運命の日へ2
さらに時は進み、少年のアロイスと私が手を繋いで草原を走っている。
草原に放牧した家畜の番をするのは子供の仕事で、年上の少年パトリスたちも一緒だ。
私はこの頃、アロイスがどこに行くにも後をくっつき回っていた。
少年たちは家畜の見張りをする傍らで、投石器を使って石を遠くに投げる競争をして遊んでいる。
革と編んだ紐で出来た投石器は、少年たちの仕事に使う道具だ。
遠くまで石を投げ、家畜が迷子にならないように誘導したり、狼などを追い払ったりするのにも使う。
小さな私は、覚束ない手つきでモカル草を摘み、熱心に花束を作っている。
アロイスの記憶の中の私は、陽の光を受けて金色の髪がキラキラと輝き、幸せそうに笑っていた。
この日の夜、アロイスの母親が若くして儚く逝ってしまった。
難産の末に赤子と共にあっけなく、帰らぬ人となった。
そして村長であるアロイスの父親は、妻子の死を悼む間もなく、突然村に訪れた貴族――僧侶たちの応対をしなければならなかった。
ヴィーザル村は小高い丘の上にある集落で、大樹のある広場を中心に民家が囲うように円形に並んで立っている。
一番外側の家屋は石造りで互いに接していて、村を守る外壁のようになっていた。
集落のある丘にはぐるりと一周するように川が流れていて、橋はかかっていない。
橋が必要な時は、こちらから丸太を渡すことになっている。
月明かりに照らされ、川の向こう側に佇む貴族たちは、黒い外套にケープを頭からすっぽりと被り、冥界の女神のシンボルのメダルを首から吊るしていた。
村には 不死者についての伝承があり、その中のひとつに川を嫌うというものがあった。
私たちの先祖は、貴族から村を守るためにこの川を引いたのだ。
アロイスは「家の中に居なさい」という父親の言いつけを破って、松明を持って丘を降りて行く大人たちの後をこっそりとつけてこの場に来ていた。
木立の繁みの間に隠れて覗いていると、川向うに居る貴族の紅く光る目の禍々しさにアロイスは戦慄し、固唾を飲んだ。
先頭にいたアロイスの父親が、招かれざる客人たちにお辞儀をした。
「私はヴィーザルの村長です。この村に、どのようなご用件でしょうか」
「夜分に失礼する、村長どの。我らは冥界の女神の使徒。迷える子羊たちを救うために、ここに来た。
女神に帰依しなさい。そうすれば我らの保護の元で、其方たちは安心して暮らすことができるだろう」
代表者らしい貴族の男性的な深みのある美しい声が、川向こうより届く。
「私どもはこの地で、自分たちの身を守ることが出来ております」
村長の態度は慇懃で、毅然としていた。
貴族たちの間から、ほう、という感嘆の声が漏れた。
まるで、よく仕込まれた愛玩動物を称賛するかのように。
「そのようだな。丘の周辺に魔物や魔獣の嫌う草木が植えられているし、こうして流れる川は我らの侵入を拒む。――しかし」
その貴族は意味あり気に言葉を区切り、口笛をヒューッと吹いた。
すると、川の中から幻獣ケルピーが現れた。
ケルピーは、馬の姿をしている水棲性の知恵のある魔物とも言われている。
黒毛の毛並みのよい若駒の姿で、手綱までつけている。
川から上がると貴族のもとへすり寄っていく。
貴族はひらりとケルピーに騎乗すると、難なく川を渡り始めた。
村人たちは川を渡って来る貴族と幻獣に恐れ慄き、持っていた弓に矢をつがえた。
「やめよ、矢を降ろせ! 貴族に敵対して、皆殺しにされたいのか」
村長が制止すると、村人たちは弓矢を持つ手を降ろした。
川を渡ったのは、ケルピーに乗った貴族一人だけだった。
「村長、少し二人だけで話をしたい」
「畏まりました、使徒さま」
村人たちは不安と恐怖の中、その場に立ったまま二人をじっと見ている。
貴族はケルピーから降り、村長と共にアロイスが隠れている木立の繁みの方へ歩いて来た。
「村長、この村からそう遠くない場所に、大地の裂け目が出現する兆候が出ているぞ。
これまで以上に、魔物や魔獣の脅威が高まっている。
意地を張らずに村の将来を見据え、我らが軍門に下らないか?」
「……貴重な情報を、ありがとうございます。
しかし、あなた方の保護下に置かれれば、命は無事かもしれませんが、魂を失うことになるでしょう。
私どもは死したのちに、魂は世界樹の元に集い、妖精の国へ向かうのです。冥界の女神のおわす冥府ではなく」
「そうか――残念だ。だが、魔獣どもにむざむざと喰わせるくらいなら、今ここで、余が喰ろうてやろう」
ギラリ、と紅い瞳が怪しく光る。
突然、貴族が村長の喉を鷲掴みにし、声を出せないようにすると、首筋に向かって顔を寄せた。
「僕の父さんを、離せっ!」
繁みからアロイスが叫びながら飛び出して、貴族の外套を強く引っ張った。
すると頭からケープが外れ、月の光の中では黒ずんで見える紅い渦巻く髪とこの世のものならぬ美貌の男の顔が露わになった。
ユー・シュエンの思念で見た、不死者の王サシャ、その人だった。
アロイスを見下ろす紅い瞳は、純粋な驚きに満ちていた。
「 まさか、妖精の子供? 人間との混血が進んでいると聞いたが、この村にはこのような純粋な妖精も生まれるのか!」
サシャは気を失った村長から手を離し、アロイスを抱き上げた。
「間違いない。なんという見事な緑柱石の瞳。何百年振りだろう、妖精に出会うのは。
この混血の男は其方の親か? 案ずるな、眠っているだけだ」
男の腕の中でもがき暴れるアロイスを難なく抱き留め、宥めるように言葉を掛ける。
その声には、人を篭絡させる蜜のような甘さが混じり始めている。
村人たちはこちらを見ているのにもかかかわらず、全く異変に気付いていない様子だ。
「この村には、真新しい死の匂いがしている。誰かが亡くなったのか?
――そうか、其方の母が。
もう少し早く、余がここに来ていれば、生き長らえさせてやることも出来たのに、残念だ」
サシャ王はまだ幼い少年アロイスに、甘言を用いて危険な毒を注ぐ。
「もし次に、其方の大切な人間が失われそうになったら、その時は助けてやろう。
……これを預けておく」
王は、胡桃より少し大きな黒玉を懐から出すと、アロイスの掌に載せた。
「これを外で地面に強く叩きつけるか、踏みつけて割ればよい。ただし、余が来れるのは日没から日の出までの間だ」
「どうしてっ?」
少年のアロイスは、母親から人から物をもらう時はよく注意するようにと、言い聞かされていた。
村長の息子に取り入ろうとする者もいたから、他人は見返りなしに施したりすることはほとんどないのだと、繰り返し躾けられていたのだ。
「見返り、か。我らの教義では、対価と呼ぶが」
サシャは少し考えるような素振りをした。
「見返りは、お前だ。願いを叶える代わりに、余の子供になれ。
だが、それを使うか使わないかは、其方の自由だ」
アロイスを地面に降ろすと、サシャ王は再びケルピーと共に川を渡り、去って行った。
「いずれまた会おう、アロイス」
ブックマ・評価等ありがとうございます。とても励みになりました。
あと数話で完結の予定です。過去編はあまり引っ張らず終わらせる予定です。