第六夜 嘘 in 本当 = 本当 in 嘘
僕・河野瑛士は、小学校教諭でもうすぐ二十八歳。現在のところ一人暮らしだけれど、遠方と呼ぶほどではない距離に実家があり、両親と祖母と妹が一人いる。職場環境は、まあ、普通───基本的に生徒達は可愛いが、どのクラスにも数名のやんちゃなクソガキがいるものだし、それはそれで悪くない。同僚の教師の中にも、親しい・馬が合わない・ほぼ互いに無関心の三種類が存在するのも、普通の範疇だと思う。
そして、大好きで大事な婚約者が一人と、大学時代に一緒につるんでいた複数の友人達ともちゃんとまだ繋がっている。
そんな、かなり普通の人の部類に入っている僕が、とあるウェブサイトでペンネームを使い、ちょっとした小説などを投稿していることは誰にも教えてない。何故なら、この行為は自分の中の普通を維持する為に、自分に係わる普通ではないなんだかんだを中和する目的で、必要あって行っていることだからだ。
勿論、精神衛生上の必要があってやっている事でも、少しでも読んでくれる人が居れば嬉しい。イイネを貰えたり、稀に感想など貰えるともっと嬉しい。例えそれが、思いがけないオマケのような遣り甲斐だったとしても。
とにかく、自分に他人には言えない秘密があるとして、言えないからこそ言いたくなるのが人の性というものだろう。王様の耳はロバの耳なのである。それでも、どうしても・どうしても言えない場合、偽名によるフィクション小説を披露するという事が、僕の場合は救いになった。
ああ、本当にネット時代に生きていてよかった。
僕の執筆活動は、主に休前日に行うことにしている。
休日には、家族の元に顔を出したり・友人に会ったり・婚約者とデートしたり、普通の休日の予定があるからだ。
ついでにいえば、僕の書く物は小さな物語が連なった一本のシリーズのみで、複数の別の話を書いているわけではない。元々、創作活動目的ではないので、それほど長い執筆時間を必要としないのだ。加えて、実際のところは創作ですらないので、本当のオリジナルを書く作家さんほど頭を悩ます必要もなかった。
僕が考えるべき事は、物語らしくみえるような起承転結をつけることと、前知識なしの読み手さんにも理解出来るように言葉を選ぶことぐらいだ。まあ、そこが難しいのだけれど。
そうやって今夜も僕はパソコンの前で、辞書とネットの検索機能を頼りに、説明が説明臭くならないように、難解な事柄が難解にならないように、言葉選びに苦心している。
『華奢な白い手の中には、瑪瑙のような朱色の勾玉が───彼はそれを掲げ、厳かに唄うように呼び掛けた。
「ちはやふる 桂の宮に 奉る
我が道通じ 疾く来たれ
あかほむら あかしのみおの あかしにて
あかあかしくも みいずるほむら」
勾玉から巨大な炎が立ち上がったように、彼らには見えた。
それは跳ね上がったかと思うと、たちまち獣の───夜目にも朱い三つの尾を持つ狐の姿を成していた。』
一旦キーボードを打つ手を止め、今打ち込んだ文を改めて読む。
「これで判るかなぁ?」
知っている事を曲げ過ぎたくはない。けれども、あまりに装飾華美にしたくもないので、いつもその辺の匙加減で悩む。言葉数は、多過ぎず・少な過ぎず……。
僕自身の拘り故に、短い文章を何度も読み返し、これでいいのかどうかをウンウンと考えていると、音量を小さく絞ったメールの着信音が鳴った。
スマホの方のメールであれば、仕事かプライベートの着信なので、もっと明確に気付くように設定している。遠慮がちなこの音は、現在パソコン上で開いているウェブサイトに届いたメールの音だ。つまり、数少ない読者からのお便りである。
思考がちょっと迷宮入りしかけていた僕は、気分転換を兼ねてすぐにメールを読みに行った。
『新作読みました。もうワクワクです。ヴァンパイアって、どんな作品の中でも金髪碧眼ですよね。何か参考資料ってあるんですか?
それと呪文の部分、個性的ですけれど、神道寄りですよね。布瑠の言や九字も出てくるんですか? 次作を楽しみにしています』
一応和風ファンタジーにカテゴライズされている僕の作品を読みに来てくれる人は、やはりそちら方面に詳しい人が多い。ちなみに、多少ブロークンで短い文面は、ネットの住人にありがちな傾向だと思っている。更には、サイト経由のメールの場合、感想一つでも文字数制限が設定されている場合があるからだろう。
『いつも読んでくれてありがとうございます。参考資料は色々目にしていますが、ヴァンパイアの場合はイメージ先行だろうと思います。今後、どんな術が出て来るかは、楽しみにしていてください』
我ながら、非常に無難な返信をする。本当の事ではないけれど、嘘もついていない。僕的には、ここ重要。
ヴァンパイア=金髪碧眼は、僕も持っていた強いイメージだし、実際そうだった。一度しか会ってないけど───不死の彼は、今も元気だろうか?
それに、誰の目にも神道のもじりに見える呪文も、本当は違うんだって聞いた。アイツの説明はいつもよく判らないけれど、内から湧きだす言霊を全身に響かせる為に唱えているだけで、いわゆる魔法の呪文のようなものではないと言っていた。だから、布瑠の言や九字を聞いたことはないし、これから聞くこともないだろう。
だいたい本人が、自分は魔術師でも陰陽師でも霊能者でもないというのだから、真偽を確認しようがない僕達は「そうなんですね」で呑み込むしかなかった。中学三年の時から僕らが遭遇し続けている色々は、どこの誰に話してみたとしても、中二病の妄想癖かファンタジーかぶれとしか受け取って貰えないだろう。───まあ、そう思われても構わないのだけれど。
ただ、あまりにも信じられないような出来事に遭遇すると、誰かに吹聴したくなるのが人間ってものだろう?
けれど、真面目に話しても信じて貰えないことが判っているから、こうして物語のように綴っていくことで、僕はその欲求を発散している。
起こった出来事に対する感想や疑問や驚愕を話せる相手は、この世界にたった二人しか居ないのだから───ごく普通の人間でありながら、僕と一緒に事に遭遇した中学の同級生の一ノ瀬大輔と、同じく同級生で事の張本人である黒羽環の二人だけ。
そして、その二人との付き合いは、未だに続いている。
彼らと出会ったあの夏───と、甦った思い出に浸りかけた時、婚約者が僕の癒しの為にプレゼントしてくれたモコモコのペットロボットが、唐突にぴょこんと動いた。
『瑛士さま、我が君がおいでです』
通常、このタイプのペットロボットは、自律行動型ではない。会話も動きも、人間側の働きかけに反応するタイプだ。
けれども、僕があの子にこの人形の中にいるようにと指示した為、黒羽環が置いて行った守り珠とそこに宿る子は、ペットロボットのお腹の中に住んでいる。同じ守り珠を持っている一ノ瀬大輔は、珠用の高級座布団をしつらえて、普通にリビングに置いているようだが……。
「タマちゃん一人?」
『いえ、大輔さまも御一緒です』
「そぉかぁ~……」
ほっとしたような、がっかりしたような……。
未知との遭遇を、長年共に乗り越えて来た仲間達と会うのは嬉しい。
嬉しいのだが、雁首揃えて訪れるということは───また、何かがあるとしか思えない。
マンションのオートロックの自動ドアも、玄関ドアのロックも、黒羽の前には施錠されてないも同然なので、程なくインターホンを鳴らすことなく、彼らは部屋に入って来るだろう。
ま……まあ、また何が起こるとしても、いつものメンバーが揃っていることだし、もうとっくに慣れたことだし───そう、それに、次の話のネタにもなるんだからっ!
僕は何とかして、ポジティブな方向に自分の思考を誘導した。
どうせ何かを頼まれても断れず、避けて通ることも出来ないのであれば、後はもう楽しむしかないのだ。
そして間もなく、いつもの扉が開く。
この時のお題は、『私と読者と仲間達』です。