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タイトル未定2025/03/23 19:21

────キリの良い所まで読み進め、休み時間もそろそろ終わりそうな具合。

僕はパン、パン。と、手を叩き彼らを居間へ返してやるのです。それから、あまり間を置かない内にジリリリと高めな金属音が鳴り響き、それからはもう「もしもし?」と言っても、誰一人反応しないのでした。

これは僕が毎日繰り返している日課のひとつです。ルーティンとでも言えばいいのでしょうか。僕は一日の中でもこの15分余りの些か平穏な時間が大好きで、まるで、自分が生徒に勉学を教える先生のようになった気持ちで、ヒケラヒケラと様々な本を一言一句丁寧に「読み聞かせ」しているのです。

しかし、最近はそんな幸せな一時では満足出来ないくらい、僕は退屈してきました。読む本が無くなってしまったのです。小さい頃にここに連れてこられた時、自分の背の高さの3、いや、4倍はある本棚とそこにずっしり埋められた本を見て、これは一生掛かっても全部は読めないだろうな。と、子供心ながらに思ったのですが、時間というのは意外と鈍いもので、5年も経たないうちに全て読み切ってしまいました。

それからはもう、毎日が「退屈」です。1度読んだ本を読み返しても、初めて見た時のような感動は得られませんし、なにせ、ここには本棚と本、それからベッドにイス。あとは定刻通りにご飯が出てくる金属で出来た横穴。それくらいしか無いんです。本に出てきたような、「夕の光の下で、友達と一緒に踊る。」なんて、想像もつきません。何せ、僕には夕の光も友達も、手には届かないのですから。

いや、でも、そしたら何故僕に「夕日」の情景が想像できるのでしょう?1度も見た事がないのなら、それを頭にうかべることだってできないはずです。

、、恐らく、僕はとても、とても小さい産まれたばかりの頃に1度か2度、もしくは何十回、空や夕日というのを見てきたのでしょう。

そう思い、目を閉じて、うんうん頭を唸らせていると、少しずつ「夕日」の情景がくっきりと浮かんで来ました。

白く塗られたコンクリート質の壁に、ぽっかり空いた穴。そこから夕日が僕をチラチラ照らして、それをはっきり見ようと目を凝らすと、カッと強烈な日の光に照らされ、思わず手で目を覆う。

そうやってドギマギしていると、突然、僕の隣にいた誰かが、「かわい子ね。」と言って頭を撫でてくれる。心地の良い、とても心地の良い言葉。

きっと真に誰かを愛するというのは、ドラマチックな雰囲気でキスをしたり、手を繋いでタップダンスに踊り狂ったりする事ではなく、どこか部屋の片隅で、最低限の言葉と暖かな微笑をもって、頭を撫でてくれることなのでしょう。それだけで人は充分に愛を感じる事が出来るはずです。

必要以上に、愛を求める必要は、ないと思うのです。僕は母の顔を1度と見たことがない(もしくは見たことを忘れているのかも)のですが、それでも、昔を思い出そうとすると、真っ先に浮かぶのが母の姿なのですから、不思議に思います。

もし、この小さな牢獄の様な部屋から出られるのだとしたら、僕は真っ先に母に会って、とびきりの笑顔で、「お母さん!!」と叫んで、昔のように母に抱きつくのでしょう。

母の姿を思い出したら、徐々に父の顔が浮かび上がってきました。僕とは似ても似つかない真っ白な肌にキリッとした目。大きな口。そしてさらに大きな耳。僕はその耳が大好きで、よく掴んで振り回してた記憶が浮かんできます。

思えば僕は父に沢山迷惑をかけていた様な気がします。良く覚えてませんが、母が居ないとどうにも心細くて、小さい自分の体が影に吸い込まれそうな気がして、おっかなびっくりに蹲っていると、やがて父がやってきて、なにか僕に声をかけて、その大きな腕で僕を引っ張って、どこかへ連れ出してくれる。と言うのを何回も繰り返していた気がします。僕を引っ張る時の父の手は暖かくて力強かったです。

あの感触をまた、味わいたいと思い、自分で自分の手を握りましたが、どうにも虚しくって、ベッドに腰掛けたまま蹲りしばらく泣きじゃくっていました。こういう時、本の中ではお母さんやおばあちゃん、親友なる者が出てきて、優しく背中を摩ってくれるらしいです。僕は少しそれを期待して、涙が止まったあともしばらく縮こまって居たのですが、とうとう誰も来ず、仕方く諦め、少し横になりました。

何故でしょうか、こんなに心が痛むのは。

殴られた訳でもないし、傷つけられた訳でもない。寧ろずっとずっと愛を貰って育ってきたというのに、何故涙が止まらないのでしょうか。

最近は、母を思い出しては泣いて、父を思い出しては泣いて、そんなことをグルグル繰り返している気がします。

泣き疲れて眠っていると、チーン。と、景気の良い音がなりそれに続いて左手の横穴からゴンと鈍い音がなりました。僕は立って穴の中から落ちてきた袋を取り出し、中身を見て見ました。

今日はスパゲティの様です。「わぁ」と小さな吐息を出して、ルンと笑顔を作ってみました。本当はハンバーグライスを食べたかったのですが、わがままは言ってられません。

とにかく、食欲のままにそれを平らげ、ふう、と一息。それからは特にすることも思いつかなくて、本を読んだり、投げたり、ジャンプしたり、叫んでみたり、走ってみたり。色々しましたが、結果はご察しの通り、虚しさを助長させるだけでした。

いっそ死んでしまおうか。とすら考えました。

本の中で、死とはいつも悲劇的です。誰かが死ぬ度に周りの人間が泣いたり、笑ったり、怒ったりしています。ですが、僕はどうでしょう?僕が死んで困る人たち、、と考えた時、あの「ボルヘア」たちが目に浮かびました。

彼らは皆一様にキズだらけで、特に顔や足への傷はマトモに見るのが辛くなるほどです。

ジリリリという音と共に壁の下側に着いた金属製の扉がガコンと開き、そこから這ってやってきて、5~8体くらいが僕の話を聞き、またジリリリと同じ音で去る彼らですが、一体、僕には見えないむこう側で何をしているのか、検討も着きません。

初めて会ったのは此処に入って3ヶ月くらい経った頃、孤独で胸が押しつぶされそうになってる僕の元へ、例の音と共に彼らが部屋へ入ってきました。這いながらうめき声をあげ、少し経ったら這い去る彼らに、僕は当初恐ろしさで身動きが取れないような状態になりました。

それから毎日、同じ様な時間帯でぐるぐるやってくる彼らに、そろそろ怯える気力もなくなってきた時、思い付きに「ヘンゼルとグレーテル」を読み聞かせてやりました。すると、面白いことに彼らは一斉に僕の方に向き直って、僕の話に目を輝かせながらうう、うう、呻いて、目を潤すのです。

まるで神様になったような気分でした。いや、神様なんかよりもっと美しい。それこそ、人に知識を教え込む聖母のよう。とでも言えばいいのでしょうか。それから僕は「読み聞かせ」が一日の日課となりました。

もし僕が居なくなれば、誰も彼らに読み聞かせする人は居なくなるだろうから、僕はまだ、だいぶ長い事生きていけなきゃいけないな。と、少々ため息。

ある意味で、ここ以外の景色を見れる彼らを羨ましく思います。僕は、ここに居る限り絶対安全ですが、「安全な不自由」ほどつまらないものは無いはずです。

もし外の空気を吸って母にまた会えるのなら、僕はそこで死んでしまっても良いなと考えました。「一生のつまらなさ」より、「1時の愉しさ」

これが僕の願いです。

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