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あの日のまま  作者: 弍口 いく
2/2

後編 ずっとそばにいてよ

「ありがとう」

 珠蓮くんの元からあたしを連れ去ってくれた植田くんに、とりあえずお礼を言ったが、彼はこちらを見もせず厳しい横顔だった。


「君が補導でもされたらマズイからな、警察で余計なことまで喋られちゃ困るし」

 彼がなにを言っているのか理解できなかった。

 そしてタイミングよく現れた訳も。


「話を付けようじゃないか、なにが目的だ? 金か?」

「いったい、なんの話?」

「今更とぼけるのか?」


 冷たい表情、目を合わせようともしない、その横顔はあたしを拒絶していた。

 なぜ? 昨日オーディションで会ったばかりなのに……。


 頭痛がいっそう激しくなった。


「ほんとバカなことをしたよ、あの時、ちゃんと救急車を呼んでいればこんなことにはならなかったのに。あの男、内村って言ったっけ、連続殺人犯だったらしいじゃないか、ニュースでやってた」

「ひき逃げ?」

「君がいたのに気付いたのは、発進した後だった……、でも、もう止められなかったんだ」


 また、記憶の奥で車のヘッドライトが輝いた。

 今度は前よりも鮮明に、そして車もハッキリ見えた。

 そう……あたしはあの日、轢き逃げを目撃したんだ。今、記憶が甦った。


 運転していたのは植田くん。


「ま、あの車は廃車にして買い換えたし、俺に警察の手が伸びることはないけど」

「あたしが黙っていればね」

 自分の意思に反しての発言だった。また勝手に口が動いたのだ。


「日本の警察は優秀なのよ、後からでも調べはつくわ、それに世間で注目されてる事件でもあるしね」

 自分の声が耳から入っている、確かにあたしの声だが、口調は全然違う、まるで別人が喋っているようだった。

 事実、あたしには喋っている意味が理解出来ていなかった。


 いったい、どうなっているの?

 あたしはどうなってしまったの!

 心の中でそう叫んだが、それは声にならず、別の言葉が口を突いて出る。


「ワイドショー独占でしょうね、人気絶頂の植田直哉が轢き逃げ、被害者は殺人犯、こんな風に疑う人もいるんじゃないかしら? 内村の殺人に植田が関係してるんじゃないか、自宅から発見された被害者たちと、植田の繋がりはって」


「バカ言うんじゃない! 俺は関係ないぜ!」

「世間はどう思うかしら、ただの偶然で済むかしら?」

 なんて悪意に満ちた言い方なんだろう、あたしはなにをしようとしてるんだろう。


「いくら出せばいいんだ?」

「そうね、あなたずいぶん儲けてるようだから」

「吹っかけるなよ、俺だって魔がさすってこともあるんだぜ、このまま君をどこかへ連れてって、葬り去ることだって出来るんだ」

「すれば? でも残念ね、また目撃者がいるわ」

「さっきの男か、仲良さそうには見えなかったけどな、アイツのことも強請ってたんじゃないのか?」

「さあ、どうかしらね」


 この会話にあたしの意思は存在しない、別の誰かがあたしに喋らせているのだ。

 でも、止められなかった。


 その時、植田くんが急ブレーキをかけた。

 あたしは前のめりになり、危うくボードで顔を打ちそうになった。


「なによ!」

 顔を上げると、車の前をジグザグ走行する危ないバイクがいた。見覚えのあるそれは、

「掬真……」


「あれも君の知り合いか?」

「無駄なことを!」

「なんのつもりなんだ、これ以上のトラブルは勘弁してくれよな」


 掬真のバイクは植田くんの行く手を阻むように……、いや巧みに行き先を誘導しているようにも見えた。

 しかし植田くんはそれどころではない、当てないようするので精一杯、やがて停止せざる終えなくなった。


 そこは取り壊しが決まっているビル前の駐車場だった空地、人影はなく、ひっそりしていた。

 誘い込まれたのは間違いなかった。


 掬真はバイクを降りて、あたしたちの車に近付いた。


「出して」

 あたしは植田くんに言ったが遅かった。

 掬真は助手席のドアを開け、あたしの腕を掴んだ。ロックしているはずなのになぜ? と思っている間に、あたしは車から引き摺り降ろされた。


「お前は行け」

 掬真きくまは植田くんに言った。


 植田くんは驚いた様子で、地面に転がったあたしを見ていた。

「その子をどうするつもりなんだ?」

「俺が始末する」

「始末って……」

「お前には関係ない、さっさと帰って、忘れろ」


「助けて、植田くん!」

 あたしの叫びに彼は戸惑っていた。

「コイツが消えたほうが、お前にとっても都合エエやろ」


 あたしは恐怖に震えていた……つもりだったが、取った行動は全然違っていた。

 どこに隠し持っていたのか、あたしはいつの間にかナイフを手にしていた。そして、それを掬真のふくらはぎに突き立てた。


「くそっ!」

 掬真は苦痛に顔を歪めながら膝をついた。

 暗かったがジーンズに血が滲んでいくのがわかった。あたしはその隙に車に乗り込もうとしたが、植田くんがドアを閉めるほうが早かった。


「待って!」

 あたしの声はドアに阻まれた。

 中には鞄もあるのに!


 車は急発進した。

 あたしは追いすがったが、アッという間に離れていった。

 その時、目の端に入ったのは掬真が乗ってきた大型バイク、免許も持っていないのに、あたしはそれにまたがっていた。


 キィはついたまま、でもどうやって動かせば……。

 モタモタしているうちに、なにか強い力に押されて横転した。


「痛っ!」

 バイクの下敷きになった右足を引き抜くと激痛が走った。


 折れた!?

 そう感じながらも体は違う行動を取っていた。


 素早く立ち上がり、徒歩で再び逃げようとしたが、ゴツンと今度はおでこをぶつけた。

 変だ、目の前にはなにもないはず、なのに、透明なガラスでもあるような感じで、行く手を阻まれた。


「結界を張った、邪悪なモンは出られへん」

 足を引き摺りながら近付いてきた掬真が言った。


 結界?


 聞いたことはあるけど、それがあたしにどんな作用を及ぼしたのか理解できなかった。しかし、もう一人のあたしにはわかったようだ。

「閉じ込めたって訳か」

 あたしの口はそう言ったかと思うと、方向転換、廃墟のビルに向かって走った。


 右足に走る激痛など無視して……いや、だんだん感覚が無くなっていた。そこにあたしの意思は存在していない。

 体が勝手に動いている。

 意識はハッキリしているがどうにもならない。

 信じられないが、あたしの体はなにかに乗っ取られている、そう考えるしか説明がつかない状態だった。


 ビルの入口まで来たが、施錠されていた。


「今度は逃がさへんで」

 そう言いながら、掬真は革ジャンの内ポケットから先の尖った金属のようなものを出した。ナイフかと思ったがそうではない、暗闇でも金色に輝いているのがわかった。


独鈷どっこか、尊い法具で人間を殺すつもりか?」

 あたしの口は言った。

「お前がその子の体から出て行かへんのやたら、しゃーない」


 やはりあたしは得体の知れないなにかに取り付かれているようだ。

 悪魔?

 そして彼は悪魔祓い?

 でも、殺すって……あたしごと悪魔を葬るつもりなの?


「この前はしくじった。お前を追い詰めたつもりやったけどツメが甘かった」

「あの男は居心地がよかったんだけどな、心の中はドロドロしたものの塊だった、人間の醜さが充満していた」

「その子はちゃうやろ、お前の好物とは思えへんけど」

「不安だよ、タマタマ近くを通りかかったコイツの心は、その時、不安でいっぱいだった、それに引き寄せられたのさ」


 不安? オーディションのことで頭がいっぱいだったけど……。


「わざと車にはねられてお前らの目を眩ませようとしたのだがな、俺はあの男と共に消滅したと……」


 あたしの脳裏にその時の場面がハッキリ甦った。


 なにかに追われている内村という殺人鬼が横断歩道に飛び出した。

 歩行者信号は赤、ちょうど走って来た車にはねられた。

 スピードを出していた車の勢いで内村の体が弾き飛ばされ宙に舞う、その光景がスローモーションのように見えた。


 彼の体がグシャッと地面に叩きつけられた。


 はねた車が急停車したのでドライバーの顔がチラッと見えた。

 顔面蒼白の植田くん、しかし彼はそのまま車を急発進させた。


 スリップ音を響かせながら去っていく車、後には地面に横たわる内村が残された。


 彼の体はまだ痙攣していた。

 声も出せずに立ち尽くしていたあたしは彼と一瞬、目が合った。距離はあったが、確かに目が合ったのだ。


 記憶が無くなったのは、その瞬間からだ。





「残念やったな、俺たちの目はごまかせへんかった、あの時は逃げられたけど、今度こそ仕留める」

 掬真が言った。


 だんだんわかってきた。

 悪魔は人間に取り付き、その人に罪を犯させる。あたしもそうなるのだ。いや、もうなにかやらかしているのかも知れない。記憶を失っている間に、他人に危害を加えている恐れもあるのだ。

 内村の自宅から八人の遺体が発見されたニュースを思い出し、あたしの背筋に悪寒が走った。


 その時、ガチャっと音がしたかと思うと、施錠されていた入口のドアが開いた。そして中から出てきた手に掴まれた。


「こっちへ!」

 あたしは引きずり込まれた。


「大丈夫?」

 あたしの手を掴んでいた珠蓮くんが、ドアを閉めながら言った。

 なぜこんなところにいるの?


「まだ意識はあるんだね、聞こえてるんだね」

 返事をしたかったが出来なかった。


「意識などない、完全に支配しているのだからな」

 あたしの体は拒絶するように珠蓮くんの手を激しく振りほどいた。そして数歩退き、身構えながら距離を取った。


「君は憑魔ひょうまという妖怪に憑りつかれている、そいつは単体で生存できないから、常に人間に寄生するんだ、誰かに取り付いて、良心を奪って悪行を犯させる、そして力を蓄えていくんだ」


 やはりあたしの体は……。


「でも君はまだ手を汚していない、良心が阻止してるんだ」


「それももう限界だな」

「いいや、彼女は強い意志を持っているから大丈夫だ、必ず助ける」


 あたしに取り付いている妖怪は自ら出ていくことはない、だから掬真はあたしごと葬ってしまおうとしているのだ。でも珠蓮くんはあきらめていないの?


「どうやって?」

 鼻で笑うあたしを、珠蓮くんは真っ直ぐ見つめた。

 その表情からはなにも読み取れない、彼の心の声を聞くことはあたしには出来ない。


「お前こそどうする? 掬真の結界は強力だ、お前には破れない」

 静かな建物内に大きな音が響いていた。

 掬真がドアを蹴破ろうとしている音。


「結界は、術者が死ねば消滅する」


 掬真を殺すと言うの?

 どうやって?

 いくら妖怪に支配されていても体はあたしのままよ、か弱い女なのよ、彼と戦っても勝算はない。


「お前は奴の仲間だろう、妖怪ハンターと見た。同等の力を持っているのだろう」


 珠蓮くんが妖怪ハンター?

 そんな人がいるなんて……。


 バタン!

 ドアが破られた音が響いた。


 その瞬間、フッと体の力が抜けた。

 そして黒い影が宙に沸きあがったかと思うと、それが真っ直ぐ珠蓮くんの体に吸い込まれるのをハッキリと見た。


 次の瞬間、右足に激痛が甦った。

 それは気が遠くなるくらい強烈で、あたしは崩れ落ちた。


 姿を現した掬真は、倒れているあたしに視線を落とした。

 彼が内ポケットに手を入れた時、殺される! と恐怖にすくんだが、出したのは独鈷ではなく長い数珠だった。

 それを輪投げのように投げて、見事あたしの首に引っ掛けた。


「これでもう寄生される心配はない」

 彼にはわかっていたのだ、敵がもうあたしの中にいないことを。

 でも、今度は……。


 珠蓮くんはジーンズの後ろポケットからサバイバルナイフを取り出した。二人は真っ直ぐ目を見つめながら対峙した。


「お前が相手やとはな」

「お前以上の力を持つこの男なら、お前を倒すことができよう」

 憑依された珠蓮くんは、掬真にナイフを突き出した。

 掬真は軽い動作で交わし、すれ違いざまに珠蓮くんの腹に蹴りを入れた。


「うっ!」

 珠蓮くんは一瞬、体を折ったが、すぐに立ち直り、回し蹴り。

 掬真はそれも交わし、続く動作でナイフを持つ珠蓮くんの右手を蹴り上げた。ナイフがあたしの1メートル先に飛んできた。

 武器を失った珠蓮くんは素手で格闘に臨む、まるでアクション映画を見ているようなシーンが目の前で繰り広げられた。


 あたしは今にも気を失いそうな痛みを右足に感じながらも、固唾を呑んで見守った。ただ見ていることしか出来ない自分が歯がゆかった。

 二人の顔が見る見る腫れ上がる、足元もふらついてきていた。

 果たして決着は着くのだろうか? 


 すると唐突に、掬真が拳を下ろした。

「いい加減にしろよ、もうエエんちゃうか?」

 口元の血を拭った。


「そうだな」

 珠蓮くんはさっき手放したナイフを拾ったが、掬真はそれを黙って見ていた。

「終わりだな」

 珠蓮くんは口元に笑みを浮かべながら、不敵に言った。

 しかし、その表情が一変した。


「なに?」

 ナイフを持つ珠蓮くんの手がワナワナと震えだした。

「どう言うことだ、わたしはこの男を支配しているのだぞ」

「そう思ってただけや、余興は終わりや、もう気ぃ済んだやろ? 珠蓮」

「なにをするつもりだ」


 そう言った次の瞬間、

 珠蓮くんはナイフを自分の腹に突き刺した。


「!!」

 あたしは悲鳴を飲み込んだ。


「バカな……」

「お前がなんで簡単に乗り移れたか、変やと思わへんかったんか? 珠蓮は俺以上の力を持ってるんやで」

 掬真が不敵な笑みを浮かべながら言った。


「わざと引き入れたというのか?……我が身を、犠牲に、し、て」

「それしかこの子を助ける方法はない、アイツはどうしても助けたかったんや」


 そんな、じゃあ珠蓮くんはどうなるの?

「その女を助けるために、自分の命を捨てようと……言う…のか」

 かすれながら搾り出す珠蓮くんの、いや、取り付いた妖怪の問いに掬真は答えなかった。


「そんなのダメ!」

 立ち上がるのは無理だったが、あたしは這いつくばりながら力を振り絞って珠蓮くんのところへ行こうとした。

 だが掬真に阻まれた。

 彼の長い足の間から、珠蓮くんが見えた。彼はあたしを見つめ、微笑んでいるようにも見えたが、その口元から血が噴出した。


「!!」

 珠蓮くんはゆっくり地面に突っ伏した。

「なんで? なんであたしなんかのためにそこまでしてくれるの?」

「そうう奴や」

 珠蓮くんの体は痙攣し、苦しそうに顔を歪めていた。


「助けてよ! 友達なんでしょ」

 あたしは掬真の足に手をかけた。それは偶然、さっきあたしが刺した場所だった。

「いてぇ!」

「珠蓮くんはもっと痛いのよ!」

「もう、痛くない」

 見ると、痙攣がおさまりグッタリしていた。苦しそうだった顔も、今は眠っているように穏やかで……。


「そんな」

 そして、その体から黒い影が立ち上った。

「出てきたか? で、どうする?」

 掬真はすかさず独鈷を出して、そちらに突き出した。

 そしてあたしは不思議な現象を目の当たりにした。


「こう見えても、俺は本物の僧侶やしな、俺に寄生なんか出来ひんで」


 掬真が握り締めた独鈷から金色の光がじわじわと出てきた。

 その神々しい光は部屋全体に広がり、あたしは眩しさに目を細めた。


 それが黒い影を包み込んだ。


 断末魔の叫びだったのだろうか?

 脳天に響く金属音のようなものが耳をつんざいたかと思うと、黒い影は完全に消滅し、やがて金色の光も小さくなった。


 後には横たわる珠蓮くんの体だけが残った。


「終わったな」

 掬真は独古を内ポケットにしまいながら振り返った。

 あたしはただ茫然と、奇跡のような光景に目を丸くしていた。瞬きさえ忘れていた目から、突然、涙が溢れ出した。


「行こか」

 掬真はそんなあたしの前に屈み、肩を抱いて立たせようとした。

 立てる訳ないじゃない、足、折れてるかも知れないのに!


「しゃーないなぁ」

 掬真は背中を向けた。負ぶってくれようとしているのはわかったが、なかなか体が動かなかった。

 珠蓮くんをこんなところに置き去りにして行くと言うの?


「君は自分のことを考えたほうがエエで」

 掬真もあたしの心の声に答えるように言った。

「何時やと思てる? 親にどう説明するか考えな」

 確かに……。


「とにかくここから出よ」

 そうするしかないようだ。珠蓮くんの遺体が明日、工事関係者に発見された時、あたしはどう関係していたかなんて説明できない。


「どうもない、心配せんでエエし」

 あたしは掬真の背中に乗った。

「とにかく病院へ、知り合いの医者がいるし」

 あたしは返事も出来ず、その後はただずっと泣いていた。


 掬真の背中は大きくて、暖かくて……。

 あたしは泣きつかれてそのまま眠ってしまったようだ。



   *   *   *



 目を開けると白い天井が見えた。

 辺りは明るく、窓から真っ青な空が見えた。


「気がついた?」

 心配そうに覗き込んだのは母だった。

 厳しい表情だったが、呆れたているようにも見えた。


「ここは?」

「病院よ」

 掬真が運んでくれたのだろう。

 あたしは体を起こそうとしたが無理だった。右足が吊り下げられていたからだ。


「骨折ですって」

 やっぱり……、あの尋常でない痛みから予想は出来た。

「歩道橋から転落して怪我をしたところ、通りかかった人が運んでくれたんですって」


 そう言う話にしたのか……。

 そんな作り話が疑われなかったのは不思議だったが、確か知り合いのお医者さんがいるって言ってたっけ……。


「痛むの?」

 あたしは吊り下げられた足を見ながら、知らず知らずに涙を零していた。

 怪我よりも心が痛かった。

 踊れない、オーディションはあきらめなければならないのだ。

 あたしは布団を頭の上まで引き上げた。


「大丈夫よ、綺麗に折れてるから治るのも早いだろうって先生がおっしゃってたわ、またすぐにダンスできるようになるわよ」

 それは本心なの?

 ホッとしてるんじゃないの?

 これであきらめてくれたらって思ってるんじゃないの?


 いろんなことが頭を巡っていた。

 珠蓮くん……彼はどうなったのだろう? もう遺体は発見されたのだろうか?

 涙がとめどなく溢れて顔を出せなかった。


「一人にしてくれない?」

 震える声でやっとそう言った。

 母はなにも言わずに出て行ったようだ。

 ドアが閉まる音だけがした。


 悪夢のような出来事は、あたしが偶然、あの轢き逃げ現場に居合わせた時からはじまった。

 信じられないことがいっぱい起きすぎて、現実だったとはとても思えない。悪夢なら早く覚めてほしいと願ったが、溢れる涙は本物だし、頭から布団をかぶっている息苦しさも本物だ。


「じゃあ、顔出して新鮮な空気を吸えば?」

 その声は……?


 あたしはソ~っと布団を下げて目だけを出した。

「嘘!」

 あたしは思わず起き上がろうとしたがそれは無理だった。


 ベッドの脇に珠蓮くんが立っていた。


 きっと間抜けな顔をしていたのだろう、珠蓮くんは優しく微笑みながら、

「なんて顔してるんだ、ま、無理もないけど」

 そう言ってあたしの鞄を差し出した。植田くんの車に忘れたものだ。


「忘れ物」

「どうして……」

 生きていたなんて……。

「あの後、植田直哉が引き返してきたんだ、放っておけなかったんだろう、案外いい奴なのかもね」

 鞄なんかどうでもいい、あたしが聞きたいのは、あんな傷を負ったのになぜピンピンしてるの?


「彼にはちゃんと説明しておいたよ、信じてくれたかどうかはわからないけど……。内村や君が妖怪に憑依されて操られていたこと、事故に遭わなくても内村はどのみち死ぬ運命だったし、今更、自首する必要もない、って言うか、そんなことしてもらったら余計にややこしくなるし、忘れてくれって頼んどいた。その方がアイツにとっては都合いいけど、君のことは気にしてたよ」


「それより、あなたは大丈夫なの?」

「俺?」

 あたしは彼の腹部に目をやった。

 彼はお腹に手をやり、

「ちょっとしたマジックさ」

「マジックって?」

 珠蓮くんは答えず、とても淋しそうに目を伏せた。


「確かに見たのよ、あなたは自分のお腹にナイフを突き刺した、シャツにはいっぱい血が滲んで、口からも血を吹き出した。目の前で見たのよ」

「……」

「マジックだなんて信じられない! そうよ、現場に行けばわかるわ、アレが偽物だったのか、本物の血液だったのか」


「ほんと、掬真が心配した通りだ」

 珠蓮くんは大きな溜息をついた。

「きっと君はこのまま引き下がらない、俺がどうなったか納得いくまで調べようとするだろうって、警察に余計なことを喋られたら厄介だし……、だから無事な姿を見せて来いって」


 珠蓮くんの無事な姿を見てホッとした。

 でも……。


「無事な姿を見ただけじゃ、納得してもらえない?」

「わからないの、あまりに現実離れしたことばかりで、混乱して」

 珠蓮くんはまた大きな溜息を漏らした。

「無理ないね、俺も最初はそうだった。こんな体になる前は」

「こんな体?」

「知ってる? 妖怪にはいろんな種類がいるんだよ、人間に危害を与える奴ばかりじゃない」


 そう言った珠蓮くんはとても辛そうだった。あたしは言いたくないことを言わせようとしているのだ。

 でも引き下がれない、聞かなければ納得できなかった。


「あなたは……人間じゃないの?」

 珠蓮くんは真っ直ぐあたしの目を見つめ、

「俺は鬼だ、ずっと昔、噛まれて鬼になってしまったんだよ」


「鬼……?」


「鬼に噛まれてなお命が助かった人間は、やがて毒に侵され鬼と化す運命を背負う。不死の身体となり、人の心を失って、やがては人を襲い心臓を食っては妖力を増強させ、長い年月生き続ける」

 あたしは自分の目を、耳を疑った。


「けど俺は厳しい修行を重ねて、鬼の妖力を持ちながらも人間の姿と、理性を保てるようになったんだ」

 シャツをめくってお腹を見せた。そこには小さな傷跡があったものの、何年も前の古傷のようだった。


「アイツは俺が鬼だと気付かなかった、だから死んだと思って、俺の体から出てきたんだ」

「そんなの信じられない、こんな優しい目をした人が鬼だなんて……」


「ありがとう」

 珠蓮くんは寂しそうに微笑んだ。

「でも、真実だ。だからこれ以上、関わらないほうがいい」

「そんなこと、出来ない」

 出会ってしまったんだもん。

「出来るよ、全部忘れて、君らしい生活に戻るんだ」

 珠蓮くんはそう言いながら、あたしの額に手を当てた。


「少し眠ったほうがいい、早く怪我を治して、また頑張るんだろ、今回は残念だったけど、チャンスはまたあるし」

 彼の手は大きくて、とても暖かくて心地よかった。

 あたしを見下ろす瞳はとても優しくて……。


「いつか君の夢が叶うことを祈ってるよ、きっとどこかで見てるから」


 どこかで?

 そんなのイヤ! 

 近くで見ててよ、ずっと側に……いてよ……。



   *   *   *



 その夏は怪我の治療に専念せざる終えなかった。


 しかし怪我が完治した頃、奇跡が舞い降りた。

 オーディションの審査員をしていた人の推薦で、大手芸能プロダクションに所属する運びとなり、女優としての道が開けた。


 最初は端役だったが、テレビにも出るようなったあたしを、珠蓮くんは見てくれているだろうか?

 そんな思いがあたしを頑張らせた。

 そして連ドラのヒロイン役に大抜擢、主役はなんと植田くんだった。後で聞いた話によると、彼があたしを強く押してくれたそうだ。


「なんで? あたしなんかと関わり合いたくなかったんじゃないの?」

 と聞いたが、

「縁があるんだよ、きっと」

 サラリと言った。

 彼があの事件をどう考えているのか、語り合う機会はなかったが、あの事件は彼の胸に深く胸に刻まれているようだった。


 こうしてあたしは女優の階段を駆け上がった。






   *   *   *






「思えばあれが初恋だったのよ、たった3日間の短い初恋」

 当時に思いを馳せてつい夢見る乙女気分になった。あれからずいぶん長い時が流れたが、気持ちは若いままのつもりでいる。


「珠蓮がイケメン? 優しい?」

 長い話を黙って聞いてくれた流風ちゃんは、納得いかない様子で眉をしかめた。

「そこが気になるか」

 真琴は苦笑いした。

「お祖母ちゃんの遠い記憶やさかいな、事実とは異なるかも」

 ついこの間の話のように思えるけど、すっかりおばあちゃんなってしまっているので、多少の脚色はあるかも……でも、

「そんなことないわよ、珠蓮はいつだって優しいわ」

「はいはい、お祖母ちゃんにはな」


 孫娘の真琴には何度も聞かせた話だから、きっと丸暗記してるんでしょう。でも流風ちゃんには初めてだから、いつもより詳細に話してあげた。

 流風ちゃんは真琴と同じ14歳だけど、掬真さんの親戚筋で、この若さで妖怪ハンターをしている。


 以前、珠蓮のことを知らずに、刃を向けたと聞いてビックリしたわ。だから、ちゃんと話しておかないといけないと思って、夕食に招待したわけなのよ。

 食後のデザートを食べながら長話になってしまって、夜もすっかり更けてしまったけど、彼女なら夜道も心配ないし。


「妖怪に憑依されて以来、わたくし、普通の人には見えないモノが見えるようになってしまってね、妙な事件に巻き込まれてしまうのよ」

 巻き込んでるのはそっちやろ~! と真琴の心の声が聞こえたような気がしたけど、無視よ。


「でも、珠蓮がいつも助けてくれてね、掬真さんとも再会できたしね」

「なんでお祖父ちゃんとくっついたん? 第一印象最悪やったんやろ?」

「それはね」


 瞳に乙女チックな星が浮かぶ気分になった。

「22歳になったばかりの時、ある映画に主演したんだけど……その時はも超売れっ子になっていたのよ……その原作が掬真さんの小説だったの」


「まさか妖怪ハンターを辞めて、小説家に転身しているなんて思いもよらなかったわ、彼はわたくしが毎日仕事に追われて、身も心も疲弊しきっていることを見抜いたの、彼は優しく気遣ってくれたわ」

 誰にも覚られないように強がってたのに……。


「撮影が終わってから交際しはじめて、1ヶ月でめでたくゴールイン、すぐ京都に来たのよ」

「電撃結婚だったんですね」


「それはもう大騒ぎ、連日ワイドショーで取り上げられて……。自分でも信じられなかったわ、掬真さんのためなら、あれほど夢見て叶えた女優という仕事も、躊躇うことなく捨てられたの、その話も聞きたい?」

「いいえ今度で」

 続けて長い話を聞く気になれなかったのでしょう、流風ちゃんは辞退した。


「菫さんが珠蓮をこき使う訳が、少しわかりましたし」

「こき使うだなんて、人聞きの悪い、頼りにしているんです、珠蓮はいつだってわたくしの力になってくれるのよ」

 そう、いつだって彼は……。


「彼は初めて逢った時と全く変わらないわ、あの日のまま、優しくて……」


   あの日のまま おしまい


最後まで読んでいただきありがとうございます。

この物語は連載中の『金色の絨毯敷きつめられる頃』の外伝です。よかったら本編のほうも読んでみてください。

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