3話
「―――――何をしているのです」
王妃の部屋の中から、涼やかな声が聞こえて来た。
「!」
廊下にいたテレシアを除く一同の視線が、さっと部屋の中へとそそがれる。
そこには、一見儚げな趣の、美しい女性が立っていた。
彼女こそが、プラスト国の王妃、ユノアだ。
その後ろには、先ほど王妃の部屋へと入って行ったビクトリアが、凛とした佇まいで控えている。
「母上…」
「えっ、王妃様?」
ベルンハルトのつぶやきで、目の前の人物がこの国で一番高い地位にいる女性とようやく知ったテレシアは、早速カーテシーを披露した。
テレシアのまあまあ美しいカーテシーを目の端で捉えながら、ベルンハルトに視線を向けると、王妃はおっとりとした口調で言った。
「どうしたのですかベルンハルト、今日は突然訪ねて来たようですが、何か急用でもありましたか?」
ゆっくりと首をかしげる母に、ベルンハルトは、目を輝かせた。
王妃に問いかけられたことで、発言を許されたのだ。
ベルンハルトは、母に頭を下げてはきはきと答えた。
「はい。本日は、わたしの婚約者となりましたテレシアに、母上様から妃教育を施していただきい旨、お願いにあがりました」
「まあ…!」
ベルンハルトの言葉に、王妃は、青い瞳を大きく見開く。
ちなみにビクトリアは、そう来たか―。と心の中でげんなりしていた。
そんなビクトリアの心境はさておき、王妃はやわらかい声でころころと笑いながら、テレシアに訊ねる。
「そうなのですか、あなたが王妃に……。それで、どこの国の王妃におなりになるのかしら?」
「え…!」
王妃の問いに、驚いたのはベルンハルトだった。
「何をおっしゃいますか、母上! テレシアは、わたしの婚約者ですよ!? わたしの婚約者と言う事は、将来わたしの妻となり、この国の王妃となるに決まっております!」
母にぐっと顔を近づけて訴えるベルンハルト。
余裕のなさそうなベルンハルトの表情を見て、王妃の護衛の1人が、親子の間に割って入ろうとするが、王妃がすっと手を挙げてその動きを止める。
まあ…! やわらかい雰囲気の中に、きらり光る聡明な仕草…!!
勉強になります、王妃様…!
憧れてやまない王妃の所作に感激したビクトリアは、心の中のメモにそっと書き入れた。
「そうですか」
ちょっとミーハー気分なビクトリアに恐らく気づいていないだろう王妃は、ゆっくりとうなずいて、またテレシアに問う。
「あなたは、本当にベルンハルトと結婚する気なのかしら?」
「はい、もちろんです、お義母様!」
テレシアは、ベルンハルトの後ろで、はきはきと答えた。
「わたしは、ベルンハルト様と手に手を取って、この国を幸せでいっぱいにしたいと思ってます。そのためなら、努力を惜しみません。お妃教育は厳しいと伺っていますが、精いっぱいがんばります!」
両手に握りこぶしを作って、ひたむきアピールをするテレシア。
「テレシア…」
ベルンハルトは、彼女の言動に、ひたすら感動している。
頭痛い……。
ビクトリアは、こめかみを押さえたくなるのを、どうにか堪えた。
前から、ベルンハルトは、身の回りの情勢に疎いと思っていたが、まさかここまでとは……。
これは、わたしから説明した方がいいのだろうか…。
ビクトリアが、恐れながら、と口を挟もうか迷っていると、王妃が口もとに手を当ててころころと笑った。
おっとりとした仕草で、ころころと。
しかし、ビクトリアは気づいていた。
本当に笑っている時よりも、王妃の声が弱冠低い事に。
「ベルンハルトと手に手を取って、がんばるのは良い事です。応援するわ。でも…」
王妃は、いったん言葉を切って、すっと目を細めた。
普段は快晴の空を思わせる青の瞳が、今は、極寒の地を思わせるかのように、冷え冷えとしたオーラを放っている。
ひいっ…!
目線を合わせていないビクトリアでさえ、雰囲気だけで恐ろしいのだ。
怒りの源であるベルンハルトやテレシアは、どれだけ恐々としていることだろう。
「……っ」
実際、ベルンハルトの突然の蛮行にも動じなかった護衛たちが、ちょっとびくつき、長年王妃と一緒にいるはずの女官長も、王妃から視線をそらしている。
やっぱり、怒った王妃さまは恐ろしいのだ。
しかし、その場にいる多くの人間が恐れ慄く中、1人だけ、平然としている人物がいる。
それは、王妃の息子、アレクシス・プラスト。
実は彼も、今の王妃のような目をすることがあるのだ。
証拠に、アレクシスは、かなり真向から王妃の視線を受けているにもかかわらず、平然とその場に立っている。だけでなく、冷え冷え王妃の後ろにいるビクトリアに、小さく手を振りながら、笑顔まで振りまいているのだ。
……この怒れる王妃を前に、平静を保っていられるなんて……。さすが親子。とでも言えばいいのかしら…。
ビクトリアが、変に関心しているうちに、周辺の気温がどんどん下がって行く。
どうやら、王妃が表情を変えたようだ。
後ろにいるビクトリアにはわからないが、対面しているアレクシスを抜いた者達が、いっそう恐怖におののいた表情で、一斉に息を飲んだ事で察知した。
周辺の気温が、どんどん下がって行くなんて、本来はありえない。ありえないのだが、身体は確かにそう感じているのだ。
……これは、わたしにはできそうにないわね…。
ビクトリアは、諦めの表情で、小さくかぶりを振った。
そうして、すっかりこの場の空気を自分のものにした王妃は、ゆっくりと、再びテレシアに視線を向けた。
「ひいっ!」
王妃の冷え冷え攻撃を一身に受けたテレシアは、まるで、妖怪にでも遭ったかのような叫び声をあげる。
けれど王妃は、そんな態度も予測済みだったのか、別段気にした様子もなく、テレシアに言った。
「サッセン嬢、あなたと結婚するベルンハルトが、この国の王位を継ぐ事はないのよ」
「…あ、…あっ…」
へっぴり腰になりながら、必死に王妃と距離を取ろうとするテレシア。
王妃の許可なくこの場を辞するのはまずいと、さすがにわかっているらしい。
それにしても…。恐ろしいのは分かりますが、その驚き方は、あからさまに不敬では? サッセン嬢。
しかし、テレシアがひるんだのは少しの間だけだった。
彼女は、瞳にぎゅっと力を入れ、持ち前の負けん気を発すると、王妃に食ってかかった。
「な、何故ですか?! わたしが王妃に相応しくないからですか?!」
「――――」
王妃は答えない。ただ冷めた目つきで、テレシアを見下ろすばかりだ。
そんな王妃に、ここぞとばかりにテレシアは言い募った。
「今わたしが王妃に相応しくないのは分かっています! でも、これから勉強します! そして、王妃様に認めてもらえるような、知識と教養を身に着けます! ですからどうか、わたしを教育して下さい! 王妃様!!」
…………必死ね。そんなに王妃になりたいのかしら。
というか、そもそも、サッセン嬢が王妃に相応しくないからとか、そういう問題ではないのだけど。
ユノア様に認められれば、プラスト国の王妃になれるという前提がおかしいのよ。
3つの大国に挟まれた小国、プラスト国の王妃になるには、実質的に、ある条件が必要になってくるのを、ご存知ないのかしら?
………それにしても…。
伯爵令嬢として、(恐らく)わがまま放題に育って来たサッセン嬢は、このことを知らなかったとしても、世間知らずと言われるだけで済むかもしれない。
でも、国の第1王子で、次期国王とされていたベルンハルト様がご存知ないとは……。
一体、今まで何を勉強していたのかしら、この王子。
確か、ベルンハルト王子の教育係は、たまに、現実味のない妄想を語るところがあったから、プラスト国と他国をめぐる状況を、正確に教えてなかったのかもしれない。
だとしても、ちょっと他国に目を向ければ、すぐに察しそうなものだし、ベルンハルト王子よりも2つ年下のアレクシス王子は、けっこう小さい頃から理解している風だったけど……。
まあ、気づけなかったものは仕方ない。
ビクトリアは、その美しい顔に、明らかな落胆の表情を浮かべだ。
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(C)結羽2017
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