転落の後に
「無視はいじめですか?」そんな質問がインターネットの質問サイトに上がる。いやいや無視も立派ないじめでしょう?逆に何故無視をいじめだと思わない?無視にはじまった仲間外れはクラスを巻き込んだいじめに発展する。そんな体験をもった「僕」の思いを綴る。
小学校三・四年生のころは楽しかった。クラスの気の合う仲良し四人で楽しく過ごしていた。所謂勉強のできる子のグループで価値観も合い本当に裏表なく付き合うことができていた。そんな友達のうちの一人の家に皆で遊びに行ったとき、その友達の母親がおやつを出してくれながら何気なく「こういう仲良しグループって何故かクラス替えでばらばらになってしまうのよねぇ」と話していたが、まさにその通りに四年生から五年生に上がるときのクラス替えで四人ともばらばらになってしまった。一人は親の転勤で転校し、残った三人も五年生のクラスは全部で四クラスしかなかったにも関わらず全員違うクラスになってしまった。今にして思えば成績順に振り分けてシャッフルした当然の結果であったのだと思う。
五年生のクラスは三・四年生のクラスと雰囲気が違った。仲良しグループとばらばらになってしまったので、一年生のときから偶然ずっと同じクラスだったSという友達と付き合うようになった。Sは今までの友達と違い勉強の方は中の上か中の中程度だった。ただスポーツができて体力測定も健康優良児になるような成績であった。スポーツができるのでクラスの信望も厚かった。Sは今まであまり交友が無かった僕と仲良くなることを歓迎してくれた。こちらにはそういう上から見る意識は全くなかったが勉強ができる僕に認めてもらえたことが嬉しかったようだ。一方で、僕の方もスポーツができるSを立てるような付き合いをしていた。友達なのにどこか、おだてるような、スポーツと比べれば勉強ができることなんて大したことないと自分を卑下するような、歪んだ付き合いであった。帰る方向がSと同じIという友達とも一緒に帰るようになり、僕とSとIの三人の仲になっていた。Iは凡庸なやつで勉強もスポーツもそこそこという程度で、Sに対しては僕と同様、太鼓持ちのようなところがあった。
五年生から六年生に上がるときはクラス替えはなかったので五年生から六年生のはじめまで、端から見ると仲の良い三人組で過ごしていた。勉強のできる僕とスポーツのできるSがいるグループなので三人はクラスからの支持を得ていた。今の言い方で言えばスクールカーストの上位、いや、トップのグループになっていた。例えばスポーツのできない僕が何かヘマをしてもSの友達で勉強もできるという理由で大目に見てくれて僕を責めたり悪く言ったりする者はいなかった。
そんな関係が一変したのは、六年生の夏休みが明けたときだった。いつものようにSとIと三人で帰ろうとしたが、SとIがどこかぎこちない。こちらはいつも通り二人と一緒に帰宅したのだが、帰り路の間ずっと二人だけで話し、僕の方へ話しかけて来ない。そんな帰り路が何日か続きやがて僕は二人の後から距離を置いて付いていくようになり、そして暫くして一緒に帰ることをやめた。やがて自分を取り巻くクラスの雰囲気も変わっていった。話しかけてくる友達が減り、僕に対する陰口や悪口がひそひそ声で話されるようになっていった。最初は、陰口を叩いていることはわかっているんだからな、と、誰が何を言っているのか耳をそばだてて聞いていたがやがて聞くことが辛くなり耳を塞ぐようになった。Sが僕を無視することを鮮明にし始めてからは早かった。まずはクラスでもたちの悪いグループ、人をいじめることが好きそうなグループのT、Y、Jの三人がSに従うかたちで今までのどこか僕をちやほやするような扱いから態度を一変させ無視から始まりやがて言葉で僕をいじめはじめた。体育の授業で僕がミスをすると罵声を浴びせた。チーム編成で僕が入るとあからさまに嫌な顔をして態度にも現した。こうしてT、Y、Jが扇動していくなか、興味深いことは(もちろん後から考えて興味深いのであり当時はそんな冷静な判断はしていない)かなり勉強のできたKというやつもいじめ側に加担したことである。夏休み前までは普通に話していたし、五年生のときはKの近所の家で仔犬が産まれて困っていてほしい人を探しているという相談をKから受け、それならばうちで犬を貰うよという話をする仲だった。それにも関わらず無視、陰口、を始めた。これはショックであったが、後から考えれば自分を守るにはどう立ち振る舞えば良いのか考えた行動でやはり頭が良かったのであろう。そしてKと仲の良かったGというやつ、平凡で特徴のない普段なら人畜無害の人の良さそうなやつであったがGも僕の陰口、悪口を言う側になった。Kやクラスの趨勢に乗じたのだろうが主体性がないやつも扇動されれば牙を向く好例だろう。
クラスのほとんどが僕をいじめる側に回ったときに、オオヤマ君という友達が声を掛けてくれるようになった。彼は孤高なところがあってあまりクラスの中心メンバーとは絡まなかった。オオヤマ君は怒らせると怖いと思われており、SやTもオオヤマ君には一目置いていて不可侵なものとして一種畏怖の念をいだいた扱いをしていた。オオヤマ君と付き合っている子をクラスの連中がいじめることはあってもオオヤマ君自身がいじめの対象になることは決してなく、オオヤマ君がいじめる側に回らないことを彼に意見できる者もいなければ、いじめに荷担しないことで彼を低く見ることができる者もいなかった。オオヤマ君は家族同士の関係もあってオオクボ君という子と仲良くしていたが、このオオクボ君は太っていて少し鈍いところもありいじめの対象になっていた。他に同様にクラスになじんでいなかったハラ君という子、そして五年生のときに転校してきたヤノ君という子、この子は物怖じせず主張が強くクラスの中心メンバーと対立しても我を通しSやTからは疎ましがられていたが、そんなことは気にしていないという子であった。僕がSから仲間外れにされていることを見かねたオオヤマ君に声を掛けてもらったことで六年生の後半はこのグループが僕の居場所になった。
オオヤマ君に声を掛けてもらったことは、救いになっていた。同じぐらい感謝している子にトキワ君という子がいた。特に仲良くしていたわけでもオオヤマ君のグループと一緒に遊んでいたわけでもない子である。失礼ながらお世辞にも成績の良い子ではなく、何かスポーツに秀でている子でもなかった。クラスでは馬鹿にされるような扱いを受けていたが本人はそれほど気にしていないという感じの子であった。僕は小学生の時、友達のことを「君」付けでしか呼べず一人称も「俺」ではなく「僕」であった。そんなこともあっていじめられる前は、友達も僕のことを「君」付けで呼んでいたが、いじめられてからは当然呼び捨てになっていた。トキワ君はオオヤマ君のグループ以外で一人だけ最後まで僕のことを「君」付けで呼んでくれ、無視もせず、悪口も陰口も言わなかった。SやJに同調しないと自分の立場が悪くなることはわかっているのに、トキワ君はいじめる側に回らなかったのである。これは本当に感謝しかなくもし僕をいじめる側に回らなかったことによりトキワ君に不利なことが起こっていたとしたら本当に申し訳ないと思う。彼は学校の成績など関係なく心の綺麗な子であったに違いない。
SとIから始まり、Sに従ったTやYやJが増長した僕に対する無視や言葉のいじめはどんどん広がっていった。それに同調してこなかったWというやつがある日、僕を馬鹿にしはじめた。これを見てTが「Wも言うようになったなあ。良いぞ」という感じで日に日に僕に対するいじめは広まっていった。僕の苗字に「死ね」とつけると、とある言葉、「○○しない」を口語調で言った「○○しねぇ」に聞こえることを見つけたTやJは「○○しねぇよ」とわざと会話の中で使って強調した。僕の苗字に犯罪の名前を加えると偶然図工で使う道具の名前になったので、TやJはわざと変なところで切ってその道具を呼んだ。オオヤマ君のグループがシェルターになってくれてはいたものの僕個人の地位は、スクールカーストという陳腐な言葉をもう一度使えばその底辺まで転落していた。毎日学校へ行くことは辛かった。寝るときは小学生にしては遅く日付が変わるころまでラジオを聞いて気を紛らわせていたが番組が終わるとこのまま次の朝が来なければ良いのにと涙を流した。舌を噛み切ったら死ねるのだろうかと本気ではないものの噛んでみたこともあった。クラスのやつらに対する憎悪の念も異常になっていき、特に執拗に悪口陰口を叩くJの名前を人型に切った紙に書き込みそれを燃やしたことを覚えているのだが、今考えるとこの常軌と狂気の狭間の行動には自分ながらぞっとする。流石にそのときの精神状態は異常である。精神的に追い込まれた人間(つまりその時の僕だが)が、やったこととは言えJ本人はここまで人に恨まれたことがあるとは夢にも思っていないであろう。
そんななかでのもう一つの救い、というか、もっと悲惨な話を聞くとそれに比べて救われていた点は女子の振舞であった。小学校高学年という時期は無意味に男女が対立するものである。いじめられる前、僕がSとともに男子の一目置かれるグループであったこともあり、Sがいないときに女子のからかいの対象になったことがある。どちらかというと僕は気が弱かったのでSがおらず僕一人でいるときに、この無意味な男女の対立から女子にからかわれた。そんなとき女子の中心グループのナンバーツーの子が「ほらほら、S君はいないよ。S君の助けを呼んだ方がいいんじゃない?ははは」といって詰め寄ってきたりもしていた。
またあるとき髪型からマッシュルームという呼び名で女子からからかわれたこともあった。その時は、女子が僕をからかうときにだけ使い、男子は僕に対してそのような言葉は決して使わなかった。
女子のからかいの対象になっていた僕だが男子の間での僕へのいじめが始まったことを見て実は同調する女子はほとんどいなかったのである。例えば僕は女子からは無視をされていなかった。当時女子の間で流行っていたサイン帳という小学校最後にクラスメイトのプロフィールを直筆で書いてもらうという習慣があったが、そのサイン帳も僕のところにも回ってきた。もっともサイン帳に関しては、僕が書いた後に僕をいじめていた男子に回ると、僕が書いたページに悪戯をされるのでそういう男子より後に回してほしいと思っていたものである。
そして悪口に関しては、僕がいじめられてからはマッシュルームは男子の間で僕に対する格好の悪口になり、僕をいじめていた男子が、「からかい」の限度を越え心底馬鹿にしたようにその呼び名を使った。ところがマッシュルームと言い始めた子たちが、その言葉を男子が悪意を持って僕に向かって使うようになってから「私たちが言い始めてしまったからこんなことに……」と、言い過ぎたことを後悔するようにひそひそ話していることが耳に入ってきたことがあった。実際、男子が過激に言い始めてからは女子は僕にその言葉を向けなくなっていたのである。
また、他には、三・四年生のときから同じクラスだった縁もあり才色兼備の女子のナンバーワンの子からは年賀状も届いていた。そのときにそれが救いだったとは感じられていなかったが、それまで僕をからかっていた女子が男子による本格的ないじめになったとき一転して傍観に回ってくれていたことは、結果的に僕がいよいよ最後というところまで追い込まれなかったことの一因であったと思う。
女子に関して付け加えるならば、僕が男子にいじめられる前に僕をからかい詰め寄ったナンバーツーの子が気づくと孤立していたことである。ある日、彼女が一人で席に座りながら唇を噛みしめ涙を流しているところを見たことがあり、いったい何があったのだろうかと思った覚えがある。僕自身がいじめられていた時期なので彼女の話を聞く余裕もなく何があったのかは謎のままだが、女子には女子の世界があったのかと思う。因みにかつて僕をからかっていた彼女が女子の間でいじめられているのではないか、という様子を見ても、因果応報だなど意地悪な考えは微塵も浮かばず、ただただびっくりするばかりであった。
このいじめは小学校を卒業するまで何も解決されることなく続いた。転機が訪れたのは中学校に上がったときである。公立の中学校に進学した僕は、残念ながら僕をいじめていたやつらと同じ中学校に入った。また最悪なことに中学校一年生のときのクラスがIと同じであった。Iは僕は嫌な奴で無視するべき対象だと新しいクラスで吹聴しはじめた。
幸運なことは、小学校のときの僕に対するいじめは同じクラスの男子の中に限られていて同じ小学校でも他のクラスには広まっていなかったこと、また中学校には複数の小学校が集まっており、僕が卒業した小学校の卒業生と同じかそれ以上の数の別の小学校からの卒業生が来ていたことである。中学に入ってすぐに仲良くなった友達は、別の小学校から来た友達であった。もちろん何の偏見も持たず僕を見てくれて分け隔てなく付き合ってくれた。一方、僕がいじめの対象であることを宣伝しようとしたIであるが、凡庸なIがそれほどクラスに影響を与える力など持つはずもなく、いくらI一人で理不尽なことを言っても誰にも聞き入れられることはなかった。Iは早々にそのような宣伝をやめた。
僕はIと一緒のクラスになったことや、元々の引っ込み思案な性格もあって中学一年のはじめはおとなしくしていた。しかし一学期で多少なりとも勉強ができることがクラスの友達に認知されたこともあり、後期には中学生ではありがちな勉強のできる子から選ばれるという推薦を受け不本意ながら学級委員になってしまった。体のいい押し付けでやらされ感のあるこういう推薦は本来嫌なので本音は不本意ではあるのだが、そうは言っても学級委員という役割はいじめの対象になっている子に任せられるような仕事ではない。そう思うと、学級委員に推薦で選ばれたということは小学六年生の悪夢から完全に解放された象徴と思えるようになり、ここでやっとひとつ心に区切りをつけることもできた。僕自身も変わり一人称も「俺」を使うようになり、友達を「君」付けで呼ぶこともできるだけやめた。新しい友達は親しみを込めて僕を呼び捨てにしてくれた。
次第にIも僕のことを認めざるを得なくなり普通に話すようになった。特に過去に対して謝られたり説明を受けたわけでもないがとりあえず受け入れた。Sとは中学で同じクラスになることもなかったが、何かの連絡で事務的に話す必要があったときにはSは廊下で普通に話掛けてきた。Sに乗じて先鋒になって僕をいじめていたTやYやJと中学で関わることはなかった。オオヤマ君とオオクボ君とは一緒にフォークソングクラブに入り、バンドを組んで文化祭で演奏などをした。中学生的な真似事の乗りでクラスの友達の女の子やクラブ活動の後輩が紙テープを投げて来るというような派手なパフォーマンスがあってもかつて僕をいじめていた連中が妬んでなにかをしてくるということも無かった。
やがて中学を卒業し高校へ進学したが、小六のクラスから学区のトップ校へ行ったのは、小六のときに年賀状をくれた女子のトップだった子とKと僕の三人だけであった。学校の成績が全てではないし、それによって人を見下すわけではないが、言われなく僕をいじめ、馬鹿にし、それについて謝ることもしてこなかった連中を少なくとも見返すことはできたと思う。Kとは高校のときには何も気にせず話もするようになったし、彼は僕のいじめに加担したことをそれほど気にしてないのかもしれないが謝られたことはなかった。僕もKが加担したことがショックだっただけでいじめの関わりや度合いで言えばSやTやJほどKのことを恨んではいなかったのでその頃となってはどうでも良かったが、大学までを一区切りとすると、見返すという意味ではKだけは見返すことはできなかった。いやKを見返すまでに至らなかったかもしれないがそれでも結果、国立大に行ったのはあのクラスでは僕一人だったと主張しておこう。僕もそんなに執念深くはないから本当にどうでも良い事ではあるので、ここまでくると見返せていたかも知れない、いや、やはりそんなことはない、と考えること自体ほとんど笑い話である。
いじめなんて後から考えれば大したことないから頑張れという結論には持っていきたくはない。無視と言葉だけで物や暴力に及ばなかったことと、女子の傍観、そして僅か半年程度の期間、といういじめの程度でいえば比較的軽かった僕であっても当時は本当に死んでしまいたいとさえ思ったので後から考えれば大したことない、時が解決する、などとは軽々しく言いたいわけではない。しかしある日何かをきっかけに一気に解決するということが普通に起こったということは記しておきたい。また僕の場合女子がいじめに加担していなかったことが救いになっていたのだが男子がどんどん敵に回っていくことが怖くて女子がどうであったかその時は考える余裕がなかった。一度俯瞰してみると自分の回り全員がいじめる側に回っているわけではない、ひょっとしたら中立から味方になってくれる人がいるかもしれない、という希望の可能性も冷静に見た方が良いのかもしれない。
Sが何故僕のことを仲間外れにしたのかわからない。また自分が仲間外れにしたことで僕がクラスの男子の大半からいじめられるということを意図していたのかどうかも分からない。結局のところ何もわからないがあっという間に自分の居場所をなくすことがあることも勉強したし、TやYやJのように本来自分と仲良くできないと思われるやつらやGのような主体性のないやつも信頼できないことも学んだ。人の顔色を伺うという小学校四年生まで決してしなかった術を覚えたのはこのいじめがあったからなのか単に子供でなくなったからなのかはわからないが、このいじめは相手が自分をどう思っているのか見極めを慎重にする必要があり表面上ニコニコしているやつもいつ自分に牙を向けるかわからないというトラウマを植え付けた。そして、それは決して完全に消えることはないであろう。
ただ、いじめられている子、特に何の覚えもないが気が付くと仲良しグループから無視されそれをきっかけに自分の居場所をなくしてしまった子には、その歪があるとき突然何かをきっかけにパチンと戻り本来自分のいる場所に戻れることは十分あるということは伝えておきたい。
いじめられている皆さん、この文章が何の役に立つのか、そもそも何かの役に立つのかどうかさえわかりません。
ただ、今受けているいじめの程度によっては少しは励ましになったでしょうか。こんなうまい話、空想の物語の中だけだよ、と思わないでください。大筋事実に則していますから勇気を持って下さい。この例のように将来まとめて簡単に見返しをされてしまう程度の連中が集団心理で理不尽なことを行っていると気付くことができれば、その幼稚さを憐れむぐらいの気持ちにはなれるのではないでしょうか。この主人公の「僕」はいじめられているときにそうであることに気付かず余計に苦しみました。
ここに著したいじめの程度があまりに軽くてこんな文章、何の役にも立たず支えにもならない、となった場合は読み飛ばしてください。
いじめている皆さん、いじめられている方は案外仔細にわたりいつまでも覚えているものですよ。気持ち的に、もうどうでも良くなって気にしなくなることと記憶とは別です。今更どうでも良いという気持ちにはなりますが、謝られない限り、恨み続けることはないにしろ赦すこともないと思います。過去のいじめを反省するどころか武勇伝のように語るなどという愚行は論外としても、そのようなことをしなくてもいじめられた側の記憶でいつ信用や名誉を失わないとも限らないでしょう。間違っていたと気付いたら早めにいじめに加担することはやめて謝っておきましょう。
案外、いじめによって消えない過去の汚点を残すのはいじめていたほうかも知れません。いじめられていた方は自分の気持ちの整理で過去から抜け出せますが、いじめていた方は相手の赦しがない限り完全に過去を消し去ることはできませんから。