2.マッシュポテトの思い出
虫の表現が出てきます。苦手な方はご注意ください。
国王ギルバートの朝は早い。
まだ薄暗い早朝に目覚め、侍従が用意した一日の予定を確認した後、一時間程剣術の鍛練を行い、軽く汗を流してから朝食の時間となる。
分刻みの予定をこなす中、時間が許す限り彼はマリアンヌと食事を共にしていた。
「マッシュポテトか」
バランスよく皿に盛り付けられた朝食を見て、ギルバートはフッと笑ってしまった。
正面に座るマリアンヌは、ナイフとフォークを使い上品にマッシュポテトを食べている。
結婚式を間近に控え、微笑む姿は月の女神と評される美しい、最愛の妻。
「陛下? どうかされました?」
「いや、何でもない」
彼女の裏の顔を思い出してしまい、吹き出しそうになるのをギルバートはなんとか堪えた。
***
凱旋祝賀会の夜に出会った小さなレディ、マリアンヌの名をギルバートが再び耳にしたのは、国王と成ってから三年後の事だった。
記憶に無い父親の正妃だった王太后に招待された茶会で、テーブルいっぱいに広げられ見せられたのは、ウィリアム王子の婚約者候補達が描かれた姿絵。
ウィリアムの婚約者候補と言いつつ、姿絵に描かれた高位貴族令嬢や隣国の王女の年齢幅は広く、推測しなくとも彼女達の半数はギルバートの妃候補でもあるのが分かった。
「可愛らしいお嬢さん達でしょう?」
「ええ、そうですね」
内心げんなりしながら、王太后から令嬢のプロフィールを聞いていたギルバートだったが、ふと一枚の姿絵に目を止めた。
「ああ、わたくしウィリアムの婚約者はソレイユ公爵令嬢しかいないと考えているのよ」
ティーカップを置いた王太后は、ギルバートの手元の姿絵へ視線を落とした。
「ソレイユ公爵令嬢、ですか?」
「ええ、とても利発で魔法の才能もあり、何よりも彼女にはウィリアムを言い負かせられる強さがあります」
姿絵の令嬢は大人びた表情をしているが、ギルバートの脳裏には数年前に出会った、硝子細工の薔薇を手に持った少女の得意気な笑みが浮かぶ。
「何か不満でも?」
「いえ」
十も年齢が離れた甥の婚約に不満などあるわけ無い。
ただ、満たされない虚しさを感じて、ギルバートは息を吐いてしまった。
「貴方もそろそろ妃を娶りなさい。先の事は、どうなるか分からないのよ」
「ウィリアムへ王位の譲渡をしてから考えますよ」
変わらない答えを言うギルバートへ、王太后は小さく「つまらないわ」と呟いた。
程無く、正式にソレイユ公爵令嬢マリアンヌはウィリアムの婚約者となった。
王太子妃教育を受けるため、定期的に登城するマリアンヌと顔を合わせる機会があったが、彼女が周囲へ向けるのは作り物のような綺麗な笑み。公爵令嬢としては完璧な立ち振舞いに、ギルバートだけは何故か物足りなさを感じていた。
さらに数年後、厳しく育てたはずのウィリアムは、学園へ入学してから勉学よりも友人達との交遊を楽しむようになり、羽目を外し過ぎる行動はギルバートの頭痛の種となっていた。
監視と護衛役として付けた暗部と学園長から、ウィリアムの深夜徘徊や賭博等、問題行動の報告を受けるようになると、元老院議員からは、ウィリアムが王位を継ぐことを不安視する声がちらほら上がり始めていった。
「陛下、またウィリアム殿下が」
「またか」
泣いて謝罪するまで締め上げても、学習せず繰り返される愚行。学生だからかと、反抗期なのかと甘く見ていた流石のギルバートも、王位の譲渡を迷い思い始めた頃、転機が訪れた。
国王の執務室で、二年前からギルバートの側近と成ったソレイユ公爵家長男マリオンは、異変に気付きポケットから魔石を取り出した。
「くっ」
体を走り抜けた電流に、マリオンは肩を揺らし小さく呻く。
「どうかしたのか?」
「っ、失礼しました。妹に反撃されたようです」
苦笑いを浮かべたマリオンは、手の中の割れた魔石を見せる。
「妹? マリアンヌか。何があった?」
「先日、妹は学園で事故に遭いまして、頭を打ち丸一日意識不明状態となりました」
「なに?」
もしや、とギルバートは眉を顰めた。
「いえ幸いなことに、怪我も後遺症も無く意識は戻り、それは良かったのですがそれ以降、妹は休日の度に使用人達の目を盗んで屋敷を抜け出すようになったのです。良からぬことを考えているのではないかと、かけていた監視魔法をたった今解除されました」
無理矢理監視魔法を解除され、魔力が術者であるマリオンへ跳ね返ってきたのだった。
「成る程、マリアンヌが頭を打った件はウィリアム絡みか。また奴が問題を起こしたせいで、マリアンヌを追い詰めたのかも知れぬな」
マリアンヌが意識を失ったと報告が上がらなかったのは、後ろ暗い事があるウィリアムが教師に口止めでもしたのだろう。それとも、ナイジェルに別の調べ事が出来たのか。
「妹から「陛下達に心配をかけたくない」と口止めをされておりました。報告をせず申し訳ありません」
「責めるつもりはない。だが、気になるな。調べてみるか」
ペンを置いたギルバートは椅子から立ち上がる。
「陛下自ら、ですか?」
「ウィリアムが原因ならばマリアンヌに詫びねばならない。それに、私もたまには息抜きも必要だ」
調査も息抜きも、どちらも偽りの無いギルバートの本音だった。
召喚したナイジェルの報告に、ギルバートは痛み出したこめかみを押さえてしまった。
ウィリアムの現状、謎が多い男爵令嬢の存在。そして不可解なマリアンヌの行動。
次々と、高位貴族の令息と親交を深めていく男爵令嬢は地雷にしか思えなかった。いくら見目が良くても、そんな女と関係を深めているウィリアムは矯正しようがないかもしれない。
「まさか、ギルドへ出入りしているとはな」
考えるだけで頭痛がしてくるウィリアムの事よりも、屋敷を抜け出して冒険者ギルドへ出入りしているらしい、マリアンヌの目的の方が興味を惹かれた。
幻視魔法でマリオンを代役に仕立て、髪と瞳の色を変えたギルバートは城を抜け出し中央ギルドへ向かった。
顔見知りだったギルドマスター以外には素性は隠し、マリアンヌの登録データから彼女が受けた依頼内容を調べる。
薬草採取、魔獣討伐、警護、全て週末や休日に引き受けており、マリオンの話と一致していた。
二月前から、週末に戻って来るウィリアムのために登城しなくなった理由は、これか。
ギルドマスターへ、マリアンヌへ回す依頼と同じ依頼を、以前、息抜きのために登録しておいた“バルト”へ流すよう命じた。
おそらく、マリアンヌには後ろ暗いものは無いだろう。彼女の行動目的を探るのは、純粋な興味からだった。
「すごーい! こんなに大きい芋虫! 初めて見たわ。あははははっ」
薬草採取の依頼を引き受けたと知り、後を追いかけ探し出した姿を変えたマリアンヌは、森の奥に咲く薬草の花畑へ座り込んで嬉しそうに笑う。
公爵令嬢として作られた綺麗な微笑みではなく、初めて会った時と同じく目元を下げて口を大きく開けた笑い方だった。
「昨日のランチで食べたマッシュポテトみたい! あはははは~」
土にまみれた手のひらの上へ乗せた芋虫を人差し指で突っつく。
「ふふふっ、艶々丸々しているし、もしかしたら芋虫って食べたら美味しいのかな?」
とんでもない発言に、木の影から様子をうかがっていたギルバートは堪えきれずに吹き出した。
「ぷっ、くくくっ、あはははっ!」
「だ、だれっ」
慌てて振り返るマリアンヌの手のひらの上には、まだ芋虫が乗ったまま。
芋虫を素手で触るのもそうだが、マッシュポテトと例える娘は初めてだった。
「いや、芋虫がマッシュポテトとは。随分と斜め上の発想だと、思ってな」
笑いながら言えば、マリアンヌの顔は真っ赤に染まる。
腰を折り彼女の顔を覗き込む。久しぶりに間近で見た彼女の顔立ちは、少女から女性へと変化しており成長を感じた。
「俺はバルト、フリーの剣士だ。お前は?」
「わたく、えーと、私はアンヌ、です」
動揺のあまり、上擦った声で答えるマリアンヌは、とても未来の王太子妃となる公爵令嬢と同一人物には見えなかった。
***
「…………下、陛下? どうなされたのですか?」
マリアンヌの声でギルバートは顔上げた。にやけそうになる口元を片手で隠した。
「先程から、マッシュポテトを見詰めたままでどうされました? お嫌いですの?」
「いや? 以前、芋虫とマッシュポテトが似ていると言っていた娘がいたなと、思い出しただけだ」
数秒程固まったマリアンヌの目と口が開かれ、次いで一気に顔が真っ赤に染まる。
「あ、あのときの事は忘れてくださいましっ」
上げかけた悲鳴は唇を結んで堪え、小声で言うマリアンヌは羞恥で頬を真っ赤に染めて半泣きになってしまった。
芋虫は、白くて丸々したやつです。
娘(幼児)の発言でヒントをもらいました。
丸まっていて美味しそうに見えた、のかもしれない。




