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2.悪役令嬢は自分の役割を思い出す

 マリアンヌ・ソレイユは、多くの貴族令嬢が憧れる完璧な公爵令嬢で王太子の婚約者だった。

 過去形なのは約一年前、アンジェ・カインツェという名の女子生徒が王立学園へ編入して来てから様子が一変したからだ。

 カインツェ男爵と彼の屋敷でメイドをしていた母親の間に生まれたアンジェは、母親の実家で平民として育てられていたが、学園入学の二年前に母親を亡くし父親のカインツェ男爵に引き取られた。そのせいか、平民の感覚が抜けきらず貴族令嬢とは思えない立ち振舞いが多く、良くて天真爛漫、はっきり言って空気を読めない彼女に対して関わった貴族令嬢達は眉を顰めていた。


 学年も違うため、接点が無いマリアンヌがアンジェの存在を知ったのは、事故と言うには作為を感じる出来事からだった。


 ガチャン!


「きゃあぅっ?!」


 四月の終わり頃、ウィリアムと共に中庭で過ごしていたマリアンヌの後頭部に何かが当たり、そのまま押し倒される形でテーブルに突っ伏してしまった。

 散らばるティーカップやティーポット。顔面に感じる紅茶の熱さと、強か打ち付けた痛みと後頭部の痛み。比喩ではなくマリアンヌの目の前で星が散る。


「マリアンヌ?!」

「きゃああー?! マリアンヌ様っ!」


 ウィリアムの声と女子生徒の悲鳴が聞こえ、マリアンヌはぼんやりと自分を抱き起こす男子生徒を見た。

 男子生徒が誰か分からず、酷い目眩がして視界が揺らぐ。


「あれ? ウィリアム様? 私は、マリアンヌ……?」


 何度か瞬きを繰り返したマリアンヌは、小さく呟いて意識を失った。



 意識を失い高熱に魘される中、マリアンヌは夢をみていた。


 夢の中での自分は、公爵令嬢ではなく男性が着るスーツに似た服を着た黒髪の若い女性。

 毎日決まった時間に起き、同じようなスーツに似た服を着て、ぎゅうぎゅうに人が入った長方形の箱に乗り職場へ通う。職場では薄い箱と睨めっこをし、中年男性から小言を言われる毎日。

 繰り返される日々の中、黒髪の女性となったマリアンヌの楽しみはビールと、発売されたばかりの乙女ゲームだった。

 ゲームに登場するキラキラした男性達のスチルを眺めながら、黒髪の女性となったマリアンヌは首を傾げる。


(ウィリアム様はこんなに甘い台詞など言わない。お兄様はこんなに冷たい表情は見せないわ。ヒロインを罵倒するのは、ヒロインとウィリアム様との仲を嫉妬しているのは、悪役令嬢マリアンヌ?)


 レースとリボンに彩られた派手なドレスを着た銀髪の令嬢が画面に現れ、マリアンヌは全てを理解した。

 この令嬢は自分自身で、似合っていない派手なドレスは婚約者のウィリアムから贈られたドレスと同一だと。

 そして、黒髪の女性はマリアンヌの前世だということを。


(これって、異世界転生? よりによってマリアンヌだなんてっ! 嘘よっ?!)


 叫んだ瞬間、夢から覚めた。

 受け入れるしかない現実と、受け入れるには多すぎる情報量に、両手で顔を覆ってしまった。




 前世の記憶が甦った翌日、見舞いにウィリアムが屋敷を訪れると連絡があったとメイドから伝えられ、マリアンヌは溜め息を吐いてしまった。

 以前ならば、ウィリアムの訪問は飛び上がるくらい嬉しかったのに、全く嬉しく無い。

 嬉しく無いのに、王太子殿下がわざわざ来てくださるのなら、髪を結い寝巻きから綺麗な服に着替えなければならず、怠い体に鞭打って身支度するのは面倒臭い。

 まだ学生の身分で世間を知らない令嬢とは真逆な記憶、就職をして陰険上司に嫌味を言われ社蓄のごとく働いていた前世の記憶が甦った今は、ウィリアムの訪問はマリアンヌの身を案じてではなく婚約者だからという、義務として見舞いに来ているだけだとくらい分かる。


「魔力放出の練習をしていて手元が狂っただけで、マリアンヌへ故意に当てたのでは無く魔力コントロールを誤ったようだ。アンジェ嬢も反省をしていた。怪我も大したことがないのならば、責めないでやってくれ」

「わたくしへの謝罪は一切ありませんでしたよ」と言いたくなったが、ぐっと言葉を飲み込んだ。

 加害者のアンジェから事情を聞いているうちに、どうやらウィリアムは彼女に好感を抱いたらしい。まだ淡い感情でも、アンジェを責めるマリアンヌを彼は良しとはしないだろう。


 たった五分足らずでウィリアムは退室し、マリアンヌは笑いを漏らした。

 政略上の婚約者とはいえ、「大丈夫か」の一言も無いとは何て軽薄な男だろうか。


 メイドに暫く人払いするように伝え、マリアンヌはソファーで膝を抱えて座った。

 ゲームのシナリオを思い出し、ウィリアムとアンジェが知り合う切っ掛けが、悪役令嬢だったとは笑ってしまう。

 魔力放出の練習で、“偶然”魔力の玉をぶつけられたマリアンヌは怒りを爆発させ、烈火の如くアンジェを罵倒していた。それを見たウィリアムは、醜い婚約者の姿にうんざりして罵倒されたアンジェを庇うのだけれど、ゲームキャラのマリアンヌは怒って当然だ。これだけ痛かったのに、アンジェはおろおろ泣くだけで謝罪もしないのだから。


「わたくし、私は、マリアンヌ。ヒロインと王子様の恋を邪魔する悪役令嬢。乙女ゲームへ転生だなんて何て事なの。このままじゃあ婚約破棄されて、良くて国境沿いの危険な修道院へ送られるか国外追放されるか」


 婚約者や見目麗しい攻略対象キャラ達と仲良くなるアンジェを妬み、嫌がらせを繰り返したマリアンヌは卒業式後の夜会でウィリアムから婚約破棄を言い渡される。

 攻略対象ルートによって、マリアンヌはアンジェの命を狙ったり王太子を負傷させてしまい、その場合は衛兵に捕らわれ、投獄されるのだ。

 婚約破棄された悪役令嬢のその後は、エンディング後に攻略対象キャラのお兄様の口から語られる。

 ヒロインにはあるのに悪役令嬢だけ大団円エンドは無く、全てのエンディングで公爵令嬢の身分を剥奪され、良くて修道院送りか国外追放、残りは死刑か暗殺というハードなものだった。


「隣国の娼館で働くのも、王太子の命を狙った反逆罪で火炙りされるのも勘弁だわ。婚約破棄されないようにウィリアム様と仲良くする?」


 ウィリアムに寄り添って甘える姿を想像して、マリアンヌは首を横に振る。


「ヒロインと知り合っちゃったし、今さら無理だわ。顔と財力は良くても甘ったれ我が儘王子と結婚も嫌だわ。新婚早々、喧嘩ばかりの険悪仮面夫婦の出来上がりね」


 サイドテーブルに置かれた手鏡を取り、鏡に映る自分の顔を見つめた。


「マリアンヌは美人だし、魔力も高いし教養もある高スペック。学園では魔術の授業も武術の授業もあり、全ての教科の成績は優秀」


 輝く銀髪に琥珀色の瞳、そばかす一つ無い白磁の肌を持つマリアンヌは、月の女神やら月の精と周りから評されているのは知っている。

 家柄か生まれつき魔力も高く、水、風、土の三属性を持っており、学園の授業外でも兄の稽古に付き合って乗馬と剣術を嗜んでいた。


「身分を剥奪されて国外追放されても、これだけ優秀だったら隣国で働くか冒険者になればいいじゃない。何でゲームのマリアンヌはあんなに嘆いていたんだろう。生きる術があるなら、王妃になるより平民の方が楽なのに」


 悪役令嬢マリアンヌが平民への身分の転落に絶望したのは、貴族令嬢として培った矜持と、愛されないと分かっていても皇太子の婚約者、という立場にしがみついていたかったからだ。

 報われなくても、未熟な想いでも、彼女(マリアンヌ)はウィリアムに恋をしていたんだと、今のマリアンヌは十分理解していた。

 サイドテーブルに手鏡を置き、両手を上げて伸びをする。


「決めた。とっとと婚約破棄してもらって国外追放されよう。冒険者になって世界中を旅して回ろう」



 決意したマリアンヌの行動は早かった。

 翌日から、体調が優れないという理由で三日間学園を休み、幼い頃から世話してくれている信頼出来るメイドと、若い頃は冒険者をしていたという庭師の爺に協力してもらい、冒険者となる手続きに奔走したのだ。

 街の服屋で売っている既製品のワンピースに着替え、銀髪から煤色へ、琥珀色の瞳は焦げ茶色へ変化させて眼鏡をかけた姿は、少々綺麗な顔立ちは目を引くものの公爵令嬢には見えない。

 体調が優れないため、マリアンヌは部屋に引きこもっている事にして、庭師の爺に教えてもらった抜け道から屋敷を出た。


 何時もだったら市街地への外出は馬車だが、初めて徒歩で長時間歩道を歩くマリアンヌは胸を躍らせながらギルドへ向かう。


(常に姿勢を気にして背筋を伸ばしたり、高いヒールを絨毯に引っ掻けずに歩かなくてもいいなんて楽しいなぁ。やっぱり私は平民になりたいわ!)


 中央広場を抜け辿り着いたギルドで、庭師の爺の孫娘として躊躇うことも無くマリアンヌは登録を済ませた。

 派手な化粧の受付嬢は、入会申込書とマリアンヌを何度も交互に見る。


「魔法剣士? アンヌちゃんねぇ。そんな細い腕で剣を握れるの? 魔獣と戦うこともあるんだよ? 綺麗な顔に傷でも付いたら大変じゃないの?」

「わたく、いえ、私は回復魔法も使えるから大丈夫よ。心配してくれてありがとう」


 にっこりと笑ったマリアンヌは、初仕事として引き受けた魔獣退治を一人でこなし、ギルド職員達の度肝を抜くのだった。


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