騎士館
「ソフィさま、本当にこれから東館に行かれるのですか?」
「そうよ、アンヌは付いて来なくてもいいのに」
「いえ、そんな……」
真紅の薔薇城の東館は、騎士館とも呼ばれている。
実際は騎士と人間の衛兵の宿舎になっていて、騎士の居室は一階にあり、各部屋には寝室に使用する光の射さない地下室が設置されている。二階は会議室、応接室、武器倉庫などで、人間の衛兵たちは三階から上を使用している。
騎士の中には、城下町に家や部屋を借りたり、所有している者もそれなりに居る。非番の日には、町に繰り出し貴族専用の倶楽部で遊んだり、恋人との逢瀬を楽しんだりするために。
私は女騎士リゼットを訪ねるために、東館へやって来た。
玄関口から中に入ると、玄関口広間の正面の壁にはノワール騎士団の旗――真紅の薔薇と剣のモチーフ――が掲げてある。
東館の館長は衛兵隊長が担っている。雑務はすべて人間がやることになっているから、面会の申し込みも当番の衛兵に頼んだ。
私とアロイスと結婚したことが伝わっているせいか、すぐにリゼットに取り次いでくれた。
玄関口広間で待っていると、漆黒に赤のライン入りのの騎士服を着たリゼットが豊かな褐色の巻き毛を揺らしながら、編み上げブーツをコツコツと鳴らしてこちらに歩いて来た。
男装の麗人の姿に、剛健質実を信条に造られている重厚な騎士館の内装が、突然華やいだように感じた。
「お仕事前に、呼び出してすみません」
「いや、構わない。あまり時間は取れないが、応接室で話そうか」
頭を下げて挨拶をすると、リゼットはこちらに事情があることを察してくれたようだった。
リゼットの後ろからついて行くと、外からの来訪者用の応接室に案内された。
勧められた椅子に腰かけ、アンヌは私の後ろに控えて立った。
「何か、飲み物は?」
「いえ、結構です」
「今日は、あの少年がいないのだな」
「……ヨハンのことでしょうか」
以前、城の中庭の噴水の側でルイーズに絡まれた際に、リゼットが助けてくれたことがあった。
あの時は角灯を持った従僕ヨハンを連れていた。
リゼットは焦げ茶の巻き毛のヨハンを見て、生き別れになった息子を思い出したと話してくれた。
「ヨハンなら、今夜は壁の近くの宿に泊まっています。明朝、町壁の開門と同時にエタン村に向けて旅立つので」
「壁の外に行くのか? あの子はまだ未成年だろう」
私は貴族が、自分と関係のない人間の少年を気に掛けてくれたことに感動していた。
マルクもきっと、リゼットのように貴族になっても息子のジョスのことを大事に思う気持ちは変わらないはず。
リゼットは、そんなマルクの理解者になってくれるのではないかと、心に希望が射し込んでくる。
「商隊の護衛で、冒険者ギルドの中堅メンバーたちと一緒なので大丈夫です。仕事内容は御者や馬の世話、雑用だそうです」
「エタン村か。ならば丁度今夜、西の赤の街道方面の魔獣討伐の任務がある。丁寧に駆逐しておいてやろう」
貴族たちが担うのは、主に大型の魔物・魔獣討伐で、中型以下は遭遇してもそのままにすることが多い。キリがないから。
でも今夜のリゼットは、商隊を襲いそうな魔物ならすべて狩り獲ってしまいそう。
「ありがとうございます」
私は嬉しくなって、自然と笑みが浮かんた。それから姿勢を正して、要件を伝えた。
「リゼットさん、マルクは……そろそろ目覚める頃だと聞きました。
出来るだけ早く、マルクと話したいんです。彼の家族のことも相談しなければなりませんし。
マルクの作り主のあなたが、しばらく彼の面倒を見ると伺っています。彼に会わせて頂けますか」
「マルクなら、まだ目覚めていない。だが、ルニエ商会に預けているから心配はいらない」
「そうですか……。でも何故、ルニエ商会に?」
「私には職務もあるし、ずっと付きっきりという訳にもいかない。
マルクが目覚めた時には、すぐに提供者を用意してやらなければならないんだ。
ルニエ商会ならその点、二度目の生に目覚めたばかりの同胞の扱いをよく心得ているから安心だ。実績もある。
ソフィ殿も知っての通り、我々は契約した提供者以外からの吸血は禁じられているからな」
ルニエ商会が目覚めたばかりの貴族の世話まで、請け負っていたなんて。
「あの、彼が目覚めたら教えて頂くことは出来ますか?」
「もちろん。私が留守にしている時に目覚めたのなら、ソフィ殿に直接連絡するよう、ルニエ商会に話しておこう」
「お願いします」
考えなければいけないことは山ほどあったけれど、今一番気がかりなのはマルクだ。
それもリゼットが協力してくれるなら、最悪のことは回避できそうな気がして、少しだけほっとした。
「そろそろ時間だ。これで失礼する」
リゼットが立ち上がった。
私も、お礼を言って女騎士を見送った。
もう少しリゼットに、マルクの処遇などについて突っ込んた質問をしたかったけれど、それは我慢した。
アロイスから、貴族社会について知ったことは口外しないようにと口止めされていたから。
貴族は、自分たちのことを人間には知られたくないと思っているのだ。