いらっしゃい」
店に足を踏み入れた瞬間、どこかから声をかけられる。深い知性と芯の強さを感じさせる落ち着いた声。辺りを見回しても、その声の主は見当たらない。
「ここだよ」
声は私の正面から聞こえる。そして私の正面には魔術に関する本が積み上がったテーブルがあった。
一歩、二歩とそこに近づくと、銀の煌めきがだんだんと見えてきた。次いで現れたのは澄み切った薄いブルーの瞳。声の主は、本の後ろにかくれんぼをしていた。
まるで精巧な人形みたい、率直に、そう思った。
「いらっしゃい。何かお探しかな?」
天使のような瞳を少し細めて微笑んだ彼女は、店主というには少しばかり姿が幼くて、ただの店番というにはかなり落ち着いていた。
「魔導書が、見えた気がして……」
自分より幼なげな女の子に気圧されながら私が言うと、彼女は得心したように頷き、店の一角のある部分を見遣る。
「ああ、あるよ。一つだけだがね」
その目線の先には、私が店の外で見つけた魔導書が確かに置いてあった。
「取り出せないようにはなっているから、好きに見ていくといい」
その言葉に押し出され、魔導書には吸い寄せられて私はその前に移動する。本で読んだだけで実際に見たことはなかったその姿。
震える指先で恐る恐る触れてみると、温かみのある皮の手触りを感じられた。暗い店内で一人、いや、女の子の瞳と並んで輝くブルーの魔石は、この魔導書に書かれた魔術が水属性であることを示している。
ついいつも本を書棚から取り出すように魔導書も取り出そうとしてしまう。悪意なんでない、癖のようなもの。魔導書の上に指をかけ、手元に引き寄せ————ようとしても、それはびくとも動かなかった。
取り出せないようにはなっているとはこのことだったのか。小さな女の子一人で魔導書を置いた店の店番をするなんて危機感がなさすぎる、そんな心配は杞憂なようだった。
名残惜しさに魔導書の背表紙を猫に見立て、ずっと撫で続けている私はそこであることに気がつく。
————値札が、ない?
よくよく確認してみれば魔導書だけではない。この店のすべての商品には値札がついていない。庶民でも一家に一つはある初級ポーションらしきものにすらついていないのだから、時価というわけでもないだろう。
「……あの、これの値段って————」
私が女の子に聞こうとしたその時、扉が大きな音を立てて開かれた。せっかくの鈴の音を打ち消すくらいには力強く開けた犯人を見るまでもなく、本をどかしていた女の子の顔が曇る。例えるなら、うげぇーという感じの顔だ。しかし美少女はやはり、どんな表情をしてもかわいくしかならないらしいということは理解できる。
「マリー! ポーションちょーだ————って、この店に私以外のお客さん!?」
私が聞いた今日七回目のため息は、マリーという名前らしい、この店の少女のものだった。