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十夜物語  作者: 睦月 葵
8/10

第八夜 わたしの望み

(スイ)と名付けられたそうです。瞳の色から、翡翠(ヒスイ)の翠と』

 キッチンカウンターの上に座っている掌サイズの朱い狐が、ささやく声で報告する。

 勿論、その狐=ダッシュは、実体を持った生き物ではなく、通常は依代(よりしろ)である朱色の珠の中にいる妖とも精霊ともつかないモノだ。話題になっている『翠』もまた、超常の生き物だった。しかも、産まれたばかりの。

 今後しばらく、腐れ縁の旧友・河野瑛士(かわのえいじ)の預かりになったので、瑛士の所のダッシュと情報共有をした上での事後報告ということだろう。

「ああ、あの瞳は綺麗だったもんな。いい名前だ」

『……そうですね』

 報告だけではなく、肯定の返事もあったことに少し驚いて、俺・一ノ瀬大輔は着替えの手を止め、キッチンカウンターを振り返った。

 ダッシュは、変わらず依代の珠の横に座っている。役目を果たす時と俺が呼び出した時以外は、滅多に姿を現さないのに、今夜に限って顕現(けんげん)しているとは───珍しいこともあったものだ。

 ほんの一呼吸だけ止めていた動作を再開しながら、何となくダッシュの様子を(うかが)っていると、ふさふさの尻尾が左右に不安定に揺れている。狐と犬の感情表現が同じかどうかは知らないし、ダッシュを普通の狐と同じに扱っていいのかも不明だが、いつにない言動から察するに何か言いたいことでもあるのではないだろうか?

「今夜は驚き疲れたよ。バタバタもしたし。明日の朝まで何もないことを願って、たまには付き合わないか?」

 俺は、一杯呑む仕草をしながら、普通に友人を誘うのと同じに誘った。

 多分、腐れ縁の旧友の瑛士であれば、『妖狐の話しって、どうやって聞けばいいんだろう? そもそも晩酌に誘っていいのかな?』と悩みそうなところだが、俺はそんなことは考えない───というより、考えても仕方がないと思っている。

 超常の生き物(?)や超常現象的出来事に遭遇するようになって、俺は常識を捨てた。いや、あるがまま受け入れることにした───と言った方が正しいだろう。理解できないものは理解できないし、あるものはあるのだから、全面拒否を選択しない以上、クジラになったつもりで丸呑みするしかないではないか。

 ダッシュは少し迷う様子を見せたあと、『発砲麦酒は呑めません』と答えた。

「知ってるって。少し前に貰った珍しい冷酒があるんだ。冷たい方がいいんだろう?」

 そういうと、狐らしく軽やかに飛び跳ねて、ローソファーの前のガラステーブルに移動して行く。どうやらOKらしい。ついでに、移動する間に、掌サイズから仔猫のサイズほどに大きくなっていた。


 俺が家でいつも呑むのはビールだが、他の酒類を呑まないわけではない。長くワインブームが続いているせいでワインを貰うこともあるし、こうして日本酒を貰うこともある。だから、それぞれの酒器は一応揃っていた。

 冷酒を呑むのなら、ガラスの酒器だろう。日本酒の酒器の好みとしては、あまりにシンプル過ぎる物や、切子細工のようにシャープなデザインはあまり好きではない。綺麗だとは思うが、何となく寛げないのだ。だから、俺が好んで使うのはびいどろの少し(いびつ)な形の酒器である。

 レトロな雰囲気を狙って作ったのか、ほんの少し緑がかったびいどろの杯を二つと、同僚が「美味い酒を見つけた」と言って土産にくれた五合瓶を二本持って、ソファーではなく床に座る。その間、ダッシュは耳をピンと立て、しっぽを今度はワクワクと振りながら、大人しく待っていた。

(なだ)のと九州の日田(ひた)のがあるが、どっちがいい? 馴染みからいったら、灘か?」

『いえ、京に長くいましたから、灘は幾度か……。九州の物は初めてです───と、申し上げても……?』

「勿論いいさ。俺が誘ったんだ」

 やはり、今夜のダッシュは少し変だ。

 いつもであれば俺の守護に徹していて、何かあれば問答無用で敵と見做した相手に飛び掛かる激しさを見せるが、何もなければ依代の中で息を潜めて気配も感じさせないでいる。ダッシュは本体の千里(せんり)の分身体で、千里とは十五歳の時からの付き合いだ。その千里はいずれ神格を得る予定の妖狐だけど、千里とでさえこんなふうに普通に話したことはない。

「これ、なんて読むんだ?───あ、こっちの説明書きにあるか、くんちょう? へぇ、薫長って書いて『くんちょう』って読むらしいぜ」

 開封した瓶から直接ぐい呑みに注いで、ダッシュの前に置く。そのまま自分の分も注ぎ、こちらから軽く杯を合わせた。ダッシュが杯を持ち上げるのは無理だしな。

 それを合図に、「乾杯」の掛け声もなく、二人(?)で黙って杯に口を寄せる。人間と妖狐で何を乾杯するのか、思いつかなかったからだ。

「おっ…」

『……素晴らしい…』

 一口呑んで声が漏れたのは、貰い物の日本酒が思いがけず美味かったからだ。九州=焼酎のイメージがあるせいか、癖が強い味を予想していたけれど、これはなかなか……。

「辛口だよな? うん、そう書いてある。けど、この喉越しとすっきり感は何だ? めちゃめちゃ美味いぞ」

『本当に……。これは、水ですね。森に清められた水の香りがします』

 最初の感想を言ったあと、俺達は無言でぐい呑み一杯の酒をしみじみと味わった。改めて香りを嗅いでみたり、舌の上で転がしてみたり───酒を味わう方法として知っていることを試しまくる。そうしてみたいほどの日本酒だった。

「それで? 今日はどうしたんだ? 何かあったのか?」

 二杯目を注いでやりながら、俺は出来るだけ普通の口調で訊いた。妖狐に『何かあったのか?』と訊くのも妙な話だが、そこは自分に突っ込まない。

『───この御酒、瓶も品書きも緑で美しいですね。緑は……大地の恵みを表す善き色です』

 基本的に、俺の所に居るダッシュは無駄口を叩かない。だから、話を逸らしたようなこの返事も、何かしらの意味がある筈だ。そして、俺はすぐにその事に気が付いた。

 (みどり)は、(みどり)だ。

(スイ)か? あいつがどうかしたのか?」

 ダッシュは驚いたように、瞬きをした。尻尾も落ち着きなくぱたぱたと揺れている。───ビンゴってことだ。

『あの子に、他意があるわけではありません。ただ……』

「ただ?」

『ただ、あの子は眷属として異例です。何の祝福も呪いも持たず、無垢なまま産まれて来た。しかも、実体を持ったまま』

 偶然が重なり、蠱毒(こどく)の手法を経て産まれて来た、誕生する筈がなかった猫───今夜産まれた翠は、そういう猫だ。勿論、ただの猫である筈がない。どういうふうにただの猫と違うのかは今後の成長待ちだが、少なくとも、産まれた直後に意思の疎通が出来る程度には、すでに普通ではなかった。

 ダッシュの本体である千里は、かなり強い力を持っている妖狐だが、それでも未知の眷属を警戒しているのだろうか?

『無垢な魂を持った美しい仔───『翠』は、あの子に相応しい善き名前です』

 あ、違った。ダッシュが引っ掛っているのは、翠の存在そのものではないようだ。そういえば、瑛士の所のダッシュは……。

「瑛士は、自分の所のダッシュをダッシュって呼んでたか? 『あの子』っていってたのは聞いたことがあるけど……」

(あかね)と呼ぶそうです。体色と、茜の字は音読みで『セン』と読むそうなので』

 しくじった───これは俺の無神経さによるミスだ。

 千里の主が、「この子達は千里の分身で、いわば千里ダッシュだ」と言った説明を丸呑みにして、そのままダッシュと呼んで来た。けれど、分離したのであれば、やはり別々の個体なのだから名前ぐらい欲しいだろう。当たり前じゃないか、俺っ!

「気が付かなくて悪かった。ダッシュ───いや、ダッシュだと嫌なのか───けどダッシュ、少しだけ時間をくれ。ちゃんと考えるから」

『大輔さま?』

「名前が欲しいんだろう?」

 そういうとダッシュ(仮)は、耳も尻尾も全身の毛も、見事なまでに膨らませた。妖狐であるが故に、人間ほどには言葉に含みや裏を持たせるのが得意ではなかった上、心の声がほぼだだ漏れになっていたことに気付かなかったようである。



 二日後、俺は何とか一つの名前を捻り出した。遅れてしまった分、()った名前にしようかとも思ったが、呼びにくいのでは意味がない。だから、千里(せんり)とも(あかね)とも違う響きの綺麗な名前を選んだ。

 朱華(しゅか)───と。

「どうだ?」

 その問い掛けに対する答えはなく、元ダッシュ=朱華は部屋中を跳ね回り、そして───。

『少しだけ我が君の元へ行ってもいいですか? 行ってきます。半刻以内に戻ります』

 と、一気にまくしたて、俺の返事も聞かずに中空に消えた。


この時のお題は、『尊い』でした。

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