1.悪役令嬢、婚約破棄を宣言される
息抜きのつもりで、悪役令嬢ものに手を出しました。
短編に収まりきれなかったため、連載にしました。
学生生活最後にして最大のイベント、卒業式を無事に終えた卒業生達は制服から華やかな燕尾服やドレスへ着替え、夜会開始の言葉を待ちわびていた。
夜会主催者として、講堂の壇上へ立つのは卒業生でもあるこの国、スレイア国の王太子ウィリアム・ラル・スレイア、端正な顔立ちに蜂蜜色の髪と青い瞳をした彼は、女子が想い描く王子様そのものだった。
「皆、堅苦しい挨拶は先程の卒業式でしているため、今は省略させてもらう。この夜会では心行くまで楽しんで欲しい。だが、その前に」
言葉を切ったウィリアムは、講堂内をぐるりと見渡す。
生徒の中から自分の婚約者である公爵令嬢を見付けると、それまで浮かべていた柔和な笑みを消し、婚約者へ冷たい視線を向けた。
今夜初めて視界に入れた婚約者は、輝く銀髪を編み込みにしてサイドに下ろし、普段より控え目な化粧が彼女の琥珀色の瞳を強調して見せている。着ているドレスも普段とは違う、マーメイドラインのシンプルなドレスで体の線を強調しているのに、百合の花のように凛とした美しさを持つ令嬢に見えた。
今回、ウィリアムがドレスを贈らなかったため公爵家が用意したのだろう。彼女のドレスは、婚約者であるウィリアムが今まで贈ったフリルを多用したドレスとは真逆なデザイン。
今夜に限り、清廉潔白といった風な装いの婚約者をウィリアムは苦々しく思い、壇上だということも忘れ舌打ちをする。
代々、国政の中核を担う大臣や宰相を輩出してきた公爵家の令嬢に相応しく、彼女は動じることも無くウィリアムからの視線を真っ直ぐに受け止めていた。
「マリアンヌ・ソレイユ。この場をもって、俺は君との婚約を破棄させてもらう」
王太子ウィリアムから声高々に婚約破棄を宣言されたのは、その美貌から月の女神と評されるマリアンヌ=ソレイユ公爵令嬢だった。
突然の宣言にマリアンヌは僅かに眉を顰める。
「婚約、破棄ですか?」
呟くとほぼ同時に、波が引くようにマリアンヌの周囲から生徒が消え、彼女の周りだけぽっかりと空間が空く。
「不服があるのなら、発言を許そう」
「いえ、王太子たるウィリアム様がお決めになったのならば、わたくしは受け入れるしかありませんね。ですが、理由を教えていただけますか?」
「いいだろう。アンジェ」
壇上の袖から、フリルと真珠で装飾されたピンク色のドレスを着た栗色の髪の少女が登場し、ヒールの音を響かせながら小走りでウィリアムの横へやって来る。
「俺はアンジェに出逢い、真実の愛を知ったのだ。生まれながら公爵令嬢として育った高慢なマリアンヌとは違う、純粋無垢なアンジェこそ皇太子の婚約者に相応しい」
「ウィリアム様」
うっとりと頬を染めて、アンジェは振り向いたウィリアムを見上げた。
今年度から学園へ編入してきた、一学年下のアンジェ・カインツェ男爵令嬢。
貴族令嬢らしからぬ天真爛漫な振る舞いをする彼女は、編入してから一年にも満たない期間で多くの貴族令息や、貴族子女へ反発心を持つ平民女子の心を虜にしていった。そして遂には、ウィリアム王太子の心をも虜にしたのだった。
「真実の愛、ですか」
見詰め合う壇上の相思相愛の二人は、生徒達から羨望と祝福の視線を浴び、壇下のマリアンヌは二人を引き裂こうとする悪役令嬢のように冷ややかな視線を送られる。
自分へ向けられる、生徒達からの侮蔑と嘲笑を感じ取り、マリアンヌは手のひらを握り締めていた。
今夜、ウィリアムから婚約破棄されるのは分かっていた。
そう、ウィリアムがアンジェへ心移りすることも、全て“分かっていた”のだ。
「ウィリアム様。わたくしとの婚約破棄のために大仰な舞台を作ってくださらなくとも、機会を設けてくださればよかったのでは? 時間と費用の無駄でしょう。それから、国王陛下とわたくしの父は了承しているのでしょうか?」
学園の講堂を使用しているとはいえ、会場の警備員や調理人や給仕係に音楽奏者といった人件費、豪華な食事の材料費はウィリアムへ支給されている金銭では賄えない。どういった名目か分からないが国費が、民からの税金が使われているはずだ。
馬鹿げた婚約破棄のために大事な税金を使うとは。こんな阿呆がこの国の次期国王だとは。
溜め息を吐いて周囲を見渡すと、発言の意味が分かった者達はさっと目を逸らす。
マリアンヌが落胆している意味を勘違いしたウィリアムは、小馬鹿にしたように鼻で嗤った。
「叔父上、陛下には俺から伝える。夜会の場を用意したのは、最後の餞というやつだ」
馬鹿馬鹿しい。お目出度いわね。と、危うく口から出かかった台詞をマリアンヌは何とか飲み込む。
「餞とは、御気遣いありがとうございます。そして、皆様の公認の仲となられておめでとうございます」
「フンッ、婚約破棄は素直に受け入れるか。では、次にお前が犯した罪を皆の前で裁こう」
「罪、ですか?」
怪訝気に問い返した時、ぐいと突然背後から伸びてきた腕がマリアンヌの腕を引っ張るようにして掴んだ。
ドスッ
「がはっ?!」
背後からマリアンヌの腕を掴んだ人物が、腕を捻り上げようとした瞬間、体が反応して背後へ向けて肘を打ち込んでいた。
仰向けに倒れた人物を見て、マリアンヌはペロリと舌を出す。
マリアンヌの肘が鳩尾に入り、白目を剥いて意識を失っているのは騎士団長の息子、武を担う者を多く輩出している伯爵家令息、モルダ・マキシマムだった。
カウンターの一撃は防御不可能だったとはいえ、たった一発鳩尾へ入っただけで気絶するとは。モルダーの上半身を覆う筋肉はただの飾りだったようだ。
「いきなり何をなさいますの?」
静まり返る講堂内にマリアンヌの声が響く。
「っ、きゃあっ! モルダー!」
弾かれたようにアンジェは悲鳴を上げる。
「な、何をする!!」
上擦った声で怒鳴るウィリアムへ、マリアンヌは優雅な微笑みを返した。
「あら? 背後から無言で襲い掛かる方がどうかしてますわよ? わたくし、護身術を習っているので咄嗟に体が動いてしまいましたの。仮にも騎士を目指す方が卑怯な真似、暴漢のような真似をするなど許されませんわ」
「お前の口から卑怯だと? いい加減にしろ、マリアンヌ! お前の行ったアンジェへの嫌がらせは全て分かっている! 今さら誤魔化せるわけない!」
ダンダンと、壇上の床を踏み鳴らすウィリアムへ冷めた眼差しを向ければ、何故かアンジェが怯えた表情で一歩下がる。
「嫌がらせ、とは何でしょうか? わたくし、アンジェ嬢と顔を合わしてお話をした事すらありません。第一、わたくしが嫌がらせをしたとするならば、確固たる証拠を提示してくださいませ」
恋愛脳と言うのだろうか。
以前のウィリアムだったならば、学年が違うアンジェに嫌がらせするため、わざわざ隣の学舎まで足を運ぶのかと、もう少し冷静に考えただろう。
王太子妃教育を受けており、自分の立場を弁えているマリアンヌが人を使ってまで嫌がらせを行うだろうかと、冷静に考えられないほど恋に狂ってしまったのか。
彼とは六年もの期間を、恋愛関係とは違うとはいえ婚約者として接してきたのに、信じてもらえないのは少々悲しかった。
「証拠だと?! マリアンヌがアンジェに嫌味を言ったり、教科書を破ったり、足をかけて転ばしたこともあると、アンジェと友人達から聞いている! これらの証言だけで十分だ!」
マリアンヌは正論を言ったつもりだが、顔を真っ赤にして怒りに震えているウィリアムには、瞳を潤ませて震えているアンジェしか目に入っていないのだろう。
周りを見渡せば、夜会に参加している生徒達はウィリアムの取り巻き達や、アンジェの信望者となった貴族令息や商家の子女達。
卒業式後の夜会は壇上に立つウィリアム主催のものだ。
参加者は、わざわざ婚約破棄を宣言する二人を応援するため、申し合わせて出席したのだろう。そして、使用人と警備兵以外の大人、教師と保護者が席を外したのを見計らって、婚約破棄という劇を開幕させた。
(何て茶番劇かしら。本当に下らない)
マリアンヌは開いた扇で口元を隠す。そうしなければ、完璧な公爵令嬢の仮面が剥がれてしまうからだ。
ひきつった口元を、屈辱から生じた震えを隠すために扇を開いたと、思われればいい。
彼等の必死さが段々と可笑しくなってきて、笑いを堪えるのはもう限界。これ以上この場に残っていたら吹き出してしまう。
息を吐いて呼吸を整え、マリアンヌは口元から扇を外した。
「婚約破棄、確かに承りました。嫌がらせの件につきましては、父と国王陛下にお伝えし調査をお願いしますわ。わたくしが嫌がらせを行った確固たる証拠が揃いましたならば、懲罰を受け入れましょう」
そうきっぱり言い切れば、アンジェが不安そうに新緑色の瞳を揺らしたのをマリアンヌは見逃さなかった。
怯えた様子のアンジェをウィリアムは背中に庇う。
「もうこれでよろしければ、わたくしは失礼いたしますわ」
睨み付けてくるウィリアムへ、本心からの感謝を込めたカーテシーを贈り、ゆっくりと背を向けた。
「皆様、卒業おめでとうございます。邪魔者は退席しますので、ごゆるりと夜会を楽しんでくださいませ」
優雅に見える仕草で一礼すると、生徒達は花道を作るように次々と道を開ける。
その光景が面白くて、クスリと笑ったマリアンヌは作られた道を通り、講堂の出入り口へ向かった。
生徒達が作った花道を通り抜け、講堂の出入り口まであと少しの所でマリアンヌは堪えきれず笑みを浮かべた。
先程、ウィリアムへ向けた公爵令嬢としての作った微笑みではなく、素の笑顔。
待ち望んでいた状況に、声を出して大笑いしたいくらいだ。
(やったー! 婚約破棄宣言してもらえたー! これで勘当されれば晴れて私は自由の身だわっ!)
小躍りしたいくらい高揚した気持ちを抑え、満面の笑みでマリアンヌは扉へ手をかけた。