冬香
環 春優 。23歳。どこにでもあるような一般IT企業の1つに就職している。特に秀でた才能も無く、周りの流れに流されていたらこうなっていた。ただ、別にこの人生に不満は無い。実際この職場で二人の人と交友関係を持てている。
「環くーん」
1人の女性が小さく手を振りながら、こっちに駆け寄ってくる。この女性は 千崎 逢恋 。俺と同僚で、面接の時に知り合い、同じ仕事場で作業するようになった。さっきいった交友関係を持っている内の1人だ。
「一緒にお昼食べよ」
千崎さんは笑顔で俺に話しかけてくる。今は昼の12時前。仕事にキリがついて、俺を誘いに来たんだろう。
「いいですよ。もう少しでこの作業終わるんで先に行って待っててください」
俺は1度千崎さんの方を向き、またパソコンの方に向きなおった。
「了解!じゃあいつもの場所で、待ってるね」
そう言うと彼女は弁当を両手で前に持ち、歩いて行った。彼女が言ったいつもの場所というのはこの建物の屋上の事だろう。そこはいつも俺達が昼食を取る際に利用している場所だから、すぐに分かった。俺は残りの作業を終わらせ、屋上に向かった。
俺は屋上に上がるドアを開け、近くのベンチで1人待っている彼女に声を掛けた。
「千崎さん、お待たせしました」
「ううん、全然待ってないよ。今来たとこ!」
「いやここに来る前に会ってるんでその嘘全然意味無いですよ…」
「あ、そうじゃん…」
千崎さんは顔を赤くして恥ずかしそうに俯いた。
「天然だなぁ」
「え!環くん私の事そんな風に思ってたの!?」
しまった。心の中で言っていたつもりが、口に出ていたみたいだ。
「まあ、ちょくちょく思うことありますけど」
「がーん!ショック!私ショックだよ!」
俺が思った事を口にすると、千崎さんは「やばいよやばいよ!」とか言い出しそうな勢いのオーバーリアクションを取った。そんなたわいもない話をしながら、昼食をっていた。
「二人ともまた置いてくなんて酷いですよ!声掛けてくださいよ!」
1人の青年が俺達二人に声を掛けてきた。こいつの名前は 福川 玲也 。玲也はもう1人の交友関係を持った1人だ。俺達の1つ年下で、作業場も俺達とは違う。普通なら知り合う事も無いはずだが、千崎さんが、「1人でご飯食べてたから連れてきたー」と言い、多分無理矢理連れてきたのがきっかけだ。最初は遠慮がちだった玲也も、今ではタメ口である。俺は同僚にも敬語なのにな…。
「お疲れ。わざわざ仕事の邪魔しに行くような事をしてもと思ってな」
「あ、ごめん忘れてた!」
やっぱりこの人天然だよな。
「いや二人ともひどっ!まだ春優さんの言うことは分かりますけど逢恋さんひどっ!嘘でもいいから優しさ見せて下さいよ!」
玲也は俺達と居る時はだいたいこんなテンションだ。
「はいはい」
「ひや〜ほへんほへん」
「いやめっちゃもぐもぐしとる!!話聞いて下さいよ!」
テンションが高い…。
「それより玲也、新聞は?」
「あ〜はいはい、持ってきましたよ!」
玲也は新聞を取り出し、俺に渡す。俺はいつも玲也に購買で新聞を買ってくるよう頼んである。もちろん金も払ってる。
「ありがと」
新聞には事件や事故に関連する事が多く書かれていた。
「物騒だな」
「だね」
「うぇい」
うぇいってなんだよ…。新聞をざっと見通すと、俺は購買で買った弁当を片付け、ベンチを立った。
「それじゃお先に」
「はーい」
「うぇい」
だからうぇいってなんなんだ…。
ー・ー・ー・ー
仕事を終え、家で風呂に入りながらゆっくりしようかと考えながら家に着くと、そこには1人の少女が玄関の前で体育座りをしていた。綺麗な顔立ちをしているが体は痩せて、疲れ切っていた。見た所小学生の、それも低学年だろうと言うことが分かる。その少女は俺に気付くと、眉1つ動かさず、俺の方に顔を上げた。誰だろうか、どうしたのだろうか。
「どうしたの?家出?」
俺は少女に尋ねるが、返ってくる反応は無く、ただじーっと俺を見つめるだけだった。ふと気付くと、その少女の横に封筒があるのが分かった。
「なんだこれ」
それを拾い上げ、中身を確認した。
《春優へ》
それ私の子供ね。名前は 冬香 。確か6歳だったかな。最初は頑張って育てようと思ったんだけど何をやっても反応が悪くてね、色々躾てたら全く反応しなくなっちゃった。ご飯を食べさせるのにも苦労したし。そこで捨てちゃうのも罪になっちゃうから春優に預けよって圭君と決めたの!だから冬香の事育てて!どうせ暇でしょ?よろしく。言うこと聞かせたい時は怒鳴れば聞いてくれるから。
《詠子より》
と書いてあった。 詠子 というのは俺の姉で、元から何事もテキトーと言うか、責任感が無かった。嫌な予感はしていたがここまでとは。 圭 と言うのは結婚した夫の事だろう。姉の育児放棄を容認するという事は、こいつもよっぽどのクズなんだろう。この子を追い返すわけにも行かないし、というか絶対姉の元へは行かせないし、このまま放置するわけにも行かない。
「とりあえず、家に上がろっか」
相変わらず反応は無いが、俺は冬香ちゃんの腕を掴み、家の中に入った。とりあえず湯を沸かし、冬香ちゃんを風呂に入れようと思ったが、服を脱ぐ素振りも見せてくれない。俺は半ば無理矢理服を脱がせ、一緒に風呂に入り、体を洗ってあげた。風呂を出た後、簡単な食事を作り、机に並べた。二人分の食事を作るなんて、しばらくは無いだろうと思っていたが、こんな形で作るとこになるとは…。
「食べていいよ、冬香ちゃん」
反応は無い。俺が見てるから遠慮や、それ以外の何かがあるのだろうか。
「じゃあ俺隣の部屋で食べてくるから、好きなだけ食べてね」
俺は隣の部屋に移動し、自分の食事を済ませた。だいたい30分が経っただろうか。リビングに戻り冬香ちゃんの様子を見てみるが、部屋を移動する前と、何も変わっていなかった。これはやばいかもしれない。俺は冬香ちゃんの近くで腰を下ろし、話しかける。
「冬香ちゃん、もしかしてこの料理嫌い?」
冬香ちゃんはこっちを見るが、首を縦にも、横にも振ることはない。
「ねえ…冬香ちゃん。ちょっとでいいから食べてみない?」
と、いきなり冬香ちゃんが俺の方に倒れかかってくる。
「冬香ちゃん!?」
俺は冬香ちゃんを受け止める。その体は驚くほど軽く、簡単に壊れてしまいそうだった。いつからご飯を食べていないんだろうか。もうこの小さな体では耐えられないんだろう。
「冬香ちゃん、あーんして」
反応は無いが、倒れかけた時に開いた口がそのままだったため、そこにスプーンでご飯を持っていった。しかし、それはそのまま床にボロボロとこぼれ落ちる。
「冬香ちゃん…」
冬香ちゃんの体からどんどん力が抜けていくのが分かる。もう限界に近い。…………手紙に書いてあった事が脳裏に浮かぶ。でも、それをやってしまったら、姉達と同じになってしまうのではないか、いやそんな事じゃない。この子はまた傷付いてしまうのではないか。でも、もう時間が無かった。
「冬香ちゃ、、冬香!」
冬香ちゃんの体がびくりと震える。
「ご飯食べろって言ってるだろ!」
そう言うと、冬香ちゃんは体を動かし、スプーンを持とうとする。
「俺が、食べさせてあげるから…そのまま口を開けといて」
それでも冬香ちゃんはスプーンを取ろうとしている。
「冬香!」
俺がさらに怒鳴ると、冬香ちゃんは手を引っ込め、口を大きく開ける。俺はそこに、スプーンを持っていき、一口ずつ食べさせる。
「ごめん…ごめん、冬香ちゃん………ごめん」
俺はその言葉を繰り返し、冬香ちゃんにご飯を食べさせた。俺は泣いていた。胸が苦しくて、張り裂けそうだった。俺は何をしているんだろうと、そんな考えを抑え込み、ただただ、スプーンを冬香ちゃんの口に持っていく作業を繰り返し続けた。




