三日間
「…」
風邪の吹きぬける校舎の屋上、劉はフェンス越しに夕焼けを眺めていた。
町は広く、その向こうには山が見える。ここは劉の秘密基地のような場所であった。
ギィ、と扉の開く音が聞こえる。
「何だ」
振り向かず冷徹に言い放つ。
劉には相手を探る気など微塵も見受けられない。
「何だって良いじゃない」
同じく表情を悟られまいとするかのような平静の声。
劉は声のした方に目を見やると、
「美緒か」
と一言。
足音を小さく立てながら劉の横に少女は立つ。
数分の沈黙を経て、美緒と呼ばれた少女の口から自然と声が零れる。
「綺麗…」
茜色に染まる空、山へと沈みゆく夕日を見れば、思わず口に出してしまうほどの情景である。
「ここにはよく来る」
無き質問への返事の如く劉は言った。
「そうなんだ」
あまり深く考えず言葉を返す。
と、
「こんな所に居たんだ」
扉の方から声が聞こえた。
「どうした」
劉が振り向きざまに問う。振り向いた先には男女各一名ずつ、怜と櫻が居た。
「何となく劉探してた、靴はあるから帰ってないと思ってさ」
「そう言えば二人で何やってんの?」
劉は親指を夕陽の方へと立てながら答える。
「あれを見ていた」
二人も美緒と同じ方角を見やる。
「おぉ」
「これは…」
あまりの情景に二人は美緒と同じく言葉を切る。
「ふっ、とうとう此処もお前らに知られちまったんだな」
笑いながらぽつりと言った。
「こんな凄い所を独り占めしようとはいい度胸じゃん」
「僕達くらいには教えてくれても良かったんじゃない?」
「そーそ、全く何考えてるんだか」
三人も同じく笑いながら。
「さて、帰るとすっか」
「そうだね、もう時間だし帰ろっか」
時間は六時を回っていた。
一足先に劉が大股に歩き出す。
「じゃあな」
そう言って劉は皆に別れを告げた。
帰り道、ザッザッと鈍い足音を立てながら劉は歩いていた
「きゃあああぁぁ!!」
女性の悲鳴が聞こえた瞬間、バッグを抱えた何者かがT字路から飛び出してきた。
黒いフードを被った背丈の短い人物。
咄嗟に劉は脇をすり抜けようとした人物の襟首を掴み、遠心力を使い傍にあった電柱えと思い切りぶち当てた。
「あがっ!」
嗚咽と共に声が漏れる。
声からすれば子供、またはそれに似た人物であるだろう。
「何やってんだお前」
うつ伏せのまま嗚咽を漏らす少年へと立ったまま当然のように言い放つ。
そこへ盗まれた女性が駆けつけてきた。
「あの、助かりました」
「……桜子じゃねえか、何やってんだ」
その二人は劉のクラスメイトだった。当然知らぬ筈はない。
「劉ちゃんじゃん」
「ほらよ、中身確認してみろ。それとこいつは俺が警察に突き出しとく」
劉は未だ嗚咽を漏らす少年の腰を小脇に抱えた。
「すまんね」
「ふっ」
紗弥香の礼に劉は鼻で笑って答え、交番の方へ歩いて行った。
紗弥香の姿が見えなくなると立ち止まり、
「またやったのか」
と、脇に抱えられている人物へと言った。
「うっさい」
性懲りもなく言い返す少年。
「俺に捕まっただけ有り難く思っとけ」
脇に抱えた少年をゆっくりと降ろす。
未だに思うように動かない体を必死に起こして少年は劉に小声で礼を言う。
「おっす…」
「痛い思いしたくなけりゃ盗むのはやめろと何度言ったらわかる」
いつもの口調で言う劉に少しビクッとする少年。
「まあ、どうせまたやるんだろうな」
「……」
「かっかっか、図星か」
笑う劉は少し恐ろしいと少年は思った。
「じゃあな、生き延びろよ」
そう言って劉はその場を後にした。
残された少年は夜風に吹かれながら一言小さく言った。
「…あんたに言われたか無いよ」
帰り道の途中、
「ぐっ!?」
痛みが劉の胸を貫いた。
家の数歩前で膝を付いた劉は、必死に胸の痛みと闘っていた。
「……クソが…」
痛みの原因は悪性の腫瘍、劉の肺にそれがあった。
死の宣告は余命3日、未だ若い劉に対してあまりにも残酷すぎる運命であった。
「…あと3日か」
痛みが漸く治まり劉は肩を落とす。
「全く、難儀なこった」
そして家の中へと入った。
「痛むなら入院しときなさいよ」
「嫌なこった」
母の気遣いの言葉に劉は即答。
「めんどくせえ」
夕食を食べ終わった劉は食器を持ち台所へ向かう。
「ふっ…」
食器を水につけトイレに入って数十秒、トイレから出て2階への階段を上った。
階段を上がってすぐ横にある自分の部屋の扉へと手を掛ける。
ゆっくりと扉を開けると冷たい風が吹き抜ける。
「よっ」
「…毎回勝手に入ってきてんじゃねえぞ」
扉の先にはベッドがありその上に長身の青年が立って劉を見ていた。
「そんな怒んなって、別荒らしてる訳じゃねーし良いじゃねーか」
「知るか、つか窓閉めろ」
へいへい、と青年は渋々ながら窓を閉めた。
「んで、心臓は大丈夫かよ?」
「さあな、生きてりゃ何とかなる」
青年の質問にやはり劉は簡素に答える。
「その生きるってのは後何日持つのかねー」
「かっかっか、3日持てば良い方だ」
あくまで気楽に劉は言笑う。
「つか眠らせてくれ、流石にいてえ」
「おっと、こりゃすまんな、んじゃなー」
ガラッっと窓を開けると青年は隣の家の屋根へと飛び移り、そしてまた隣の家の屋根へと飛び移り、夜の景色へと消えさった。
余命2日。
輝く日光が劉へと降り注ぐ。
布団を跳ね除けベッドから降りる。
「あと2日か…」
自らの余命を気にしつつ、準備に取り掛かる。
数分後、階段を下りた劉は学ランを着てそのまま玄関へと向かう。
「いってらっしゃーい」
台所から母親の声。
劉は無言で家を出て行った。
足早に街道に出た劉は学校へ向かう。
と、その時
「よっ劉ー」
眼だけ横に視線を送るとそこには櫻が居た。
走って駆け寄り一言、
「今日も早いね」
「なんかこの頃調子が良くてな」
劉もそれに難儀無く答える。
だが、劉は悟っていた。後もう少しでこんな時間が終焉を迎えてしまう事を…。
「ちょ、待ってよー」
劉は大股で足が速いため小柄な櫻ではかなり早いようだ。
「わりい」
そう言って少し速度を落とす。
「別にいいけどね」
「今まで色々とありがとな」
「ん?」
「いや、何でもねえ」
胸の内の事は家族と先生以外はまだ知らない。
「よ、来たかてめえら」
劉は放課後櫻、美緒、怜、桜子を屋上へ来るよう呼び出していた。
「今日はてめえらに言いたい事があって呼び出した」
胸の内にあるものを、言うつもりだった。
「どうしたの?」
「ん?」
「劉ちゃん、どした?」
劉は無言で街を見下ろす。
10秒ほど経って、劉は口を開いた。
「俺の心臓には今悪性の腫瘍がある、いわゆる癌だ」
凜とした声で言った。
「劉ちゃん冗談はよしてよ」
桜子が笑いながら言う。しかしその笑いは何所か硬い。
「さあな」
静寂が辺りを侵してゆく。
「余命は今日入れてあと2日だ」
「…え?」
「なんだって…」
美緒が顔を俯ける。
櫻は無言で劉を見つめている。
「俺はもう明日か明後日には終わる。お前らにだけは伝えておこうと思ってな」
ただ、真実だけを劉は言う。
そこへ桜子が、
「じゃーさ、カラオケ行こ。最後の記念にさ」
「カラオケ何か行って大丈夫なのかい?」
怜が劉の身を按じたが、
「どうせ死ぬんだからに後の事なんざ、考える必要はねえよ」
当の本人が切り捨てた。
「じゃ、今から行こ」
「うん、行こうか」
「美緒、行くぜ?」
「あ、うん」
桜子の歌う曲は新曲やほぼ新しいものばかり。
櫻は色々。
劉は懐かしい曲を歌っていた。
美緒と怜は場を盛り上げて楽しんでいた。
「かっかっか、流石におもしれえぜ」
笑みを浮かべる劉に、
「…最後だからね」
櫻が寂しげに答える。
「何言ってんだ、何なら明日もやるか?」
「んじゃやろー」
今度は桜子が答えた。
「おいおい、マジかよ」
有らぬ事を言ってしまった、と劉は苦笑した。
盛大なカラオケ大会も終わり劉は帰路についていた。
夜の街頭は結構明るい。
ところどころに青い街頭もある。
「劉?」
劉の後方30mと言った所から女性の声がした。
振り返り声がした方を見る。
「巴…」
劉が振り返るや否や衣服を振り乱しながら巴と呼ばれた女性は劉に向かって走って来た。
眼前に来るや否や、劉に抱きつき、
「バカ!!何でいきなり私の前から消えちゃうのよ!」
息を切らしながらも必死に大きな声で言葉を紡ぐ。
「なんで……なんで………」
目からは涙が止めどなく溢れていた。
「…すまねえ、お前を苦しませたくは無かったんだ」
そう言って巴を強く抱き締める。
「…もう…離れたくないよ……」
「……」
劉は何も語らず、ただ強く巴を抱き締めた。
余命後1日。
「…ふう」
と一息。
劉は学校のバスケットコートで一人でバスケをしていた。
実際は寝ていなければならない状況である。
シュートを一本決めて劉はバスケットコートを後にした。
「次は何処行くか」
最後の日だと言うのに、いつものようにのんびりと日陰で考えていた。
と、そこへ
「劉ー」
何処からか櫻の声がした。
劉は立ち上がり目を凝らして前を見る。
そこには櫻や美緒、怜、桜子が居た。
ボールを持ったまま4人の所へ駆け寄る。
「何だ、お前ら」
「昨日言ったでしょ?カラオケ行くよ」
今更だが思い出した。
「マジで行くのか」
苦笑しながらフェンス越しに言う。
「嫌なら散歩でも行く?」
と、櫻。
怜が少しホッとした様子で頷く。
「んじゃ、そうすっかな」
劉はいつになく機嫌よい返事で答えた。
やはり今日は何か違う。
「懐かしいもんだな」
今思えば何年前になるだろうか。
劉が彼ら4人と出会った場所に5人は来ていた。
出会いは単純なものだった。
「劉が河を眺めてたからあたしが声掛けたんだよね」
そう、そしてそこに桜子が通りかかった。
転校生だった劉は他人と馴染まず、孤立していた。
「あの時の劉ちゃんはなんだあいつって感じだったし」
「まあ良いんじゃない?それが劉なんだしさ」
「でも話しかけても返事無かったし、何度も呼びかけて答えたと思ったら何だ
って言う一言だけだったし」
だが今は違う。
「良く覚えてんな」
今の劉は昔と違いかなり変わっていた。
自分すら信じていなかった劉が友人を信用するようになった事。
ただそれだけの事が劉にはとてつもない勇気を与えていた。
「劉ちゃんが忘れてるだけさ」
「フッ」
日は地平線の向こうへ落ち、辺りを赤く染め上げる。
「今日で最後とはな、悲しいもんだ」
櫻には今の劉が笑っているように見えていた。
「悲しそうに見えないけど?」
「さあな、分からねえ」
自分が一番大切なものが一体何なのか、今更ながら劉は理解していた。
「さあて死んで来るぜ、流石に息が苦しくなってきた」
時間は無情にも過ぎていく。
「絶対帰ってきてよ」
「生きて来るんだよ」
「劉ちゃんは死なないって」
「…ここで待ってるからね」
皆の言葉が深く胸に刺さる。
「は?何言ってんだお前ら、俺が死んでも何も変わらねえよ。…じゃあな」
皆に背を向け、静かに歩いて行く。
太陽は半円のまま劉を赤く照らしつけていた。
10月9日午前11時。
劉は亡くなった。
死ぬ間際、劉は一言だけ、かすれた声で呟いていた。
「強くなれ」
それが最後に4人に発した最後の言葉だった。




