6.悪役令嬢はエスコートを断られる
今年度も残すところ一ヶ月半となり、マリアンヌが婚約破棄宣言をされる卒業式当日までは後一ヶ月程となった。
成績優秀で、卒業に必要な単位も取得見込みであるマリアンヌは、積極的に王太后の公務を手伝うため学園を欠席して登城する日々を送っていた。
「階段落ちイベントは予測通りね」
王宮へ届けられた手紙を読んだマリアンヌは、ズキズキ痛み出したこめかみを親指の先で指圧して解す。
王立学園では、階段からアンジェが転落し怪我をしたことで彼女の取り巻き達が大騒ぎしているらしい。ウィリアムが率先して犯人探しをしており非常に迷惑だと、仲の良い令嬢から送られてきた手紙に書かれていたのだ。
「学園に居なくて良かった」
ポツリと呟いたマリアンヌは、机の鍵付きの引き出しから一冊のノートを取り出して開く。
このノートは、前世の記憶が甦った際に思い出した日本語でゲーム内容を書き綴ったもので、鮮明な記憶が甦る度に書き加えている。
“ヒロイン、階段落ち”の一文にペンで二重線を引き、次の一文“皇太子ルート、悪役令嬢、夜会”を人差し指でなぞった。
ゲームのストーリー終盤では攻略対象キャラ各々のルートへ入り、悪役令嬢マリアンヌの嫌がらせも佳境を迎える。
予測した好感度の高さでは、アンジェはウィリアムルートへ入ったようだった。侍らしている男子の中でも一番身分の高い王太子狙いというのが、如何にもヒロインといったところか。
婚約者を略奪したアンジェへ、マリアンヌは何も嫌がらせをしていないどころか、近付くこともしていなかった。
噂によれば、彼女は何者かから嫌がらせを受けているらしいが、嫌がらせを行っているのはアンジェ曰くお友達の、彼女を信望している男子達の婚約者だろう。
泥々した嫌がらせに巻き込まれないよう、令嬢達が嫌がらせを行いそうな日をノートへ書き綴った内容と時期を照らし合わせ予測し、その日と前後の日は“王太子妃教育を受けるため”という、尤もらしい理由で学園を欠席していた。
欠席していても、アンジェを害しているのはマリアンヌの指示を受けた者だと、事実無根の噂を流されているのは知っている。婚約破棄され勘当されても自由の身になれるのなら、悪評を流される程度は痛くも痒くも無い。ただ、拘束されたり投獄されたりするのだけは避けたかった。
疑われて拘束されそうになったら、これだけ公務を手伝っているのだから王太后は庇ってくれる、と信じたい。
深呼吸をしてマリアンヌはノートを閉じた。
三日後、学園では今年度最後の生徒交流会という名の夜会が開かれる。
ゲームでは、パートナーとなるキャラの好感度によって変わるイベント、それもエンディングを占う重要なイベントとなる。
ハッキリ言って面倒くさい。しかし、欠席したくても、王太子の婚約者の立場では欠席出来ないのだ。
当日は君子危うきに近寄らずの行動をして、なるべく穏便に婚約破棄される事を祈るばかりである。
五日振りに登校したマリアンヌを待っていたのは、クラスメイト達や慕ってくれている令嬢達の歓迎と、一部の生徒達の敵意だった。
敵意を向けてくるのは、ウィリアムの取り巻き達とアンジェの信望者達だけだが、彼等は擦れ違う度に一々睨んでくるのが鬱陶しい。
「マリアンヌ」
昼休み終了の直前、教室へ戻るマリアンヌをウィリアムが呼び止めた。
「なんでしょう」
「悪いが、今回の夜会のエスコートはできない」
マリアンヌの言葉を遮って言われ、側にいた令嬢達はヒュッと息を飲む。
「承知いたしました。エスコートは他の方に頼みますわ」
ニコリと微笑み了承したマリアンヌに、ウィリアムは一瞬呆けた表情になる。
「用はそれだけだ」
言いたいことだけ言い、くるりと背中を向けて立ち去って行ったウィリアムへ、マリアンヌは脳内で「あっかんべー」と舌を出していた。
多くの生徒が行き交う教室前の廊下と、授業前のタイミングで断りを入れるなど、普通の令嬢だったら羞恥とショックのあまり卒倒していてもおかしくない。
平手打ちくらいしてやりたいくらい腹が立つのに、立場が邪魔をして出来ず、マリアンヌは下唇を噛んで堪える。婚約破棄後、往復で平手打ちをしてやろうと、拳を握り締めた。
あまりにも勝手なウィリアムの態度に憤り、マリアンヌを気遣う令嬢達を宥めるのは一苦労で、午後は授業どころでは無く、ようやく迎えた放課後。
人気の無い校舎の裏のベンチに腰掛けたマリアンヌは、夜会をどう乗り切るか頭を抱えていた。
「疲れた」
ゲーム通りだと、ウィリアムは夜会用にめかし込んで待っていたマリアンヌを迎えに来ず、ヒロインをエスコートする。それを考えたら事前に断りに来たのはまだマシなのか。
「他の方に頼む」と言った手前、エスコートをしてくれる相手を探さなければならないが、今からでは絶対に見付からないと思う。
「ドタキャンかー。当日に言ってくるとか、最悪なパターンね」
俯いたマリアンヌの上に影が落ちる。
地面に落ちた影で、誰かが後ろから近付いてきたのが分かり、俯いていた顔を上げた。
「何が、最悪なんだ?」
聞き覚えのある声が聞こえ、マリアンヌの体と思考は固まってしまった。
苦しいくらいの動悸がしてきて全身から汗がふき出す。
錆び付いたように、硬くなった関節へ力を入れてゆっくりと振り返り…マリアンヌは驚愕の表情となった。
「な、なななっ?!」
口を動かしているのに言葉が出て来ない。
激しい動揺の原因となった背後に立つ彼は、ぶはっと吹き出した。
「お前、アンヌだろ?」
笑いを堪えて問いかけてくるのは、よく知る黒髪の青年だった。
(なっ?! バルトー?!)
何故此処に、どうして?と、今はマリアンヌだということを忘れて口走りそうになり、口許を押さえてどうにか気持ちを鎮める。
「何の事かしら? 誰かとお間違えになっているのでは?」
公爵令嬢の仮面を被ったマリアンヌを見て、バルトは唇の端を吊り上げた。
「髪と瞳の色、雰囲気を変えていても魔力の質は変えられない。直ぐにお前だと分かった。それに」
背後から手袋をしていないバルトの綺麗な指が、マリアンヌのハーフアップにした銀髪を絡め弄る。
「求婚までした俺が、アンヌかどうか分からないわけ無いだろう」
「バルト……止めて」
背後から耳元へ近付けられた唇。
耳へ流し込まれるように、バルトの吐息が真っ赤に染まった頬を擽る。
壊れそうなくらい早鐘を打つ心臓は悲鳴を上げ、髪を弄っていた指先が頬を撫でるという行為に耐えきれず、涙目になったマリアンヌは降参したのだった。
白旗を上げたマリアンヌをあっさりと解放し、バルトは上機嫌でベンチに座る。
膝と膝が密着するくらいの近さに逃げたくなる。だが、そんな素振りを見せたら、更に密着されるに違いない。
羞恥心を抑え込み、マリアンヌはぐっと耐えることを選択した。
「バルトは何故、此処にいるの?」
「知り合いから夜会の警備を頼まれてな。学園の警備など面倒だが、報酬の良さで引き受けた」
言われてみれば、バルトは学園内で見かける警備員の制服を着ている。
高位貴族、王太子が在籍する学園は警備体制が王宮並みだ。その警備を依頼してくる知り合いがいる事に、少なからずマリアンヌは驚いた。
ギルド内でも、一目置かれているようだった彼は実はとんでもない人物で、交友関係はとても広いのだろう。
「で、何が最悪なんだ?」
こんなに情けない話を話していいものかと、戸惑うマリアンヌの眉尻は下がっていく。
たっぷり数十秒迷った末、重たい口を開いた。
「婚約者から、夜会のエスコートは出来ないって今日の昼に言われたの。まさか直前になって断ってくるとは思わなかったから、対策をしてなくて。誰かに代役を頼もうにも、皆パートナーは決まっているだろうしお兄様も仕事で無理。だから最悪なのよ。あのボンクラ、夜会で私に恥をかかせたいんでしょうね」
物的証拠は無くとも、ウィリアムの中ではアンジェを傷付けた犯人はマリアンヌ、となっているのだろう。
彼は仕返しのつもりで断りを告げに来たのだ。友人達が見聞きしているあの場で、マリアンヌがすがり付いてくるより強がるのが分かっていて。
(悔しいけど、してやられたな)
膝の上へ置いた両手の指が白くなるほど力を入れて握り締めた。
「アンヌを貶めようとしているボンクラとやらは、恋人をエスコートして参加するつもりか」
きつく握り締めたマリアンヌの手をバルトの手のひらが包む。それだけで、不思議と体の強張りがゆるんでいく。
「アンヌ、良案がある」
「は? ええっ?!」
不敵な笑みを浮かべたバルトから提案された良案とやらに、マリアンヌは何度も目を瞬かせた。
つい、エスコート断られイベントを入れたくなって。次話に続きます。
そして誤字脱字報告ありがとうございます。