9.そうして彼は暗躍する⑥
宰相のダミアン以外は退室させた執務室で、暗部の調査結果がまとめられた報告書を読み終えたギルバートは、クククッと笑い声を漏らした。
「魅了魔法の習得、禁じられている媚薬の入手は男爵では不可能だとは思っていたが、陰で糸引く者はノゼワット侯爵か」
椅子に腰掛けて、肩を震わせるギルバートの足元へ片膝をつくのは、首から足元までを黒装束で覆った暗部の青年。
「前国王の忠臣とはいえ、ノゼワット侯爵が出てくるとはな」
気配に気付いた暗部の青年が顔を上げた時、扉がノックされ壁際に控えていたダミアンが確認のため動く。
「陛下、財務大臣がいらっしゃいました」
「通せ」
ギルバートが短く命じ、扉が開くまでの間で暗部の青年は一礼をして姿を消した。
「失礼いたします。王太子殿下のことでご報告がございます」
慌ただしく入室してきた財務大臣は、急いで来たのか額にかいた汗を手の甲で拭う。
「ウィリアムがまた何かやらかしたのか?」
財務大臣自らやって来るとは一体何をやったのかと、ギルバートは眉間に皺を寄せる。
「その、殿下は卒業式後に夜会を計画されていらっしゃるようで、それがかなりの出費となるのですが陛下はこの件をご存知かと、心配になりまして」
前国王の時代、杜撰な財務処理が行われ破綻寸前になっていた財政を立て直したギルバートが、王太子のためとはいえ過剰な出費を許可するはずが無いと、財務大臣は慌ててやって来たのだ。
「夜会だと? ウィリアムから計画書と見積書は提出されているだろうな」
「それが、その、卒業祝いだという理由で、殿下は不要だと、提出はされておりません」
バキリッ! ギルバートが掴んでいた椅子の肘掛けが砕ける。
「ひぃっ」
怒りのあまりギルバートから魔力が盛れ出る。恐れをなした財務大臣は悲鳴を上げて後退った。
「大臣」
ビシィッ! 魔力によって窓硝子に亀裂が入る。
怒りの限界を突き抜けたギルバートは、ゆっくりと椅子から立ち上がる。
「三日だ。三日で、ウィリアムが関わったと思われる不透明な支出を全て洗い出せ。ダミアン、卒業祝いだという夜会の詳細を調べろ」
「「はっ!」」
命じられたダミアンと大臣の声が重なる。
ギルバートが国王と成ってから十年余り。
政に関しては特に冷徹になる彼は、国益とならないと判断した者を容赦なく切り捨てる冷酷さ持っている。国王に成って直ぐの頃、多くの高官が粛清されていったのを嫌というほど知っているダミアンと大臣は、ウィリアムの歩む予定だった未来は永久に閉ざされたと悟り、直ぐ様行動を移した。
宰相と財務大臣が全力で調査した結果、二日後にはギルバートへ調査報告書が届けられた。
「何とまぁ馬鹿げた計画だな。夜会とは名ばかりの婚約破棄の舞台か。そして、甘いどころじゃないな。しかも、このサインは、全く何を考えているのやら」
ダミアンが調査した夜会計画、財務大臣が探し出した、明らかに用途が不明な支出、おそらく交遊費や男爵令嬢へ貢ぐための支出を許可した書類に記入されたサインを見て、ギルバートは呆れ混じりの溜め息を吐いてしまった。
同一のサインは、夜会の許可をする書類にも書かれている。
腹に一物あると気付いていたが、ただの過保護では無いだろうと思ってみても、ここまでやられると見過ごすわけにはいかない。
「陛下、私もご一緒します」
「私一人で向かう」
ダミアンの申し出を断ったギルバートは、一人でサインを書いた人物が居る場所、王太后宮へ向かった。
「へ、陛下?!」
先触れ無く現れたギルバートに、王太后宮の衛兵や使用人達は慌てふためいた。
引き止めようとする声を無視して王太后の部屋へ向かう。
部屋の主は突然の訪問を咎める事もなく、ソファーに座り何時もと変わらない優雅な笑みを浮かべ、ギルバートを迎え入れた。
「先触れ無く王太后宮への訪問を御許しください」
「頭を下げないでちょうだい。貴方はわたくしの大事な息子同然ですもの。それで、用とは何かしら?」
「直接、義母上にお尋ねしたい事がありまして」
「あら?」と言いながら、王太后は視線で侍女達を部屋の外へ下がらせる。
侍女達が部屋の外へ出ると、ギルバートは室内を覆う結界を展開した。
騒ぎ立てられたら面倒なため、音だけを遮断し部屋へ入れないだけで、開け放たれた扉から様子は見えるように調整した結界。
「器用ね」
結界を眺めて王太后は呑気に呟く。
ソファーに座る王太后へ見えるように、テーブルの上へ書類をバサリと投げる。
それは約一年間、王太子への必要経費以外の追加支出を許可する書類だった。王太后のサインがある以上、精査もされずに国庫からウィリアムの遊ぶ金が支出されていたとは、ギルバートも驚いた。
財務大臣も夜会の件が出るまでは知らず調査結果を見た後、図太い精神の持ち主である彼すら「まさか」と、倒れそうなくらい顔色を悪くして報告へ来たのだった。
「何故、このような真似をしたのですか」
求められるがまま与えるなど、いくら溺愛しているにしても度が過ぎる。諌める事もせずにウィリアムの言いなりになるとは、堕落を助長するとは、王太后らしくない。
「貴女にとってウィリアムは孫でしょう」
「そう、ウィリアムはたった一人の孫。でも、成長するにつれ外見も考え方も父親に似てきてしまった。貴方がどんなに教育しても、周囲の者達の甘言に流され、唆されてしまい楽を選ぶ。そんなところも似てしまった」
ふぅ、と息を吐いて王太后は背凭れに上半身を預ける。
「このままではウィリアムは愚王となる、そう思ったからノゼワット侯爵に手を貸したのです」
「義母上をここまで追い詰めてしまうならば、昨年、ウィリアムが飲酒をして暴力事件を起こした時に、謹慎など生温い処分ではなく反対意見を無視して、騎士団へ入団させ辺境の砦へ送れば良かったと、後悔しています」
寮を抜け出したウィリアムは娼館で飲酒した挙げ句に暴れ、止めようとした下男数人に怪我をさせた事があった。
その時、騎士団への入団を反対したのは前国王の側近達と王太后だった。
「貴方が何度仕置きをしても繰り返すのだから、騎士団へ入れてもあの性根が矯正されるとは限らないでしょう。それに、貴方があまりにもルティウスに似てしまったから。ルティウスが王位に就いたならばと、思い描いていた姿とギルバートの姿が同一だと気付いたのです」
「ルティウス殿下、ですか」
つい舌打ちしそうになった。
王位争いに敗れ殺害されたルティウス元王太子。常々、彼女は息子とギルバートを重ねて見ているのだ。
「ウィリアムが王に成り傀儡とされるより、この国のためにはギルバートが王のままでいるべきだと。でも、貴方はウィリアムへ王位を譲ると言ってきかない。だから、わたくしは」
言葉を切った王太后は自嘲するように笑った。
「マリアンヌは良い働きをしてくれました。魅了の力を持つ男爵令嬢よりもずっと。頑なだったギルバートをその気にさせてくれたのですから。ああそうだった。ウィリアムがわたくしが管理している王妃の首飾りを持ち出したと、報告があったわね」
「まさか、持ち出しを許可したのですか?」
ギルバートからの問いに首を横に振る。
「いいえ。ウィリアムは無断で持ち出しても、わたくしが許すと思っているのでしょうね」
クスクス声を出して笑いながら、王太后はソファーから立ち上がった。
「さぁ、わたくしを処罰しなさい。ウィリアムと令嬢の未来を奪ったのだから、その罪を償わなければなりません」
「それは了承しかねます」
両手を差し出す王太后の手を、ギルバートはやんわりと押し止める。
「マリアンヌは義母上を信頼し、必要としています。せめて、王妃と成るまでは彼女を支えてもらいたい」
暗に、生きて償えと伝えると、王太后両の両手が力無く下がる。
「ふふっ甘いわね。そんな甘いところまでもルティウスにそっくり」
呆れた声色なのに、細められた瞳は潤んでいく。
「甘いから人質にされた母親と婚約者を捨てられず、あの子は自分より劣る弟に負けたのよ」
目蓋を閉じた王太后の瞳から、涙が一筋流れ落ちた。
黒幕は王太后でした。
次で終わり、になるかな。
次は明後日の更新予定です。
連休はお母さん頑張らなければならないので、ごめんなさい。




