前編 星に願いをかけてくれた人
「1、2、3、ハイッ、ターン!」
今日は羽が生えたように体が軽く、絶好調って感じ、クルリとターンする度に、飛び散る汗がキラキラと輝いて見え、気分も最高!
「じゃあ、ここで10分間休憩!」
曲が終わると八神先生が告げた。
「どうしちゃったの? 菫」
すぐに涼子が駆け寄った。
「凄いじゃない、キレっキレで」
涼子は驚いていた。無理もない、本人だってビックリしてるんだから、あたしって、こんなに踊れたっけ?
「キレだけじゃなくて、柔らかさもあったし、昨日までとは別人みたいよ、どうしたの?って、わたしも聞きたいわ」
そこへ八神先生も加わった。
「明日のオーディション、希望が出てきたわよ、頑張りなさい」
先生は嬉しそうにあたしの両肩を強く掴んだ。
「はい!」
褒められるってイイ気分、なんかプロポーションまで良くなった気がする。あたしは思わず鏡に映る自分の姿に見とれた。自信を持つことは間違いなくプラスだ。
あたしこと本山菫は女優を夢見る中学2年生。夢、じゃなくて現実にするための一歩を踏み出そうとしていた。
明日のオーディションには、あたしと涼子を含め七人がこのダンススクールからトライする。練習はいつもり軽めに終わり、明日に備えてよく休むようにと言われたが、神経が高ぶって今夜は眠れそうにない。
涼子とは途中まで同じ方向なので、並んで歩き出した。その時、
「涼子!」
赤信号の向こうから大きな声で呼んだのは涼子ママだった。信号が待ち切れずに手を振っている。
「昨日、この先で轢き逃げがあったから心配で迎えに来たのよ、もう子供じゃないのに」
涼子は少し恥ずかしそうに言った。
「ひき逃げ?」
その瞬間、ふっと記憶の奥で、車のヘッドライトが輝いた。
「えっ?」
一瞬、それが現実に思えて、あたしは立ち止まり、目を細めて手をかざした。
「どうしたの?」
あたしの不可解な行動に涼子が首をかしげた。
「ううん、なんでもない」
とてもリアルだったけど……。
信号が変わり、涼子ママはあたしたちの元へ駆けつけた。そちらへ渡るのに……。
「ママったら、迎えになんか来なくて大丈夫なのに、車には気をつけてるわよ」
「違うわよ、大変なのよ! 殺人事件だって、家から死体がゴロゴロ出てきたって大騒ぎよ、警察やらマスコミやらがいっぱい来てて、町内大混乱なのよ」
「殺人事件って……」
涼子とあたしは顔を見合わせた。
ご近所でそんな事件が起こるなんて、すぐには実感がわかなかった。
しかし少し歩きはじめると、それが本当に大事件だとわかった。
静かな住宅街のはずが、パトカーや報道関係の車が何台も集結しており、ライトが煌々と照らされて昼間の明るさになっていた。テレビでよく見るキャスターが、カメラに向かって中継している姿が人混みの隙間からちょっとだけ見えた。
「やーねー、こんな所まで野次馬が……、通れそうにないわね、遠回りしましょう」
涼子ママは進路変更しようとしたが、
「立原さん、聞いたぁ?」
涼子ママの顔見知りらしいおばさんが話しかけてきた。
「遺体が八つも出てきたんですって、白骨化してるのもあるって」
「そうなの! 怖いわね~」
「こんなに近くに殺人鬼がいたなんてビックリよね、まさか内山さんだとは」
「えー! 内村さん家なの? 奥さんとは町内会で同じ時期に役員やってたのよ」
おばさん二人は、あたしたちなどそっちのけで話しはじめた。
「なんでわかったの?」
「ほら、昨日轢き逃げがあったでしょ、その被害者が内村さんの息子さんで、身元確認のため自宅へ行ったら応答がなくて、異臭に気付いた警察官が不審に思って中に入ったら」
「まさか、奥さんやご主人も?」
「遺体の身元はまだわかってないらしいけど……どうやら息子さんの犯行らしいわ」
「うっそぉ、あのお兄ちゃん、優等生だったのに」
「お知り合いなんですか!」
突然、テレビ局の人らしい男性があたしたちの輪に割って入った。
「え、少しは」
涼子ママがとっさに答えると、
「マイク回して! 関係者の話が聞けるぞ!」
関係者って……。と思ってるうち、マイクやカメラがやってきてあたしたちは追いやられた。
「ママ、頑張って!」
涼子の声援に、涼子ママはピースで応えた。この親子って……。
結局、涼子ママとその知り合いのおばさんがインタビューを受けている間、涼子は待つと言うので、あたしは先に帰ることにした。
その時、
あたしは刺すような視線を感じて立ち止まった。
背中がゾクゾクする感じ……。
あたしは恐る恐る振り向いた。
そこには男の人が立っていた。
黒いTシャツにジーンズとスニーカー、鋭い目つきがガラ悪そうな高校生くらいだろうか?
じっとこちらを見ているが、知らない顔だ。
しかしあたしは彼からの視線を逸らすことが出来なかった。
吸い込まれるような黒い瞳。
とても悲しげに見えた。
* * *
涼子と別れて一人で家路についたあたしは自然と足早になっていた。
ようやく喧騒地帯から脱出し、いつもの静かな住宅街になってなんだかホッとした。
でも、さっきの人は誰だったんだろう?
なぜあんな目であたしを見ていたんだろう?
そんなことを考えていた時、目を眩ませる光に襲われた。
その瞬間、あたしはデ・ジャ・ヴを感じた。最近、こんな風にまばゆい光に目を細めたことがある。
あたしは目を細めながら光の正体を探った。
次の瞬間、フッと光の方向が変わったかと思うと、あたしの行く手を大型バイクが遮っていた。
「見つけた」
バイクから降り、近付いて来た男に見覚えはなかったが、
「あたし?」
周囲には誰もいない、彼が“見つけた”と言ったのは、あたしらしい。
30歳くらいの男の人で、上下黒の服装がクールな感じをかもし出すちょっとしたイケ面。こんな男前、会っていれば忘れないはずだが、
……やっぱり思い出せない、人違いじゃないかしら?
「いいや、君や」
あたしの心の声に応えるように、黒ずくめの男は鋭い視線を突き刺した。
そう言われても、関西弁の知り合いはいないし……。
ナンパではなさそうだ、なんか危ない雰囲気。恐怖を感じたあたしは後ずさりしたが、彼は突然、あたしの手首を掴んだ。
声を出さなきゃ、助けを呼ばなきゃ!
心の中では悲鳴をあげていたのだが、声にならなかった。まるで瞬間冷凍されたように体も動かない。
なぜ? なにが起こってるの?
「やめろ!」
その時、誰かの声がしたかと思うと、
「痛っ!」
あたしの手首を掴んでいた黒ずくめの男の手を、声の主が掴んだ。
男の腕があたしから離れた。
声の主はそのまま男の手をねじり上げた。
「痛いって!」
黒ずくめの男は苦痛に顔を歪めた。あたしと男の間に割って入ったのは、さっきあたしを見つめていた人だった。
彼は男を地面に突き飛ばした。
「なにすんねん!」
無様に尻餅をついた男は、突き飛ばした彼を睨みあげた。
あたしは反射的に誰ともわからぬ彼の背中に身を隠した。助けてくれようとしているのは間違いない。
「なんで邪魔するねん」
黒ずくめの男はねじられた腕をほぐすように回しながら、鬼の形相で立ち上がった。
対峙する二人。
助けてくれた彼は身長170ちょっとってとこかな、一方の男は180センチくらいあって、服の上からでも鍛えられているだろう体が想像できる。その男がファイティングポーズをとると結構な迫力。
あたしはすっかりビビッたが、彼の背中はピクリともしなかった。
「下がって」
耳打ちされるまでもなく、あたしは後退りしていた。
「上等や!」
男はそう言いながら先制攻撃とばかりに拳を突き出した。
あたしは悲鳴を飲み込んだ。
道路脇には住宅が並んでいる。大声上げれば、誰かが気付いて出てきてくれるはずだ。なのにあたしって肝心の時ダメなのよね。絶叫マシーンに乗った時だって、絶叫して楽しむなんて出来ず、青ざめて硬直するタイプなのだ。
しかし……。
ドスッ!
黒ずくめの男の右ストレートを軽い動作で交わしながら、みぞおちに拳を食い込ませたのは彼の方だった。その一撃で勝負はついたようだ。男は前屈みに膝をつき、そしてそのまま顔面から地面に突っ伏した。
茫然とそれを見下ろすあたしに彼は振り返った。
「行こう、すぐに気がつくから、今のうちに」
「え、ええ」
あたしたちは倒れている男を放置して、その場から離れた。
* * *
「あ、ありがとう、助かったわ」
団地の自転車置き場までたどり着いた時、ようやく口を開くことが出来た。
男を置き去りにした現場から5分ほどの距離だが、追ってくる気配はなかった。まだ気を失っているのか?
「あの人……大丈夫かしら?」
「大丈夫だよ、手加減したから怪我はしてないよ」
彼は爽やかな笑顔を向けた。あたしはドキッとして目を逸らした。
「強いのね」
「まーね」
彼は否定せずにはにかんだ。その表情がまた可愛いと言うか、女心をくすぐった。
「あ、あの、あたし、本山菫、あなたは?」
あたしにしては大胆。
「俺は珠蓮」
変わった名前……とも言えず、
「珠蓮くん、ほんとにありがとう、でもさっきの人はなんなの? 知ってる人?」
「いいや、痴漢じゃないか?」
「……そうなのかなぁ」
あの男はあたしを知っていた。
“見つけた”って言ったんだもん。
「夜道の一人歩きは危ないから、気をつけなきゃ」
「夜道って言うほど深夜じゃないけど、確かにご近所で事件も起きてるし、気をつけなきゃね、怪我なんかしたら明日のオーディション受けられないし」
「オーディション?」
「そうなの、ミュージカルのオーディション受けるのよ、そのレッスンでこんな時間になっちゃって」
初対面の人にこんな話をしてもしょうがないのに、ついお喋りになってしまった。
「そっか、ほんと気をつけなきゃ」
「そうね、でも」
あなたに会えた……なんて言いたかったが、ちょっと軽すぎる気がしてやめた。
「あっ」
珠蓮くんは突然、空を指差した。
「流れ星」
あたしも慌てて見上げたが、
「どこ?」
「もう、消えちゃったよ」
「残念! 願いをかけようと思ったのにぃ」
「大丈夫、俺がかけといたから、オーディションうまく行くようにって」
「えっ?」
ほんとに? 自分のことじゃなくて、会ったばかりのあたしのために?
「不思議な人ね」
「なんで?」
珠蓮くんは小首を傾げながらあたしを見た。
キョトンとした目はとても澄んでいた。
この出会いに運命を感じたのはあたしだけかしら?
なんて思っていると、珠蓮くんの姿が忽然と消えていることに気付いた。
「えっ?」
いつの間に……。
さよならも言わず、電話番号を聞くことも聞かれることもなく……。
あたしは心の中で、また会えますように、と手を合わせた。
* * *
オーディションに集まったライバルは3百人余、これでも書類選考で何百人という応募者が落とされているらしい。舞台に立てるのはこの中の数人である。
どの瞳にも自分こそが選ばれるのだという意気込みが感じられ、あたしはその気迫に体が震えた。
「ねえ、聞いた?」
涼子の弾んだ声に、緊張のあまり意識が飛んでいたあたしはハッと我に返った。
「植田くん、審査員として来てるんだって」
植田直哉は今、人気絶頂の若手俳優で、このミュージカルの主演が決まっている。
「緊張しちゃうね、植田くんの前で踊るなんて!」
涼子の瞳には星がキラキラ、テンションマックス! オーディションを受けに来ているとは思えない。
「いつもテレビで見てる人を今日はナマで見れるのよ、それだけでもここに来た甲斐があるってものよ」
そのために来たんじゃないっつーの!
「100番から130番の方、ダンスフロアーに移動して下さい」
その時、スピーカーから係員の声が流れた。
「いよいよね」
「頑張りましょ」
言われなくても頑張るけど、あたしの胸は不安でつぶれそう。心臓バクバク、膝はガクガク、落ち着いて、落ち着いて、と何度も心に言い聞かせながら、控え室から出た。
緊張で強張る顔をほぐそうと口角を上げてみたりなんかするが、きっと見抜かれてしまうんだろうな。笑顔も審査のポイント。
こんなんじゃダメ! と思いつつも、どうにもならない。
主演の植田直哉を含む十人の審査員が並ぶダンススタジオ、みんな貼り付けたような無表情。テレビではいつも爽やかな笑顔の植田くんも、この時は微妙に無愛想だった。
あたしはみんなに混じってフロアーの中央に歩み出た。
なにも考えずに踊るのみ! と気持ちを切り替えようとした時、植田くんと一瞬、目が合った……ような気がした。
心臓が止まりそうになったが、審査員なんだから、あたしだけを見た訳じゃないだろう。わかっていながらも、ドキドキはおさまらない。
最悪~!
そうでなくても緊張で硬直しているのにそんなに見つめられたら……。
ん? 彼があたしを見つめている?
それは錯覚ではなかった。
植田くんは間違いなくあたしだけを見ていた。それも恐怖映画でも見ているように青ざめた表情で。
なんで? なんでそんな目であたしを見つめるの?
でもこの目、驚いたように見開いた目、凍りついた唇、前にも見たような気がする。
またデ・ジャ・ヴ?
どのくらいの時間だったろう? あたしが植田くんの視線に囚われていたのは……。
たぶん数秒だったのだろうが、とてつもなく長く感じられた。
やがて彼はハッと我に返ったようにあたしから視線をはずした。
その瞬間、呪縛が解けたように体が軽くなり、手も足もフワフワと動いた。
不思議な気分だった。まるで夢の中、雲の中を歩いているような気分になり、その後は……。
意識がなくなった。
* * *
「すごいじゃない菫、やったね!」
駅前のレストランで、あたしと涼子はグレープフルーツジュースで祝杯をあげていた。
意識が戻ったのは、奇跡が起きた後だった。
一時審査の途中から、プッツリ記憶がなくなっていた。気がつくと最終選考に残っていた。最終審査は三日後だ。
でも、素直に喜べなかった。だって、記憶が飛んでるんだもん。
あたしはなにがなんだかわからないまま会場を後にし、涼子に誘われるまま、ここへ来ていた。
「すごかったよ菫、まるで別人みたいだった。アンタって本番に強いタイプだったのね、審査員の人も目を見張ってたよ、マジかっこよかったし輝いてた、友人として誇らしかったよ」
「そ、そう……ありがとう」
「どうしたの? ちっとも嬉しくないみたいよ」
言えない、記憶がない間に終わってたなんて……。
なにが起きたのか自分でもわからない。
涼子は一次で早々と外されたが、あたしが終わるまで待っていてくれた。
「マジ凄いと思うよ、うちのスクールで残ったのはアンタ一人だもん、谷神先生もきっと大喜びよ」
「でも、まだ最終審査が残ってるし、わかんないわよ」
「今日の調子なら、きっと大丈夫よ!」
確かに涼子の言う通りだ。ここからが本当の頑張りどころ、親に認めてもらえるように、なんとしても合格しなきゃ!
目の前にお待ちかねの地中海ドリアが運ばれてきた。
「お腹ペコペコ、さすがにあたしも今日は疲れたわ、けっこう緊張したしー」
「えー、涼子が?」
「植田くんの前で踊ったのよ、緊張しないはずないじゃん、それにさ、昨日はあんまり寝られなかったし」
「涼子でも緊張して眠れないことあるんだ」
「違うわよ、昨日の騒ぎよ」
涼子は地中海ピラフを口へ運びながらも器用に喋り続けた。
「ママがインタビュー受けたでしょ、深夜までニュースチェックよ、それにつき合わされちゃってさ」
「そ……」
あたしも食べながら、一応相槌を打った。さっきまではそうでもなかったが、食事を前にすると急にお腹が鳴り出した。
「ママったらテンションマックスでさ、なかなか寝ないのよ、インタビューたって、ろくに知りもしないのに、適当に喋っただけなのにさ」
「それを視聴者は信じるわけか」
「大丈夫、ほとんどカットされてたから」
「結局、どんな事件だったの? あたしは早く寝たし、ニュースも見てないんだ」
「詳しいことは本人が死んじゃってるから、まだわかんないみたいなんだけど、ひき逃げに遭った被害者が、実は殺人の加害者だったみたいよ、家族で住んでるはずなのに、両親も弟さんも行方不明、今、発見された遺体の身元を調べてるらしいわ」
「……食事中にする話じゃなかったね」
と言ったが、涼子はすでに食べ終わっていた。そして手を挙げてウエイトレスを呼んだ。
「プリンパフェお願いします」
今日はチョコパじゃないのかい。
「菫は?」
「じゃあ、あたしも」
つい、つられた。
* * *
「あー、満足、満足」
レストランを出た涼子は幸せいっぱいって様子、あたしは食べ過ぎて苦しい。
「明日は来るんでしょ」
「ええ、八神先生に直接報告したいしね」
と言った時、あたしはハッと息を呑んだ。向こうから歩いて来たのは、
「珠蓮くん……」
こんな偶然ってある?
昨日とは時間も場所も違うのに、絶妙のタイミングでバッタリ逢うなんて!
あたしは運命的なものを感じた。
「偶然ね」
彼もあたしに気付いていた。あたしは平静を装っていたが、心臓は百メートル全力疾走した直後のドキドキ、バクバク!
「誰?」
涼子が肘であたしをつついた。
「あ……珠蓮くん」
「はじめまして~、菫の友達の立原涼子です」
とびっきりの笑顔で挨拶した。
「はじめまして」
珠蓮くんはぎこちない笑顔を向けた。
「聞いてないよ、菫にこんな友達がいるなんて」
涼子は耳打ちしたが、この距離じゃ絶対聞こえてるし。
「ほんとに偶然なの?」
涼子はニヤニヤしながら再び肘でつついた。
「ここへ誘ったのは涼子でしょ」
「だけどね」
涼子は意味ありげな笑顔を向けながら、
「じゃあ、明日ね」
気を利かせたのだろう、いつも別れる十字路じゃないのにもう、
「バイバイ!」
涼子は一人でさっさと行ってしまった。
感謝すべきなのか複雑~。
二人きりで残されても、どうしたらいいのかわからず、ただ珠蓮くんの顔を見た。
彼は優しい笑顔で、
「どうだった? オーディション」
昨日、ちょこっと話しただけなのに覚えていてくれたのが嬉しかった。
「最終審査まで残れたわ、三日後の。……珠蓮くんが流れ星に願いをかけてくれたからだわ」
「違うよ、実力だよ」
記憶を失っている間に受かってたなんて言えない。
「送ってくよ」
珠蓮くんがそう言ってくれたので、あたし達は並んで歩き始めた。
なんかとても優越感、こんなに素敵な彼に送ってもらえるなんて……、周りから見たらカップルに見えるだろうな、そう思うと、ドキドキが復活した。
でも、期待するほどの進展はなかった。だって自宅までは徒歩十分、どんなにゆっくり歩いても十五分はかからない。その短い時間、会話といえばオーディションのことばかり、興味深く聞いてくれるのは嬉しいけど、あたしとしては自分のことを話すより、珠蓮くんの事を知りたかった。
何歳でどこの学校なのか、どこに住んでるのか等々。しかし、切り出す間もなく、自宅団地の入口に到着してしまった。
「じゃあ、また」
珠蓮くんは爽やかな笑顔を残して、あっさり去ってしまった。
引きつった笑顔で見送るあたし……、ん? ちょっと待って、また、って言っても、連絡はどうするのよ? 電話番号、交換してないし~!
あたしは慌てて彼を追いかけた。
通りに出て彼の姿を探した。まだその辺にいるはずだ。
見つけた!
そう思った瞬間、足が止まった。
だって……。訳わかんない光景を目にしたあたしは、とっさに路地に身を隠した。
車道に停まっているバイクの横に、珠蓮くんがいた。
「掬真、つけてたのか?」
かなり距離はあったが、なぜか声はハッキリ聞こえた。
掬真と呼ばれたバイクの男はヘルメットを取った。
「どう言うつもりや?」
ビックリ! その男は昨日あたしになにかしようと近付いた黒づくめの男だった。
なぜ珠蓮くんが彼の名前を?
知らないって言ってたのに……。
「あの子に間違いないやろ、なんでさっさとカタつけへんねん」
掬真が言う“あの子”とは、あたしのことなのだろう。
「あの子に罪はない」
珠蓮くんが言った。
罪って?
あたしは息を殺し、耳に全神経を集中させた。
「わかってる、けど奴が活動しはじめてからでは遅いんやで、前は八人も殺したやんか」
八人も殺したって、内村さんの家から遺体が発見された事件のこと?
あたしとなんの関係があるの?
確かに近所だけど、容疑者の息子とは顔見知り程度だ。
「あの子はまだ」
「そうだやど、動き出したら止められへんやろ、弱っている今こそ」
「お前に出来るか?」
「……」
「俺には出来そうにない」
「ほな、どうするんや?」
「とにかく、今日は引き上げよう」
珠蓮くんはそう言うと、バイクの後ろにまたがった。
二人の会話の意味が全然わからず、あたしは混乱していた。そしてなにより、あの二人が知り合いだったことにショックを受けた。
そしてその後、
記憶がなくなった。
* * *
「おめでとう!」
「すごいじゃない!」
「良かったわね!」
あたしは努めて笑顔でありがとうと答えた。
最終審査はまだ残っているものの夢に一歩近付いたのだが、無条件に喜べなかった。
ネックは両親、朝から眉間にしわを寄せて超不機嫌。
昨日、帰宅してから最終審査に残ったことを両親に報告したのは間違いないのだが、どんな反応だったのか覚えていない。
また記憶が飛んでいたのだ。
昨日、珠蓮くんと掬真と呼ばれた男が話をしているのを目撃し、二人が知り合いだったことにショックを受けた。そこまではハッキリ覚えているのだが、その後、どうやって家に帰ったか思い出せない。
気がつくと朝になっていた。
そして出かける前、
(そのことについては、今度ゆっくり話し合いましょ)
と母親にとても厳しい口調で言われた。
「どうだったのよ、あの後?」
耳打ちした涼子の興味は他にあった。
「えっ?」
「とぼけんじゃないわよ、カッコいい彼と、どこ行ったのよ」
思い出したくない話を持ち出してくれた。
「どこも行かないわよ、家まで送ってもらっただけ」
「ほんと? 水臭いんだから、彼氏が出来たんならちゃんと言ってほしいもんね、親友だと思ってたのに」
「彼氏じゃないわよ、ただの知り合い」
あの時点では期待していた。珠蓮くんと親しい関係になれたら嬉しいかなって、でも、その後が問題だ。
「うまくいってないの?」
沈んだあたしの表情を見て、涼子はトーンを落とした。
「そんなんじゃなくて……ただの知り合い」
「なーんだ、そうなの、菫にもやっと春が来たって喜んだのに」
「春どころか、厳冬よ」
あたしは大きな溜息をついた。
その時、
「本山さん」
事務所から顔を出した八神先生が呼んだ。
「あっ、ハイ」
「ちょっと、いいかしら」
「はい」
あたしは事務所へ行った。
「まずはおめでとう、努力が報われたわね」
「ありがとうございます」
しかし八神先生は浮かない表情で大きな溜息をついた。
「でも、知らなかったわ、ご両親が反対されてるなんて」
先生は我が家のトラブルを知っていた。
「オーディションもご両親の許可を得て受けたものとばかり」
「ちゃんと言ってあります」
普段よりきつい口調になっていると自覚はあった。先生もあたしの様子が違うのに気付いたようだが、話を続けた。
「お母様の言い分は違うようね、お電話いただいたのよ、ずいぶんご立腹の様子だったわ」
母は先手を打ったのだ。
「ダンスを習わせているのはあくまで趣味で、娘を芸能人にするつもりはありませんっておっしゃってたわ」
「母が反対なのは知ってました。でも、結果を出せば認めてもらえると思ってたんです」
「あの感じじゃ難しいようね、あなたは未成年だからこの先、なにかにつけ保護者の承諾が必要なんだけど、ああ反対されてたら」
あたしの行く手を阻むなんて許せない!
カーッと頭に血が上るのを感じた。握り締めた拳がワナワナと震える。なんでもいいから殴りたい衝動に襲われた。
「先生から話してもらえませんか?」
頬の筋肉がヒクヒクしていた。
怒りを必死で抑えながら声のトーンを落としていたが、全身の血は煮えたぎるように熱くなっていた。
八神先生はあたしの表情を気にしながらも、難しい顔をしていた。
「お母様に言われたのよ、菫の将来に、あなたが責任を持ってくれるんですかって、そう言われるとね……」
では母は一生あたしの面倒を見てくれると言うのか?
「可能性あるって言ってくれてたじゃありませんか」
「あくまでも可能性よ、この世界、そんなに甘くないのよ、厳しい世界なのはあたしが一番よく知ってるわ」
先生は逃げ腰だった。
「いくら才能があっても、どれだけ努力しても成功するとは限らないし、確実なことはなに一つない世界なのよ」
「わかってます、でも夢なんです! 賭けてみたいんです」
「あなたの気持ちはよくわかるわ、あたしもかつてはそうだったもの、……そうね、話はしてみるけど」
説得してくれるとは言わなかった。
こんな面倒に巻き込まれるのはゴメンだって感じが伝わった瞬間、あたしの中でなにかがキレた。
バーン!
あたしは両拳を机に叩きつけた。
意外に大きな音がして、自分自身ビックリしたが、もっと驚いたのは谷神先生だっただろう。目をまん丸にしポカンとあたしを見た。
その間抜けた顔を見て、今度はそこに拳をお見舞いしたい衝動に駆られた。人を殴りたいなんて、そんな恐ろしいこと、今まで一度も思ったことなかったのに……。
あたしは自分の感情に恐怖を覚えた。
「も、本山さん」
先生もかなりヤバイと感じたのだろう、表情が凍りついた。
これ以上ここにいたら、本当に殴ってしまうかも……。
あたしは訳がわからなくなり、事務所を飛び出した。
* * *
それから……また、記憶が飛んでいた。
気が付くと辺りは暗くなっていた。
今まであたしはどこでなにをしていたのだろう。そして、これからなにをしようと、どこへ向かっているのかわからなかった。
今はハッキリ意識がある。
しかし、歩きながらもこみ上げる怒り、体が震えるほどの苛立たしさ、こんな感情は初めてだった。自分とは思えない不可解さに不安が溢れ出す。
真っ赤な怒りの波が押し寄せ、歩道に違法駐車してある自転車をなぎ倒したい衝動を抑えながら、あたしは足早に歩いていた。
「菫ちゃん?」
呼び止められ、あたしはハッと我に返った。
しかし、そこにいた人物を見て、再び怒りが沸騰した。
「珠蓮くん……」
「どうしたの? こんな時間に」
彼はやさしい笑顔で近付いてきたが、あたしの様子がいつもと違うことに気付いたのだろう、眉をひそめた。
「また、待ち伏せしてたの?」
キツイ口調で発した言葉に、彼は表情を強張らせた。
「偶然だなんて、言わせないよ」
「どう言う意味?」
「それはこっちが聞きたいわよ、なんの目的があって、あたしに近付くの?」
「それは……」
「掬真とか言ってたわよね、あの人、知り合いだったのね」
「なぜそれを」
「知られちゃマズかった?」
あたしって、こんな意地悪な言い方をする子だったのかしら? 訳わかんない……、でも言葉が勝手に口から出てくる。
「あの人にあたしをけしかけて、助けるふりして近付くなんて手の込んだことを! なにが目的なの?」
彼の顔から優しさは消えていた。
沈んだ色、そしてとても悲しそうな瞳に変わっていた。
この瞳、最近、誰かにこんな目で見られたような気がする……お母さん?
脳裏に母の顔が浮かんだ。
驚いたように目を丸くする母、そして次に見せたのはこの表情、なんとも悲しげな、辛そうな表情だ。
それは昨夜のこと、記憶が無くなっていると思っていた昨日の夜、確かにあたしは帰宅して、オーディションの報告をした。
* * *
「よかったわね、おめでとう、努力したかいがあったわね」
母は一応喜んでくれたようだった。が、すぐにマジな表情で、
「でも、最終審査に受かってそのミュージカルに出ることになったら、夏期講習は行かないつもりなのね、で、受験は大丈夫なの?」
「受験なんてまだ先だし」
「一度ミュージカルのオーディションに受かったからって、そのまま続けてお仕事がもらえるの?」
「それはわかんないわよ、そんな甘い世界じゃないのはわかってるわ」
未知の世界に足を踏み入れようとしているのだ、先のことなど考えていない。
「まだ中学生なんだし、選択肢はいくらでもあるわ、慎重に考えてほしいのよ」
母の言うことにも一理ある。
頭ではわかっていたのだが感情は理解できなかった。
あたしには才能なんかないから、さっさとあきらめろって言われているような気がして怒りがこみ上げた。
「どうせあたしには才能ないし、夢は叶わないって思ってるねの」
「そんなことは言ってないでしょ」
「落ちればいいと思ってるんでしょ、さっさとあきらめて平凡な人生を送ればいいのにって」
「平凡な人生のどこが悪いの?」
あたしのきつい口調に、母の語気も厳しくなっていた。
「あなたたちみたいにアクセク働いて、二人して一生懸命働いても、いまだマイホームの夢は叶わず団地暮らし、そんな人生、あたしは嫌だわ!」
「なんてこと言うの!」
「事実でしょ、勉強して、進学しても、親が親なんだから、ろくなコネもないし、いい会社に就職できるはずもないしさ。あたしの人生、このままじゃ先は見えてるじゃない、それなら一発逆転のチャンスに賭けてもいいじゃん」
「そんな風に思ってたなんて」
「お母さん、鏡見てごらんよ、まだ38歳だってのに、生活苦で十は老けて見えるよ、そんなくたびれた主婦にはなりたくないもん」
母は言葉を無くしていた。
黙ったまま悲しそうにあたしを見ていた。
* * *
「痛っ!」
激しい頭痛があたしを襲った。
なぜあんな酷いことを言ってしまったのか、思ったこともなかったのに……。いいや、心の奥底に秘めていたのかも知れない。
あたしは激痛のあまり、その場に膝をついた。
「大丈夫?」
珠蓮くんがあたしの肩に手をやったが、あたしは反射的に激しく払いのけた。
そしてズキズキする頭を抱えながら、おぼつかない足取りで歩き出した。
「待って!」
珠蓮くんが追いかけてきた時、あたしの真横に車が横付けした。黒いポルシェ、左ハンドルの運転席から顔を出したのは植田くんだった。
「乗って」
植田くんは助手席のドアを開け、あたしを促した。
なぜ彼がこんなところへ?
なぜ助けてくれようとするの?
疑問が渦巻いたが、頭痛で思考回路はズタズタ、冷静に考えることも出来ず、あたしは助手席に乗り込んだ。
「待て!」
珠蓮くんの叫びがエンジン音にかき消された。