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ある日魔法は唐突に  作者: 亜入
第一章
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第十話 安寧は唐突に

「どうした? 忘れ物でもした?」

 

 学生寮から走ってきたせいで息がゼイゼイと上がってしまった。先生の問いかけにも即座には答えることができず、保健室の椅子に座って一呼吸置いた。

 大学生になってからは運動なんかほとんどしていなかったから……、いやそれは今の身体じゃあ関係ないか。

 走っている時には身体が思うように動かなかったし、自分が感じているよりこの身体とのリンクが完ぺきではないのかも。

 もしかすると漂流者の貴重な情報かもしれない。


 ――まずは息を整え、落ち着くことに専念した。聞きたいことはいくらでもあるし時間も余裕はあるのだから。


「おや? アリスじゃないか。そんなに息を荒げてどうした?」

 保健室の奥の扉からひょっこり未来が出てきた。ひと手間省けるなんて都合のいい展開だ。


「聞きたいことが出てきちゃってね。その、この身体の持ち主は……、有栖川咲はどうなったの? この子の安否が気になって。どうにも落ち着かなくなったというか何というか」

「そう……だね。話をする前に何か飲み物でも飲むかい?」


 こちらの用件を伝えると保健室の先生と未来はやっていたであろう事務的作業を中断し、話を聞いてくれた。

 



 先生は棚からお茶を注ぐ準備をし、未来は自分の隣に座って近くに寄ってくる。

「そうだなぁ、どこから説明したらいいものか。有栖川咲、その身体に元々いた彼女の心配はない。今朝漂流者のことを話した時に一日で元に戻ったこともあるって話をしただろう? それについて少し補足しておこうか」

「お願い、未来」


 未来はうんと頷き話の続きをする。


「あの時はこの世界でもトップニュースになってね。世界で初めてのケースだったからマスコミや研究者が元漂流者のところに押し寄せて……。わかったことは元々の身体の持ち主は全く意識を失っていたわけではなかったこと。丸一日意識を失っていたはずなのに今日が何月何日だったのか判断できたみたいだ。それってどういうことかわかるかい?」

「……ううん。どういうこと?」

「つまり元漂流者は自分が意識がなかったことを自覚することができていて、かつ時間の流れを把握していたんだ。それって不思議なことだろ?」

「うーん、確かに? でもあまり釈然としないような」

「この世界では中身が別人に塗り替わってしまった人たちのことを漂流者として呼んでいた。魔法もない世界からあてもなく迷い込んでしまったかわいそうな哀れな人だと、そして元の人物は何処か遠い場所に流れていったのだと……。でもそれは間違いだったんだ。この世界にたどり着いた人も離れてしまった人も同じ時の流れを共有し、同じ方向を向いている。だから明るい灯台を二人の傍に造れば無事に帰れるって思うんだ。私の持論だけどね」


 同じ方向を向いている。その言葉で少し気持ちが落ち着いた。有栖川咲の存在をこの世から消してしまったわけでない、今この瞬間を共有することができていると思うと先ほどまでのパニックは薄れてきた。

「どう? 気持ちは少し落ち着いたかな?」

 未来の話が一区切りついたタイミングで机の上にお茶が置かれた。凝視しなくてもわかるほど湯気が立っている緑茶が。

 緑茶を出されて気がついたが、自分がいた世界とこの世界には食文化の差があまり見られない。このお茶も見た目も匂いもおかしな点は見当たらない。

 それだけじゃない。生活水準も何もかも元の世界と大差なく、何一つ不自由に生活できると思う。




「それと……、あと一つ聞かなきゃいけないことがあるんだけどいいかな?」

「他に気になることがあるかい?」

 未来は何でもこい、と構えている。漂流者のことは何でも知っている雰囲気の未来。彼女に気になることを質問すれば何でも答えてくれそうだ。


 でも残念。全く関係のない質問だ。


「……女性ってどんな風にお風呂に入ってるの?」

「…………」

「……え?」


 話を見守ってくれていた先生も思わず反応していた。

 未来からは何言っているんだろうこの人は、という視線で見られる。

 これは緊急案件だ。女性としての生活を送れないのなら漂流者だろうが何だろうが大変な事態になってしまう。


「ふふっ、面白いこと言うのね。でもそりゃそうよ。だって突然異性になるなんて夢にも思わないものね。笑っちゃいけない話なんだけど……、ごめんなさいね」

 先生からは笑みがこぼれる。それにつられて未来も笑い出してしまった。

「あっはははっ、いやごめんごめん、そうだよね。確かに言われてみれば君の死活問題だね。中身が男性である君が女子高生と一緒に入るわけにもいかないし。さてどうしようか……」

 笑っていた未来もこの事態について黙って考え始めてくれた。先生の方も何か良い案を……、いやダメだ、笑いをこらえきるのに我慢している。


「本当は生徒は利用禁止だけど保健室のシャワーを使ってもいいわよ。ただ養護教諭にできるサポートはそれくらいね。ずっと保健室のシャワーを使い続けたら他の子に怪しまれる可能性もあるんじゃない? だからある程度の生活は周りと一緒に合わせなきゃいけない日もくるよ?」

 真っ当な意見が先生の口から先に出た。今日は保健室に駆け込むことができたけれど、日常が回り始めると逃げ込む場所もなくなる。

 ある程度は自立しないと……。どんどん現実を知ると気が重たくなる。

「実のところを言ってしまうと君をサポートできる人数はある程度限られてくる。だから表立って君を助けることはできないんだ。生活の細かい部分は君に我慢してもらうとして……、詳しくは明日相談しようか」

 明日、か。風呂は一日くらい我慢したっていいし、トイレだって目を閉じれば問題はなさそう。

 今日一日だけ我慢しよう。


「わかった。自分で何とかしてみるよ。未来も先生もありがとうございます」

 この先わからないことだらけの日常が始まる。明日のために今日を一生懸命にやり遂げよう。風呂だってトイレだってその気になればなんとかなると思えた気がした。






「――ところで今日はお風呂どうするの? 今なら他の生徒にバレないし使えるけど」

「……えっ!? い、いや、今日一日は我慢しよっかなーって」

「アリス……。シャワーに入らないことも女性にとっては死活問題だよ。遠慮せずに浴びればいいさ」

「ででで、でもこの身体は他人のものというか……」

「ほらほら! もう観念しちゃいなよ! 今から練習、練習!」

「えっ、ちょっ……、うわぁ!」


 結局この日は自分の身体を直視できずに先生に手伝ってもらうこととなった。

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