9.家出の結末は
国王が居住する宮殿内の王妃の部屋。
ベッドへ横たわるマリアンヌの問診と視診を終え、王室侍医のロブスタはにこりと微笑んだ。
「ご懐妊、おめでとうございます」
「本当にお腹に赤ちゃんがいるんだ」
横たわったまま、マリアンヌはまだ平たい腹部へ撫でる。
ギルバートに抱えられたまま帰国した後、出迎えた侍女長には泣かれ、目の下に隈を作った父親と兄には体を労られた。体調を心配する侍医ロブスタへ、船旅や戦闘を繰り返していたと伝えると、笑顔を張り付けたまま彼は卒倒しかけ、直ぐ様診察を受ける事となったのだ。
トランギアナ国でギルバートから告げられた時は、妊娠した実感は全く無く、ただただ驚くだけだった。
前世とは違い、今世には妊娠検査薬も産婦人科のエコー検査も無い。ロブスタに問われたのは、月のものの周期と体調面の変化についてだけ。
それだけでよく分かったなと、マリアンヌは眉尻を下げてしまった。
「意識を集中してみてください。王妃様とは違う魔力を感じられますよ」
「あっ」
意識を集中してみれば、確かに下腹部から微かに自分と異なる魔力を感じられた。
勢いよく上半身を起こしたマリアンヌは、椅子に座り腕を組んで診察を見守っていたギルバートへ、満面の笑みを向ける。
診察の様子を無言で見ていたギルバートも、表情を和らげて立ち上がった。
「四ヶ月に入った頃、でしょうか。悪阻の症状がほとんど無いため、気付けなかったのでしょう。本当に王妃様がご無事で良かった。ご無理をされていたら、取り返しのつかない事態になっていたかもしれません」
魔力の乱れと精神面が不安定だったのは、妊娠が影響していたのだという。
「ごめんね」
宿ったばかりの我が子の命を、危うく喪うところだったと知り、下腹部を撫でるマリアンヌの瞳から涙が零れた。
ぎしりっ
ベッドの端に手をついたギルバートが、マリアンヌの肩を抱き寄せる。
「ロブスタから、アンヌが孕んでいる可能性を告げられた時はさすがに焦った」
「ごめんなさい」
目蓋を伏せて、素直に謝罪の言葉を口にする。
カシャンッ
金属が当たる音と冷たい感触を左手首に感じ、マリアンヌは「へっ?」と顔を上げた。
顔を上げてマリアンヌは固まってしまった。
口角を上げ、唇を笑みの形にしたギルバートの瞳は全く笑ってはおらず、背筋に冷たいものが走り抜ける。
「魔力抑制の首輪にしたかったのだが、それでは腹の子に影響が出るからな」
左手首に装着されたのは、輝きを抑えた金色の腕輪。
中央に填まった魔石には強力な魔法が込められ、溶接されたように留め具等は見当たらない。
「腕輪は俺にしか外せない。これで、何処にいてもアンヌの居場所が分かる」
クツクツ喉を鳴らすギルバートは至極愉しそうで、マリアンヌは無意識に腰を退こうとしてしまった。
「もう、逃がさない」
肩へ回されたギルバートの腕に力がこもり隙間なく密着する体。
一段と低くなった声を耳元へ流し込まれ、マリアンヌは覚った。
子どもを身籠った上、首輪ならぬ腕輪を付けられて、もう全ての逃げ道は塞がれてしまった事を。
「でも、フェイエノールの王女殿下はどうなるの」
「どうにもならんよ」
真剣な表情で問うマリアンヌを、ギルバートは一笑に付した。
「俺が、アンヌ以外の女を娶るわけないだろう。子も授かったのに、側妃など必要無い」
「でも、噂が」
太股の上でぎゅっと握られたマリアンヌの手を、ギルバートの手のひらが包む。
「王女を娶るのは、マリオンだ」
「は?」
突然、出てきた兄の名前。
マリアンヌはキョトンと、ギルバートを見詰める。
「以前、俺の名代でフェイエノールを訪問したマリオンを王女が気に入ったらしくてな。恋煩いというやつか、寝込むほどマリオンに焦がれている王女を不憫に思った国王から、どうにかならないかと相談されたのだ。丁度、マリオンも王女も婚約者はいない。ならば両国の友好関係のため、二人を婚約させようかという話になってな」
「そう、だったの? 話してくれればよかったのに」
事情を話してくれたなら、噂に惑わされて勝手に嫉妬して家出を考えなかったのに。
拗ねた口調になったマリアンヌの手に握り、ギルバートはそっと指先に口付けを落とす。
「フェイエノールの王女が、自国ではなく隣国の公爵家へ嫁ぐのは面倒事が多い。そのため、上手く婚約へ進むように動き回っていたのだ。因みに、俺の側妃になると噂されていた第一王女ではなく、マリオンとの婚約を考えているのは第二王女だ」
「ええっ?! 第二王女はまだ成人前では?」
「面倒事だらけだろ?」
唖然となるマリアンヌの額に口付けて、ギルバートは愉しそうにクツリと喉を鳴らして笑った。
***
隣国フェイエノールからの使節団を迎え入れ、王妃として晩餐会の出席や接待役をこなした後、疲れもありマリアンヌは体調を崩してしまった。以降、周囲の過保護さが増し、特にギルバートの過保護っぷりは時に辟易するほど。
妊娠五ヶ月安定期に入った頃、ようやくマリアンヌは母親へ妊娠報告をするため、王都にあるソレイユ公爵邸へ久しぶりの里帰りが出来た。
もう少し早い里帰りをする予定だったのに、過保護なギルバートを説得するのに時間がかかり一月近く遅れてしまったのだ。
数日に及ぶ説得と奉仕でギルバートから許されたのは、夕方までに戻るという約束。
あれだけ頑張って奉仕をして、恥ずかしいお願いの台詞を言わされたのに短時間しか滞在出来ないのは残念だ。とはいえ、母親と幼い頃から仕えてくれているメイド達の喜ぶ顔を見られたのと、ヤンデレが増した夫の存在を感じないで、懐かしい実家の自室に一人で休めたのは嬉しい。
仕事を切り上げて帰宅したマリオンも、家出騒動以来久しぶりに会えた妹の元気そうな姿に安堵する。
「元気そうで良かった。王宮へ行っても、陛下がなかなかマリアンヌに会わせてくれないから、体調を崩しているんじゃないかと心配していたよ」
「心配かけてごめんなさい。陛下ったら過保護だから」
頬を染めるマリアンヌの耳の裏に付けられている赤い痕。
本人は気付いていないだろう赤い鬱血痕は、ギルバートの病的な執着と溺愛を感じさせてマリオンは背筋が冷えた。
与えられる愛情は、過保護の範囲を越えているとは思っていないマリアンヌに苦笑しつつ、マリオンは妹の頭を撫でる。
「マリアンヌが無事なら、いいよ」
ベランダからの風がカーテンがふんわりと揺らしたのを見て、意を決したマリアンヌはマリオンを見上げた。
一月前に知ってから、ずっと気になっていた事。
訊ねるのは、二人っきりになった今しかない。
「あの、お兄様はいいの?」
「何をだい?」
聞き返されたマリアンヌの眉はハの字になっていく。
「王女殿下は、まだ十一歳ではありませんか。その方と婚約とは、お兄様は納得しているのですか?」
マリオンはもうすぐ二十二歳。
貴族の結婚は年の差婚も有りだとはいえ、数年前に婚約者を病で亡くして以来、新たな婚約者を受け入れなかった兄がまだ幼い王女と婚約を結ぶ事になるとは、知った時は耳を疑った。
「マリアンヌと陛下も十の年の差があるよ。マリアンヌは、まだ幼い王女を陛下の側妃として迎え入れてもいいのかい?」
「それは、嫌だし凄く気持ち悪い」
思いっきり顔を歪め、マリアンヌは膨らみ始めた下腹部に手を当てる。
ギルバートから自分を王妃にすると言われ、愛を囁かれた時も年の差を考えてしまったのに、彼が自分よりも幼い少女を妃にするのはショックよりも、少しだけ、否、かなり気持ち悪い。
王なら許されるのかもしれないが、三十路の男が二十近く若い少女に手を出すのは、前世の記憶が「それは犯罪だ」と叫ぶ。
「でも、これも、両国のためだ。陛下がお決めになった、だから、私が何を言っても仕方が無いんだよ」
まるで自分に言い聞かせているかのように、マリオンはこめかみを人差し指で揉みながら言う。
「お兄様! 安心してくださいっ!」
勢いよく立ち上がったマリアンヌに驚き、マリオンは肩を揺らした。
「お兄様が王女殿下と婚約を結んでも、わたくしはお兄様が少女趣味だとは思いませんから」
ガチャッガチャン!
よろめいたマリオンの腕がテーブルに当たり、派手な音をたててテーブルの上に置かれたティーカップが倒れる。
倒れたティーカップから溢れた紅茶が、絨毯とマリオンのシャツの袖を茶色く汚す。
「マリアンヌッ! 違うんだよっ! 私は了承していないのに陛下が勝手に話を進めてっ」
「俺が、勝手にどうしたって?」
扉の方から第三者の声が響き、必死に弁解をするマリオンの動きが停止する。
固まるマリオンを無視し部屋へ入って来たのは、王宮で仕事をしているはずのギルバートだった。
「迎えに来た。マリアンヌ、長時間の外出は体に障る」
窓の外の陽光からも置時計を確認しても、まだ夕方には早い時刻なのに迎えに来た夫は、供もつけずに転移魔法を使って来たのだろう。
そこまで心配しなくても大丈夫なのにと、マリアンヌは呆れ混じりの視線を向けた。
「平気です。もう少し実家でのんびりさせてください」
「駄目だ」
「もうっ過保護なんだから」
傍まで来ると、自然な動きで腰へ腕を回してくるギルバートの声色に混じる拗ねた響きを感じ取り、マリアンヌはクスクスと笑う。
甘い雰囲気を出す二人のやり取りを見る余裕もなく、顔色を悪くしたマリオンは痛みだした頭と胃の痛みに「うぅ」と小さく呻いた。
噂の真相でした。
色々と突っ込むところはあるとは思いますが、次話でエピローグとなります。