ひよこぐみ 応援歌
私は一羽の鶏です。
幼稚園の教室で、籠の中に入れられて、大切に育てられています。
人間の言葉は分からないけれど、子どもたちはみんな、私を可愛がってくれます。
たまに籠を揺らしたり、大きな叫び声で驚かせてくる子もいるけれど、私は大丈夫。
怖くなんてないのよ。
だって、ほら。一人の女の子が私の前に立って、騒がしい子たちから守ってくれるの。
あんまり喋らない女の子。
いつもじいっと私のことを見ているの。
黒い瞳がきらきらして、夜空のように綺麗なの。
この子は毎日私を見てる。誰よりもずっと長く、いつも、いつも。
他の子たちに迎えが来て帰っても、この子だけは残っていて、私の籠の前で静かに歌ってた。
ある日、私は卵を産んだのよ。大事に大事に温めて、今日、ついに四羽のひよこが生まれたの。
私は鶏のお母さんになりました。
黄色い小さな私の子たち。
お腹の下で暖めて、可愛い子たちを守るのよ。
ピヨ。ピヨ。ピヨ。ピヨ。
羽毛の綿に消えそうな、小さな声で鳴くひよこたち。
でもね、不思議なことに私には、この子たちの心の声が聞こえるのよ。
『あたたかい』
『お母さん大好き』
『ごはん、もっとちょうだい』
『もっともっと食べたい』
ピヨ。ピヨ。ピヨ。ピヨ。
小さな声だけど、騒がしいひよこたち。
可愛くて、可愛くて、私は守って抱きしめて、一生懸命、世話を焼くのよ。
「ピピピピ、チチチッ」
あら、うちの子じゃない子の鳴き声がするわ。
籠の前にいたのは、いつものあの子。静かに歌う女の子。
「鶏さん、好きなのね」
先生が笑って何か話しかけているけれど、女の子は答えない。何も聞こえなかったように、振り向きもしないで私のことを見ているの。
「とりとり、ことり」
きらきらの星空が、いつもより煌めいて、透明な雫が落ちそうになっている。
私に人間の言葉は分からないけれど、この子の声を聞いてたら、心の声が分かってきたの。
私の可愛いひよこたちと同じよ。
心の中から鳴いてるの。命全部で鳴いてるの。
ほら、聞こえるわ、あなたの歌が。
「ピピピピ、チチチッ」
『生きるものの心にはいと美しき光が宿る、見えない道でも歩いていこう』
「かわいい、ことり」
『ここはどこだろう、暗闇にいるよ。
手を伸ばしても、誰の手もない。
明るい道を歩いていこう、あなたの手とつながれるから』
「ピピピピ、チチチッ」
『ここはどこだろう、誰の手もない。
私を包む、人はどこ。
暗闇にいる、孤独の光。
誰か私を――(たすけてよ)』
「かあさんとりが、見ているよ」
『手もある、足もある、頭もある、顔もある、髪もある、目も見える、言葉も話せる、耳も聞こえる。
でも、誰の姿も私には見えない』
「とりとり、ことり」
『手もある、足もある、頭もある、顔もある、髪もある、目も見える、言葉も話せる、耳も聞こえる。
でも、誰の声も聞こえない』
「かわいい、ことり」
童謡の調べで、さえずる歌は、私のひよこたちのお喋りよりずっと複雑だったけど。
分かるわよ、だって同じ声だもの。
「ピピピピ、チチチッ」
『私の闇を照らしてほしい』
「あかちゃん、かわいい」
『光の中にあの子はいるのに、明るい星を求める私に、風は冷たい空気で触れる』
「ピピピピ、チチチッ」
『会いたいと、口にできない悲しさに、言葉を全て捨て去りたい』
「かわいい、ことり」
『明るい道はあなたにつながる、大切な橋。
渡っていくのは、容易でなくて、私は心を震わせる』
「ちいさな、ことり」
『道の見えない暗闇で、あなたの声に聞き惚れたい』
「ピピピピ、チチチッ」
『一人でいるのは寂しくて、私にはあなたが必要で』
「だいじな、ことり」
『この手から消えたあなたは、今はどこにいるのですか』
「ちいさな、ことり」
『私の声が聞こえたならば、私を迎えにきてください』
「ピピピピ、チチチッ」
『あなたのいないこの世界に、私の心は耐えらない』
「いいこの、ことり」
『世界で一番温かく、私に注がれる愛の歌』
「かわいい、いいこ」
『私の元に届けて下さい、私は一人で立つこともできない』
「おおきくなぁれ」
『闇の中に一人でいるのに、闇は私を攻めてきます。
私は闇になるのでしょうか。暗い闇に染まる前に。
どうか母よ、私を迎えに、ここに来てください』
「ピピピピ、チチチッ」
『心からの願いです。
私は孤独に耐えられない。
あなたのいない世界はとてつもなく広すぎるのに、私の居場所は一欠片もない。
あなたの世界に私も連れて行ってください』
「ピピピピ、チチチッ」
『何も見えない、何も感じない、冷たい世界なんです。
光が届くのはあなたからだけ。
ただ、あなたからだけ暖かさを感じる』
「ピピピピ、チチチッ」
『私の心の灯火が消える前にどうか、私の前に現れてください』
「先生、遅くなってすみません。迎えにきました」
赤ん坊を連れた女の人が教室の中へと入ってきて、歌はぷつりと途絶えたけど。
ほら聞こえるわ、あなたの声が。
「ママ!」
『ああ、世界の全てが大好きよ』って。
教室からの去り際に、女の子はくるりと私を振り返って、にっこりと微笑んだの。
「にわとりさん、ピピピピ、チチチッ」
『可愛いひよこ、見せてくれてありがとう。
にわとりのお母さん、赤ちゃん守って頑張ってね。
ひよこのみんな、大きくなってね。
にわとりさん、大好きだよ』
女の子は母親と一緒に帰っていく。
「かわいいことり、大きくなあれ。
ピピピピ、チチチッ」
私たちへの応援の歌はしばらく聞こえてきたわ。
きっとあの子は、家に帰るまで歌い続けていたと思うの。
だってその晩、私とひよこたちの心はとってもぽかぽか、温かい心に包まれていたのよ。