最高審議の間
「今回の緊急審議会の招集に、お集まりいただきありがとうございます。
では私から議題及びノワール領主の背任について――」
「その前にっ。このノワール領主アロイスは、最高審議会の委員の皆様方に、巡察官ユー・シュエンを告発します」
アロイスの言葉に、最高審議会のメンバーたちの紅い目が一斉にこちらに向けられた。
今までここに居ない者のように黙殺されていたのに、立ったまま拘束されている私たちの姿を始めて認識したかのように、陰たちの間にざわめきが広がる。
「静粛に! 王の代理人、巡察官ユー・シュエン卿。ノワール領主に対するこの銀の拘束処置には正当性があるのか」
議長席の影が、ユー・シュエンに問う。
「もちろん、逃亡抑止のためのやむを得ない措置です。彼の背任について、今回の監査で明らかになったことをお話すれば、納得いただけると思います」
ユー・シュエンは自信たっぷりな態度だ。
「ノワール伯爵。そちらの言い分も聞こう」
アロイスは銀の影響か、顔色が悪かった。しかし、きっと背筋を伸ばし毅然とした様子で抗弁した。
「議長、発言をお許しいただき、感謝します。
まずご報告したように現在、我が辺境ノワール領が戦時であることを改めてお伝え致します。自分は、この審議会に招集される直前まで前線におりました。今もノワール騎士団の主力総出で魔族軍と戦闘中であり、こうしてここにいる自分の代わりに副官パトリスが指揮を執って戦っております。
この身は一刻も早く前線に戻り、魔族軍との戦闘にある我が騎士たちを導かねばならない。ユー・シュエン卿の言う逃亡とは、前線に戻ることでしょうか。
この非常時に、ユー・シュエン卿の横槍、もとい、緊急審議会は戦線への協力であってしかるべきなのに、彼は指揮官の自分と我が妻を拘束したばかりか、ノワールの護衛騎士まで殺害したのです」
最高審議の間は、騒然となった。
「魔族軍だと!? 聞いてない!」
「ユー・シュエン卿、本当か」
「うそだ、たかが豚鬼討伐を魔族軍だなどと」
「ギルメット卿、報告はどうなっている?」
「私は初耳で……」
「静粛に! 静粛に!」
再び議長が皆を静かにさせた。
「辺境は常に大型の魔物や魔獣の最前線にある。まずはノワール騎士団団長の伯爵の話を聞こう。審議はそれからだ」
そこでアロイスは、真剣な面持ちで前線の様子と魔族軍について語った。
知恵のある人型の魔物豚鬼の群れは武器を所持し、さらに上位豚鬼の指揮官が存在して組織的に動いていること。
エタン村西部に発見されたのは、豚鬼の巣ではなく、砦であり、豚鬼以外の種族も多数目撃されている。規模は数千体以上にも及び、これはただの人型魔物の烏合の集団ではありえない。古から伝え聞く、魔王軍の可能性すらあり得る。
貴族は夜間しか戦えない。昼の砦を堅固にするため村人たちを中心とした土石の壁を積む後方部隊と、その作業から目を逸らせるため戦う陽動部隊とに分かれて対処している最中で――。
「ここで奴らを仕留めなければ、辺境ノワールが大打撃を受けるだけでは済まない。今は領地運営の瑕疵を突いている場合などでは断じてない、ということを最高審議会の皆様に訴えさせていただきます」
私はアロイスの話を聞きながら、エタン村に行ったベックやヨハンの安否が知りたいと思った。
二人を心配する一方で、私やアロイスがこれからどうなるかも分からないのに、と泣きたくもなる。
「伯爵の証言の通りであれば、魔族軍討伐は最優先事項だ」
「武装した豚鬼だと?」
「俄かに魔王軍などという話は信じがたいが――」
「本当に、それだけの数――数千もの汚らわしい豚鬼がいるのなら、奴らを殲滅させろ。ユー・シュエン卿の議題はそれからだ」
席に座っている陰たちの意見がまとまり始める。
ユー・シュエンは、口惜しそうに歯噛みをした。
議会は、ノワールに至急、支援部隊を送るという決定がなされる。
机の上の魔石の結晶の光が消えるのと同時に、陰たちも居なくなった。
ギルメットが扉を開けると、そこには事の成り行きを心配した騎士や使用人たちが、大勢集まっていた。
「伯爵は引き続き、前線で指揮を執ることになった」
ギルメットの知らせに、廊下から歓声が上がる。
広間に入って来た使用人たちによって、私たちの拘束は解かれた。
「ふん、命拾いしたな。だが近いうちに、きっと貴様の化けの皮を剥がしてやる」
ユー・シュエンは、捨て台詞を残して立ち去って行った。
議会の後戒めを解かれ、アロイスの居室に戻った私たちは心身ともに疲労困憊していた。
衣服は返り血などを浴びて汚れ、嫌な臭いがしている。
アロイスは侍女たちに命じて、浴室の準備をさせた。
「いつもより真紅の薔薇を多く用意して」
間もなくして、浴室から真紅の薔薇の芳香が漂ってくる。
侍女たちは、アロイスが扉を指すと静かに下がっていく。
彼は私のドレスの着脱に手を貸し、自分の汚れた軍衣を脱ぎ捨てた。
アロイスに手を引かれ、浴室に足を踏み入れるとさらに、甘く濃い薔薇の芳醇な香りに包み込まれる。
白い陶器の浴槽に張られた湯に、ぎっしりと浮かぶ真紅の花びら。
その中に私たちは、並んで浸かった。
苦手だったこの薔薇の濃厚な香りも、アロイスの滋養になると知った今では愛おしく思える。
彼の胸にもたれ、ぬるめのお湯の中に身体を横たえると、張りつめていた緊張が緩み思わず息をついた。
この後アロイスは、再び危険な前線へと赴かなければならない。
そう思うと、今はエタン村方面の戦況や、ユー・シュエンの策謀について、考えるのも口にすることも恐ろしかった。
「腕輪はどうしたの?」
「あ、ごめんなさい。失くしてしまって――」
「あれは君の中に流れる妖精の血の匂いを隠すための魔道具だ。代わりのものを用意するまで、貴族、特に巡察官には絶対に近づかないようにして。
貴族は妖精の血にひどく惹きつけられるんだ」
「まさか! 子供の頃に聞かされた、あのお伽噺は、本当の話だったというの? ヴィーザル村の人たちの先祖が世界樹の森から来た妖精の末裔だったという……」
「そうだ。僕たちの先祖は長い旅の果てに、このノワールの地にまでたどり着いて、ここの人々と結婚し村を作った。この地方の人々が色彩の薄い髪や瞳を持っているのは、妖精の血が混じっているからだろう。長い年月が経って、妖精の特徴、金髪緑瞳を持つ者は少なくなっていたけど。
そしてあの十年前の魔獣暴走が起こってしまった。今はもう、妖精の血を色濃く残すのは君だけかもしれない」
「どうして、今になってそんな話を……」
私の髪を結っていたリボンをアロイスが解くと、長く豊かな金髪がほどけてお湯の中に落ちた。
「……ソフィを残して行かなければならないのは、とても心残りだ」
「すぐに戻って来るのよね?」
アロイスはお湯の中の私を抱きしめ、唇を重ねた。