6.そうして彼は暗躍する③
後半、ギルバート視点ですが本編と重複しています。
鍛練に耐えきれず、意識を失い仰向けに倒れたウィリアムを休養させるため、ギルバートは数日間学園を欠席させた。
休養とは名ばかりで、実際はギルバートによる再教育である。
魅了魔法は解いたが、カインツェ男爵を調べている暗部の報告から、ウィリアムには精神を侵す危険な媚薬を使われていた可能性があり、魔法と媚薬の影響がどの程度心身に現れるか部屋へ軟禁して経過を見ていた。
五日後、魔法と媚薬の影響から抜け出せたと判断されたウィリアムは学園へ戻されたのだが……
「学園へ戻ったその日に、人目を忍び男爵令嬢と逢い引きか。それも、ウィリアムから積極的に。クククッ、私の“説教”が全く効果無かったとはな」
暗部からの報告を受け、ギルバートは声を上げて笑ってしまった。
「魅了魔法耐性を付けさせ媚薬も体から抜いた上で、教育したというのにウィリアムは何も分かっていないのだな」
学園へ戻したのはウィリアムを試すためと、これ以上、王太后に知られず王宮内に軟禁するのは難しかったため。
あれだけ説教をされたのに、魔法と媚薬の影響でウィリアムが男爵令嬢へ近付いたので無いならば、単純に恋慕からか。
ここまで頭の中が恋愛に染まってしまったら、矯正するためには学園を退学させ離宮へ軟禁し、年単位で再教育するしかない。
だが、今更再教育したところでウィリアムが劇的に変わらなければ、元老院は納得しないだろう。
「陛下、御決断を」
連日のように決断を迫る宰相へ苦笑いを返す。
「ダミアン、お前達の望み通りにしよう。その代わり、マリアンヌを貰う」
ギクリッ、上半身を揺らしたダミアンの表情が強張る。
「我が娘、マリアンヌを妃として娶る理由は何でしょうか。是非ともお聞かせください」
「単純な話だ。ソレイユ公爵家、宰相の娘、それも王太子妃教育を受けていた娘ならば、私の妃として相応しいだろう。だが、それ以上にマリアンヌが“欲しくなった”では納得出来ないか?」
「欲しくなった、ですか?」
ダミアンの声色には、抑えきれない動揺が漏れ出ていてギルバートは口角を上げた。
「私は公爵令嬢ではない、ただの可愛らしい娘が汗と土にまみれて笑う姿に惹かれたのだ」
初めて会った可愛らしい少女。
あの頃と変わらない無邪気な笑顔を見た瞬間から、どうしようもなくマリアンヌに惹かれてしまっていた。
本来の彼女を知れば知るほど、自分だけのものにしたいと望んでしまったのだ。
「私が微笑みかけるのも泣かせたいのも、マリアンヌだけだ。婚約は学園卒業後に発表し、式は、そうだな婚約の半年後に行う。お前達の望みを叶えるのだ。対価を貰ってもかまわないだろう」
「マリアンヌの意思は、無視されるのですか?」
顔色を若干悪くしたダミアンから問われ、ギルバートは首を横に振った。
「拒否などさせない」
マリアンヌがウィリアムとの関係解消の方へ意識が向かっているうちに、逃げられないよう外堀を全て埋めておく。
気付かれないよう細心の注意を払い、アンヌがバルトを慕うよう仕向ければいいのだから。
魔獣が出没する森へ薬草の材料採集に来たマリアンヌは、材料でいっぱいになった籠を「よいしょ」と背負った。
「暗くなる前に戻りましょう」
夕暮れ近い空を見上げ、マリアンヌは自分より一回り大きな籠を持ったギルバートへ声をかける。
振り返ったギルバートは頷くと籠を背負う。
いくら魔法に長けていても、魔獣が徘徊する森での薬草採取は危険で、暗部の護衛を付けてはいたが心配になり、仕事を全てマリオンへ押し付けて駆け付けた。
マリアンヌに付けていた暗部の者は、ギルバートが籠を背負う姿に目玉が溢れんばかりに目を見開いていて驚き、木から落ちたが無視した。
「重くは無いか?」
「だ、大丈夫よ」
「可愛い」と伝えたからか、マリアンヌはバルトを意識しているらしく、近付くと頬を赤らめ落ち着かなくなるのが何とも可愛い。
あと少し、あと少しでこの初な“アンヌ”は手に入る。
「溜め息なんか吐いて、心配事でもあるのか?」
「あ、心配事と言うか……平気だと思っていた事が重たくなってきたから困っているの」
ギルバートが一歩近付くと、視線を逸らし口ごもる。
「それで?」
迷っているマリアンヌへ続きを促すと、彼女は眉尻を下げつつ口を開いた。
「えっと、私には親が決めた婚約者がいるのだけど、その婚約者が他の女の子と恋人関係になっていてね。今後の事を考えると頭が痛いと思って」
「つらいか?」
問うとマリアンヌは首を傾げた。
もしや、少しでもウィリアムへの好意を抱いているのかと、ギルバートの胸の内が重たくなっていく。
「憧れはあっても恋愛感情は無かったし、最初は仲睦まじい二人を見ても大丈夫だった。ただ、露骨に避けられたり恋人を優先し過ぎて、勉学を疎かにして堕ちていくのは、ずっと彼を見ていた私は悲しいなって。婚約者を諌めなければならない立場だし、話をしなければならないと分かっていても、彼の態度は私に対して失礼で諌める気も起きない。前から嫌われていたから、話そうにも相手にされなかっただろうけど」
胸の内を吐露したマリアンヌの表情は、晴れやかなものへと変化していきウィリアムへの恋慕は全く見あたら無い。その事にギルバートは安堵する。
「保護者から叱られたらしくて、お前が知らせたのかー! って凄い剣幕で怒鳴られたの。庇うのを拒否したら私が悪い事にする、とまで言い出すし何だかガッカリしちゃって。恋人が大好きで私が邪魔なら、早く婚約破棄してくれればいいのに」
(マリアンヌを怒鳴った上に、責任転嫁しただと?)
話を聞いていくうちにギルバートの眉間の皺が深くなっていく。
溢れそうになる苛立ちは、マリアンヌの顔を見詰めて誤魔化した。
「婚約を破棄されても、アンヌは大丈夫なのか?」
「婚約破棄されたら、それを理由に家を出て世界中を旅しようと思っているから平気よ」
嬉しそうに、マリアンヌは笑顔で答える。
その笑顔を見ただけで、ウィリアムに対する苛立ちが全て吹き飛ぶのを感じ、ギルバートは自分の単純さに笑ってしまった。
「そうか」
着々と妃に据える準備を進められているというのに、何も知らないマリアンヌは、王太子の婚約者からの解放とこの国から離れ自由を夢見ているのかと、ギルバートは笑う。
「もしも婚約者から婚約を破棄されたら、俺がアンヌを貰ってやるよ」
「へっ?」
何を言われたのか、一瞬理解出来なかったマリアンヌはすっとんきょうな声を上げる。
数回、目を瞬かせた後、大きく目を見開いて全身を真っ赤に染めた。
「はははっ、真っ赤に熟れたトマトみたいだな」
一歩、また一歩と、距離を縮めてくるギルバートから逃れようと、口をはくはく開閉しながらマリアンヌは後退する。
「あっ」
マリアンヌの踵が石に当たりバランスを崩しかける。
よろけたマリアンヌの腕をギルバートは掴み、ぐいっと引き戻した。
密着まではしていなくても、息遣いが分かるほどの近すぎる距離に、全身を真っ赤に染めたマリアンヌは身じろぎして離れようする。
眉尻を下げて見上げてくる視線は「離して欲しい」と訴えるが、掴んだ腕を離さなかった。
せっかく捕らえたのに、逃がすわけ無い。
このまま無理矢理拐って、強固な檻の中へ閉じ込めてしまいたいくらいなのに。
「逃げようとするくらい、嫌か?」
「な、だって、いきなり、だから。あと、近い」
羞恥で涙目になっていくマリアンヌはゆっくりと首を横に振り、「嫌じゃない」と消え入りそうな声を発した。
今にも発火するのではないかと、思うくらい真っ赤に染まった両頬を、ギルバートの手のひらが包み込む。
(マリアンヌの方はまだだが、ようやくアンヌはこの腕の中へ落ちた)
歓喜の感情に、ギルバートの顔は綻び満面の笑みが浮かぶ。
「大丈夫、俺はアンヌを傷付ける真似や、裏切る事は絶対にしない。婚約者から手を離されたらアンヌを貰ってもいいか?」
耳元で甘く乞うように囁き、念を押す。
お互い籠を背負ったままのムードも何も無い状況を忘れて、マリアンヌの瞳は涙で潤んでいく。
「バルト……」
全身を真っ赤に染めたマリアンヌは、目蓋を伏せて微かに頷いた。
目蓋を伏せていたために彼女は知らない。
自分を抱き締めるギルバートが口角を上げ、嬉しそうにほくそ笑んでいたことを。