5.悪役令嬢は○○される
けたたましい音をたてて教室の扉が開かれ、入室してきた人物へ一気に衆目が集まった。
何事か振り返った男子生徒は、扉を開いたのが誰なのか分かると慌てて顔を背け、女子達は一部を除いて色めき立った。
「マリアンヌ! 話がある!」
教室の端の机上にノートを広げ、副学級委員の男子生徒と話をしていたマリアンヌは、声を張り上げたウィリアムと彼に付き従う騎士団長子息のモルダーを一瞥してから、ゆっくりと立ち上がり頭を下げた。
「何かご用でしょうか?」
「用があるから来たのだ」
以前ならば声をかける前には擦り寄ってきたのに、教室へやって来たウィリアムを出迎えもせず、男子生徒と話を続けるマリアンヌを苛立ちを込めて睨む。
副学級委員の男子生徒が小さく「ひっ」と悲鳴を上げた。
「ウィリアム様、込み入った内容の様ですから場所を変えましょう」
「何だと?」
周りを見なさいよ。と、喉の奥まで出かかった言葉をマリアンヌは飲み込み、にっこり愛想笑いを浮かべた。
「聞かれてもよろしいのですか?」
周囲を見渡したウィリアムは悔しそうに顔を歪めると、移動することを了解した。
教室を出てすぐ横の学習室へ、ウィリアムとマリアンヌに続き入室したモルダーが扉の鍵をかける。
設置されている机の前まで歩いたウィリアムは、机に寄りかかり振り向いた。
「お前が叔父上とおばあ様に、学園での俺の様子を話したのか? アンジェの話もしたのか?」
成る程と、マリアンヌは内心呟いた。自分を苦々しく思っているウィリアムが教室まで訪ねて来た理由は、情報を伝えたかどうかの確認と牽制のためか。
「成績表は保護者へ送られるのをお忘れですか? 成績表が届けば成績は知られてしまいます。最近、ウィリアム様は週末になっても王宮へ戻らないと、王太后陛下は心配されていましたよ」
「先程、叔父上から今から城へ戻るよう伝令が来たのだ。今週末は街へ出る予定だったのに」
吐き捨てる様に言うと、窓の方を睨んで考え込んでいたウィリアムは顔を上げた。
「そうだ! マリアンヌも一緒に来い! 叔父上に俺が勉学に励んでいると伝えるんだ」
「わたくしが、ですか?」
不敬だと分かっていても、馬鹿馬鹿しい考えに眉を顰めてしまう。
扉の前に立つモルダーも、さすがに驚いた顔でウィリアムを見詰めた。
「無理ですわ」
「何だと?!」
吐きたくなる溜め息を堪えてきっぱり断れば、信じられないといった風にウィリアムは目を見開いた。
以前のマリアンヌだったら、恋するウィリアムのためいくらでも虚偽の証言をしただろう。しかし、今のマリアンヌには恋慕など欠片も無い相手のため、自分へのリスクしかない馬鹿げたことに協力する理由はない。
「わたくしが一緒に行ったところで、陛下のお怒りが増すだけですわよ」
「くっ! お前は婚約者を助ける気は無いのか!」
地団駄を踏み怒り出すウィリアムへ冷たい視線を向け、マリアンヌは頭を下げた。
「婚約者だからこそ誤魔化しはしたくありませんの。自分が楽をした結果を受け入れ、生活を改めてくださいませ」
生活を改めても享楽を味わった彼が、何処まで戻って来られるか分からないけれど。
「わたくし、委員長の仕事がありますので、これで失礼いたします」
戸惑うモルダーを扉の前から退かせ、振り返りもせずマリアンヌは学習室を出た。
扉を閉めたのはせめてもの優しさから。
「くそっ! 婚約者なら助けろよ!」
ガラガラッ! ガッシャンッ!
背を向けた閉めた扉の向こうからウィリアムの叫び声と、何かが倒れる音。合間に制止するモルダーの声が聞こえる。
「そうだ、全てマリアンヌのせいにすればいい。ははははっ」
聞こえてきた内容に思わず頭を抱えた。
(全て護衛に聞こえているわよ。勉強しないでアンジェ嬢と遊んでいるうちに、短絡的な考えをするようになってしまったのかしら)
我儘で自信家でもウィリアムはここまで短慮な性格では無かった。国王に呼び出されたとしても、誠心誠意反省し挽回しようとしていたと思う。
苛立ちと焦りで思考が鈍っているとはいえ、ここまで酷いとは。
そこまで考えて、ふと思い出した。
ゲームでのヒロイン、アンジェには各種能力値があり、能力値をバランス良く上げていき成績優秀者となれば、彼女は学園で活躍し支持される。そして、攻略対象キャラ達を支え良い方向へ導く、俗っぽく言えばアゲマンとなるのだ。反対に能力値アップを怠けているとバッドエンドを迎えてしまう。
能力値が高い状態で恋愛イベントを進めれば、高スペック女子となったアンジェと、彼女に選ばれたキャラは素晴らしい未来を迎えられるのだった。
(ウィリアム様可哀想に、彼女はハズレヒロインだったのね)
マリアンヌは目を瞑って首を横に振った。
思い出したのが今のタイミングでは遅い。今更、彼とアンジェを諌めようにもどうにも出来ないのだから。
***
魔獣が出没する森へ薬草の材料採集に来たマリアンヌは、材料でいっぱいになった籠を「よいしょ」と背負った。
籠いっぱいに採るノルマは達成出来たから、後はギルドへ戻るだけ。
「暗くなる前に戻りましょう」
夕暮れ近い空を見上げ、マリアンヌは自分より一回り大きな籠を持ったバルトへ声をかけた。
振り返ったバルトは頷くと籠を背負う。
色気のある美形剣士が籠を背負った姿は、少々シュールさを感じる光景だ。
いくら魔獣が徘徊する森とはいえ、材料採集程度は一人で大丈夫なのに、偶然ギルドに居たバルトは此処までくっついてきたのだ。
「可愛い」と言われて以来、彼と会うと意識してしまうのか恥ずかしくて動悸で胸が苦しくなるため、一緒に居られて嬉しいような困るような、複雑な心境になってしまう。
「溜め息なんか吐いて、心配事でもあるのか?」
「あ、心配事と言うか……平気だと思っていた事が重たくなってきたから困っているの」
一歩バルトが近付き、近くなる距離に心臓が高鳴る。
貴方が気になるの、とは言えずに、もう一つの憂い事を口に出す。
「それで?」
「私には親が決めた婚約者がいるのだけど、その婚約者が他の女の子と恋人関係になっていてね。今後の事を考えると頭が痛いと思って」
「つらいか?」
問われて、マリアンヌは首を傾げた。婚約破棄はつらいとは思ってはいないが、胸がモヤモヤするのは何故か。
考え付いた答えは、つらいとは違う感情だった。
「憧れはあっても恋愛感情は無かったし、最初は仲睦まじい二人を見ても大丈夫だった。ただ、露骨に避けられたり恋人を優先し過ぎて、勉学を疎かにして堕ちていくのは、ずっと彼を見ていた私は悲しいなって。婚約者を諌めなければならない立場だし、話をしなければならないと分かっていても、彼の態度は私に対して失礼で諌める気も起きない。前から嫌われていたから、話そうにも相手にされなかっただろうけど」
ウィリアムに対する思いは、彼が自ら周囲を裏切る言動をする哀れみと、堕ちていくのが悲しいという感情だった。
「保護者から叱られたらしくて、お前が知らせたのかー! って凄い剣幕で怒鳴られたの。庇うのを拒否したら私が悪い事にする、とまで言い出すし何だかガッカリしちゃって。恋人が大好きで私が邪魔なら、早く婚約破棄してくれればいいのに」
話を聞いているバルトの眉間の皺が深くなっていく。
「婚約を破棄されても、アンヌは大丈夫なのか?」
「婚約破棄されたら、それを理由に家を出て世界中を旅しようと思っているから平気よ」
バルトが心配してくれているのが伝わって来て、マリアンヌは笑顔で答える。ウィリアムとのやり取りを思い出して苛々した気持ちが吹き飛ぶから、自分の単純さに笑ってしまった。
「そうか」
口許へ手を当てたバルトは、マリアンヌをじっと見詰めフッと笑った。
「もしも婚約者から婚約を破棄されたら、俺がアンヌを貰ってやるよ」
「へっ?」
何を言われたのか一瞬理解出来なかったマリアンヌはすっとんきょうな声を上げた。数回、目を瞬かせた後、一気に体温が上昇していく。
「はははっ、真っ赤に熟れたトマトみたいだな」
一歩、また一歩と、距離を縮めてくるバルトから逃れようと、後退したマリアンヌの踵が石に当たりバランスを崩す。よろけたマリアンヌの腕をバルトが掴み、ぐいっと引き戻した。
密着まではしていなくても近すぎる距離に、身じろぎして離れようとしているのに、バルトは腕を離してくれない。
「逃げようとするくらい、嫌か?」
「な、だって、いきなり、だから。あと、近い」
前世では、男性とそれなりの付き合いを経験していたとはいえ、今世は箱入りの公爵令嬢である。兄以外の男性とは、ウィリアムにエスコートされる時くらいしか触れたことはなく、ほとんど免疫が無いのだ。
バルトに触れられるのは嫌ではないし、彼を嫌いではなく好意を抱いているからこそ恥ずかしいのだと、ちっぽけな矜持が邪魔をして言えない。
羞恥で涙目になっていくマリアンヌの真っ赤に染まった両頬を、バルトの手のひらが包み込む。
「大丈夫、俺はアンヌを傷付ける真似や、裏切る事は絶対にしない。婚約者から手を離されたらアンヌを貰ってもいいか?」
甘く乞うように囁かれてしまえば、思考は蕩けてしまう。
お互い籠を背負ったままのムードも何も無い状況を忘れて、マリアンヌの瞳は涙で潤んでいく。
「バルト……」
全身を真っ赤に染めたマリアンヌは、瞼を伏せて微かに頷いた。
タイトルの○○には、牽制とか求婚とか色々入ります。
評価、ブックマークありがとうございます!
ランキングを見て吃驚しました。誤字報告もありがとうございました。