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1話

「…王太子さま、今、なんとおっしゃいました?」

 ビクトリア・レイカルトは、控え目な声で、目の前に立つ自らの婚約者であり、ここプラスト国の王太子でもある、ベルンハルトに訊ねた。

 対するベルンハルトは、まるで氷のような冷え切った双眸で、ビクトリアを一瞥する。

「……もう一度、わたしに同じ事を言えと?」

「はい」

 申し訳ありませんが、と小さく付け足し、ビクトリアはじっと王太子を見据える。

 だって、信じられなかったのだ。

仮にも一国の王太子とあろう者が。プラスト王国が他国に誇る教育機関、プラチナ学園の卒業式で。国内の上級貴族ばかりでなく、近隣3カ国からの王族を含む留学生も集う中。

彼は言ったのだ。

「わたしは、ビクトリア・レイカルト公爵令嬢との婚約を破棄し、ここにいる、テレシア・サッセン嬢と婚約を結ぶ事とする!」

 王太子は、それまで自分の半歩後ろにいたテレシアの手を取って引き寄せる。

2人でほおを染め、見つめ合う姿は美しい。

「今度は聞こえたか?」

「……まあ、一応」

 二度目の宣言の後、少し小さな声でビクトリアに訊ねてくるので、とりあえずうなずいておいた。

 すると王太子は、満足気に胸を張った。

「お前は、わが国の王に選ばれたわたしの婚約者でありながら、学園に転入して間もないテレシアに数々の嫌がらせをしたそうだな」

「嫌がらせ…」

 言われて、ビクトリアは首をかしげる。

「身に覚えがございませんが」

「そんな…!」

 声をあげたのは、王太子に寄り添うテレシアだった。

この学園の中の身分では、もっとも下位に位置する伯爵令嬢の彼女は、今にも倒れそうな様子で、華奢な肩を震わせる。

「わたしは、半年前、この学園に入ってから、あなたにさまざまな目に遭わされました。教科書を破られたり、制服を切り刻まれたり、挙句の果ては、わたしを階段から突き飛ばして…っ」

「テレシア…!」

 大きな空色の瞳に涙を浮かべるテレシアの肩を、王太子ベルンハルトはそっと抱き寄せる。

「恐ろしい思いをしたな。お前はもう何も思い出さなくていい。これからは、わたしが傍にいて、お前を必ず守るから…!」

「ベルンハルトさま…!」

「テレシア…!」

 今度は、ほおを染めるだけでは足りず、目を潤ませて見つめ合う2人。

「………」

 ビクトリアは、扇子を広げて口もとに当てると、やれやれと肩をすくめた。

 そんなビクトリアに、王太子が喰ってかかる。

「お前のせいで、テレシアがこんなにも怯えているというのに…! ビクトリア、お前は本当に血も涙もない女だな!」

「……」

 まあ失礼な。

血がないはずないじゃありませんか。わたしだって一応人間なんですから。

涙は……あると思いますよ? ……たぶん。

それに、テレシアさまの怯えた表情は、全部演技だと思いますよ。

だって、さっきから、王太子さまのご覧になっていらっしゃらないところで、卑しい笑いを浮かべてますし。あ、ほらまた。

「お前は、男であり将来の夫であるわたしを立てる事を知らず、いつも民衆の関心をわたしから奪い取った!」

「……」

 ええと……。

立てていないと言うのは、勉強の事ですか?

確かに、わたしはあなたより2つ年下にも関わらず、飛び級によって3年間あなたと同じ学年で過ごしましたし、学園の成績も、あなたに負けたことは一度もありませんけど。

 そして、民衆の関心と言うのは…、もしかして、人気のことでしょうか?

確かに、王太子さまとご一緒に、建国式典や収穫祭に参加するたび、国民が、大きな声でわたしの名前を呼んでくれましたが…。

………それって、わたしがどうこうと言うよりも、単にあなたに人望がないだけのお話ですよね?

飢饉のために、国が食糧難に陥り、わたしが隣国に援助をお願いしていた時、あなたは何をなさってましたか?

あなたをいいように利用することだけしか考えていない取り巻きと、カードゲームに没頭していたのでしょう?

しかも、お金を賭けて、盛大に負けていましたよね?

「わたしの寵愛がお前にないと気づいてからも、お前は、王妃の座欲しさにわたしの周りにいる女を排除しようとした! この、かわいいテレシアまでもだ!!」

「……は? わたしが、王妃になりたいがために、ですか?」

「お前の嫌がらせのために、他の女はみんなわたしから去って行った。だが、テレシアだけが、お前の非道な行いにも負けず、わたしの傍に居続けてくれたのだ」

 ……あ、それ、ほぼ誤解です。

多くの女性は、人目をはばからずあなたに近づかれて、迷惑しておりましたよ?

ただ、自分からあなたに近づいた女性は、仰るとおり排除させていただきましたが。

だって、あんな誰とでも関係を持つような女達と親密になられたりして、病気でも植え付けられたら…。

結婚初夜が、悲惨なものになりかねないじゃないの。

 ……なんてことを考えているなどとはおくびにも出さず、ビクトリアは扇子に隠れて、小さなため息をひとついた。

 王太子もちょうど言葉を切ったので、ビクトリアは、優雅な手つきで扇子をたたみ、静かに微笑んだ。

「かしこましました。王太子殿下。婚約解消の件、確かに了承いたしましたわ」

「よっしゃあ!」

「…!」

 ……テレシアさま…。さすがにその両手ガッツポーズはいただけませんわね…。

みなさま、目を丸くしていらっしゃるわ。

 王太子さまは…、あら、ずいぶんと驚いていらっしゃるようね。

わたしが了承した事を、手放しでお喜びになるかと思っていたのに。

可愛らしい…、と勝手に思っていたテレシアの、意外な一面を見てしまったのが、そんなにショックだったのかしら?

 王太子の意外な反応に、ビクトリアが首をかしげていると、王太子は眉間に皺を寄せて言った。

「……本当にいいのか?」

「はい、かまいませんわ」

 ビクトリアがあっさりうなずくと、王太子の表情が険しくなる。

「お前…、王妃になりたかったのではないのか?」

「いえ。別に、王妃になりたかったわけではありません。ただわたしには、生まれつき、この国の王妃になる、という義務が課されていただけですわ」

「………」

 まるで、明日の天気の話をしているかのように、あっさりと答えるビクトリア。

 あまりにも予想外な彼女の様子に、王太子は憮然とした表情を浮かべた。

「お前は…、わたしの事を好きではなかったのか…?」

「………」

 王太子の発言に、ビクトリアは、思わず出しそうになったため息をなんとかこらえた。

 ………ベルンハルトさま……。

あなたこそ、わたしに対して恋愛感情を抱かれた事など、幼少の頃から、ただの一度もございませんわよね?

それに、この、国内どころか、他国の方もいらっしゃる中で、わたしの気持ちを口に出せと?

……まあ、わたしはべつに構いませんけれど、わたしの気持ちがあなたにないとみんなが知れば、プライドが高いあなたのこと、一人で勝手に恥ずかしくなるのではありませんか?

「……」

 そう思ったビクトリアは、王太子に返事はせず、ただ、あきれ顔で目をそらすだけにとどめた。

 それから、改めて表情を無くした顔を王太子に向ける。

「王太子殿下、ご心配なさらずとも、あなたがわたしと婚約破棄をされ、わたしがそれを受け入れたことは、今この会場にいらっしゃる皆様がご覧になりました。王太子殿下が他国の方の御前で発言されたお言葉は、きっと、すぐさま国中はおろか、近隣諸国にまで届くことでしょう」

「…!」

 …って、殿下。あなたどうして今さら驚いていらっしゃるのですか。

そもそも、多くの人間の前でわたしに恥をかかせようと、卒業式という場を選んで婚約を破棄したのはあなたの方でしょう?

3年間、共に学んだ仲間達全員にしっかりと知られていますよ。

特に、近隣の国から来た留学生達は、速やかにこの一件を国に伝えるのでしょうね。

まったく、情報筒抜けだわ。

 「――――――――」

 ビクトリアは、やれやれと心の中でつぶやきながら、まるでほこりを払うかのような仕草で扇子を閉じると、王太子に向かってにっこりと微笑んだ。

「では、わたしはこれにて退出させていただきますわ」

「………!!」

 ビクトリアは、教本に載せてもいいレベルの完璧なカーテシーをすると、王太子の少し精彩を欠いた視線を背中に感じながら、颯爽と会場を後にした。



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(C)結羽2017

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