7.そうして彼は暗躍する④
久々に上機嫌なギルバートは、色とりどりの布が置かれた机上を見ながら、顎に人差し指と親指を当て思案していた。
小さく頷くとギルバートは、青藤色から濃藍色へグラデーションをつけて染められている布と、深紅の布を手に取る。
手に取った布を、今にも倒れそうなくらい顔色を悪くしたマリオンの上半身へ巻き付けていく。
「ふむ、マリアンヌに似合いそうな色合いはこれだな」
「あの、陛下、マリアンヌに何か?」
「火急の用」だと呼び出されて参上したマリオンが部屋に入った途端、使用人達に上着を奪われてしまい、何事かと目を白黒している間に上半身へ布を巻かれ始めた。
明確な説明も無いまま布を巻かれ、髪に装飾品を当てられてから既に三十分は経過しただろうか。
冷静沈着な国王ギルバートが暴走しかけるのは、大概はマリアンヌ絡み。呼び出された時から、何となく嫌な予感はしていた。
髪に当てて似合うか確認されたのは女性用の髪飾り。耳に付けられたのはイヤリング。極めつけは、上半身に巻かれた滑らかな触感の布地。
そうときたら、何が目的で国王の私室まで呼ばれたのか理解出来て、マリオンは目眩がしてきた。
「学園で近々夜会が開かれるらしい。おそらく、ウィリアムはエスコートを断わるだろう。マリアンヌには私からドレスを贈るつもりだ。そのため、同じ色合いのマリオンで色と装飾品を確認しようと思ってな」
やっぱりかーー! 叫びたいのを不敬だと、ぐっと堪える。
「殿下が断られた場合は私がマリアンヌのエスコートをしま」
「駄目だ」
きっぱりと言い放たれてしまい、マリオンは目を見開いた。
「まさか、陛下?」
「完璧に落とすためには、刺激的な展開が必要だろう?」
目を細めたギルバートは捕食者を彷彿させる表情でニヤリと笑った。
自分と妹の今後が予見出来て、マリオンは片手で顔を覆いフラリとよろめいた。
学園長へ根回しをし、ギルバートは剣士バルトへと外見を変える。警備員の服装に着替え、夜会当日の昼過ぎから学園へ潜り込んだ。
自由に学園内を散策していたギルバートだったが、放課後の中庭で繰り広げられている光景を目にして顔を顰めてしまった。
(成る程、あれがカインツェ男爵の娘か)
中庭の中央、日当たりの良い場所に設置されたベンチに座り、数人の生徒が談笑していた。
ウィリアムの腕に自分の腕を絡ませ、胸を密着させるようにして座っている女子生徒。彼女を中心に座り、まるで姫君のように扱う男子生徒達。
遠目にも、彼等は皆見目が良く纏う雰囲気から貴族子息だと分かった。彼等の中でも見覚えがある顔は、ウィリアムに騎士団子息、魔術師団長子息。
まだ学生だからと振る舞いに多少目を瞑ったとしても、甲高い声で笑う女子生徒と、競うように彼女へ甘い言葉を囁く男子生徒の姿は、非常に滑稽で不快だった。
確かに可愛らしい外見をして、異性を惹き付ける魅了の魔力を帯びている女子生徒は、ウィリアムと同年代の少年からしたら魅力的に感じるのだろう。
とはいえ、外見、立ち振舞い共にマリアンヌの方が格は上だと分かる。
何故、あんな娘に? と首を傾げた時、ウィリアムの好みを思い出した。
幼い頃のウィリアムは、魔物に連れ去られた王女を救う騎士の絵本を好んで読んでいた。
物語に描かれていた、可憐で儚げな庇護欲を擽られる王女を好み、好みと正反対のマリアンヌが婚約者と成ることに不満を漏らしていたのだ。
甘えを全く見せず隙の無いマリアンヌとは違い、外見も態度も理想通りの、可憐で甘え上手な女子生徒が自分を肯定し慕ってくれれば、夢中になってしまったのだろう。王太子として甘やかされて育ち、ある意味純粋なウィリアムは初めての恋にのめり込んでいってしまったのかもしれない。
甘えを見せない、完璧な所作の裏に隠されたマリアンヌの努力を全く見ようとしないウィリアムは、近いうちに後悔するはずだ。簡単に自分が手を離した相手は、どれだけ魅力的で価値ある女だったかと。
こうなる前に、父親代わり、兄代わりとして、もっと真剣にウィリアムと向き合ってやればよかったのかもしれない。
だが、それも今更だ。
既に、元老院も動き出してしまっている。ギルバートもマリアンヌを諦めるつもりは無い。
更正の機会を与えたのに、生かさず無視したのはウィリアムなのだ。
自嘲の笑みを浮かべ、ギルバートは探索魔法を展開する。まだ学園に残っているマリアンヌの気配を探った。
人気の無い校舎の裏のベンチに腰掛けたマリアンヌは、今夜の夜会をどう乗り切るか頭を抱えていた。
「ドタキャンかー。当日に言ってくるとか、最悪なパターンね」
俯いて溜め息を吐いたマリアンヌの上に影が落ちる。
地面に落ちた影で、誰かが後ろから近付いてきたのが分かり、俯いていた顔を上げた。
「何が、最悪なんだ?」
聞き覚えのある声が聞こえ、マリアンヌの体と思考は固まってしまった。
苦しいくらいの動悸がしてきて全身から汗がふき出す。
錆び付いたように、硬くなった関節へ力を入れてゆっくりと振り返り......マリアンヌは驚愕の表情となった。
「な、なななっ?!」
口を動かしているのに言葉が出て来ない。マリアンヌの激しい動揺の原因となった、背後に立つギルバートは、堪えきれずにぶはっと吹き出した。
「お前、アンヌだろ?」
くくくっ、と笑いを堪えて問いかける。
口許を押さえたマリアンヌは、どうにか気持ちを鎮めている様子だった。
「何の事かしら? 誰かとお間違えになっているのでは?」
公爵令嬢の仮面を被り、何とか取り繕おうとするマリアンヌを見て、ギルバートは唇の端を吊り上げた。
「髪と瞳の色、雰囲気を変えていても魔力の質は変えられない。直ぐにお前だと分かった。それに」
背後から手を伸ばし、マリアンヌのハーフアップにした銀髪を指に絡め弄る。
「求婚までした俺が、アンヌかどうか分からないわけ無いだろう」
耳が弱いという事は、求婚した際に知った。
背後から耳元へ唇を近付け息を耳へ流し込み、髪を弄っていた指先を滑らせ頬を撫でる。
ピクンッと体を小刻みに揺らしたマリアンヌは頬を赤く染め、みるみるうちに瞳には涙の膜が張っていく。
(はぁ、この顔は堪らない)
気丈な公爵令嬢の仮面が綻び、涙目で止めて欲しいと訴えるマリアンヌが可愛くて、もっといじめたくなる。
「バルト……止めて」
唇の輪郭をなぞれば、耐えきれずにあっさりとマリアンヌは降参したのだった。
白旗を上げたマリアンヌをあっさりと解放し、ギルバートは上機嫌でベンチに座る。
身を固くするマリアンヌの膝と自分の膝が密着するように座れば、彼女は恥ずかしそうに身動ぐ。
外見に似合わない初な反応は、ウィリアムに寄り添っていた女子生徒とは真逆だと感じた。
愚かなウィリアムは、こんなにも可愛らしいマリアンヌの姿は知らないのだ。知ろうともしなかっただろう。
もっとも、今から知らせるつもりも無いが。
「あの、バルトは何故、此処にいるの?」
「知り合いから夜会の警備を頼まれてな。学園の警備など面倒だが、報酬の良さで引き受けた」
「え?」
マリアンヌは隣に座るギルバートの服装を凝視し、警備員の制服を着ていることに驚く。
「で、何が最悪なんだ?」
先程の独り言について問うと、マリアンヌの眉尻は下がっていく。
たっぷり数十秒迷った末、彼女は重たい口を開いた。
「婚約者から、夜会のエスコートは出来ないって今日の昼に言われたの。まさか直前になって断ってくるとは思わなかったから、対策をしてなくて。誰かに代役を頼もうにも、皆パートナーは決まっているだろうしお兄様も、仕事で無理だと言われてしまって。だから最悪なのよ。あのボンクラ、夜会で私に恥をかかせたいんでしょうね」
膝の上で握り締めるマリアンヌの両手の指は、力が入りすぎて白くなるほど力がこもっていた。
「アンヌを貶めようとしているボンクラとやらは、恋人をエスコートして参加するつもりか」
きつく握り締めたマリアンヌの手をギルバートの手のひらが包む。
ゆっくりとマリアンヌの握り締めた手と体の強張りがゆるんでいく。
「アンヌ、良案がある。俺が、夜会のエスコート役になればいい」
「は? ええっ?!」
不敵な笑みを浮かべたギルバートから提案された良案に、マリアンヌは何度も目を瞬かせた。
「バルトが、エスコート? 本当に?」
「ああ、ただし条件がある」
緊張した面持ちのマリアンヌは唇をぎゅっと結ぶ。
「青ないし紺、デザインは体の線を出すシンプルだが凝ったドレス。背中を見せるのもいいな。化粧と髪型はドレスに合ったものだ。俺の隣に立つのだから、お子様のようなゴテゴテした装いだけは勘弁してくれ」
「へっ? お子様?」
きょとんとするマリアンヌは知らない。
夜会用に仕立てたマリアンヌへの贈り物を、ソレイユ公爵邸のクローゼットへ紛れ込ませている事を。
そして屋敷では、マリオンの指示で準備を終えたメイド達がマリアンヌの帰宅を今かと待ちわびているのだった。
影でお兄様は犠牲、いえ頑張ってくれていたのです。